ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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初投稿の3話を読んでくださって、本当にありがとうございます。
まだまだ拙い点や、名前の表記ミスなどお見苦しい部分があり、失礼いたしました……。
同時に、お気に入り登録をしてくださった方へ、心より感謝を。
その一つ一つが、とても大きな励みになっています。








4話 接触

 

 

 

 

 

 

 

朝六時半。

 

目覚ましは鳴らない。あの日からずっと鳴る前に、目が覚める。

 

 

ベッドの上で体を起こす。動作はゆっくりで、だが迷いはない。

 

眠気は、最初からなかったみたいに、どこにもない。

 

 

床に足をつけると、冷たい。

 

でも、冷たいと感じるだけで、寒いとは思わない。ただ、身体は一瞬だけ震えた気がした。

 

 

カーテンの隙間から差し込む光で、外が晴れか曇りかだけを確認する。

 

そのあとに端末で、天気を判断して服装の調整も済ませる。

 

朝の空は、見上げない。

 

 

 

 

洗面所に向かい、髪を整える。

 

水音が、最初の「音」。

 

ユウの朝には、音がほとんどない。

 

 

歯を磨く。髪をとかす。化粧は整える程度に。

 

「健康的に見える顔色」を、鏡の中で確認する。

 

 

 

 

 

朝食は、トーストと紙パックのジュース。

 

テレビは点けない。音楽も鳴らさない。

 

──スマホに、未読のままのチャットが一件だけ表示されていた。

 

差出人:父の知人

内容:『準備は整いました。』

 

それをチラ見して、画面をロックする。

 

 

 

 

 

食べ終えれば制服を着て、整える。

 

髪を結び、胸元を直し、スカートの裾の皺を伸ばす。

 

 

鏡の前に立って、笑ってみる。

 

「感じのいい優等生」が、そこにいた。

 

今日もその顔で、“如月夕紬”として生きる。

 

 

 

 

 

カバンを持ち、靴を履く。

 

家を出る直前、鍵を確認しながら、小さくつぶやく。

 

 

「よし」

 

 

意志ではない。あくまで習慣として、音を発しただけ。

 

それは、自分のための言葉ではない。

 

“言うべき場面”だから、口にするだけのもの。

 

 

 

 

 

玄関のドアを閉める。

 

その瞬間、ユウの一日は“始まったこと”になる。

 

正確に、静かに、完璧に──「人として、問題のない朝」が始まる。

 

 

 

 

 

そして、駅へ向かう。

 

顔を上げるのは、誰かと目が合わないようにするため。

 

足取りは軽やかに。姿勢は良く。呼吸は一定に。

 

 

……それは、「気づかれないための努力」だった。

 

 

 

 

 

彼女にとって“朝”は、自分の人格を再起動する時間。

 

生きる意味がなければ息ができない少女が、“人間”として動き始める儀式のようなものだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

その昼、ユウはパンを買った。それと、小さなペットボトルのお茶も一本。

お茶の方は、“なんとなく”。

 

裏階段の前まで来て、そっと足音を落とす。

 

──今日も、いる。

 

頭を落としたまま、動かない。その短い髪が、かすかに震えているのが見えた。

 

でも、今日は──顔を上げる気配も、気づく気配もない。

 

(……この子は、今日も、ひとりだ)

 

ユウはそっと歩み寄る。

 

音を立てないように、距離を詰め、無言でペットボトルを置く。

 

それが目に入るかどうかは、わからない。

 

ただ、“それでも、手が届く場所”にだけは、置いた。

 

何も言わず、何も求めず、足音を残さず立ち去る。

 

──ただ、そこに『誰か』がいたことを伝えるためだけの行動。

 

『通行人』よりも少しだけ近く、『他人』よりはずっと遠い距離。

「誰かが、あなたを見ていた」と、ただそれだけを伝えるために。

 

それだけの、昼休みだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

車窓に映る雄英内の木々に、夕紬は穏やかな笑みを浮かべていた。

バスの中はざわついている。

ヒーロー基礎学の人命救助訓練というヒーローらしいイベントに、緊張と高揚が入り混じる空気。

 

