ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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これにて5章完結です。
解像度が低いキャラが多く、苦戦した章でした。


5話 万華鏡

 

 

 

 

 

時間は少し遡り、ステイン逮捕後、数日。

 

如月漣――サイレンは自身のヒーロー事務所で警察から保護者へと渡された事件の書類と、

ヒーローとしての権限で手に入れた資料を見ていた。

 

書類の端を指でなぞりながら、過去の記録を思い出す。

 

 

 

雄英での敵襲撃。

あの日、夕紬は命を落としかけた。

 

そうなってやっと、彼女の在り方の“ほころび”に、サイレンが――漣は気づいてしまった。

 

正しさの為に、命を投げ出す子供に彼女は成ってしまったのだろうか。

生きたいと望むことすらない子供に。

 

故に、彼は信じきれなくなった。

 

 

仮面の下に、“誰か”がいると信じてきた。

だが今、それは信仰だったのかもしれない。

 

 

 

そんな迷いを抱いた直後に──

犯罪者が、誰か(それ)を“見た”というのか。

 

「ステイン」という男。

己の命を賭けて“真のヒーロー”だけを選別する狂信者が、

彼女の在り方に“火”を見たと言った。

 

 

如月はその記録を目で追った。

行の途中で、息が止まった。

 

 

「……貴様も、“贋物”に成り下がったか」

 

活字であっても、その声は刃のように響いた。

 

「“正義”の形を真似るな……!」

「貴様は……“英雄(ヒーロー)”ではない」

「だが──その()は、消えていなかった」

「見せてみろ。その(わざ)が、いずれ“信念”たりうるかを──」

 

 

 

…犯罪者の言葉に、正当性はない。

だが、あの男が“選ぶ眼”を持っていたことは、社会が証明してしまった。

彼が粛清を行った街の犯罪率は低下していたのは紛れもない事実。

そしていま、社会に与えた影響も。

 

なら──

(……私には、見えなかったものが、あの男には見えていたのか?)

 

そんな問いが、頭の奥に沈殿する。

 

(“正義”という言葉に、彼女はどう反応したのか)

(“火がある”と評されたことを──彼女は、どう受け止めたのか)

 

思考が巡る。

けれど、彼は彼女になにも“聞かない”。

問えば、その沈黙を壊してしまうと知っているから。

 

 

 

……皮肉なことだ。

私は彼女に仮面を与え、守ると決めた。沈黙こそが救いだと信じた。

だが──沈黙の奥にある“熱”を、あの男は見た。

 

彼女に“火”と呼ばれるほどの意志があるのなら、沈黙では消せない。

せめて、正しい使い方を彼女自身が見つけるまで――

……いや、“火”を宿した子供を、“沈黙で守る”ことなど、できるのか。

 

それは人格の否定になりえるのではないだろうか。

 

 

彼の思考にまた一つ、綻びが生まれる。

 

 

「……彼女が“火”とされたのなら──

 私は、その熱で彼女が己を焦がす日に、備えるべきかもしれない」

 

その言葉は、彼の記録として保存されるだけ。

本人に伝えられることはない。

 

だが、その瞬間から――彼はもう、“仮面の精度”だけを見てはいられなくなった。

 

その報告書の写しは、数日後、雄英の教員室に届くことになる。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「いや~~~、聞いたぜ相澤ァ……」

 

ドアが開く音と同時に、プレゼントマイクがずかずかと入ってくる。

 

「お前の生徒たち、ちょっとばかし……やんちゃしたらしいじゃねぇの?」

 

「……誰から聞いた」

 

「誰って、そりゃあ世間がザワついてるからさ。

“ヒーロー殺しステイン、撃退される!”──ってニュースがさあ!!

