少し先生の湿度高すぎたかもしれません、らしくないような……?
翌日、朝の4:00
部屋にはどこか遠くの鳥の囀りと、誰かの穏やかな寝息だけが響いている。
夕紬は誰よりも早く、音もなく目を覚ました。
一度だけ瞬きをして、布団の沈みを最小限に体を起こす。
枕元に置いていたポーチをそっとつかみ、部屋を出る。
扉を閉める間際、かすかな寝言がこぼれた。
ユウは振り向くことなくそっと扉を閉める。
廊下の空気は薄く冷えていて、露出した肌が細かく粟立った。
登り始めた朝日がゆっくり廊下を薄く照らしていく。
それでもまだ、足音は空気に吸われていくように静かだった。
緩やかに歩き出す夕紬の足取りに合わせるように、結ばれてない長髪がふわりと揺れた。
夕紬が向かったのは、部屋から少し離れたトイレ。
一番端の個室に入り、静かに鍵をかける。
便座の蓋は閉めたまま、座りもせず、髪をヘアクリップでまとめる。
ポーチからポンプ型の容器を取り出し、コットンに含ませる。
含ませたばかりの冷たさが指に伝わる。そのコットンで首を一周、するりとなぞった。
一見何の変哲もない綺麗な皮膚が静かに溶け、彼女本来の肌が露わになる。
それは保護者からの支給品で、共同生活で余計な詮索を避けるためのもの。
首に残る水気をぬぐうためにティッシュで拭き、使用済みのコットンとともに小さなビニール袋に入れる。
続いて、チューブ型の容器を開く。
押し出された肌色のクリームを片手にとる。
もう片方の手で、痕跡を残さないように使ったものをすべてポーチへしまう。
ふっと小さく息を吐き、体に“動くな”と命じる。
夕紬は、この動作だけはどうしても苦手だった。
首に触れるのも、触れられるのも、体がひとりでに拒む。
両手にクリームをひろげ、首へ均一になじませる。
それでも、首筋だけがひゅっと冷えた。
個室を出て手を洗い終える頃には、首元のクリームはすでに硬化し、
皮膚と遜色のない質感へ変わっていた。
これを、これから毎日続ける。
その事実に、ユウが抱く感情はない。
ただ、みんなより少し早く起きるだけ。
洗面所に向かい、いつもように身支度を済ませる。
歯を磨き、洗顔を済ませ、保湿をして、髪を整える。
実技は外で行われると予想し、日焼け止めも塗っておく。
やがて、ぽつぽつと生徒たちの気配が動き始めた。
あくびを噛み殺すクラスメイトに「おはよう」と声をかけ、軽く談笑する。
寝癖をそのままに歯磨きを始めた麗日に声をかけ、髪を梳く。
それから、夕紬は数名とともに食堂に向かった。
朝食は、食堂にあるものを各自で取るようにと言われている。
早朝のため、朝ごはんだけは先生たちが用意したらしい。
食堂に近づくと廊下に漂う香りに、眠そうな顔をしていた芦戸が駆け出した。
まだ目を開け切れていない蛙吹の手を、麗日とともに引きながら後を追う。
食堂にはパンやおにぎり、スープ、簡単なおかずなどの軽食が並んでいた。
皆、本来ならまだ寝ている時間なのだろう。あまり喉が通らないようだった。
夕紬は昼まで持つように、バランスよく、必要な分だけを静かに摂取した。
***
朝、5:30。
施設の外にはA組が全員集合していた。
まだ目が覚め切らない生徒も多く、どこか緩んだ空気が漂っている。
「おはよう、諸君」
相澤の声が響くと、重い瞼をそれでも開き、意識を向けた。
「本日から本格的に強化合宿を始める。
今合宿の目的は全員の強化及びそれによる“仮免”の取得。
――具体的になりつつある敵意に立ち向かう為の準備だ。
心して臨むように」
“敵意”という言葉に、あの日真正面で対峙した存在を思い出し、生徒たちは静かに息をのむ。
「というわけで、爆豪。
こいつをなげてみろ」
相澤が爆豪へ向けてなにかを放った。
夕紬は、宙を舞ったそれが入学直後の体力テストで使用されたものだと理解する。
ボールを受け取った爆豪も気づいたらしく、ぼそりと呟く。
「これ、体力テストの……」
「前回の……入学直後の記録は705.2m。
どんだけ伸びているかな」
少しだけ挑発を含むような相澤の声に、生徒たちの間で小さなざわめきが起きた。
「おお!成長具合か!」
芦戸が声を上げ、瀬呂も前のめりになる。
「この三か月、色々濃かったからな!
