端末から目を離さず、ドクターが呟く。
「後継は、あの娘に随分入れ込んでおるようじゃな」
「ふふふっそう言ってくれるな、ドクター。
彼女は弔の心を育ててくれている、良い刺激さ」
「それがいつか、彼の衝動を止めしまうのではないか?
最初のうちはすぐに、壊してしまうかと思ったがの」
「そうだね。
僕もあの子がこんなに長持ちするとは思わなかった。
嬉しい誤算だよ」
「あの歳で2つの個性を与えても、人格を保ったまま。あれは良い器じゃ。
もっと量産できれば良かったんじゃがなぁ…」
「特殊な環境下が産んだ、希少品ってやつさ」
端末の表示が切り替わる音が、会話の合間に挟まる。
「従順になるよう、調整してもよかったと思うがのぉ…」
「あの在り方が見ていておもしろいんじゃないか」
「まるで万華鏡だ。
砕けて、形を失っても、自身を制度という器に入れて生きている。
そして、そのあり方は覗く人間それぞれに、異なる模様を見せてくれる……自ら意図せずとも、壊れた器が勝手に“絵”を作る。」
「はっはは、万華鏡、か……なるほど、言い得て妙じゃ。
ただ、模様を覗くのに夢中で、器そのものが砕けてしまっては困る。
観察を楽しむにしても、道具としての価値は残してもらわねばの」
「そのための保険は残しているさ。
……まだまだ、拙いね。あの子も、弔も」
「── 結末がどうであれ、僕の愉しみは尽きない。
楽しもうじゃないか、ドクター」
***
視界が開ける。
陰湿な空気に目を細めながら、爆豪勝己の脳が瞬時に状況を読み取った。
まず目に入ったのは、うつむき、椅子に座らされた少女──如月夕紬。ヒーロー科の同級生。
彼は首を後ろから掴まれている感覚のまま、反射的に腕を振り上げかけた刹那。
死柄木弔の声が落ちた。
「暴れんなよ、お前ひとりじゃないんだぜ」
如月夕紬はいま──
両手を拘束されている。
腹と腕の布がべっとりと赤く濡れ、汗と泥で顔の表情すら読み取れなかった。
「……てめぇ──」
歯ぎしりしながら、踏み出しかける。
「何捕まってんだよ! テメェも、ヒーロー科だろーが!」
敵を睨み据えて、肩を震わせる。
「お前が言うのよ」
爆豪の首をつかんでいた荼毘が肩をすくめ手を放す。
爆豪はその言葉を聞き、睨む。
「こんなもんで俺を止められると思ってんのか……ナメんなよクソが!!」
死柄木が立ち上がり、如月夕紬の肩に4指を軽く乗せる。
「暴れるなよ、ただ話がしたいだけだ」
「…っ……チッ…!」
行動の意味を理解した爆豪は喉奥で唸りながら、足を踏みしめる。
止まったのは彼の意思じゃない。だが、止まらざるを得なかった。
夕紬がゆっくりと、顔をあげた。
──そのとき。
「ーーあっ!」
明るく跳ねる声が、空気を弾いた。
夕紬を見た瞬間、顔をぱあっと輝かせたのはトガヒミコだった。
「夕紬ちゃん!? 夕紬ちゃんだよねぇ!?わあ、やっぱりだぁ!」
ぴょんぴょんとステップを踏みながら、まるで旧友に会ったかのように駆け寄るトガ。
指先を唇に当て、何かを吸う真似をして笑う。
「ぶどうジュースの! あの時の子、でしょ?
ねえねえ、覚えてる? 覚えてますよね!」
一気に距離を詰めて、きらきらした目でユウを覗き込む。
「弔くん、わたしこの子すっごく好きなのです!
どうして連れてきたんですか?」
「……“火を見た”……」
スピナーが小さく呟いた。
その言葉が出た途端、場の空気がわずかにざわつく。
トガの笑顔の裏で、いくつかの視線が夕紬に向かう。
確かめるような、探るような、あるいは──警戒の目。
その中でトガは頬を膨らませ、唇を尖らせて、だけど笑顔は崩さない。
そして、如月夕紬の顔を覗き込む。
「わたしね、あの時、ちょっとびっくりしたのです。
だってねえ、血じゃないのに、ちょっと落ち着いたのです。
あれ、なんだったんだろう、夕紬ちゃんの魔法かなぁ?」
夕紬の頬のかすり傷を見つけて、声のトーンが少しだけ上がる。
恍惚とした表情で、一歩、もう一歩。
血の匂いを確かめるように、靴音がやけに軽い。
「……ほっぺから血、出てるねえ、夕紬ちゃん」
「舐めちゃだめかな?だめですよね、でも欲しいなあ」
「だってねえ、あの時もらったんだもん、嬉しかったんだもん」
場が、静かに揺らぐ。
死柄木弔が、ようやく口を開く。
「……そいつは俺が連れてきた」
乾いた低音。ゆっくりと視線を横に流しながら続ける。
「いちいち説明が必要なら──いらねぇ奴から口を閉じてくれ」
瞬間、場の空気がピキリと凍った。
自分でも理由はわからない。だが“そう言わずにいられなかった”
「……了解、黙る黙る!いや喋ってるけど黙ってる!もう黙る!!」
トゥワイスが場の空気を誤魔化すように手を挙げたが、その目は、ちらりと夕紬を見ていた。
トガはちょっと頬をふくらませ、口を尖らせる。
「……ふーん、いけずですねぇ弔くん」
トガは手をひらひらと振って、くすっと笑った。
「でもね、わたし絶対、夕紬ちゃんと仲良くなるのですっ!」
宣言のように、けれどどこか夢見るような声で。
場の緊張とは関係なく、トガはすっと引いた。
けれどその目だけは、ずっと夕紬を見ていた。
爆豪の拳が、わずかに熱を帯びる。
「……テメェ、なんなんだよ」
低く噛み殺すような声。
だが、次の瞬間。
「口先野郎!!
