ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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6話 余熱

 

 

 

 

 

 

端末から目を離さず、ドクターが呟く。

 

「後継は、あの娘に随分入れ込んでおるようじゃな」

 

「ふふふっそう言ってくれるな、ドクター。

 彼女は弔の心を育ててくれている、良い刺激さ」

 

「それがいつか、彼の衝動を止めしまうのではないか?

 最初のうちはすぐに、壊してしまうかと思ったがの」

 

「そうだね。

 僕もあの子がこんなに長持ちするとは思わなかった。

 嬉しい誤算だよ」

 

「あの歳で2つの個性を与えても、人格を保ったまま。あれは良い器じゃ。

 もっと量産できれば良かったんじゃがなぁ…」

 

「特殊な環境下が産んだ、希少品ってやつさ」

 

 

端末の表示が切り替わる音が、会話の合間に挟まる。

 

「従順になるよう、調整してもよかったと思うがのぉ…」

 

「あの在り方が見ていておもしろいんじゃないか」

 

「まるで万華鏡だ。

 砕けて、形を失っても、自身を制度という器に入れて生きている。

 そして、そのあり方は覗く人間それぞれに、異なる模様を見せてくれる……自ら意図せずとも、壊れた器が勝手に“絵”を作る。」

 

「はっはは、万華鏡、か……なるほど、言い得て妙じゃ。

 ただ、模様を覗くのに夢中で、器そのものが砕けてしまっては困る。

 観察を楽しむにしても、道具としての価値は残してもらわねばの」

 

「そのための保険は残しているさ。

 ……まだまだ、拙いね。あの子も、弔も」

 

 

「── 結末がどうであれ、僕の愉しみは尽きない。

 楽しもうじゃないか、ドクター」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

視界が開ける。

陰湿な空気に目を細めながら、爆豪勝己の脳が瞬時に状況を読み取った。

 

まず目に入ったのは、うつむき、椅子に座らされた少女──如月夕紬。ヒーロー科の同級生。

 

彼は首を後ろから掴まれている感覚のまま、反射的に腕を振り上げかけた刹那。

死柄木弔の声が落ちた。

 

 

「暴れんなよ、お前ひとりじゃないんだぜ」

 

 

如月夕紬はいま──

両手を拘束されている。

腹と腕の布がべっとりと赤く濡れ、汗と泥で顔の表情すら読み取れなかった。

 

「……てめぇ──」

 

歯ぎしりしながら、踏み出しかける。

 

「何捕まってんだよ! テメェも、ヒーロー科だろーが!」

 

敵を睨み据えて、肩を震わせる。

 

「お前が言うのよ」

 

爆豪の首をつかんでいた荼毘が肩をすくめ手を放す。

爆豪はその言葉を聞き、睨む。

 

「こんなもんで俺を止められると思ってんのか……ナメんなよクソが!!」

 

死柄木が立ち上がり、如月夕紬の肩に4指を軽く乗せる。

 

 

「暴れるなよ、ただ話がしたいだけだ」

 

「…っ……チッ…!」

 

 

行動の意味を理解した爆豪は喉奥で唸りながら、足を踏みしめる。

止まったのは彼の意思じゃない。だが、止まらざるを得なかった。

 

 

夕紬がゆっくりと、顔をあげた。

──そのとき。

 

 

 

「ーーあっ!」

 

 

明るく跳ねる声が、空気を弾いた。

夕紬を見た瞬間、顔をぱあっと輝かせたのはトガヒミコだった。

 

「夕紬ちゃん!? 夕紬ちゃんだよねぇ!?わあ、やっぱりだぁ!」

 

ぴょんぴょんとステップを踏みながら、まるで旧友に会ったかのように駆け寄るトガ。

指先を唇に当て、何かを吸う真似をして笑う。

 

「ぶどうジュースの! あの時の子、でしょ?

 ねえねえ、覚えてる? 覚えてますよね!」

 

一気に距離を詰めて、きらきらした目でユウを覗き込む。

 

 

「弔くん、わたしこの子すっごく好きなのです!

