ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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2話 立会人

 

 

 

 

 

職場体験初日。

正午すぎ、駅前は買い物客がぽつりぽつりと通る。

昼の穏やかな空気にクラスの声が混じる。

 

「あ、雄英の子だ」

周囲で誰かがぽそりとつぶやいた。

 

相澤はその声に反応することなく、生徒へ確認を込めて声をかける。

 

「全員コスチューム持ったな」

「本来なら公共の場じゃ着用禁止の身だ。

 落としたりするなよ」

 

「はーい!!」

 

芦戸がコスチュームのケースを掲げて元気よく返事をする。

 

「伸ばすな。

 「はい」だ芦戸」

 

「はい……」

 

恥ずかしそうに口を窄め、ケースを抱きかかえる。

周囲の顔に笑みが浮かび、雰囲気が和む。

その空気を再度、締めるように相澤が口を開く。

 

「くれぐれも体験先のヒーローに失礼のないように」

「じゃ、行け」

 

相澤の言葉に、生徒たちは一斉に返事をする。

 

「じゃ、お互い頑張ろう!」

「うん」

 

芦戸と短く言葉を交わす。

そのあと、夕紬は蛙吹と視線を合わせ、少しだけ笑みを浮かべ、手を振り、歩き出す。

ほかのクラスメイトもそれぞれに声をかけ合いながら、各々のホームへと散っていった。

 

改札を抜けると、少し先を歩く轟の背中を見つける。

その背中は、夕紬の目指すホームへと遠ざかっていく。

予想外の彼の選択に、思わずまばたきを繰り返す。

 

──けれどすぐに、そのあとを追った。

 

ホームに並ぶ轟の姿を見つけ、その隣へ歩み寄る。

少し間を置いてから、夕紬は声をかけた。

 

 

「轟くんも、もしかしてエンデヴァー事務所?」

 

声は明るく、表情も柔らかい。

 

焦凍は一瞬だけ夕紬を見て、一拍、間を置いてから答える。

 

 

「……ああ」

 

 

それだけ言って、彼は線路の向こうを見ていた。

夕紬もそれに倣い、線路を見やった。

 

遠くで列車の走行音がかすかに震え、やがてこちらへ近づいてくる。

 

 

 

二人が乗車した電車は空いていた。

混雑を外した時間帯の、登り電車。

向かい合わせのボックス席に腰を下ろすが、互いに向かい合うことはなかった。

 

互いの間に一席分の空白。

けれど、それを埋める必要もなかった。

 

車内には微かなアナウンスと、線路の振動音が満ちている。

 

轟はふと携帯に触れた。

画面は一瞬だけ彼の顔を映し、すぐに暗転する。

彼は小さく息を吐き、窓の外へ視線を流した。

 

試合の最後、あの瞬間──

 

ほんの一瞬、電車の揺れに視線が滑り、如月をかすめた。

 

「──つぎは、──、──です」

 

機械的な音声が車内に流れる。

けれど轟の耳には届いていなかった。

 

騎馬戦、最後の一手。

如月は、あの時──

 

(……いや)

 

どこから、どこまで読んでいたんだ。

その言葉を、喉の奥で押しとどめる。

 

 

今までの彼なら、それきりで終わっていた。

でも、

 

「如月」

 

小さく、確かに空気を震わせて。

彼は口を開いた。

 

「どうしたの?」

 

夕紬は本から顔を上げ、首をかしげる。

 

「騎馬戦、あの初動から全部…読んでたのか?」

 

電車の揺れる音だけが、二人の間に滲んだ。

数拍のあいだ、返事を待つ沈黙が続く。

その沈黙は、轟にとってほんの少し落ち着かないものだった。

 

「みんなの動きまでは流石にわからないよ。

でも、勝ち方は決めてた。

少なくともクラスメイトは、中盤でもう“私は動かない”って思ってたでしょ?」

 

決めていた、と言い切るその目は硬いまま。けれど口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。

 

轟は考えるように、少しだけ目を伏せた。

 

 

如月は、考えるやつだと思ってた。

……けれど、そこまで──俺にできていただろうか。

 

“自分の力”で憧れを目指す。

そうかつての夢を思い出した轟は、狭くなっていた視野が少しずつ広がっていくのを感じていた。

 

