陽光がやわらかく校舎のガラスを照らす朝。
通用門前には、雄英高校の制服を着た生徒たちがちらほらと登校していた。
そのなかで、夕紬はひとり、歩幅を崩さず校門へ向かっていた。
「ねえ、そこの君!」
突然、横から声がかかる。
振り返れば、マイクを手にした中年の男性──リポーターだった。
「君、ヒーロー科の一年生でしょ?ちょっとだけ、今の気持ち聞かせてもらえるかな?」
夕紬はほんの一瞬、目を見開く。
けれどすぐに、“仮面”の笑みが浮かぶ。
「はい、もちろんです」
リポーターがマイクを向ける。
「今朝はオールマイトの授業があるって聞いたけど、どう? やっぱりテンション上がる?」
「ほんと、夢みたいな感じです」
軽やかな口調。明るく、でもやりすぎない抑揚。
──でも、目の奥の光は、どこか反射するだけのものだった。
「ありがとう!名前は?」
「“雄英のヒーロー志望の一員”でお願いします」
笑いながら頭を下げて、夕紬はそのまま門をくぐっていく。
去り際、ふっと小さく、マイクの男が呟いた。
「……今の子、どこかで見たような……」
が、思い出せるわけもない。
ただの、優秀なヒーロー志望の女子生徒。いまはそれだけ。
***
教室の前で、夕紬は一度だけ立ち止まる。
指先で制服の袖を整え、口元に“正解の笑み”を浮かべた。
それから、静かに扉を引いた。
「おはよう」
明るい声を響かせて教室に入る夕紬は、自然な笑顔を浮かべていた。
誰かのような希望、どこかで聞いたような振る舞い、そして何より「普通で明るいヒーロー志望の女子生徒」という役割を完璧に演じていた。
ホームルームが始まる。
「委員長を決めるぞ」
相澤先生が眠そうな目で言い放つと、全員の手が静かに上がった。その中に、夕紬の手もあった。
ここはヒーロー科、誰もが率先して他者を率いろうとする、満場一致などない。
けれど、整った表情、丁寧な態度が評価されてか、夕紬には数票が集まる。
しかし、一位は緑谷だった。
何でデクが!といつものように怒る爆豪を横目に夕紬は同数となった、八百万に声をかけた。
「同票だね、どうやって決めよう……個人的に、私より八百万さんのほうが適任な気がしてきたかな」
「いえ、そんな。……ですが、ここはどちらかが辞退するのではなく、平等に決めるべきかと」
「たとえば?」
「……たとえば、ジャンケンなどで」
「いいね、一発勝負でいいかな?」
八百万が手を振り上げた瞬間、夕紬の目がわずかに動く。
小さく、でも確実に“グー”の形になるのを見て、夕紬は笑顔のまま“チョキ”を出す。
「……あっ、やった! 私、勝ちましたわ!!」
「うん、よろしくね。副委員長」
夕紬は明るく、拍手をしてみせた。
周囲が笑い、空気が和む。
でも、ただ一人だけ──爆豪だけは、うっすら気づいて眉をひそめていた。
***
昼休み。窓際の席、芦戸・上鳴・八百万がそれぞれ食事を終え、会話を楽しんでいた。
話題は昨日の実技訓練──そして、いつの間にか“顔の広さ”で有名になりつつあるクラスメイト、夕紬のこと。
「如月さんってさ、なんか……すごくない?」
芦戸が言うと、上鳴が即座に頷いた。
「おー、マジですごいよ。“無音の必殺仕事人”ってあだ名つけたくなるくらい、静かに全部終わらせてくじゃん」
「それに、普通科やサポート科の生徒さんとも、仲良くしていらっしゃるようですね」
八百万が紅茶を口にしながら、落ち着いた声で続ける。
「まじかよ!普通科ってヒーロー科にあんま良い顔しないって噂じゃなかったっけ?」
「でも、如月さんはちゃんと“相手の温度”に合わせて話せる子だよ。たぶん、ヒーローとか関係なく、誰とでも繋がれる感じ?」
「──確かに。彼女の態度には、媚びでも距離でもなく“敬意”がありますわ。そこが、他の方々にも伝わっているのかもしれませんね」
一瞬の沈黙。
それぞれの中で、夕紬という存在が少しだけ輪郭を持ち始める。