 ピンチな生徒を現役No.2にしてっ!うちのOBが救出ってか!!おいおい、コミックかよ!?」

 

 

相澤は眉を押さえ、短くため息をついた。

 

「……はぁ」

 

「お前のクラス、1学期でどこまで盛る気だよ。何? 修学旅行のフルコンボか?」

 

「修羅場の間違いだろ」

 

その言葉に、マイクは短く笑い、でもすぐに眉を寄せた。

 

「いやマジで、助かってよかった話だぜ」

 

 

相澤はコーヒーを口に含む。

マイクはその横で、腕を組みながらやや真面目な顔になった。

 

 

「……あの三人。平気そうだったか?」

 

「命にかかわる怪我はない。だが……こういうのは、あとから効く」

 

「んだよなァ~……」

 

一拍おいて、マイクは元のテンションで肩をすくめた。

 

「でもまぁ! お前んとこのクラスなら、きっと大丈夫だろ!

 本気で“ヒーロー”目指してるリスナーたちだしなァ!」

 

「当たり前だ。ヒーロー科だからな」

 

 

数秒の沈黙。

 

一拍の沈黙のあと、マイクは口調を落とした。

 

「ところで、消太。“火の子”って知ってるか?」

 

「……また妙なワードを拾ってきたな」

 

「ネットでさ、ちょいと話題になってんのよ。“誰だ?”って。

んで、うちの生徒じゃねぇかって噂もチラホラ立っててな」

 

「根拠のない話だろ」

 

 

声色を戻して。

 

 

「ひでぇな!?

 流行りに疎いマイフレンドに、ホットなニュースをお届けしてんのによ!」

 

相澤は答えずに、ただコーヒーをすすった。

 

マイクは「へいへい」と肩をすくめ、手をひらひら振ると、教員室のドアへと向かっていく。

 

「じゃあ、オレは職員室ジャック解除して帰るとするぜ~」

 

「……いつから占拠してたつもりだ」

 

「そりゃ! 今この瞬間までだろ? あばよ~!」

 

ばたん、とドアが閉まる。

 

残ったのは、冷めかけのコーヒーだけ。

相澤は数日前に見た資料を思い出す。

 

『ステイン、如月夕紬を認識』

正確には、ステインが彼女を覚えており、そして“言葉を投げかけた”。

 

報告書の文字と、マイクの軽口が頭の中で重なっていく。

警察の報告と、ネットの噂。どちらも「仮説」でしかない。

だが、仮説で済ませるには、あまりに現実的な話だった。

 

彼女が噂の人物であることを相澤は察していた。

本人に確認するつもりも、騒ぎ立てる気もない。

 

 

……ただ、もし“誰かの目”を引きつけるなら。

見過ごすわけにはいかない。

 

 

声をかけてきたのはステイン。

そして先に目をつけているのは敵連合。

どちらも、子供ひとりが背負うには重すぎる注目だ。

 

だというのに、世間も興味を示し始めている。

 

端末を開けば、検索結果に世間の声が溢れていた。

称賛、批難、同情。誰も彼も好き勝手な言葉ばかり。

 

 

彼は深く息を吐いた。

 

「……厄介ごとばかりだな」

 

 

報告書を閉じる手は、静かだった。

結局、彼にできるのは――見ておくことだけだ。

……少なくとも、表向きは。

 

除籍はしない。

それは甘さではなく、合理的判断。

 

除籍が意味を持つのは、“戻る可能性”が残っている生徒にだけだ。

夢を諦めきれず、もう一度這い上がる力があるかどうかを試す行為。

 

夢見がちな子供に現実を教える、彼なりの指導。

 

 

だが──この子供には効かない。

揺さぶっても、何も揺れやしない。

 

少なくとも現時点で相澤はそう判断している。

 

見込みがないからではなく、除籍という手段自体が通じないからだ。

 

 

……だから、見ておく。

あの生き方はいつまでも通用するものではない。

いずれ限界が来る。

そのとき、あいつは自らの力で立たなければならない。

 

 

それでも彼は、まだなにも、言葉にしない。

彼女がそういう干渉を好まないことを、相澤はよく知っている。

 

 

そして同時に、受け入れる準備ができていない人間に、どんな言葉を向けても届かないことも。

 

……だから、見守る。

だが、それは決して「見放す」という意味ではなかった。

 

 

 