1Kmとか行くんじゃねーの!?」
周囲が一気に賑やかになる。
夕紬もそれに合わせて小さく笑ってみせる。
爆豪がボールを持った腕を回すと、夕紬の隣で切島が迷いなく声を飛ばす。
「いったれ、バクゴー!!」
「んじゃ、よっこら……くたばれや!!!」
独特な掛け声とともに、派手な爆発音が響き、ボールが勢いよく飛んでいく。
誰もその掛け声に突っ込まないあたり、すでにA組の見慣れた風景だった。
夕紬は静かに目を細める。
飛距離に、皆が期待したほどの伸びはない。
個性とは――そう簡単に伸びるものではないと、彼女は身をもって知っていた。
ピピッ。
相澤が持つ端末が、着弾を知らせる。
期待を込めた目で生徒たちが振り向く。
「705.6m」
自信ありげな顔をしていた爆豪が、驚いたように目を見開いた。
「なっ……!」
「あれ?思ったより……」
瀬呂の声とともに、クラスにざわめきが広がる。
皆、もっと伸びていると思っていたのだろう。
一方、相澤だけは微動だにしない。
「約3か月間、様々な経験を経て、確かに君らは成長している。
だが、それはあくまでも精神面や技術面、あとは多少の体力的な成長がメインで、“個性”そのものは今見た通りでそこまで成長していない」
「だから――今日から君らの“個性”を伸ばす。
死ぬほどキツイが、くれぐれも……死なないように」
にやりと笑う担任の顔。
このあと自分たちに降りかかる訓練の過酷さを悟り、
生徒たちは一斉に口の端を引きつらせた。
***
“個性”は超常現象を起こす異能とも呼ばれるが――
あくまで身体能力の一種。ゆえに筋肉に例えられることも多い。
酷使すれば壊れ、また強く太くなる。
防衛本能のように。
今回の合宿では、そこを踏まえたうえで
プロヒーロー監修のもと、各自の“個性”を伸ばすための
個別訓練が課される。
そして、夕紬は――
「ついてこい」
相澤に連れられて入ったのは、みんなから離れた施設内の一室だった。
部屋の中央には、街中を模したミニチュアのような小さな演習エリアがひとつ。
その中に人形が数体置かれているだけで、とても“個性強化”に繋がるものには見えない。
夕紬は相澤を見る。
「先生、これは……?」
「お前に伸ばしてもらうのは、個性じゃない」
夕紬は、小さく首をかしげて“本当に分かっていない”という顔を作る。
相澤は無造作にミニチュアへ手を伸ばし、人形を二体取り出した。
刃物を構えた“敵”のような人形と、怯える大人の人形。
「この中に“救うべき人間”が1人だけいる。
ただし、お前は“誰を呼んでもいい”し、“誰を無視してもいい”。
でも“何も選ばなかったら”、5分後に全員が“助からない”と想定しろ」
夕紬は言葉を飲み込み、数度瞬く。
……意図は、分からない。
分からないが、必要だから与えられた課題なのだと理解する。
そう判断し、夕紬は素直に頷いた。
「制限時間は5分」
「何かあれば声をかけろ。カメラで見てるぞ」とだけ言い残し、
相澤は部屋を離れた。
夕紬は短く息を吸う。
すぐに視線を巡らせ、周囲の状況をひとつずつ拾っていく。
街中を模したミニチュア。
倒れた子供。
脅されている大人。
逃げる学生。
刃物を持つ人。
遠くからそれらを見る老人。
助けられる人数は一人。
ならば――急を要する対象を選ぶのが最も正当だ。
夕紬は、刃物を向けられている大人へ視線を定めた。
すっと息を吸う音だけが、静かな部屋に落ちる。
「“大人”」
夕紬の声に反応して、人形の目元に光が灯る。
その機械仕掛けの人形は、まるで嬉しそうにこちらを見上げた。
なら、あのミニチュアも変化するのか――そう思って顔を向ける。
だが直後、装置のどこかが作動したのか、模型全体を覆うドームがせり上がり、
内部の様子は完全に隠された。