 どうして連れてきたんですか?」

 

 

「……“火を見た”……」

 

スピナーが小さく呟いた。

 

その言葉が出た途端、場の空気がわずかにざわつく。

トガの笑顔の裏で、いくつかの視線が夕紬に向かう。

 

確かめるような、探るような、あるいは──警戒の目。

 

その中でトガは頬を膨らませ、唇を尖らせて、だけど笑顔は崩さない。

そして、如月夕紬の顔を覗き込む。

 

「わたしね、あの時、ちょっとびっくりしたのです。

 だってねえ、血じゃないのに、ちょっと落ち着いたのです。

 あれ、なんだったんだろう、夕紬ちゃんの魔法かなぁ?」

 

夕紬の頬のかすり傷を見つけて、声のトーンが少しだけ上がる。

 

恍惚とした表情で、一歩、もう一歩。

血の匂いを確かめるように、靴音がやけに軽い。

 

「……ほっぺから血、出てるねえ、夕紬ちゃん」

「舐めちゃだめかな?だめですよね、でも欲しいなあ」

「だってねえ、あの時もらったんだもん、嬉しかったんだもん」

 

 

場が、静かに揺らぐ。

 

死柄木弔が、ようやく口を開く。

 

 

「……そいつは俺が連れてきた」

 

 

乾いた低音。ゆっくりと視線を横に流しながら続ける。

 

 

「いちいち説明が必要なら──いらねぇ奴から口を閉じてくれ」

 

瞬間、場の空気がピキリと凍った。

自分でも理由はわからない。だが“そう言わずにいられなかった”

 

 

 

「……了解、黙る黙る!いや喋ってるけど黙ってる!もう黙る!!」

 

トゥワイスが場の空気を誤魔化すように手を挙げたが、その目は、ちらりと夕紬を見ていた。

 

 

トガはちょっと頬をふくらませ、口を尖らせる。

 

「……ふーん、いけずですねぇ弔くん」

 

トガは手をひらひらと振って、くすっと笑った。

 

「でもね、わたし絶対、夕紬ちゃんと仲良くなるのですっ!」

 

宣言のように、けれどどこか夢見るような声で。

 

場の緊張とは関係なく、トガはすっと引いた。

けれどその目だけは、ずっと夕紬を見ていた。

 

 

 

 

爆豪の拳が、わずかに熱を帯びる。

 

「……テメェ、なんなんだよ」

 

低く噛み殺すような声。

 

 

だが、次の瞬間。

 

「口先野郎!!

 否定もしねぇで座ってんのか!? どっち側の人間だてめぇは!!」

 

 

手首に拘束。

それでも、身じろぎ一つしない。

言い訳も、否定も、肯定もしない。

ただ、そこに座っているだけ。

 

──その体は、あまりにも静かだった。

 

 

息は乱れていない。肩も揺れていない。

緊張も、恐怖も、まるでなかった。

 

 

爆豪の眉がわずかに動く。

 

 

まるで、この状況を“受け入れてる”みてぇだ。

 

 

「……なんなんだよ、てめぇは」

 

 

静かに問いかける。

 

 

 

夕紬が、彼を見た。

 

 

その動きは、まるで――

氷の水面を、静かに破るようだった。

 

 

汗で少し湿ったこめかみに貼りついた髪が揺れ、濡れた睫毛が持ち上がる。

その目が、爆豪の“目”と、静かに重なった。

 

 

なにもなかった。

 

いつも貼りついていた“感じのいい目元”も、“柔らかな作り笑い”も、なかった。

 

 

代わりにあったのは、

 

壊れそうなほど静かな、

奥の奥で何かを噛み殺してるような――そんな目だった。

 

 

「……っ」

 

爆豪は、ほんの一瞬、呼吸を詰まらせた。

 

 

怒るタイミングも、責める言葉も、今は何ひとつ出てこない。

 

なんなんだよ、その顔。

 

 

“負けた”顔でも、“怖がってる”顔でもねぇ。

もっと、わかりにくくて――でも、どうしようもなく苦しそうで。息を止めようとするような――

 

 

 

(なんだよ、てめぇ……)

 

 

 

 

喉まで出かかった言葉を、噛み殺した。

知らない顔を見た、それだけなのに、ひどく気持ち悪いと爆豪は眉を顰めた。

 