「如月さん、緊張してないの?」

 

前の席の麗日が声をかける。

 

「んー……ちょっとしてるかも?でも、楽しみのほうが大きいかな」

 

首をかしげるように笑う夕紬。声も表情も完璧に“普通”。

 

耳郎はちら、と横目で夕紬を見た。

 

「……なんか、あんたってさ、怖いくらい落ち着いてるよね」

 

「そうかな? 表には出てないだけかも」

 

冗談めかして胸を押さえる仕草。

それでも、表情の奥にあるものは誰にも読み取れない。

 

小さく息を吸って、夕紬は窓の外に目を戻した。

仮面は、びくともせずに貼り付いている。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

USJ内は想像を超えるほど、広大な敷地。

多くの生徒が感嘆の声を上げている。

 

夕紬は周りを見渡し、生徒たちに紛れて、オールマイトを探す。

 

...いない?

次に、相澤と13号がなにかを話しているのを確認する。

 

オールマイトの身に何かあったのか、夕紬はそこまで考えて、

せいぜい、人助けで遅刻とかだろうと思考を区切る。

 

 

そんなことをひとりでに考えながら、13号の話に耳を貸す。

 

 

人を簡単に殺せる、“個性”。

その行き過ぎた“個性”を、“どう”使うか。

 

この社会においてそれは重要なことであると夕紬も認識している。

大切なことだ。基礎的ではあるが、わすれてはいけないこと。

 

 

そんな大切な再認識を行う中──

 

──照明に電流が走る。

 

始まった。

 

 

 

 

夕紬は無意識を装い、耳に指を伸ばす。

 

ピアス。高校入学と同時に空けた穴は、まだほんの少しだけ疼くことがある。

 

爪で軽く、金具の位置を確かめるようにカリッと撫でた。

 

 

 

中央の広場に現れる黒い霧。

そこから現れる有象無象の敵たち。

 

「一かたまりになって動くな!」

 

相澤の鋭い言葉が試験なのかと困惑する生徒たちの気を引き締める。

夕紬は誰にも気付かれぬまま一歩後ろに下がり、最後尾に体を置く。

 

「上鳴、お前も“個性”で連絡試せ、如月、お前は──」

 

 

相澤の鋭い声が飛ぶ。全員の頭が指示に集中していた。

誰も、自分の背後の“異変”に気づける余裕など、持っていなかった。

 

 

「えぇ、ですから──彼女には、こちらへ来ていただきましょう」

 

 

声と共に、空気が冷えた。

 

ぬるり、と背後の空間が歪む。

 

 

声に数名が反射的に振り返る──そこには、黒い霧の人影。

霧がひとりの生徒をすくいあげるように包んでいた。

次の瞬間、夕紬の姿は消え、霧の奥、広場の中心へと転送される。

 

 

──敵の“心臓”とも言える位置に。

 

 

 

「いま、だれか──!」

 

 

上鳴が声を上げた時には、もう遅かった。

 

 

一人、足りない。

 

 

相澤消太は、瞬時に状況を判断していた。

あの黒い霧──転送。敵の出入り口、瞬間移動。“個性”だ。

 

「13号!任せたぞ。

 救出は俺が行く」

 

同時に、足が動いていた。

喉から漏れたのは怒声ではない。命令でも、悲鳴でもない。

──ヒーローとして、担任として、ただ“救いに行く”という行動だった。

 

相澤は階段を駆ける。敵の配置を確認し、夕紬との距離を測った。

 

こちらに向かう数十名の敵──そしてその奥で主犯格と思わしき人物が夕紬へ近づいていた。

 

「まずい……!」

 

息を吐く暇もない。

彼女はあの年齢で“冷静にふるまう術”を知っている──

だが、それと“生き残れるか”は別の問題だ。

 

 

──風を切る。マフラーが翻る。

 

「1人で来るとは間抜けだな!」

 