部屋のスピーカー越しに相澤の声が届く。
「そいつは危険にさらされていた、
確かにひとりは助かっただろう」
助けられるのは、ひとりだけ。
先ほどの相澤の言葉をユウは思い出す。
ドームが自動で引き下がり、模型が姿を取り戻す。
夕紬は選んだ人形をそっと元の位置に戻した。
「この訓練の終了条件はなんですか?」
夕紬の問いに、相澤は少しの間を置いて答える。
「お前が自分の答えを見つけることだ。
どれを選んでも、正解にはならない。逆もまた然りだ」
「…なら、このテストに意味はあるのでしょうか」
疑問ではなかった。
意義を見出せないまま、ただ観察の延長で落ちた声音だった。
「“今選んだのはお前だ”
その事実だけが、未来を変える」
夕紬は、その言葉の“意味”をかんがえる。
如月夕紬は、誰かの決定を否定しない。
自分の決定すら、誰かがそう望むなら委ねる。
けれど必要とあらば――“誰かの責任”ごと背負う。
「自分で決めた」「自分が悪い」と結論付けて。
誰かの“救い”も。
誰かの“加害”も。
全部、“自分のせい”にしてきた。
相澤はそこまで把握してはいない。
だが、夕紬がどこかで過剰に自分へ負荷をかけていることには、とうに気づいている。
──そして、それは“傲慢”ですらあると感じている。
この子は、全部自分で背負おうとしてる。
“全部自分のせいにすれば済む”という考えは、行き過ぎた自己犠牲であり、ある種の“逃げ”だ。
生きるなら、“選び、選ばれる痛み”も知らねばならない。
……だから相澤は、夕紬が避けてきた“選択”をさせる。
──“お前の選択によって未来が変わる”という、彼女にとっての地獄を見せ、考えさせ、教える。
夕紬が何度試しても、誰を呼んでも、結末は見えない。
わかるのは、呼ばれた人形が“助けられた”とでも言うように顔をほころばせることだけ。
でも、この人は本当に“救われるべき人(いい人)”なのか。
他の人は、どうなる……?
今の夕紬には、その先を知る術はない。
ただ、それでも――その後が、どうしても頭の中に浮かんでしまった。
どれだけ時間がたっただろう。
取り繕った答えでは、相澤の反応は一切揺れない。
昼が近づきつつあるのが、わかる。
もう少しで、みんなが昼の準備を始める時間。
――私だけ、遅れる。
ふと、脳裏に記憶が走る。
意思とは無関係に、筋肉だけが先に固まる。
記憶を消せるようになる以前の、消せない記憶。
小学生の頃。
プール移動の前、みんなを外に待たせ、担任と一対一の教室。
椅子に座ったまま、「直しなさい」と渡された作文を端から端まで目で追う。
なんども、何度でも――なのに、わからなかった。
今思えば、知れば簡単なことだった。
でも……知らないから、わからなかった。
なら、どうする?
――あの時のように、聞くしかない。
……でも、また教えてもらえないかも。
体がまた、ひとりでに軋む。
何度も「教えて」と言った。
それでも断れて、私が顔を歪めた時――ため息と共にあの落胆した顔が、“夕紬ちゃんならできると思った”と笑った顔が、ずっと忘れられない。
あの苦しみは誰かの善意の結果だったのだと知った時の――あぁ息が、つまる。
一度だけ瞬きをして、すべてを記憶の棚にしまう。
いまは、いらない。
夕紬は、ゆっくりと口を開く。
できるだけ言葉を選び、それでも問う。
「先生。“救うべき人間”って……どういう意味ですか。
それは、“被害者”ってことですか?
“善人”? それとも、“未来に価値を持つ人”?
少しだけ息をため、続けた。
自分の声が、いつもより冷たく聞こえる。 わかっている。
でも、思考と記憶がぐるぐると巡って、取り繕う余裕がなかった。
「救われるべきでないのは……誰かを傷つけた人間、なんですか?