否定もしねぇで座ってんのか!? どっち側の人間だてめぇは!!」
手首に拘束。
それでも、身じろぎ一つしない。
言い訳も、否定も、肯定もしない。
ただ、そこに座っているだけ。
──その体は、あまりにも静かだった。
息は乱れていない。肩も揺れていない。
緊張も、恐怖も、まるでなかった。
爆豪の眉がわずかに動く。
まるで、この状況を“受け入れてる”みてぇだ。
「……なんなんだよ、てめぇは」
静かに問いかける。
夕紬が、彼を見た。
その動きは、まるで――
氷の水面を、静かに破るようだった。
汗で少し湿ったこめかみに貼りついた髪が揺れ、濡れた睫毛が持ち上がる。
その目が、爆豪の“目”と、静かに重なった。
なにもなかった。
いつも貼りついていた“感じのいい目元”も、“柔らかな作り笑い”も、なかった。
代わりにあったのは、
壊れそうなほど静かな、
奥の奥で何かを噛み殺してるような――そんな目だった。
「……っ」
爆豪は、ほんの一瞬、呼吸を詰まらせた。
怒るタイミングも、責める言葉も、今は何ひとつ出てこない。
なんなんだよ、その顔。
“負けた”顔でも、“怖がってる”顔でもねぇ。
もっと、わかりにくくて――でも、どうしようもなく苦しそうで。息を止めようとするような――
(なんだよ、てめぇ……)
喉まで出かかった言葉を、噛み殺した。
知らない顔を見た、それだけなのに、ひどく気持ち悪いと爆豪は眉を顰めた。
でも、目を逸らすことだけは、違うと思った。
だから、見ていた。
爆豪は、夕紬のその目から、視線を外さなかった。
それが、今できる、彼の精一杯。
――そして、夕紬は。
静かに、目をそらした。
夕紬が視線を逸らした、その瞬間。
(……また、逃げやがった)
胸の奥で、何かがギチギチと噛み合わなくなる。
“意思決定の訓練”だのなんだの──あの時、笑って言ってたくせに。
結局、何も変わってねぇじゃねぇか。
(テメェが決めねぇからだろ……!)
声も出さず、抵抗もしない。
ただ黙って逸らして──だから、こうして“敵”だの“味方”だの、勝手に周りが騒ぐんだ。
全部、こいつが“決めねぇ”からだ。
(嫌なら口開け……!
立つ気あんなら睨み返せよ……!)
喉の奥で舌打ちがこぼれる。
苛立ちが爆ぜそうになるのに、目の前の女はあまりにも静かだ。
逃げたはずなのに、怯えた顔でもない。
だから余計に、彼の怒りは募る。
拳に力がこもる。
けど爆破は起きない。
──しねぇんじゃねぇ。できねぇ。
(クソが……! なんなんだよ、テメェは……!)