クラスメイトの長所からも、学べることがある。

彼が目指すのは、オールマイト──最高のヒーローなのだから。

 

 

 

そのために、選んだ。

──父親を知りに行く。ヒーローとしての姿を。

 

流れる景色を見つめながら、轟は胸の奥に改めて刻み込む。

電車は静かに、次の駅へと滑り込んでいった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

駅の出口を抜けた先、風が頬をかすめていく。

 

午前の光がビルの間から差し込み、都会の街路に揺れるような影を落としていた。

 

歩道を並んで歩く二人の足音が、アスファルトに溶けていく。

 

 

 

轟の足取りは固い。

まっすぐ前を見据えながらも、わずかに肩が強張っている。

アスファルトに打ちつける靴音は、決意を刻みつけるようで──一歩ごとに、硬質な響きを残していた。

強張った背中は、ためらいを押し隠しているようにも見えた。

それでも歩幅は崩れない。

 

──向かう先は、憎悪を焼き付けた男の場所。

けれど今は、“ヒーロー”としての彼を見るために行く。

 

その矛盾を、飲み込んで進むと決めた足取りだった。

 

 

 

一方のユウは、軽やかだった。

 

轟より半歩だけ後ろ、歩幅を合わせながら進んでいる。

背筋はまっすぐ、視線も前に向けているけれど──

 

その足音には、迷いも、重さもなく、地面に触れた感覚すら残さない。

まるで誰の記憶にも残らない歩みのように。

「ここでなくても構わない」とでも言いたげな、静かな均衡の上に立った“空虚な順応”の足取り。

 

 

──ただ、この道が開かれていたから歩くだけ。

 

“行く意味”があるのは、彼だけでいい。

 

 

 

二人の間に会話はない。

ただ、足音の質が違う。

 

ひとつは、自分を証明するための重さ。

もうひとつは、存在の意味を問わない静けさ。

 

 

 

やがて、視界を覆い埋め尽くさんばかりの高いビルが目に入る。

フレイムヒーロー・エンデヴァー事務所。

 

その名の下で、ひとりは理由を胸に、もうひとりは理由を持たずに。

 

それでも歩みを止めなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

エンデヴァー事務所の扉が、背後で静かに閉じた。

前を歩いていた轟の背中が、ぴたりと止まる。

 

サイドキックの一人が、軽く声をかけてきた。

 

「よく来たね、二人とも。……色々思うこともあるだろうけど、まずはエンデヴァーさんのところへ案内するよ」

 

その背を、二人は無言で追った。

 

 

広間は天井が高く、奥行きのある造りだった。

磨かれた床は歩くたびに硬い音を返し、濃い茶色の壁は落ち着いた重みを与えている。

片側の巨大なガラス面からは街並みが広く望め、差し込む光が室内を明るく照らしていた。

 

スタッフやサイドキックの行き交う足音、書類を扱う気配が絶え間なく響いている。

無機質な素材に囲まれた空間であっても、そこに“動き”があることで冷たさはなく、

 

むしろ規律の下に整えられた熱量が漂っていた。

 

 

やがて、ひときわ重厚な扉の前に立つ。

 

サイドキックが取っ手に手をかける。

扉の向こうには──

 

 

 

赤く切り揃えられた髪と、燃え上がる髭。

彼は何も言わずに、ただ二人を見下ろすように視線を落とした。

 

案内役のサイドキックが退出し、扉が閉まる。

残された空間には、父と子と、そして第三者の少女がいた。

 

 

 

エンデヴァーはまず、轟を真っ直ぐに見据えた。

青い眼は、燃え上がる炎に縁取られている。

その奥には、押し付けがましいほどの熱が宿っていた。

 

「……待っていたぞ、焦凍。ようやく“覇道”を進む気になったか」

 

声には確かな期待と、わずかな苛立ちが混じっていた。

 

轟は、正面からその視線を受け止めた。

熱のこもった青に、眉ひとつ動かさず。

ただ、胸の奥で小さな反発が軋んだ。

 

「……あんたが作った道を進む気はねぇ。俺は俺の道を進む」

 

「……ふん、まぁいい」

 