答えがないのはわかってます。
……でも、“間違った選択をしないために”訊いてるんです」
自分の放った言葉に、記憶が勝手によみがえる。
消しても消しても、こびり付いて剥がれない。
カメラに映らぬよう、ほんの少しだけ顔を伏せ、口内を噛む。
痛みで、思考がやっと少しだけ、静かになった。
相澤は短く息を吐いた。
迷いのない声だった。
「“間違えないために”選ぶな。
“自分が納得できるために”選べ」
「この中に“救うべき人間”がいるってのは、俺が設定した状況だ。
だが、お前は“言われたから従う”理由なんてどこにもない」
「どんな状況でも“救うべき誰か”なんて最初からいない。
今お前が手を伸ばした相手が、結果として“助かる側”になるだけだ」
夕紬は“自分で決めること”がいちばん苦手だった。
……いつも選ばせてくれなかった人生だったから。
勇気を出して選んでも、返ってきたのは痛みだけだったから。
ならば、と選ぶことを止めた。
しかたない、と諦めることにした。
だからこそ、相澤の“選ばせる”という試練は、彼女にとって拷問に近い“自由”だった。
夕紬は考える。
それは思考の放棄かもしれない。
でも、彼女にとってはそれが最も“正解”だった。
声を落として呟く。
「“刃物を持った人”」
手元に呼んだ人形は戸惑い、四肢をばたつかせる。
「……そう来たか」
相澤の声には落胆もなく、やはりというどこか硬さすら帯びていた。
夕紬はそれに気付いても、己の答えを告げる。
――それがこの人の今求めているものだから。
「はい、そうすれば他の人は助かるでしょう。
今の状態でわかる情報だけですから、
本当は彼は誰かを止めようとしたのかもしれませんが…私には敵《そう》見えたので」
「危険なのはその男だと判断した。
じゃ、お前自身はどうする?」
考えたことのない問いだった。
夕紬は、わずかに言葉が遅れた。
「私、ですか?」
考える必要がない。
だって、それを思考する意味などないのだから。
出来ることをして、足りなかったらそれまでだ。
またそれも意味のある死だろう。
「そうだ、お前の身はどう守る?」
「個性で無力化を――」
「そいつの個性もわからないのに、か?」
「武器の確保は出来ます。
必要であればヒーローを呼ぶために“個性”を使います」
「だが、ヒーローがすぐに駆けつけられるとも限らない」
「なら、時間を稼ぎます」
「相手がミッドナイトのような個性でもか?」
相澤はユウの言葉を待つ。
「なら――」
言葉が出ない。
夕紬の思考が、一瞬だけ滑った。
この回答はヒーローとして、相応しくない。
けれど、相澤は夕紬の考えを熟知していた。
「その時お前は、USJのように個性を使うか?」
「……周囲の人が、危険に晒される可能性があるのなら」
「……お前らしいな。
だが、その判断を“誰かが見てる場面”でも通せるか?
“人を救うために人を傷付けるヒーロー”を……世間はどう見ると思う?」
それはヒーローの大原則だ。
ヒーローは人を殺さない。
その通りだ。
でも、私がこの力で人を止めようとするのなら──相手の生死に触れてしまう。
けれど、それはユウにとって、“大きな問題”ではなかった。
世の中には、助かる人と助からない人がいる。
それを決めるのは“世間”で、“私”ではない。
世間の決めたラインに従うだけ。
だから、罵倒されることも、非難されることも、
あるいは賞賛されることも――どれも、ユウには意味を持たない。
大切なのは、誰が生き残るか。
それだけだった。
「……誰かが見ていようと、いまいと
誰かが助けられれば、それでいいのではないでしょうか」
「それが“お前の言葉”なら、否定はしない。
……だが、まだ“正しい答え”を選んでないか?」
「どうなのでしょうか。
誰が、何を成すかに私は意味を見出せません。
必要なのは誰が死に、誰が生きたかという事実だけではないでしょうか」
「……そうか」
相澤は、ひとつだけ息を吐いた。
「……お前がどう思おうと、“助けられた奴”は忘れない
それだけは覚えとけ」
そこまで“自分”を置き去りにして、よく今まで立ってきたな──と
相澤はひとり、目を閉じた。
この子は、“自身”に価値を求めずに定めずに、生きることを選んだのか。
その選択の一端に携わったものとして、彼は浮かんだ言葉を飲み込んだ。
……じゃあ、生きてる意味まで捨てるのか?