複数の敵、発動型、おそらく遠距離攻撃。

相澤は自身の“個性”を発動させると共に、捕縛布を使いながら素早く、薙ぎ倒す。

 

「お前らに構う時間はない」

 

視線は決して切らさない。“個性”を抑えつつ、布で翻弄する──その動きは冷酷で、まるで機械じみていた。

 

 

だがその胸の奥では、静かな焦りが煮え立っていた。

 

動けるのは自分しかいない。

 

生徒が──一人、あの中央で敵に囲まれている。

 

数の暴力。未知の敵。

──子ども一人が、耐えられる状況じゃない。

 

「手ぇ出すな……あいつは、俺の生徒だ」

(俺が間に合わなきゃ、誰があいつを守る)

 

相澤の足が地を裂く勢いで駆ける。

 

そのとき、視界の隅で──何かが、弾けた。

 

軽い音じゃなかった。

風を切り、重い質量が吹き飛ばされた音。

反射的に、その先を見る。

 

(如月──!?)

 

名前が喉奥でせき止められる。

声にはならない。ただ、胸の奥で何かが突き上げる。

だが今は──動くしかない。

 

すぐさま視線を転じる。

そこには、他の敵とは明らかに異質な“存在”がいた。

 

巨大な人型。黒く、縫い合わされたような皮膚。筋繊維が露出している箇所もある。

そして、なにより頭部が透けて見える。

表情はない。

ぎょろりとした目だけが、如月をじっと見据えていた。

 

(……なんだ、あれは)

 

一目で、ただのヴィランではないと分かる。

人間の形をしているのに、“人間の動き”ではない。

 

 

相澤は即座に“個性”を発動する。

 

だが。

 

「……抹消した。──止まらない?」

 

一歩。もう一歩。

 

“個性”なしでは説明できない速度で、奴は距離を詰める。

 

腕の振り上げ。踏み込みの角度。全てが「戦闘」ではなく、「破壊」のための動き。

 

相澤は周囲の敵を相手にしながらも、思考を止めない。

 

(訓練されてる?……いや、こいつは……異形型、か?)

 

──違う。

それだけでは足りない。

 

動きが、あまりに滑らかだ。

反応が、経験則の範疇を超えている。

破壊力も──常識外だ。

 

なにより──

 

そこに、「人の意志」が感じられない。

 

相澤の思考を遮るように、周囲の敵が襲いかかる。

 

動きは見切っている。

関節の可動域ギリギリを突いて捌き、ふらついた一瞬に布を絡める。

巻きつけた軌道を利用し、そのまま自重で引き倒す──

 

──姿勢を崩さず、すぐに脳無へと視線を戻す。

 

(……ほんとうに“人間”か?)

 

そう思った、その瞬間。

 

もう──夕紬は、生き残るために動いていた。

 

逃げている。だが、怯えてはいない。

あの小さな身体が、脳無の直線軌道を逸らすように、瓦礫を呼び出し地形を変えながら駆けている。

 

“個性”で障害物を出現させ、足場を崩し、視界外に逃げる。

それは反撃ではない。ただ、壊されないための術。

 

 

 

限界が来る戦い方だ。

 

 

相澤は静かに敵を見据える。

複数の敵が“個性”を発動し、睨むような視線で行く手を遮っていた。

 

「……そこをどけ」

 

声は低く、押し殺すようだった。

けれど、抗えない圧があった。重い視線と殺気が、空気を切り裂く。

 

「おまえらに構ってる暇はない。……通るぞ」

 

一歩、踏み出す。

捕縛布がわずかに風を裂き、構えが揺れる。敵がひるんだ隙に、迷いなく前へ。

 

その先にいるのは──生徒。

助けを待つ声ではなかった。

それでも、彼女は“守るべき対象”だった。

 

 

相澤の視界の端で彼女は止まらない。

無謀で、痛ましくて──けれど確かに、生きようとしている。

 

そのときだった。

 

鈍い轟音。何かが砕けたような音が、耳を打つ。

 

砂煙の中から、脳無が飛び出す。

 

夕紬との距離を、たった一跳びで詰めてくる。

 

その瞬間、相澤の顔が引き締まった。

 

(間に合え──!)