吐息まじりに返すと、視線は夕紬へと移った。

その目に、先ほどまでの熱はない。

冷えた光のまま、ただ値踏みするように彼女を射抜いた。

 

「君が如月夕紬か」

 

夕紬は姿勢を正し、臆せず答える。

 

「はい」

 

「実に磨かれた個性の使い方だった。判断も悪くない」

 

それは褒め言葉ではなく、事務的な報告のように淡々としていた。

 

「経験を積み、卒業後、うちの事務所に来るといい」

 

問ではない。命令でもない。

拒否権のない、“確認”。

 

夕紬は軽く会釈し、答える。

 

「光栄です」

 

エンデヴァーは、それ以上言葉を費やさず歩き出す。

轟焦凍はそのやりとりを黙って見ていた。

個性で価値を図るような振る舞い。

 

(……変わってねぇ)

 

胸の奥に、重たい嫌悪が沈む。

それでも視線は外さず、ただ黙って立っていた。

 

「お前達も準備しろ、出かけるぞ」

 

「どこへ?」

 

轟の言葉に足を止めず、だが問いには答えた。

 

「前例通りなら再び保須にヒーロー殺しが現れる。

 しばし、保須に出張し活動する。」

 

エンデヴァーは部屋の扉を押し開ける。

 

そして、サイドキックに指示を飛ばした。

 

「すぐ保須市に連絡しろ!」

 

「はい!!」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

出張の準備は素早く進められ、その日のうちに複数のサイドキックと共に保須へ向かうことになった。

ただし即時ではなく、移動は午後になる──そう説明したのは、サイドキックの女性、バーニンだった。

 

それまでの間に二人の動きを見ておきたいと言われ案内されたのは、訓練エリア。

 

 

轟はかつて、白いカッターシャツに白のズボンという簡素な装いだった。

靴も白のブーツ、左半身は氷で覆われ、左目には赤いモノアイの意匠。

それは「左の炎は使わない」という彼自身の決意の象徴でもあった。

 

だが今、その姿は変わっている。

色は白から紺へ。襟元とベストにはサポートアイテムが加わり、彼の変化を映すようだった。

 

一方、夕紬のコスチュームは変わらない。

黒のハイネックに、赤い“音叉”を思わせる紋様の入った上着。

丈は短く、ミニ袴風のスカートに収められている。

足には足袋型のブーツ。黒いスパッツが露出を抑え、実用性を損なわない。

髪は高い位置で結われ、揺れる白い紐がアクセントになっていた。

 

 

二人は入った途端、バーニンが手を打ち鳴らし、声を張る。

 

「よーし! 二人とも、早速、模擬戦やってもらおうか!」

 

敵役を務めるのはサイドキックのひとり。

ひとりずつではなく、二人まとめて──つまり、連携が問われる。

 

焦凍が隣に立つ夕紬へ視線を向ける。

わずかに眉を動かし、短く問う。

 

「……なにか考え、あるか?」

 

夕紬はすぐには答えなかった。

わずかな間を置いてから、目線を焦凍に向けて言葉を紡ぐ。

 

「即興で互いの動きを把握して合わせるのは難しい。

 だから、役割分担しよう。轟くんの思うように動いてみて。私が合わせる」

 

言葉を言い切ったあと、少し声をやわらげて付け加える。

「……って感じでどうかな」

 

微笑みと共に、そう問うた。

焦凍は少し考えたが、否定せずに頷く。

 

「……わかった。頼む」

 

 

 

「はじめ!!」

 

掛け声とともにサイドキックが踏み出した瞬間、

焦凍の氷が足元から疾走するように相手を襲う。

 

「っと……そうくるよな」

 

敵役は氷に足を取られる前に掌から炎を展開し、即座に迎撃に出た。

 

炎が氷をなぞるように迫った、そのとき──

 

「……“炎”」

 

夕紬の一言と同時に、空気がひずむ。

炎は軌跡を残さず、そこでぷつりと途切れた。

次の瞬間には、夕紬の手元の空間に、同じ炎が揺らめいている。

 

光景に、バーニンたちの視線が一斉に動く。

 

敵役はそれも加味していたのかもしれない。

避けるようなそぶりと共に再度火を出そうとした──だが、焦凍の氷の方が早い。

 