その時、教室のドアが開いて、夕紬が何気なく戻ってくる。
廊下ですれ違った男子生徒に軽く会釈しながら、ごく自然に、自分の席へ。
その様子を見て、上鳴がぽつりと漏らした。
「──完璧すぎて、逆にちょっと怖ぇな……」
「そう?私は……ちょっと憧れるけどな」
芦戸が笑いながら返す。
「ええ、わたくしも同感ですわ」
八百万も、ゆっくりと頷いた。
***
また同じ時間、同じ場所。
“そこにいる”ことを、確認するつもりはなかった。
でも足が、わざと遠回りして、裏階段に向かっていた。
──いた。
昨日と、同じ格好で。
顔は見えない。
目も合わない。
そこには、昨日と同じ“風景”があった。
……いや、正確には、“普通の中に混ざりきれていない何か”が、ぽつりとあった。
制服は整っていた。
姿勢も崩れていない。
でも、肩の角度だけが、ほんの少し不自然だった。
空気の流れに逆らうような、ぎこちない沈黙が、その背中にだけ残っていた。
ユウは立ち止まる。
“誰かが崩れかけている音”が、空気の中に溶けていた。
何秒か、ただ、そこにいた。
すると──その子が、何かに気づいたように顔を上げる。
視線がこちらを探しかける、その瞬間。
ユウは踵を返して、静かに引き返した。
(……まだ、大丈夫)
ちゃんと、外を見てる。
なら、まだ平気。
***
職員室の隅、誰もいない時間。
相澤は端末を開き、生徒一覧から一人の名を選んだ。
《如月 夕紬》
映像ファイルが再生される。入試当日の記録だ。
画面には、運動着姿の少女が歩いている。
走りもせず、焦りもせず、まるで“街中を散歩している”かのような足取りで。
──その時点で、すでに“違和感”はあった。
「……やっぱり、最初からそうか」
相澤は、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
夕紬は仮想敵を前にしても、一切表情を変えない。
次に動いたのは、何気なく見上げた信号機。
「“三ポイント”」
その声と同時に、信号機ごと仮想敵が一体、崩れた。
精密。過不足なし。
けれどそこには“意図”が透けていた。
(……倒し方じゃない。倒す“姿勢”に……無理がある)
画面の中の夕紬は、まるで“勝ちすぎない”ように敵を倒していく。
一方で、助けを求める生徒には、自然に手を差し伸べていた。
(……評価を得るための行動にしか、見えねぇな)
そこに“意思”はあったか?
──いや、“プログラム”のように見えた。
指先一つ、言葉一つに“ヒーローであること”を求められる立場で、それを完璧に演じている。
「全部“仕上げてきてる”ってことか……」
演技としての優しさ。計算としての救助。
まるで、“必要な成果”をリストアップして、その通りにこなしているようだった。
そして、爆豪との接触。
奪った敵、謝罪のジェスチャー、即座に別の仮想敵を提供する動き。
──あれも、“衝突を避けるためのテンプレ”だ。
「……喧嘩を回避する“優等生”ってわけだ」
彼女のなかで、誰一人“印象に残らない”よう、すべてが設計されている。
(……自分を“誰にも残さない”ように、動いてる)
それが如月夕紬の“仮面”だ。
──だが、教師として、そういう生徒に対して相澤が抱く感情はひとつしかない。
「そんなもんで、誰を救える?」
彼は再生を止め、目を伏せた。
夕紬の過去は知っている。
地獄を生きてきた子供だということも。
けれど、今この場にいるのは、“その過去ごと隠して笑う、ヒーロー科の優等生”だ。
──なら、見る側も腹をくくらなければならない。
教師として、“仮面の向こう”を見る覚悟を。
そしていつか、その仮面を脱いでくるその日まで、問い続ける責任がある。
相澤は再び端末を閉じた。
ほんの一瞬だけ、画面の残光が瞳に焼きついた。
「……如月。お前、“なんのために”ここにいる?」
静かな、けれど真っすぐな問いが、心の底に残された。