 

でも、目を逸らすことだけは、違うと思った。

 

 

だから、見ていた。

 

爆豪は、夕紬のその目から、視線を外さなかった。

 

 

 

それが、今できる、彼の精一杯。

 

 

 

――そして、夕紬は。

 

静かに、目をそらした。

 

 

 

夕紬が視線を逸らした、その瞬間。

 

 

(……また、逃げやがった)

 

 

胸の奥で、何かがギチギチと噛み合わなくなる。

 

“意思決定の訓練”だのなんだの──あの時、笑って言ってたくせに。

 

結局、何も変わってねぇじゃねぇか。

 

(テメェが決めねぇからだろ……!)

 

声も出さず、抵抗もしない。

 

ただ黙って逸らして──だから、こうして“敵”だの“味方”だの、勝手に周りが騒ぐんだ。

 

 

全部、こいつが“決めねぇ”からだ。

 

 

(嫌なら口開け……!

 立つ気あんなら睨み返せよ……!)

 

喉の奥で舌打ちがこぼれる。

苛立ちが爆ぜそうになるのに、目の前の女はあまりにも静かだ。

逃げたはずなのに、怯えた顔でもない。

だから余計に、彼の怒りは募る。

 

拳に力がこもる。

けど爆破は起きない。

 

──しねぇんじゃねぇ。できねぇ。

 

(クソが……! なんなんだよ、テメェは……!)

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

──そして、夕紬が目をそらしたその先にいたのは──誰よりも彼女が、目を逸らさないで見ていた、もう一人だった。

 

 

「……嘘だろ」

 

 

ぽつりと、荼毘の口から誰に向けたでもない声が漏れる。

 

それは、確かに“気付いてしまった者”の声だった。

 

あの目を見ただけで言葉が漏れた。

 

 

 

「なんで……お前が……」

 

 

 

少しだけ震えた声。

それを慌てて押し殺すように、荼毘が唇を噛む。

 

喉の奥にこもる熱が、言葉を濁らせる。

 

過去にしたもの。

 

もう、いない。

 

いや、元からそんなやつはいなかったのだと閉じた記憶を、開けられる。

 

 

彼女は少し目を見開いた。

それでも視線を逸らさず、困ったように、どこか柔らかく笑った。

 

 

「おはよう、おねむりくん」

 

 

それは言わずにはいられなかったようにユウの口からあふれた。

 

荼毘の肩が、ぴくりと揺れる。

 

その言葉だけで、“誰なのか”を確信してしまう。

 

病室の薄暗さ。動かない体。誰にも見られずただそこにあっただけの日々。

ただ一人、自分を見ていた子供の瞳。

 

喉の奥が、じんと熱くなる。火とは違う、鈍い焦げるような何か。

指先に火が集まりかけて、拳を握る。

 

(なんで、ここに──)

 

 

声は出ない。

認めたくなかった、“確信”だけが、胸に残った。

静かで、優しい──けれど決して柔らかくはない声。

 

荼毘は咄嗟に口元に笑みを作る。

 

「おいおい、なんだその口の利き方はよ。

 初対面にしてはずいぶん馴れ馴れしいじゃねぇか、“ヒーロー様”」

 

ユウはその言葉を聞き届けてから、少し笑ってゆっくり目を伏せるようにして彼から目を逸らした。

 

彼の今を否定しないために。

それでも、あの時の男の子を、忘れきれなかった。

 

 

「っチ……」

 

舌打ちをして、背を向けて出ていく。

その響きに、爆豪は足を今度こそ、一歩踏み出した。

 

 

「──てめぇ、どういうつもりだよ」

 

 

怒鳴らず、詰め寄らず。それでも声には明確な怒気がある。

 

「んで、“こいつ”にそんな顔すんだよ……」

 

 

 

「このまま黙ってんなら、テメェは…(ヴィラン)と同じだ」

 

 

その言葉でやっと夕紬は口を開く。

 

 

「……たぶん、昔の施設でずっと眠ってた子。

 よく様子見に行ってたから。起きた彼と会うのは初めて」

 

 

 

淡々とした口調。まるで、誰が聞いてもわかるように整理された説明。

それでいて己の感傷は載せない言葉選び。

 