必要な時を見逃さないように――

手を差し出す準備だけは、しておく。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

いつからだろうか。

 

外にいるとずっとずっと、人の視線が肌を撫でる。

 

興味、疑念、品定めをするような視線は、体育祭の時すでにあった。

 

でも──これは、多すぎる。

 

街中ですれ違う人が、立ち止まる人が時たまこちらを見てくる。

視線が合うことはない。けれど、確かに向けられている。

 

ユウは人に意識を向けられるのが得意としない。

 

それは嫌いだから、苦手だからではなく。

多角的な正しさを保てないから。

 

 

これは、余りにも──

 

 

 

ユウは歩を早めた。

 

不自然にならない程度に。

それでも一刻も早くこの場を離れるために。

 

そうやって逃げ込むように校内に入る。

 

「あっ如月さん」

 

けれど、人の目はここでも夕紬を離してはくれない。

 

これが、ヒーローになればずっと続く。

……そんな思考を切り捨てて、向けられた声に振り返る。

 

「今更だけど、職場体験大変だったらしいねー

 確かエンデヴァー事務所行ったんでしょ?ヒーロー殺しに会ったりしなかったの?」

 

別のクラスの女の子が、探るように言う。

誰かに職場体験先を話しただろうか──そんな思考が一瞬よぎる。

 

「流石にないよ、まだ仮免もないしさ」

 

大丈夫、まだ続けられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、いつからだろう。

 

自分に向けられる興味の視線が、日に日に増えている気がした。

 

職場体験が終わって数日。

きっかけなんて、思い当たらなかった。

 

エンデヴァーがヒーロー殺しを捕まえたから?

その事務所にかかわっていたというだけで、そこまで話題になるだろうか。

 

答えの出ない類の問い。

 

誰かにそれとなく、聞いてみるべきだろうか。

 

でも、誰に――

 

 

そんな時、他クラスの生徒に食事に誘われた。

体育祭で助けた子。その繋がりで、少しだけできた関係。

深めるつもりはないが、無碍にするのは少し違う。

そう思い夕紬はその4人程度のグループに入り食事をとっていた。

 

場所は食堂ではなく、中庭。

どうしてこの場所なのか──夕紬は一瞬だけ考えたが、答えは出なかった。

 

食事を終え、雑談の波が、ふと途切れた。

その一拍の静けさを埋めるように、誰かが口を開いた。

 

 

「ねね、最近ヒーロー殺しの動画流行ってるじゃん。

 あれでさ、なんか火を見たって言われてる子、火の子って如月さん知ってる?」

 

話題の一つとしてヒーロー殺し、ステインの話題が上がること自体はなんとなく予想がついていた。

だから、濁すような返答をする。

 

「その話題は知ってるけど、誰かまでは知らない、かな」

 

夕紬の声も表情も、いつも通り。

それでも──その子の目だけは、違った。

好奇心の形をした「確信」が宿っていた。

 

「あのさ、如月さんってエンデヴァー事務所に職場体験行ってたよね?」

「…よく知ってるね」

 

 

その勢いに苦笑でそう返す。

 

けれど、その子はその拒絶に気付かない、止まらない。

捲し立てるように夕紬に質問を続ける。

 

「救助活動とかしたって聞いたけどほんと?」

 

「んーどちらかというと、誘導がメインだったかな」

 

 

止める子は、誰も居ない。

 

 

「それに、如月さんって人命救助とかめっちゃ大切にするじゃん?体育祭でもうちのクラスの子助けてくれてたし」

 

まるで、結論のために理由を並べているような言葉。

肌にぞわりと寒気が走る。

 

「それは、ヒーロー科だから」

 

それでも、その身体的不快感を表に出さず夕紬はちゃんと答えを返した。

女子生徒と目が合う。好奇心、興味、確信じみた瞳。

 

 

「ねぇ、あれってさ、如月さんなんじゃないの?」

 

 

空気が、一瞬で張り詰めた。

 

3人分の突き刺すような視線。

自分の深いところを見定めようとする目、いつかにも向けられた視線。

 