氷がその足をとらえた。

 

 

 

焦凍がわずかに横目をやる。

炎が揺らめきを残しながら、夕紬の手元で消える。

 

見学していた周囲の声が聞こえた。

 

「……体育祭でも見たけど、あの個性、対策のしようなくねぇか?」

「いや、見事だよ。」

「連携ってより、個性のゴリ押しだけど、それが成せる個性ってのはそれだけで強みだからな」

 

 

夕紬は笑みを深めた。

 

「流石、クラス最強、だね」

「……お前の個性がなきゃ、逃げられてた」

 

夕紬は口角を上げ、軽く手を上げる。

 

「じゃ、お互い様だね。私の個性は決定打にならないから」

 

焦凍は一瞬、反応に困っていたが意図を理解して、控えめに夕紬の手に合わせてハイタッチをする。

 

パチンと軽い音。

訓練エリアに、短い静けさが降りた。

 

バーニンが小さく口笛を吹きかけて、それを飲み込む。

 

 

「……いいね。次──」

 

その続きを遮るように、階段を下りてくる重い足音が響いた。

 

 

エンデヴァー。

 

焦凍がわずかに身を起こし、夕紬も気配に気づいて背筋を伸ばす。

 

男は一度、焦凍を見た。

 

言葉はない。

 

けれど、目だけが何かを測るように、冷静に動く。

そして、夕紬のほうへと、視線を移す。

少しの間。

 

まるで“評価を出す前の無言の空白”のような沈黙のあと。

 

「……相手の行動を読んでいたな」

「発動にも迷いがない。

 予測と共に“瞬間”を見て動いているな。それは、プロにも通用する武器になる」

 

言葉には褒める色はない。

ただ、確認するように、事実だけを並べていく。

 

「焦凍の支援。君に任せて問題はないようだな」

 

それだけを言って、背を向ける。

 

「はい、頑張ります」

 

夕紬はそれを追わず、笑顔と共に会釈を返す。

 

 

「うっわー……いつも以上にそっけないっすね、エンデヴァーさん」 

 

夕紬の返事を聞いたあと、サイドキックの1人がぽつりとこぼす。

それを聞いてか、聞かずか、バーニンが夕紬に声をかけた。

 

「ちゃんと返事するんだ。偉いな、あんた」

 

夕紬に、声色を少しだけ柔らかくして続ける。

 

「……あの人、あれで“認めてる”ってやつだからさ。わかりにくい頑固おやじだけど」

 

「……皆さんが、エンデヴァーさんを尊敬されているのは、空気でなんとなく、わかります。

 その理由も……少し、理解できる気がしました」

 

そう言ってほほ笑む夕紬を焦凍はただ見ていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

保須に着いてからは数班に分かれてパトロールを行っていた。

エンデヴァーの登場に付近の市民が口を開く。

けれどやはり彼はファンサービスなど行わない。

 

何も起きないまま、一日が終わった。

そして、今日もまた──同じように終わる。

 

仮免も持たない未成年の二人は、夜間になると先に帰るように促された。

サイドキックの一人が二人を送ろうとした。

夕紬は断ろうかと一瞬思ったが、結局はそのまま頷いた。

――彼らには監督責任があるのだから、と。

 

「飲み物、おごるよ」

気さくにそう言って、サイドキックは自販機へと駆けていった。

……上司の息子に、気を遣っているのかもしれない。

残された二人は、人気のない公園に立ち尽くす。

 

街灯がふたりをうっすらと照らしていた。

 

「……如月は、ヒーローになりたいと思ったきっかけとか、あるのか?」

 

轟は目を合わせないまま問いかけた。

 

自分でも、どうしてそんなことを聞いたのかはわからない。

ただ、思えば──彼女が“ヒーローを目指す理由”を口にするのを、一度も聞いたことがなかった気がした。

 

 

だから、どんなヒーローを目指しているのか。

ふと知りたいと思ったのかもしれない。

 

憧れはそいつのなりたい形だから。

 

 

夕紬は苦笑いを浮かべて答える。

 

「藪から棒だね?