声には出さない。
今ここでその問いを投げても、彼女は答えられない。
そしてそれを問う資格が──今の自分にはないと、相澤は理解している。
今のこいつには、“自分”という視点が欠けてる。
だが、それを力づくで壊すのは、教師の仕事じゃない。
──“選べる”のだと教えること。
“自分の意思で選んだ”という事実が、
いつかこの子の中で、根を張るその日まで。
***
夕紬が外の調理場に向かうと、クラスメイトは既に集まっていた。
「うぉ!でっかー鉄板!」
「屋台みたいでテンション上あがるね―!!」
上鳴と葉隠の声そんな声が遠くからでも聞こえた。
耳郎が一番に夕紬に気付き、手を振った。夕紬も笑いながら手を振り返す。
遅れて、耳郎の近くにいた、八百万が夕紬に気付く。
「あら、お疲れ様ですわ」
「あっ!夕紬ちゃーん!遅かったじゃん」
八百万の声にほかのクラスメイトが気付き、芦戸が夕紬のもとに駆け出す。
「皆もお疲れ様。
ごめん、訓練大変でさ」
「夕紬ちゃんはどんな訓練なにやってるの?」
麗日の問いに夕紬が口を開こうとしたとき。
「諸君!昼食の時間は限られている!各自、担当の作業をきちんと行うように!!」
飯田の張り切った声が聞こえてきて、麗日とくすっと笑った。
「飯田君、元気やね……夕紬ちゃんは私と同じ下準備担当だよ、行こっ!」
「うん」
夕紬は麗日のあとを追い、クラスメイトの輪に入る。
例え、私が遅れても嫌な顔するような子は、誰もいない。
わかっている、つもりだった。
ただ、その事実を見ると、知らないものを見るようで、少し……
夕紬は口持を少しだけゆるめ、人知れず、自嘲した。
***
その後、ユウの訓練は午前と異なるものになった。
マルチタスク……複数の事を行いながら指定された物だけを、指定された位置に呼び出す訓練をつづけた。
PM4:00。
夕飯には早い時間、手のかかる料理をつくるらしい。
マンダレイと共に、プッシーキャッツのひとり、ラグドールが机の上に材料を並べている。
「己で食う飯くらい、己で作れ!!
カレー!!!」
「「イエッサー……」」
生徒らは覇気のない返事をかえす。
ラグドールは涙目を浮かべて爆笑していた。
「アハハハハ!
全身全身、ぶっちブチ!!
だからって雑なネコマンマはダメね!」
その言葉に飯田がハッと何かを理解した。
「確かに……
災害時など避難先で消耗した人々の腹と心を満たすのも、救助の一環。
さすが雄英、無駄がない!!
世界一うまいカレーを作ろう!みんな!!」
「おおー……」
また、生徒らの覇気がない声が響く。
軽くシャワーを浴び、体操着から着替えた後。
クラスメイトでの調理が始まった。
轟が飯盒を炊くために薪に火を灯した。
それを見た芦戸が声をかける。
「轟ー!こっちにも火ィちょうだい!」
そして、また、それを見た瀬呂が思いついたように爆豪に声をかけた。
「爆豪、爆発で火ィつけれね?」
「つけれるわ!クソが!!」
爆豪はそんな返答と共に、爆破を起こす。
しかし、火は着かず、炉が破壊されるのみ。
「ええ……?」
誰かがそんな声をあげた。
そんな様子を見て、八百万が声を張る。
「皆さん!!
人の手を煩わせてばかりでは火の起こし方も学べませんわよ」
そう言って自身の“個性”で創造したチャッカマンを片手に注意する。
「ええ……」
何か言いたげに八百万を見た耳郎が夕紬を見た。
夕紬は苦笑いして、耳郎の肩にそっと手を置いた。
「いや、いいよ」
轟は手に炎を灯し、芦戸と麗日が担当している薪にも火を灯す。
「わー!ありがとう!」と麗日が喜び、「燃えろー!」「燃やし尽くせー!」と芦戸が火を煽る。
「燃やし尽くしたらあかんよ」
麗日の優しい突っ込み。
夕紬は耳郎と笑いながら次の作業に入ろうと動き出す。
身をひるがえす刹那、火を見つめる轟の顔が、炎に照らされているからか、どこか柔らかく見えた気がした。
それぞれ協力して作ったカレーは特段おいしいわけではなかった。
「店と出したら微妙かもしれねーけど、この状況も相まってうめー!!」
でも、切島のそんな言葉に恐らく、クラスメイト全員が内心でうなずいていた。
「ヤオモモ、がっつくねー!」
芦戸が別のテーブルから八百万に声をかける。
「ええ。
私の“個性”は脂質を様々な原子に変換して想像するので、沢山蓄える程、沢山出せるのです」