……俺の生徒だろうが!

叫ぶ代わりに、布を飛ばす。

だが、空気を裂く音よりも──背後から放たれた殺気が、先に届いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

それは──

夕紬の静かな拒絶から始まった。

 

 

 

「普通この状態で飛び込むかよ、さすがヒーローだなぁ……?」

 

 

皮肉をこめた声に、夕紬は仮面のまま応じる。

 

 

「自慢の先生だよ」

 

 

怯えながらも、立ち向かおうとする“生徒”を演じている。

恐怖も、信頼も、すべて“それっぽく”装ったまま。

 

 

「ったく……オールマイトもいねぇし、どうなってんだよ」

 

 

歩を進める死柄木に、夕紬は穏やかに答える。

 

 

「それは、私にもわからない」

 

 

「──なら、さっさと呼べよ。オールマイトを」

 

 

 

 

夕紬は、ふと顔を傾けた。

笑みを崩さず、声も変えない。

 

 

「……無理。だって“私はヒーロー”だから」

 

 

 

──一拍。

 

場の空気が、凪いだ。

 

死柄木の足が止まり、空気が冷える。

 

 

手をぶらりと下げたまま、ゆっくりと首元に手をやる。

最初は軽く、ポリ、と掻いた。

だが、指先は止まらない。

爪が皮膚に沈み込むように、がりがりと首をかきむしる。

 

 

その様子はまるで、

何かをかき出そうとしているかのようだった──自分の中に、そんなものがあるとは知らずに。

 

 

「……なに、余裕ぶってんだよ。こっち見んな、ムカつく」

 

 

吐き捨てるような声。

だけど、その苛立ちの底にあるものは、別の何かだった。

 

死柄木の手がぴたりと止まる。

 

「──あぁ……おまえの口から聞くと、なんでこんなに……ムカつくんだろうなぁ」

 

 

低く、喉の奥から漏れるような声。

 

 

 

 

「脳無、やれ」

 

 

気配、風を切る音。

──けれど、気づいた時には遅かった。

 

脳無の拳が振り下ろされた直後、吹き飛ばされた身体が、空中で回転し、瓦礫に叩きつけられた。

衝撃で肺の奥の空気が一気に押し出され、視界が一瞬、白く染まる。

頭が、ぐらりと揺れた。瞬間、視界の端で“何か”がはじけた。

 

熱いものが、こめかみを伝う。頬を這い、片目に滲む。

視界が赤い──血だ。

 

(──あぁ、これは死ぬやつだ)

 

確信を、痛覚よりも先に脳が導き出す。

そして制御できない本能が体の動きを止めた。

 

 

けれどユウは動く。

 

身体が命令に従ってくれないなら、意識だけでも動かす。

 

──その痛みを“記録”しない。

 

彼女の内側では、もう一つの思考が働いていた。

 

《これは重要な刺激じゃない、これはただのノイズ》

 

痛覚が押し寄せるたび、ユウは後天的な“個性”「記憶固定」を使って、情報を仕分ける。

 

記録すべきは敵の動き。振りかぶる腕の軌道、踏み込む足の角度、こめかみに走った音の揺れ。

 

それ以外──“痛み”は。

 

《いまは、いらない》

 

痛みを“覚えない”ように処理するたび、

 

意識の奥でノイズだけが累積していく。

 

脳のどこかが焼き切れそうになる。

 

それでも、今を──

 

 

《この痛みは、“あとで”》

 

《覚えるな。感じるな。ただ、生きる。生き延びる》

 

《「記憶」として封じるな。「今」に置くな。宙に浮かせろ──》

 

 

肋骨が何本か折れている。 

 

それでも、まずは距離を──視界の端に追撃を試みる影を確認し、身近な敵の背後に回る。

 

途端、人の爆ぜる音がした。

 

勢いよく飛んできた人体が、左肩に激突する。

生前の重みを残したままの質量が、骨に直接叩きつけられた。

 

