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「お前の爆破、マジでエグかったな〜!」
「芦戸さん、反復横跳びめっちゃ速かった!」
感想と賞賛と自己評価が入り乱れるなか、
夕紬は自分の席で、静かに水筒の蓋を開けていた。
ほんの少しだけ、蓋を開けた瞬間にすっと鼻を抜ける、微かなミントの香りが漂った。
それすらも“この空気に溶ける香り”として選んだもの。
「如月さんって、全部うまかったよね」
夕紬は、その言葉にタイミングを合わせるように、静かに振り返った。
「……そうかな?ありがと、でもみんなほどじゃないよ。器用貧乏ってやつかな?」
口調は軽く、笑顔も自然だった。
誉められ慣れてるのでもなく、恐縮しすぎるでもない。
返された側は「そっかー」と笑い返し、空気はまたいつも通りに戻った。
何も残さず、誰も引っかからない。
そういう“言い方”を、夕紬はちゃんと知っていた。
誰もが、夕紬の記録を覚えていない。
でも、“妙に印象に残っている”ことだけは感じている。
それが、彼女にとっての正解。
今日も間違えていないはずだ。
***
廊下に出た相澤は、端末を開いた。
午前中の個性把握テストの記録ログが、自動的に一覧表示される。
飯田の走力、爆豪の投擲、緑谷の特異記録。
──順に視線を流し、彼は指先で一人の名前を呼び出した。
《如月 夕紬》
グラフが表示される。
身体測定は各7種目、バランスの取れた数値。
跳びすぎず、投げすぎず、力みすぎず。
まるで、線を引いたような数値だな。
突出も、沈みもない。
けれど、調整の跡が見える。
“狙って平均値を出した”ような──そんな気配。
声には出さない。
けれど確かに、彼の中で“何かが引っかかった”。
それは成績そのものだけではない。
“生徒としての情報が薄すぎる”こと。何かが欠けてるわけじゃない。
ただ、“埋まりすぎてる”感じがした。
書類も、行動も、発言も──完璧すぎて、逆に記憶に残らない。
生徒データに並ぶ項目の一つに、“保護者:ヒーロー・無音(サイレン) 如月 漣”の名がある。
相澤は、ほんの一瞬だけ視線を止めた。
「……あいつが、引き取ったんだったな」
あの無音が、“わざわざ育てる”ことを選ぶとは思わなかった。
社会的に信用のあるヒーロー。合理主義者。
そして何より、“善を必要とする男”。
彼女の経歴には、全て目を通している。
あの過去なら、“人前で笑えるだけでも立派だ”と評価する教師もいるだろう。
けれど、相澤は違う。
仮面を被って生きるのは、生き方の一つだ。
だが──その仮面に“ヒーロー”と名乗らせるなら。
それは、“覚悟”を問われる生き方だ。
相澤は端末を閉じた。
「……ま、まだいい」
「見てやるさ。“演技”の先に何を残すのか」
それが、“この教室”にいる意味だ。
相澤は決して、最初から答えを求める教師ではない。
まず、“生徒が何者か”を見ようとする。
だから、今はまだ問いを立てたにすぎない。
***
彼の背中が音もなく教室に戻っていく。
その気配に、ユウがふと、顔だけを上げた。
視線は合わない。
でも、空気の密度が少しだけ変わったことだけは感じていた。
***
HRが終わり、1限目──教室に入ってきたのは、金髪にサングラスの派手な男だった。
「イェーッス! 今日からこのクラスの英語担当、プレゼント・マイク先生だぜぇ!」
とびきりのテンションで手を挙げる彼に、一瞬空気が固まる。けれどすぐに、
「えっ、英語!?」
「マイクが授業!?」
とざわつきが走る。……が、そんな声も一瞬だった。
教壇に立ったマイクは、すっとトーンを下げる。
「教科書、開いて。Unit 1, Page 4。発音に注意して。あと、主語と動詞、位置ズレてんぞそこの男子」
淡々と。はっきりと。
まったく叫ばない。静かで、理路整然とした授業。
「いや、ふつうだ……!」
緑谷が小声で驚く。
その横で、夕紬は笑っていた。
けれど、それは誰にも気づかれない、小さな苦笑だった。
(……ふつう、だね)
声は低く、目はまっすぐ。でも、あの頃と同じ響きが、確かにあった。
夕紬の記憶の中。ラジオの向こうで、明るくしゃべっていた人。