言葉失う。喉で詰まる。

それでも、なんとか口を開いた。

 

「そ、れは……」

 

でも、言葉が出てこなかった。

だから夕紬は演じることにした、傷付いた子供を。

 

言葉を途切れさせ、少しうつむく。

 

そんな夕紬の様子に少女達は慌てふためいた。

 

「あっ!ごめん、そんな責めるつもりなんてうちらないから」

「そうそう、あいつヒーローじゃないとか言ってたけど、私にとっては如月さん今でも十分ヒーローだし」

「ごめん、興味湧いちゃって──如月さんレモンティー好きだったよね?私、買ってくる!」

 

一人の生徒が席を立ち駆け出す。

その時、生徒は廊下で一人の教師とすれ違う。

中庭は先ほどの張りつめた空気をなくそうと、生徒たちが明るい声を作って一生懸命、話題を途切れさせないようにしていた。

 

夕紬は、笑えなかった。

けれど、笑って見せた。

 

喉の奥に、もう言葉にできなくなった熱が滲んでいた。

空気が乾いて、息を吸うたびに少し痛かった。

 

 

「やっぱ、如月さんか〜」

「如月さん、確かにヒーロー!って感じじゃないよね、なんゆーのかな、自意識過剰じゃないのは確かにって思うし、なんか納得」

「いやでも──」

 

不意に、靴音が近づく。

硬いアスファルトが、乾いた音を返した。

 

「おい、如月、ちょっといいか」

 

声の方へ、顔をあげると同時に声がかかった。

そこにいたのは担任の相澤。

 

「あっはい」

 

夕紬はそう言って、驚いたように立ち上がる。

それからお弁当を持ち、残念そうな生徒たちに声をかけた。

 

「ごめんねみんな、また今度」

 

「えー」

「もうやめなって」

 

少し乗り気でなかった1人がやっと、止めようとした。

そんな声を背中に受けながら相澤のもとに歩いていく。

 

「どうかしましたか、相澤先生」

 

「女子に頼むもんじゃないかもしれないが、午後の授業で使う備品があってな、運ぶの手伝ってくれ」

 

「ふふっ相澤先生ってそういうの気にしないと思ってました」

 

「今はPTAとか怖いんだぞ」

 

そんな軽口を叩く如月は疲労のかけらも見せない。

でも、相澤は察していた。

 

夕紬の仕草は、いつも通りすぎることに。

相澤は廊下を歩きながら、窓から流れ込む生徒たちの声を耳にしていた。

 

なにより、いまもなお、如月に向けられているその視線。

 

どこか名残惜しそうで、どこか楽しそうな――

 

 

子供特有の、無邪気な好奇心と“知らないまま踏みにじる残酷さ”を帯びた視線。

 

超えてはいけない他人の境界を、興味だけで跨いでしまう――そんな年頃の目。

 

 

だからこそ、大人の自分が、線を引いてやらなければならない。

 

相澤は、視線の壁を作るように窓際を歩いた。

彼は何があったかは聞かない。

だが、あの好奇心が夕紬を傷付けていたことは理解していた。

 

――守るとは、大げさに庇うことじゃない。

それを自分のせいにしてしまう子供もいる。

 

だから、相澤は余計な視線から遠ざけてやることを選んだ。

 

 

 

 

ただ、彼はわかっていない。

 

その優しさすら毒になる子供がいることを。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

数日後、ユウは誰とも昼食を取らずに、木陰で涼んでいた。

お昼を誘ってくれたクラスメイトには、“本の続きが気になるから”と言って断った。

皆は止めずに送り出してくれた。それでも“食べないと”と、お菓子やパンをくれた。

 

手元に開かれた本のページは捲られても、文字を視線が追うことはない。

 

思考はずっと霧の中。

 

 

――あの人は、私のどこに意思を見たのだろう。

そんな事を、最近よく考えてしまう。

 

わかって、いる。

これもきっと答えのない問い。

でも、考えずにはいられない。

 

 