 あまり考えたことないなぁ……そうなるのが普通だったってのと、人を助けられる個性だから、かな?」

 

その声は淡々としていて、意志の重さは感じられなかった。

だから、轟は思わず横目で彼女を見た。

 

その視線に気づいたのか、視線を向けてくる。

 

互いの視線がぶつかり、数秒の沈黙が落ちた。

 

 

 

 

 

彼はその言葉を、“聞き流せなかった”。

 

「……それ、苦しくないのか?」

 

数拍遅れて、口を開いた。

自分の家庭の事情を知らない相手に、どこまで伝えるか──迷いながらも、言葉を紡ぐ。

 

「俺は……あいつの、他人の理想のためって言われるのが……嫌だった。

 お前は……いやじゃねぇのか?」

 

 

 

如月は一瞬、目を丸くした。

そして、空を見上げ、呟くように言う。

 

「……そんなこと、考えたこともなかったかな」

 

笑みを浮かべた横顔に、ふと影がさしたように見えた。

冗談めいた響きなのに、どこか流せない重さが残っていた。

 

焦凍は言葉を探す。

喉の奥まで何かが出かかって──けれど。

 

「ふたりとも、お待たせー!!」

 

その声にかき消されるように、焦凍は口を閉ざした。

 

 

──考えたことがない。

その言葉の奥に、なぜか不思議な静けさがあるように思えた。

憧れとか、なりたいって気持ちが薄いような……そんな響きが、一瞬だけした気がした。

 

 

 

 

その日、二人の会話が続くことはなかった。

 

ほんの一瞬、交わりかけた言葉は、夜の影に溶けていった

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

街に動きがあったのは3日目の夜。

 

その日、夕紬と轟は別の班で行動していた。

街のあちこちから炎が立ち上り、遠くで悲鳴が響く。

無線でやり取りしながら駆け出したヒーローの後を、夕紬は追った。

前方には、エンデヴァーと轟焦凍の背中が見える。

 

ポーチの中でスマホが震える。

走りながら取り出すと──

 

送信者:緑谷出久

内容は、位置情報だけ。

 

夕紬は瞬時に悟った。

──何かあった。

 

「ケータイじゃない、俺を見ろ

どこに行くんだショートォ!!」

 

轟も同じメッセージを見たのだろう。

エンデヴァーの怒声が響き、夕紬が顔を向けたときには、彼はもう駆け出していた。

 

何か言葉を交わしている。

距離があって聞き取れない。

けれど──緑谷を助けに向かうのだと、夕紬にはわかった。

 

 

轟は背に浴びるエンデヴァーの声に足を緩めなかった。

 

「江向通り4-2-10の細道。

そっちが済むか、手の空いたプロがいたら応援頼む。

そっちの事件は任せた、お前ならすぐ解決出来んだろ」

 

彼にとってそれは――

信頼ではない。ただの、信用だ。

 

「はっ……」

 

だが、それは子から父へ初めて返されたものだった。

エンデヴァーは息をのむ。

周囲の喧騒さえ遠のいたように、喉の奥で何かが詰まった。

 

「友だちがピンチかもしれねえ」

 

轟は振り返らない。

それだけ言い置いて──街の闇を切り裂くように駆けた。

 

 

 

 

その背が遠ざかるころ、夕紬は先行するヒーローを追い、大通りから細道へと駆けていた。

彼女は、緑谷出久を助けには行かない。

けれど、背を向けることもなかった。

 

速度を上げて前を走るヒーローに並列する。

 

「緊急時にすみません。

クラスメイトから一括送信で位置情報の共有が来ました。

おそらく、救援要請です。」

 

それは“どう助けるか”を他に委ねる、ただの情報の共有だった。

 

ヒーローは驚いたように目を見開いた。

それは夕紬の冷静さか、それともその学友の身を案じてか。

 

「対応できる方がいればお願いします。場所は──」

 

「了解だ、すぐに共有する」

 

「ありがとうございます」

 

夕紬はそう言って、歩調を緩め、隊列に戻ろうとしたその時、

ヒーローが声をかけてきた。

 

「心配だろうに、共有してくれてありがとう」

 

力こぶをつくるような仕草と一緒に、ヒーローは笑みを浮かべる。

それは勇気づけのためか、それとも──夕紬自身の強張りを和らげるためか。

 