爆豪の喉が、ごくりと鳴った。

言葉を返そうとしても、返す隙がねぇ。

 

(……はぐらかしやがった)

(こいつが目をそらしてんのは、俺だけじゃねぇ……)

 

拳に力が入る。けど、それ以上は出せない。

 

……まるで、こっちが勝手に殴りにいった言葉を、静かにフタで塞がれたような感覚。

 

爆豪が、言葉を、あるいは次の行動をとるよりも早く、死柄木が動く。

 

 

「詳しい話はあとだ。

 コンプレス」

 

振り返るよりも先に爆豪の背に、手のひらが触れられる。

 

「はいよ。

 わるいね、しょーねん」

 

 

そこで彼の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

死柄木は爆豪が圧縮されたのを見届けると、ゆっくりとドアの方に向かって行った。

 

「さっさと来い」

 

振り返ることなく、誰に目線を向けるでもなく、そう言った。

ユウはそれが自分に向けられた言葉だと理解して、歩き出す。

少し暗い通路の先に金属製の扉があった。

彼は扉の前で立ち止まる。

 

「トロトロしてんな」

 

ユウは拘束された腕のまま、動く掌で扉を開ける。

隔離部屋は、無機質な壁に囲まれた、ただの箱だった。

照明は低く、外の音も届かない。

時間だけが、砂のように静かに落ちていく。

 

ユウが一歩踏み込む。

死柄木は、廊下の壁に肩を預けたまま、部屋には入らない。

視線は宙を漂い、表情は読めない。

 

 

「……おねむりくん、ねぇ」

 

 

ドア枠に肩を預けたまま、死柄木はほんの少し目を伏せる。

誰に言ったとも、言わなかったとも取れる声。

 

ユウは一度瞬きをして、振り返り、彼を見る。

 

そして、ぽつりと答える。

 

 

「施設に、ずっと寝てた子がいたんだ。

……気になって、見に行ってただけ」

 

 

感傷はない。

 

“冷たさ”だけが、言葉に残った。

 

 

 

 

沈黙。

 

 

死柄木は部屋の奥を見ようとしない。

 

ただ、その言葉をどこかで反芻するように、目を伏せていた。

 

 

ユウは視線を合わせず、もう一言だけ続ける。

 

 

「今の彼は……知らない。

 でも、目は変わってなかった。それに──」

 

 

 

「燃えちゃったみたい」

 

 

 

死柄木の口元がわずかに動く。

笑みではない。

 

むしろ、意味の分からない“刺さる”ような何かが体の底に残る。

 

「そうかよ」

 

隔離部屋のドアが、静かに閉まった。

 

 

鍵はかけない。

 

ただ、境界だけが戻る。

 

 

──その外側。

 

 

死柄木は、ドアにもたれたまま動かない。

 

 

「……燃えたってなんだよ」

 

 

低く、ぼそりとこぼれる。

 

誰に向けたわけでもない。ただ、喉の奥に引っかかった違和感が、言葉の形を取っただけ。

 

 

 

(……何が、だよ)

 

 

焼けたのは皮膚か、記憶か、感情か──

 

どうでもいいはずだったのに。

 

 

(“彼が燃えた”? じゃあ、お前は何を見てた)

 

 

あの言葉の“余白”が、頭にこびりつく。

わざわざ言うようなことかよ、と脳裏で吐き捨て。

 

(ただ“見てた”だけ……?)

 

「見てた」じゃなくて「いた」と言えばいいのに。

なのに、あの女は──そう言わなかった。

 

 

それが、なぜか腹立たしい。

 

 

“知らされるつもり”なんかなかった。

 

知りたいわけでもなかった。

 

ただ、立ち会わされただけ。

 

 

──だからこそ、苛立つ。

 

 

目の奥がじん、とする。

 

記憶を無理やりこすりつけられたような、感覚。

 

 

「……クソが」

 

 

低く呟いて、壁を一発蹴る。

 

音は、誰にも届かず、廊下に沈んだ。

 

 

そのまま、ただ歩き出す。

 

“知ってしまった”という事実だけを、引きずって。

 

 

 

 

 

 

 

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