ユウは“誰かに聞く”という術を知らない。

正しくは知っていても、許可されなければ使えない手段としている。

 

だから、自分で答えを探そうとする。

……探すことしか、できない。

 

 

あの人の視線は覚えてる。

 

 

でも……いつだっただろうか。

 

曖昧だ。

 

記憶を初めて消した時だったから、よく思い出せない。

 

──あの人は、私のどこに、彼の信念に足り得る、“火”なんて幻覚を見たのかな。

 

 

 

ずっと考えている。

 

だけど、わからない。

 

私は、なにも、成していない。

 

 

あの子の隣に座ったのだって、たいした意味なんてなかった。

それに例えば、それが例え良いことでも、私の生きてきた過去が変わるわけじゃない。

 

ずっと、ずっと、悪いことしかしてきていない。

私が社会に残したのは、犯罪に手を染めたという事実だけ。

例え環境によるものと言われようと変わらない。

 

私がこの声で、私が生きるためにやったんだ。

 

 

彼が嫌悪する贋物。

または悪戯に力を振り撒く敵──だと思っていた。

 

いいや、いまも思っている。

 

 

ふと、脳裏に相澤の言葉がよぎる。

ヒーロー基礎学で、ヒーローネームを決める時に彼が言っていた言葉。

 

「将来自分がどうなるのか──名を付けることでイメージが固まりそこに近づいていく」

「それが“名は体を表す”ってことだ」

 

 

 

私の名前は?

千響夕紬、親を殺した子供であり。

如月夕紬、ヒーローに引き取られた少女で。

それからコール、エンデヴァー事務所で経験を積んだヒーロー志望の1-A、出席番号8番。

 

それから、火の子。監視役。

 

――私の血縁者は、この名前をどう思って付けたんだろう。

そも、呼ばれるようになったのはいつだっただろうか。

 

酒に酔った彼女が笑いながら口にしていた。

私の誕生日は、本当のものではないらしい。

 

なら、名前もきっと――

適当に付けられたのかもしれない。

だとしたら、私はどうなるのだろう。

 

夕……日のくれがた。ひぐれ。

紬……繭や真綿から糸を紡いで織った丈夫な絹織物、だっただろうか。

 

 

この漢字に、この音に、どんな意味があるというんだ?

 

 

パタンと手元の本を閉じる。

ユウは、答えの出ない迷宮に潜る事をやめた。

 

それから、ここで記憶を消しておくことにした。

 

褒められることではない。本来、すべきではない。

そろそろ限界だ――いや、まだ余裕かもしれない。

でも消しておくべきだ、だってなにが起きるかわからないのだから。

 

軽いものを。

肉体に負荷がかからないように、

人に向けられた興味の視線だけを選んで、消しておく。

 

 

その視線の意味を考える私も、消す。

なにがあったのか、その出来事だけ残せばいい。

後で、なにかが起こったときに使えるから。

 

簡単なことだ。

棚の本を開いて、いらないページをちぎって、捨てるだけの作業。

 

 

 

なのに、こちらに歩いてくる気配に気付かなかった。

 

どすん、と音を立てて、ユウの隣に誰かが腰を下ろした。

思わず横を見る。

 

少し上にある顔、ふわふわの紫の髪。

 

心操人使。

体育祭で少しの間だけ一緒に戦った普通科の少年。

 

彼はそっぽをむいていた。

言葉を用意していなかったのだろうか。

まるで何を言おうかと言葉を探ってるように見えた。

 

座り方も彼にしては少し大胆…雑に見えた。

人の機微に敏感なタイプに見えていた。

どうしたのだろう?と夕紬は少し首を傾げた。

 

 

「……最近、元気ないよな」

 

 

長い沈黙の後に語られた言葉はそっけないものだった。

でも夕紬にはわかる。

 

彼はどうやら心配しているらしい。

だからなんともないよ、と彼をみていつもの様子で笑う。

 

「そうかな?」

 

彼がゆっくりこちらに顔を向ける。

 

やっと、目があった。

 

けれど、すぐに逸らされる。

 