肩が、あり得ない角度にずれた。

鈍い音と共に、軋むような痛みが脳天まで突き抜ける。

 

──脱臼。いや、折れたか。

 

ユウの呼吸が、一瞬だけ詰まる。

 

いま、私は──瞬きの間を稼ぐために、人の命を使った。

 

わかってる。

 

ユウはかすれた声で呟く。

 

「……“瓦礫”」

 

視界の端に転がる崩れたコンクリートの塊が、空気を裂いて複数出現し、脳無の足元に転がった。

 

踏みつけた足がバランスを崩し、一瞬、失速する。

効果はあったらしい。

 

その隙に、ユウは瓦礫の影から転がるように移動した。

左肩が地面に擦れ、焼けるような痛みが走る──すぐに消した。

 

 

「“電柱”」

 

視界の端に映っていた景色を、ただ言葉にする。

この“個性”の強みは──“記憶したもの”を、言葉ひとつ、ワンモーションで呼び寄せられること。

 

脳無の目の前に、金属製の柱が突如として出現した。

けれど、それすら一瞬で吹き飛ばされた。

 

硬度が違う。

速度も、重さも、桁が違う。

 

つまり──この場では、“逃げることすらできない”。

 

熱い息を吐く。排熱。

頭を冷やせ。次を考えろ。

 

重要なのは、分析。位置、距離、タイミング。

 

「“ビル”」

 

先ほど、施設内を見渡した風景を記憶している。

“使える”と判断した廃ビルの一角を──再現する。

 

崩落したビルの一部が、脳無の頭上に出現した。

 

派手な音を立てて砂埃が舞う。

ユウは距離を取り、目を凝らす──。

 

 

 

──また、影が立っている。

 

効いてない?

やつは痛覚がないのか?

肉体のバランスが崩れても、すぐに立ち直している。

 

 

……でも。

 

どこか動きが、鈍い。

痛みはなくとも肉体のダメージは蓄積される?

こちらに駆け出す速度は──速すぎるが、まだ間に合う。

 

狙うなら、今しかない。

 

 

 

チリッと、脳内に言葉が走る。

 

『君たちの力は──人を傷つけるためにあるのではありません』

 

たった一瞬の、躊躇だった。

 

『……助けるためにあるのだと、心得て帰ってください』

 

13号の声が、耳の奥に残っていた。

 

けれど──戦場では、それが命取り。

 

脳無が、瞬きの間にユウの目前へと現れる。

 

ユウは、息を詰め、声を絞り出す。

 

「“左腕”」

 

脳無の振りかぶっていた左腕が、音もなく消えユウの前に現れる。

 

空気が、揺れた。

 

だが、片腕を失っても、脳無は止まらない。

 

脳無が腰を回し、蹴りを放つ──届かない、はずだった。

 

「……っ」

 

今しがた切り離されたはずの“腕”が、弾丸のようにユウの腹に叩きつけられる。

 

思考外の攻撃。人なら躊躇する選択、可能性から省いた一手。

故に反射が半歩遅れる。避けきれなかった。

 

背骨が、軋む音がした。

 

膝をつく。右手を突き、吐き気に耐える。

 

けれど、終わりじゃない。

 

まだ、生きている。

まだ、戦える。

 

うるさい思考だ。

 

視界の端に、黒い影が揺れる。

地を叩くような足音。規則的な、破壊のリズム。

 

ユウは歯を食いしばり、立ち上がりながら、呟くように声を落とす。

 

「“両脚”」

 

瞬間、空気が歪む。

その脚が、消える。

 

脳無の体勢が崩れ、地をえぐりながら倒れ込む。

それでも、止まらない。

這うように、進んでくる。

 

ユウはその姿を見ながら、

──どこかで、「これでも殺していない」と、確認するように目を細めた。

 

なら次は──

駄目だ、それはやりすぎ。

いや、違う。

 

視界がちらつく。

これもいらない、今はいらない。

 

記憶の取捨選択は、すでに制御を失っていた。

必要なものまで、ノイズとして処理してしまう。

名前。声。表情──。

 

どこかで知ってる声が聞こえる。

あれ……これ、誰の声だろ?