八百万の説明に彼女の隣に座る、瀬呂がぼそりと呟く。
「うんこみてぇ」
八百万はその言葉にスプーンを止めた。
「あっ……」
誰かがそんな言葉を漏らした。
八百万はそっと立ち上がり、顔を手で覆い、しゃがみ込む。
「謝れ!!」
耳郎が瀬呂のほほの容赦なく殴る。
「すいません!!」
瀬呂の声が響いて、非難が飛んだ。
「さすがにデリカシーないって」
「いや、そも今カレー食ってんだから――」
「それ以上言うな!」
その時、夕紬はB組の小大と共に麦茶を持ち、帰ってきた。
遠くからでも聞こえた声で状況は理解していた。
だから、顔を覆う、八百万の隣にそっと腰を下ろし、声をかけた。
「八百万さんの個性、私はすごいと思うな。
原子まで理解してるなんて、たくさん勉強して、大変だったんじゃない?」
「いえ……昔から図鑑などを愛読しておりましたから、そこまで苦労は……」
「そうなの?私、小説は読むけど、図鑑とかには疎いんだよね。
せいぜい、小学生の頃に読んだ、○○シリーズとかしか知らないや」
「まあ、ご存じですの!私も初めて読んだ図鑑ですわ、お父様が全巻プレゼントしてくださいまして」
「全巻って、あれ相当あるよね?」
「ええ!ですが――」
「ヤオモモー!夕紬~!!カレー冷めちゃうよ」
「あっ」
「続き、また聞かせてよ。
それから、おすすめあったら教えて欲しいな」
「もちろん、ですわ!」
夕紬と八百万は二人笑いながら席に着く。
八百万が席に戻り、瀬呂がもう一度謝れば、彼女は笑って許していた。
***
片づけを終え、就寝までの自由時間。
夕紬はひとり、人気のない廊下で椅子に腰を下ろしていた。
今日の予定の差異がなかったことと、明日の簡単なスケジュールを保護者に送り、適当な飲み物を買う。
そして、廊下を歩き、みんなの元に戻ろうとした時、正面から、爆豪が歩いてきた。
体育祭のあの日以降、できるだけ合わないようにしていた。
……それは彼も同じだろう。彼からも声をかけられることはなかった。
何事もないように、通り過ぎればいい。
そうやって歩き、通り過ぎた。
その時、夕紬の背中に声をかけきた。
「おい……んで、てめぇだけ個性伸ばさねぇんだ」
体育祭以降……数ヶ月ぶりに爆豪に声をかけられた事にユウは瞬きの驚きを覚える。
それは問いのようで、でもどこか違う。
何のためにいる、とでも言いたげな言葉。
夕紬は何と答えるか、少し考えてから彼の方へ振り向いて、笑った。
「小さいころからよく個性使っててね。
負荷は問題ないんだって、それよりお前には意思決定が足りないって言われちゃった。
だから、そういう訓練してる」
「はっ!」
爆豪がユウの言葉で振り向いた。
小さく鼻で笑いながらも、視線は鋭くなる。
「“意思決定”? テメェがかよ?」
嘲笑うようで、ちょっとだけ興味があるとでもいいたげな――そして、なにより、不機嫌な声。
「負荷?使い慣れてっから?
…ならなんで、勝ちにいかねぇんだよ」
──これ、爆豪がずっと疑問に思ってたところ。
彼にとって、個性は勝つための道具、ヒーローになる人間が生まれ持ったもの。
それを磨いたならば、彼には使わない理由がわからない。
「ふぜけてんのか?“個性”ってのは、勝つためにあんだろうが。
はっ!“決めること”が苦手な奴が、ヒーロー目指してんのかよ」
爆豪の言葉に夕紬は目を伏せた。
「そうだね、苦手なんだ」
それから薄く笑って、なにげなく言う。
「昔からやってこなかったから」
それが余計、爆豪のカンに触る。
「は? “やってこなかった”?
だからできねえってか? フザけんなよ」
「やってねぇからできねぇって? ……甘えてんじゃねぇよ」
その言葉に夕紬は笑みを深める。
「そうだね……やらなきゃね、ちゃんと」
ちゃんとやる。
でなければ、ここは居られないのだと、今日、夕紬は思い知った。
でも、まだ、どうやれば“ちゃんと”になるかわからない。
「ぬかせ、口先女」
爆豪はそう言って振り向いて歩き出した。
夕紬はくすっと笑ってみせる。
「なにそれ」
「さっさと決めろ。んで、俺と戦え。
――次は俺が勝つ」
彼はあれを勝ちとカウントしなかった。
その事実が胸のどこかで人知れず、ざわめいた。
でも、返事は返さなきゃいけないから。
「…わかった」
自分に言い聞かせるように、小さくそう呟いた。