「……そういう笑い方、やめろよ」

 

少しだけ口を尖らしながらいう言葉は、夕紬じゃない誰かに向けられた棘を感じる。

自分に対してじゃない。

わかっていた。

わかっていたけど、でも反射的に言ってしまった。

 

「ごめん」

 

間違ったと反射的に悟る。

後悔と呼ぶには弱い、それでも確かな罪の意識を噛み締めるように夕紬は心操から視線を外し、正面を見た。

 

木々のざわめきの中で、

心操が手を握るような音が聞こえた気がした。

 

 

「ごめんってなんだよ」

 

それは弱々しい声だった。

ポツリとつぶやいた、ほんの少しだけ悲しみが滲む声。

 

風がひとつ、枝葉を揺らす。

それを見ていたのか、見ていなかったのか。

心操の視線は、まだどこか宙を彷徨っていた。

 

 

(また、間違えた)

 

事実から目を逸らさないために──夕紬は心中で言葉を繰り返す。

 

 

もう、間違えないように。

そうやって口をついて出そうになった言葉を飲み込む。

少しだけ、声を明るくして、何気ないように言ってみせる。

 

「んーなんだろね、心配かけちゃったこと、かな?」

 

「……そうか」

 

心操の小さな相槌を最後に、2人の間から言葉が消えた。

 

 

そしてしばらくして──

心操が小さく言う。

 

「……飯、食っとけよ」

 

立ち上がって、背を向けて歩き出す。

 

その背中を、夕紬は目で追おうとした。

そうするのが正しいような気がしたのに、心が追いつかなかった。

だから、視線だけが空を泳いだ。

 

そっけない言葉。

だけど、感じてしまった。

 

彼なりの気遣い。優しさ。親しみ。

 

 

そしていつかの私が向けた──

 

 

記憶が、弾ける。

 

 

 

 

あぁ、そっか、彼は──

 

 

 

感情が湧いて。

 

静かに、深い底に沈む。

 

 

このままじゃ、私は──

 

(ここに居てはいけない)

 

 

今の私に居場所はないのだと、ユウは――そう、“定めた”。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

それは強迫観念に似た何か。

誰の視線も突き刺さらない安寧を、ただ願った。

 

それはどこだろう。

 

記憶の本棚を倒して、乱雑に散らばった本を読み漁る。

それは脅迫のようでいて、もっと鈍く、もっと静かな行為だった。

 

そんなところあるのだろうか。

 

それでも――ここではないどこかへ。

願いは、もはや“願い”としての形をしていなかった。

 

 

思考の海を歩いた。考えないようにして、歩いた。

誰に何を問われるでもなく、何を問うこともなく、ひとりでただ歩いた。

 

ふと、記憶に沸いた場所があった。

ただ、そこだけが、“答え”を求めない所だったから──

 

 

それだけだった。

 

チリっと指先が耳元を撫でた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

アジトのバーには、誰もいなかった。

 

いつものように、死柄木はカウンターの椅子に腰掛けて、ゲーム機を手の中で転がしていた。

けれど、プレイは進んでいない。画面は止まったまま、ずっと同じメニュー画面を映していた。

 

──そのとき。

 

忽然と黒霧のゲートが開いた。

 

呼んでいない。予告もない。

だが、彼は理解してしまった。

 

コツっと足音を立てて現れる小さな影。

 

「忙しいんじゃねぇの?ヒーロー科ってやつは。

……正義のごっこ遊びとかでよ」

 

 

ユウはいつものように何も言わない。

 

けれど、いつもより足取り遅い。

顔は伏せられ足元だけを見て歩いてる。

 

死柄木は苛立ちのまま、口の端を吊り上げた。

 

 

「それともなんだよ?