 

そんなはずがないのに、思い出せない。

大事なことなのに、頭が拒絶するように遠ざけていた。

 

聞き取りたいのに断続的な記憶固定は制御を失い、受け取るべき記憶を排除するようになった。

“個性”の暴走、それが確かにユウの脳に負担をかける。

呼吸を整える。意識だけ手放さない。

 

戦闘は、まだ終わっていないのだから。

 

──いや、限界だろう。

 

脳内でそんな声がした。

痛みも、恐怖も、全部“後で”って押し込んだのに思考がブレる。

“今”を生きるはずの思考まで、どこか遠くに流れていく。

 

痛みも平衡感覚もまばらになって、それでも立ち上がる。

 

あれ?

 

「私、なにしてたんだっけ……」

 

立ってる、たしか、戦ってたんだっけ?

輪郭が曖昧になる。

──“終わり”が近いとき、人は仮面も核も、同じように崩れるのかもしれない。

 

 

記憶固定の制御が定まらず、“不要な記憶”のはずのものが、脈絡もなく浮かんでは消えていく。

 

首に触れる冷たい金属、壊れた皿の破片、暗い部屋の奥で声を殺して生きたあの日々。

 

──なぜ今、これを思い出す?

 

排除すべき痛みが処理しきれずに、別の記憶まで混線していく。

 

声が聞こえる。小さな子供が、誰かが、こちらを呼ぶみたいに、微笑みかけてくる。

でも、思い出せない。自分が何を見ているのかも曖昧になってくる。

 

《これも、ノイズ?》

 

脳内でラベルを貼るように、それすら分類しようとしていた。

でも、

 

《……ちがう。これは、大事な──》

 

思考の奥で、か細い“本当の自分”が否定した。

 

それでも、仕分けは止まらない。

記憶が、感情が、色彩すらも薄れていく。

 

裁かれたいと願った幼い私。

そう、声をあげたのに、許されてしまった。

 

──そうだ。

 

生を与えられても、終わりは与えられなかった。

 

(望んだのは、生きることじゃなかったのに)

 

この世界は、自分勝手に、私へ“生きろ”と言ってきた。

 

──このままでは(やっと)確実に死ぬ(死ねる)

 

その結論だけが、ぶれずに残っていた。

 

なら、理由は自分で決めるしかない。

 

この命に、意味のある終わりを。

 

感覚など等にない。だがユウは立ち上がる。

 

……せめて──

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

──少しだけ時をさかのぼる。

 

中央では相澤消太が死柄木弔を睨んでいた。

 

捕縛布を放つ。死柄木は苛ついた仕草でそれを弾き、舌打ちを漏らす。

 

その目は相澤ではなく──何か別の怒りに縛られていた。

 

その様子に──胸騒ぎを感じた。

 

(如月──)

 

夕紬の顔が、一瞬、脳裏をかすめる。

無意識にそちらへ視線を走らせかけたその瞬間だった。

 

「無理するなよ、イレイザーヘッド」

 

いつの間にか死柄木の手が伸びていた。

肘が壊れ、それでも相澤は戦う。

 

その時だった。

 

「……ところでヒーロー、本命は俺じゃない」

 

死柄木が囁いたその直後。

 

“それ”は音もなく背後に現れた。

 

もう一体の脳無。

 

背後──視界の外、完全な死角だった。

 

鋼のような腕が、相澤の胴を無造作に締め上げる。

途端、全身を押し潰すような重圧。肺が潰れそうになり、骨が軋む感覚が背筋を走る。

 

「……ッ!」

 

それでも、目を逸らさない。

死柄木の姿を──逃さない。

 

咄嗟に足を使って体勢を崩そうと試みる。

脳無を視界にとらえ、肩をずらし、関節を殺すように滑らせて──

だが、力が違う。

 

小枝でも折るかのように、相澤の腕を握りつぶした。

 