「──夜は、誰のものでもない。
──でも、君のものでもある。」
(たった一言だった。それだけで、泣きそうになった夜があった。)
そして今、その人が目の前で英語を教えている。
(“本物”が、こんなふうに目の前にいるなんて……変な感じ)
不意に、マイクがこちらを見た。
「Kisaragi. 意味、答えてみて」
「Yes, sir. It means “empathy”」
「いい発音だ。次」
短い問答。何も特別ではない。けれど夕紬の中には、少しだけ“波紋”が生まれていた。
仮面の下で、あの頃の声が響く。
“昔の縁”が、今も誰かに届いてる。
それは、少しだけ──彼女の“罪”を、揺らすようだった。
昔、誰かの言葉に救われた気がした夜。
ほんの一瞬だけ、何かに期待してしまった自分。
忘れていたはずのその輪郭が、
なぜか、心の奥で小さく波を打った。
でも、すぐに呼吸を整えて思考を消した。
***
飲み物を買いにクラスを離れる。
昇降口とは逆の、裏手の階段。
誰も使わない、非常口に近い踊り場。
そこに、一人の生徒が座っているのを見つけた。
別に倒れてるわけじゃない。
弁当も、スマホも開いていない。
ただ、頭を落として、じっとしていた。
ユウは、何も言わず通り過ぎる。
でも、階段を上がっても、胸のどこかにその姿が引っかかっている。
(……気のせい、かな)
目を伏せて、そのまま教室へ戻った。
***
昼休みのチャイムが、雄英高校の教室を柔らかく満たした。
ざわめく声、椅子を引く音、廊下に走っていく足音。
そのすべてを、如月夕紬は、遠くのことのように聞いていた。
弁当箱の包みを膝に乗せながら、机の端で小さく息を吐く。
今日も、誰にも話しかけられなければ、それでいい。
それが日常だ。ずっと、そうだった。
でも──今日は、違った。
「如月さん」
教室のざわめきの中、はっきりと届いた呼びかけ。
声の主は、八百万百。A組の中でも特に穏やかで、礼儀正しい少女だった。
夕紬は、一瞬だけ肩を動かし、それから顔を上げる。
笑顔を作るのは、難しくない。何度も、繰り返してきたことだから。
「うん、なに?」
「あの……もしよろしければ、一緒にお昼、どうですか?」
弁当箱を抱えたまま、八百万が小さく首をかしげる。
その背後には、葉隠や耳郎の姿もある。
どうやら、数人で中庭に出ようとしていたらしい。
夕紬は、ほんのわずかに目を丸くして、そして微笑んだ。
「……うん、誘ってくれありがとう」
「あっ、ほんと?よかった!」
葉隠の無邪気な声が重なる。耳郎も「へぇ、如月さんってそういうとこ来るんだ」とどこか興味深げに呟く。
夕紬は立ち上がり、弁当を抱えて歩き出す。
その横顔には、いつもと変わらぬ“優等生の笑顔”。
けれど──
(……誘われたら、断る理由はないもんね)
胸の奥で、ぽつりと呟いた言葉は、
誰にも聞こえず、風の中に溶けていった。
初めて“誰かと食べる”昼食は、
少しだけ、箸の進みが遅かった。
それでも、笑顔は崩れなかった。
***
ヒーロー基礎学。多分、私が一番苦手とする授業の時間が来た。
組分けはランダムなのに、緑谷と爆豪は戦っている。
これが因縁ってやつなのかな。
(正しい争い方って、こういうものだったんだ)
形はどうであれ力を誇る爆豪。
信念を貫く緑谷。
どちらも眩しくて、どちらもまっすぐだった。
(私はどちらにもなれない)
爆発に揺れるビルを前に、周囲がざわめく。
夕紬はそれを周りに合わせ驚いた顔で見ていた、
でも心の中では冷静に、まるで別の場所から見ているようだった。
(あの頃の私は、彼らのどこにもいなかった)
爆豪は誰よりも勝ちたがっていた。
緑谷は誰よりも守ろうとしていた。
私は──
誰かを助けたくて手を伸ばしたことなんてなかった。
壊れないために、終わらせるために、生きてきただけだった。
だから、二人が輝いて見えた。
だから、同時に、この舞台に立つ資格は自分にはないと、小さな声で、心が呟いていた。
***
「ここ、口田くんの個性と相性悪いよね?」
ビルが立ち並ぶ地形では、野生動物などいても数種類ほどだろう。
彼はこくんと小動物じみた動きでうなずく。
「ならさ、私に作戦があるの!速攻で終わらせていいかな?」