「私達は逃げ遅れた人たちを救おう」

 

やるべきことをやろうと。

励ますような言葉に、夕紬は小さく頷いた。

 

戦闘は私には向かない。やるべき人が、別にいる。

だから私の役目は──救出だ。

 

「ここからは訓練じゃない。

 エンデヴァーに変わって、個性の使用を許可する!」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

敵は街中で暴れ出し、ヒーローたちは次々と応戦に駆けていた。

夕紬は少し離れた大通りで、市民の避難誘導を任されていた。

 

 

「みなさん、落ち着いて! 走らずに──」

「逃げ遅れた人や、怪我で動けない人がいたら教えてください!」

 

声を張り上げ、群衆の流れを整える。

その姿はプロに混じっても違和感がなく、市民の目にはひとりのヒーローとして映った。

 

──そのとき、近くのビルが轟音とともに揺れ、壁が崩れ落ちる。

悲鳴が上がり、数人のヒーローがそちらへ走った。

夕紬は残り、逃げ惑う人々に声をかけ続ける。

 

「大丈夫です、こっちへ──!」

 

そこへ、ひとつのビルの中から影が飛び出した。

制服を着た学生だ。

彼女はヒーローコスチュームを身に纏う夕紬を見つけると、涙でにじむ目を見開き──一目散に駆け寄ってきた。

 

足がもつれ、体勢を崩した少女の肩を夕紬が支える。

 

「す、すみません」

「はい、どうしましたか」

「ビルの防護シャッターの中に……妊婦さんが! 今の揺れで……崩れて──」

言葉が途切れ途切れになり、学生の声は上ずっていた。

 

夕紬はしゃがみこみ、少女の肩からそっと手を離しながら視線を合わせる。

呼吸をひとつ整え、落ち着いた声で返した。

 

「大丈夫。順番に教えてください。その方は怪我をしていますか?」

 

夕紬は意識してゆっくりと話しかけた。

その声に少女の呼吸がひとつ整い、わずかに震えが収まる。

 

「はい、足を捻っちゃったらしくて…」

「わかりました」

 

近くにいるエンデヴァー事務所内のヒーローに声をかける。

 

「すみません、要救助者が居るそうです。

 私の個性で呼び出せますが、妊婦さんとなると──」

「あぁ、俺が避難所まで連れていく。」

「お願いします」

 

「──ビル内の負傷している妊婦さん」

 

声に意識を集中する。

床に座らせる位置を思い描き、背を支えるように右手を差し出した。

言葉を編むように、必要な語を一つひとつ丁寧に呼び出す。

 

次の瞬間、女性の姿が音もなく現れる。

避難しながらも夕紬たちを見ていた市民が息を呑み、声を失った。

その場に、わずかな静けさが張りつめる。

 

「え…っ!?」

 

妊婦は驚きに目を見開き、周囲を見渡した。

 

「驚かせてすみません、私の個性です。

 今からこの避難所までお送りします。」

 

夕紬が微笑むと、すぐ隣のヒーローが前に出る。

 

「お願いします」

 

「あぁ…少し失礼しますよ」

 

そう言って妊婦を抱き上げた。

 

 

「…すごい」

 

少女が小さく呟く。

その声には恐怖よりも、安堵が混じっていた。

妊婦を託した夕紬は、静かに息を吐いてから少女へと向き直った。

 

「他にビル内に怪我人や逃げ遅れた方はいらっしゃいますか?」

「あっまたビルの中に何人かいます」

 

「その方々は──」

 

 

バサッ、と羽音。耳がそれを捉える。

大きい──空を見上げれば、脳無に似た異形が舞い降りてきた。

 

口を大きく開き、吐き出そうとする。

何か来る──!