***
──そして、夕紬が目をそらしたその先にいたのは──誰よりも彼女が、目を逸らさないで見ていた、もう一人だった。
「……嘘だろ」
ぽつりと、荼毘の口から誰に向けたでもない声が漏れる。
それは、確かに“気付いてしまった者”の声だった。
あの目を見ただけで言葉が漏れた。
「なんで……お前が……」
少しだけ震えた声。
それを慌てて押し殺すように、荼毘が唇を噛む。
喉の奥にこもる熱が、言葉を濁らせる。
過去にしたもの。
もう、いない。
いや、元からそんなやつはいなかったのだと閉じた記憶を、開けられる。
彼女は少し目を見開いた。
それでも視線を逸らさず、困ったように、どこか柔らかく笑った。
「おはよう、おねむりくん」
それは言わずにはいられなかったようにユウの口からあふれた。
荼毘の肩が、ぴくりと揺れる。
その言葉だけで、“誰なのか”を確信してしまう。
病室の薄暗さ。動かない体。誰にも見られずただそこにあっただけの日々。
ただ一人、自分を見ていた子供の瞳。
喉の奥が、じんと熱くなる。火とは違う、鈍い焦げるような何か。
指先に火が集まりかけて、拳を握る。
(なんで、ここに──)
声は出ない。
認めたくなかった、“確信”だけが、胸に残った。
静かで、優しい──けれど決して柔らかくはない声。
荼毘は咄嗟に口元に笑みを作る。
「おいおい、なんだその口の利き方はよ。
初対面にしてはずいぶん馴れ馴れしいじゃねぇか、“ヒーロー様”」
ユウはその言葉を聞き届けてから、少し笑ってゆっくり目を伏せるようにして彼から目を逸らした。
彼の今を否定しないために。
それでも、あの時の男の子を、忘れきれなかった。
「っチ……」
舌打ちをして、背を向けて出ていく。
その響きに、爆豪は足を今度こそ、一歩踏み出した。
「──てめぇ、どういうつもりだよ」
怒鳴らず、詰め寄らず。それでも声には明確な怒気がある。
「んで、“こいつ”にそんな顔すんだよ……」
「このまま黙ってんなら、テメェは…
その言葉でやっと夕紬は口を開く。
「……たぶん、昔の施設でずっと眠ってた子。
よく様子見に行ってたから。起きた彼と会うのは初めて」
淡々とした口調。まるで、誰が聞いてもわかるように整理された説明。
それでいて己の感傷は載せない言葉選び。
爆豪の喉が、ごくりと鳴った。
言葉を返そうとしても、返す隙がねぇ。
(……はぐらかしやがった)
(こいつが目をそらしてんのは、俺だけじゃねぇ……)
拳に力が入る。けど、それ以上は出せない。
……まるで、こっちが勝手に殴りにいった言葉を、静かにフタで塞がれたような感覚。
爆豪が、言葉を、あるいは次の行動をとるよりも早く、死柄木が動く。
「詳しい話はあとだ。
コンプレス」
振り返るよりも先に爆豪の背に、手のひらが触れられる。
「はいよ。
わるいね、しょーねん」
そこで彼の意識は途絶えた。
***
死柄木は爆豪が圧縮されたのを見届けると、ゆっくりとドアの方に向かって行った。
「さっさと来い」
振り返ることなく、誰に目線を向けるでもなく、そう言った。
ユウはそれが自分に向けられた言葉だと理解して、歩き出す。
少し暗い通路の先に金属製の扉があった。
彼は扉の前で立ち止まる。
「トロトロしてんな」
ユウは拘束された腕のまま、動く掌で扉を開ける。
隔離部屋は、無機質な壁に囲まれた、ただの箱だった。
照明は低く、外の音も届かない。
時間だけが、砂のように静かに落ちていく。
ユウが一歩踏み込む。
死柄木は、廊下の壁に肩を預けたまま、部屋には入らない。
視線は宙を漂い、表情は読めない。
「……おねむりくん、ねぇ」
ドア枠に肩を預けたまま、死柄木はほんの少し目を伏せる。
誰に言ったとも、言わなかったとも取れる声。
ユウは一度瞬きをして、振り返り、彼を見る。
そして、ぽつりと答える。
「施設に、ずっと寝てた子がいたんだ。
……気になって、見に行ってただけ」
感傷はない。
“冷たさ”だけが、言葉に残った。
沈黙。
死柄木は部屋の奥を見ようとしない。
ただ、その言葉をどこかで反芻するように、目を伏せていた。
ユウは視線を合わせず、もう一言だけ続ける。
「今の彼は……知らない。
でも、目は変わってなかった。それに──」
「燃えちゃったみたい」
死柄木の口元がわずかに動く。
笑みではない。
むしろ、意味の分からない“刺さる”ような何かが体の底に残る。
「そうかよ」
隔離部屋のドアが、静かに閉まった。
鍵はかけない。
ただ、境界だけが戻る。
──その外側。
死柄木は、ドアにもたれたまま動かない。
「……燃えたってなんだよ」
低く、ぼそりとこぼれる。
誰に向けたわけでもない。ただ、喉の奥に引っかかった違和感が、言葉の形を取っただけ。
(……何が、だよ)
焼けたのは皮膚か、記憶か、感情か──
どうでもいいはずだったのに。
(“彼が燃えた”? じゃあ、お前は何を見てた)
あの言葉の“余白”が、頭にこびりつく。
わざわざ言うようなことかよ、と脳裏で吐き捨て。
(ただ“見てた”だけ……?)
「見てた」じゃなくて「いた」と言えばいいのに。
なのに、あの女は──そう言わなかった。
それが、なぜか腹立たしい。
“知らされるつもり”なんかなかった。
知りたいわけでもなかった。
ただ、立ち会わされただけ。
──だからこそ、苛立つ。
目の奥がじん、とする。
記憶を無理やりこすりつけられたような、感覚。
「……クソが」
低く呟いて、壁を一発蹴る。
音は、誰にも届かず、廊下に沈んだ。
そのまま、ただ歩き出す。
“知ってしまった”という事実だけを、引きずって。