身体がきしむ。視界が揺れ、頭の奥で痛みが脈を打つ。

 

(……まだだ)

 

歯を食いしばる。

 

「まだ……」

 

声にならない声が、喉奥で擦れる。

 

“個性”は切れていない。まだ消せている。

奴の“能力”だけは、今も止めている──

 

捕まっても、封じられても、まだ。

 

教師としての、一線は残している。

 

それだけは──譲らない。

 

 

 

だが──限界は近い。

 

視界の端、遠くで見えた小さな身体。

 

崩れた壁際、膝をついて、それでも“立ち上がろうとする”少女。

 

名前を呼ぼうとしたが、声が出なかった。

 

代わりに、皮肉のように口元が歪んだ。

それでも、夕紬に届くはずもない“頷き”だった。

 

その瞬間、脳無が視線を遮るように前に出る。

相澤の頭部を掴むと、ためらいもなく地面へとたたきつけた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

焦げたような空気の中、戦場に一瞬の静寂が落ちていた。

微かに風が流れ、血と焼けた鉄の匂いが混じるなか──

そこへ黒霧の声が、あまりにも冷静に響いた。

 

「……彼女の状態、すでに限界でしょう。

──死柄木弔、これ以上は無益かと」

 

 

脳無の腕に抱え込まれたままの相澤は、僅かに開いた目で周囲を探る。

あちこちで生徒たちが傷を負いながら、命を守ろうと動いているのだろう。

 

その中心で、まだ立っている少女の姿があった。

 

如月夕紬。

 

血まみれで、足元さえおぼつかないはずのその身体が、崩れかけた瓦礫の上に立っていた。

 

彼女は制御を失った記憶固定で、それでも過去の視覚情報だけは拾い上げていた。

戦ってる最中、視界の端に映った、緑谷出久、蛙吹梅雨、峰田実。

 

彼らは近寄るべきじゃない。あのままなら気付かれていても対象にはならない。

 

死柄木と、黒霧が話してる。

聞き取れない、でも脳無は止まってる。

生徒を取り逃がした?作戦は中断?いや、私がオールマイトを呼べば──

 

ユウの思考を遮るようにノイズだらけの思考に声が聞こえた。

 

「けれどもその前に──」

 

過去の記憶がちらつく、あぁ......今が、よくわからなくなる。

それでも、決断するための必要は情報は揃っていた。

終わりそうなこの命をどう使うべきか──

 

「平和の象徴としての矜持を少しでも」

 

ユウは感覚を失った体をただ意志だけで動かす。

 

 

「へし折ってから帰ろう!」

 

蛙吹梅雨は自分に何が起きるかを理解できてすらいないのに、

ユウには酷く遅れて、死柄木が砂を踏む音が、ゆっくりと響いた気がした。

 

もう間に合わない。

 

そう誰もが思った、その瞬間だった。

 

ユウの身体が、ふらりと死柄木の進行軌道に滑り込んだ。

 

足がふらつく。

駆け寄った勢いのまま、死柄木の前で膝をついた。

 

その瞬間、しゃがんだ彼の手が──頬に触れた。

 

無防備な姿勢のまま、顔の緊張がふっとほどける。

 

ほんの一瞬、偽りのない笑顔がこぼれた。

 

「おい、やめ──」

 

死柄木の指先が、ユウの頬に触れた。

 

五本の指先が、肌をなぞるように額、顎にかけて──まるで輪郭をなぞるように、そっと、触れた。

 

触れた瞬間、時が止まったように、すべてが静止した──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







第1章の山場まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

余韻を崩したくありませんが、少しだけお付き合いください。

今回の話では、彼──死柄木弔が、
一見“らしくない”行動を取りました。


もし違和感を覚えた方がいらしたら、
それは、正しい感覚です。


皆さんの知る彼とは異なる理由は、もう少し先で描きます。

そして、すべてがわかったあとで、
改めてこのシーンを“彼の視点”からお見せします。

そのときにはきっと──
この瞬間が、
少し違う色に見えるよう、描いてゆきます。
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