フェンスの支柱にテープを結びつけながら、夕紬は軽やかな声を出した。
明るい調子。笑みを湛えた仮面。
でもその瞳の奥だけが、冷たく静かに、敵の配置をなぞっている。
(……あの二人みたいには、できないから)
直前に見た、爆豪と緑谷の模擬戦。
拳をぶつけ合うその姿に、何かを託すような意思が見えた。
でも自分にはそんなもの、ない。ただ勝てばいい。役目を果たせばいい。
準備を終え、屋上に立つ。
一応開始地点はどこでもいいかと、オールマイトに確認を取っている。
「……スタート!」
オールマイトの声を合図に、夕紬は細いテープの端を手繰る。
「ビルに侵入したヒーローふたり」
声が指令となり、個性が空間を歪ませる。
──移送。指定ポイント:敵ビル屋上床面。
芦戸と青山が、一瞬で目の前に出現する。
「え!?」「わっ、如月さん!?なんで──!」
青山は反射的にレーザーを撃ち、芦戸は酸を辺りに撒いた。
鋭い直感と即応力。だけど──見えてた。
夕紬は横跳びでそれを回避しながら、小さく息を吐く。
一発で決められるほど、甘くないと演じて見せる。
(……一人で勝てる。でも、それじゃ意味がない)
(“チーム”で勝って、敵の動きも見せること。それが、今は必要)
酸が床を焼く匂いの中、夕紬は踵を返して階段を下る。
(私には“勝ち方”しかない)
口田が待機するフロアに滑り込む。
「口田くん、お願い!」
彼が頷く。準備は整っている。
「ふたり、中央の部屋へ」
再び“声”が空間を刺し、敵が転送される。
部屋の中心、円形に設置された拘束テープが、口田の手に合わせて一斉に巻きついた。
「うわっ!?」「ちょ、これ何!?」
──完封。
「ヒーローチーム拘束、敵チーム勝利!」
無線越しのオールマイトの声に、夕紬は小さく笑った。
(ねえ、先生。……私、“ちゃんとできて”ますか?)
***
放課後、中継室にて
「はーい!では今日はここまで!次回はグループを入れ替えての模擬戦を予定しているぞ!」
オールマイトの明るい声が響き、ざわついた部屋に鐘の音が重なる。
その直後。
「如月さん、すごかったねー!テレポートかっこよすぎ!」
「芦戸さんと青山くん、反応できてたのに封じられたのマジでエグい」
「口田くんとの連携、打ち合わせしてたのかな?」
誰とも目を合わせず、けれど完璧な笑顔で。
「ありがとー!でもチーム戦だし、口田くんがすっごく動いてくれてたから助かっただけだよ」
軽やかな声に、違和感はない。ないはずだった。
ただ、爆豪だけがその“違和感”を――違和感の“輪郭”を感じ取っていた。
***
更衣室へ向かう途中。
廊下の端、夕紬が一人歩いていると──
「……てめぇさ」
背中に声がかかる。
夕紬は彼の声を受け止める前に振り返る。
「やろうと思えば──初手で勝てただろうが」
「何、ヘラヘラ“頑張ったフリ”してんだよ」
夕紬は何も言わずに目を伏せる──
ほんの少しだけ、睫毛が揺れた。
痛いところを突かれたような、けれど感情を表に出すほどの余白はなく。
飲み込むように、呼吸を一つだけ落とす。
「そういうとこ、昔から気に食わねぇんだよ」
「いつも“ちゃんとしてる”フリしてよ──そのくせ、何も興味ねぇって顔しやがって」
一歩、距離を詰めて。
「勝ちたくなかったなら、何でそこに立った」
「勝ちたかったなら──なんで“ちゃんと”やんねぇんだよ」
目を逸らさずに。
「勝った顔くらい──してろや。ヒーロー、目指してんじゃねぇのか」
そう言って、また歩き出す。
拳は握られていない。
でも、肩にかかる力は重い。
今の爆豪にはまだ、自分の苛立ちの理由が整理できていなかった。
けど、目の前で“勝ったのに何も感じてなさそうな奴”が、許せない。
それが夕紬である必要はなかった。
でも、“夕紬だったから”──声をかけた。
***
ユウは横を通り過ぎた爆豪の背中を目で追った。
無骨で、まっすぐで、不器用で──それでも。
“勝つ”ことに意味を持ち続けるその背中が、少しだけ眩しかった。
だからこそ、“私みたいな奴”が、空っぽな人間が──許せなかったんだと思う。
ユウは誰にも気づかれずに、そっと微笑む。
その笑みには、どこか“諦め”に似たものが滲んでいた。