“ヒーロー”にもなれないから、来たのか?」

 

指がカウンターをトン、と叩いた。

 

「ヒーロー殺しに“ヒーローじゃねぇ”って言われたガキが、

 ここに来る理由って、いったいなんなんだよ。なぁ」

 

 

言ってみろよと彼は言う。

声は、いつもと同じ。

 

けれど、その棘は──鋭く、自分の皮膚の内側にまで刺さっていた。

 

本気で怒ってるのかもしれない。

けれど、だからこそ無視もできない。

──そんな“言わずにいられなかった”言葉。

 

 

 

それでもユウは、何も返さない。

ふらふらとソファまで歩いて、ぽすん、と音を立てて座り込む。

机と椅子の間に、身を押し込むようにして、体育座りのまま顔を伏せた。

 

……その姿を見た瞬間、死柄木は何も言えなくなった。

 

さっきまでの言葉が、

すべて間違いだったように思えてくる。

 

 

(──……あ?)

 

どこかで、ガリッと小さな音がした。

 

さっきまで投げた言葉が、

急に自分の皮膚の内側で割れていくような感覚。

 

 

思わず出た声は、いつもより、少しだけ低かった。

 

動かない。

喋らない。

離れてる。

 

いつもと違う。

 

──そして、時折、身体が小さくびくついていた。

 

(……なにがあった)

 

そう疑問を抱いてしまう自分に吐き気がした。

 

それでも見てしまう。

目の前に疑問を置かれて、無視できるはずがない。

 

息をひそめて泣いてるわけでもない。

ただ、疲れ果てた動物が、もう逃げる気力もないように、そこにいるようだった。

 

死柄木は、何も言えなかった。

 

(……どういうつもりだよ、お前)

 

訊けない。

 

“お前のせいだ”とも、“なんで来た”とも、言えなかった。

 

だって、その背中があまりに、脆すぎたから。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

しばらくして──

 

ユウは、静かに寝息を立て始めた。

 

顔は伏せられていて見えないが、たぶん目を閉じている。

 

 

あの、ヒーローになるために塗り固めたようなツラを捨てて、ただ、“無防備に眠っていた”。

 

(……んだよ、それ)

 

気に入らない。

でも、そんな怒りすら声にはならなかった。

 

“なんのつもりだ”って言いたかった。

でも、言えなかった。

いや、答えなんて返ってこないから口にしないだけだ。

 

(こっちは、まだ……)

 

USJで見せられた“顔”も、ステインの発言も──

全部、中でまだ燻ってるのに。

 

お前は、ひとりで、勝手に──

 

 

舌打ちが零れる。

黙って、寝て。今度はそのまま、消えるつもりか?

なら余計なことしてんじゃねぇ。

 

(……勝手に、決めてんじゃねぇ)

 

 

無意識に自身の正面にある木の台に目をやった。

そこに、いつも置かれていた“チョコ”すら今日はない。

 

──持って来てねぇのか。

 

少しだけ、指先が動いた。

 

それから数拍後、

死柄木は立ち上がって、カウンターの奥の棚を開ける。

放ったらかしていた袋を取り出して、しばらく眺めた。

 

(……なんで、こんなもん……)

 

でも、気づいたら手が動いていた。

 

ソファの端、ユウの手が届きそうな位置に、そのチョコをひと包みだけ投げた。

 

何も言わず、何も乗せず。

 

ただ、そこに置いて──

彼は椅子に戻り、ゲーム機の画面を開いた。

 

優しさと呼ぶには、あまりにも不器用で、不確かだった。

「いつもあるはずのものが、なかった」──それだけのことに、ただ気づいてしまっただけ。

それを違和感と呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。

けれど、それを違和感と感じた時点で、

彼はもう、自分でも気づかぬうちに、どこか変わっていた。

 

 

「……何やってんだ、俺」

 

口に出した瞬間、吐き出すようにもう一度呟いた。

 

「……くだらねぇ」

 

舌打ちをこらえながらも、視線だけはずっと、そちらに向いていた。

 

(寝てんじゃねぇ、さっさと起きろ)

 

でも、願いは届かない。

 

ユウの呼吸は深く、安定していて。

 

その音だけが、部屋の隅でずっと鳴っていた。

 

 

この夜だけはきっと、死柄木の方が眠れない。

……その事実だけが妙に悔しかった。

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