 

「しゃがんで!」

 

少女の肩を抱き、体勢を落とす。

直後、轟音。ビルに再び何かが叩きつけられた。

 

見上げれば、頭上からコンクリート片が落ちてくる。

夕紬は少女を抱きしめて庇う。

隣のヒーローを見るが、妊婦を抱えたままでは動けない。

 

瓦礫はここだけじゃない。

周りのヒーローは応援に向かってしまった。

だから、夕紬は逃げなかった。

今やるべきことを、ただ選ぶ。

 

記憶を呼び起こす。

さっき見た人影、落ちてきた破片の数。

思い出せ。予測しろ。

──脳無は確かにこちらに向かっていた。動かないと危険。

けれど優先は、市民の安全だ。

 

必要な情報を脳に詰め込み。

 

息を吸い、言葉を編む。

 

「瓦礫」

 

声に応じ、記憶を頼りに、選ばれた破片が呼び寄せられる。

崩れ落ちるはずの瓦礫。

落下は音を失い、安全な地面に積もった。

 

ドドドッ、と連続する着地音。悲鳴。

けれど、痛みは訪れなかった。

 

「──あれ?」

 

少女が目を見開く。

 

「怪我ありませんか?」

 

腕の中の少女に声をかけて、夕紬が顔を上げた、その瞬間――

 

バサッ、と大きな羽音。空気が裂ける。

脳無の影が、頭上から覆いかぶさってきた。

 

焦げた匂いが鼻を刺し、瓦礫の粉塵が舞い上がる。

 

「コール──!」

 

ヒーローの声と同時に、身体を掴まれる衝撃。

空気がざわめき、市民の口から短い悲鳴が弾けた。

次の瞬間、それは波紋のように広がり、一斉の叫びとなって街路を満たす。

 

強引に引き上げられ、Gが全身を襲う。

胃が裏返るような浮遊感に、息が一瞬だけ詰まった。

耳の奥がきしみ、視界がわずかに揺れる。

喉の奥が勝手に震え、声が漏れそうになるのを押し殺す。

 

それでも、思考は止まらない。

急速に高度を奪われていく。落ちれば、もう無事では済まない高さだった。

 

呼吸は浅く速くなるのに、胸の奥は冷え切っていた。

それでも、恐怖はない。

湧かないようにしているから。

 

夕紬は無線を立ち上げる。

 

「──通りで接敵!

 周囲のビルに民間人あり、応援求」

 

脳無の狙いを一瞬考えかけたが、無意味だと切り捨てた。

なにも知らされていないなら、知る必要がないってことだ。

 

今すべきは、脱出。

 

落下すれば致命傷は避けられない。

だが、高度さえ下げられれば……。

 

瞬きの間に思考を巡らせ、夕紬はサイドポーチから刃物を抜き放つ。

無造作に突き立てると、脳無の喉を裂くような悲鳴が夜に響いた。

 

「──!!!」

 

巨体がわずかに揺らぎ、怪物の目が夕紬を捉える。

大きく口を開いた。

 

来る──衝撃波だ。

ならば、返せばいい。

 

夕紬は声を放つ、その刹那──

 

灼熱が、矢のように空を裂いた。

 

「ふぅん!!」

 

エンデヴァーの短く吠える声と同時に、槍の形をした炎が脳無の頭を突き刺した。

 

脳無が悲鳴をあげ、夕紬を掴んでいた足を開く。

夕紬は咄嗟にナイフを握り直したが、エンデヴァーと目が合い、その意図を理解する。

ぱっと手を離し、落下に身をゆだね──炎の腕にしっかりと受け止められた。

 

着地の衝撃を和らげるように、エンデヴァーの足元から炎が噴き上がる。

夕紬はその熱に思わず目を閉じ、呼吸をひとつ整える。

 

「すみません」

 

「最優先は人命だ。奴を呼び出せるか?」

 

エンデヴァーの腕の中で、ユウは咄嗟に思考を巡らせる。

脳無を呼び出せるか──一瞬検討した。

 

地面に足をつけると同時に、言葉を紡ぐ。

 

「脳無。…すみません、範囲外です」

 

嘘を吐いた。いや、半分は本当だ。

だが、もっと声を張れば、後方の者の耳に届き、呼べていたかもしれない──それを伏せただけだ。

 

「追うぞ、着いてこい」

 

そう言い残し、炎を散らして駆け出す背中。

夕紬はその背を追いながら答える。

 

「はい」

 

「奴を呼び出せると判断したら個性を使え」

 

「了解」

 

きっと、彼の方が速い。

すでに数歩先を行く炎の背中を見ながら──

 

さっきの嘘を抱えたまま、それでも従う。

今は、それが正しい選択だと思うから。

 

 

 

 

 

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