無自覚に周囲へ悪影響を与えるタイプのTS転生者   作:バラフバフ

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第2話

藤原千花さんと絶交してから結構経ちましたわ。

 

いやー、意外とあっさりイケたね。

 

やっぱ、向こうも重荷に感じてたんだなあ。ナイス気付き、私。

 

ところでその藤原さんですけど、どうやらちゃんと四宮かぐやと仲良くやってるみたいですわ。

 

最初は私のところからの四宮だから、あちらさんへのスパイだと疑ってる生徒もいたけど、あまりに真っ正面からあの氷のかぐや姫にぶつかっていくもんだから、スパイにしちゃ出来が悪すぎると噂も無事消えてくれましたよ。

 

いや、まあ、私もちゃんと消えるように裏で手を回したんで、当然っちゃ当然っすけど。

 

さて、今正直ヴァイオリンやめて暇なんですよね。

 

この時間使ってなんか出来ねーかなと。

 

なんで、裏工作しようと思います。

 

私には物語の本筋に関わりたいって思いがあるわけですよ。

 

でも今のままだと四宮かぐやには全く近付けそうにないですし、藤原さんにこれ以上悪影響与えるわけにもいかないし、ちょっと接点見込めないんすよね。

 

なら目標を若干下げてー、間近で物語を眺めることは諦めてー、その空気感だけ間接的に味わうことを目指していこうと考えてー、彼女の周りに彼女の動向を探ってくれる人を見繕ってー、その様子を逐一私に報告させることでー、その情報からこっちで勝手に妄想して楽しんだりしちゃおうかなーって。

 

まあ、平たく言えばスパイ作ってストーカーみたいなことしようかと。

 

彼女、()()は殆どいないんですけど、家名に集る取り巻きは沢山居るんですよね。

 

取り巻きってか派閥?

 

まあ直接四宮かぐやがなんかしてるわけでもなく、勝手に出来て勝手に四宮支持表明してる、言っちゃえば虎の威を借る連中ですわ。

 

その中から適当にスパイ見繕おうと思います。

 

今の四宮かぐやはあんまり他人に興味ない感じで、取り巻きの内情もそこまで把握してないでしょうし、その中に一人、二人スパイ紛れこませるぐらいは何とかなるでしょ。

 

それでもまあ、何とかならないかもしれないのが怖いんすわな。

 

実際に使う人員は流石に私の家と関係が薄い人間になりますし、探ったところで早々に私が指示したと分からない程度に段階は踏みますけど、でも相手が四宮かぐやっすから。

 

もし天才的な何かで分かったりしちゃうと、大変よろしくない。

 

スパイなんて完っ全に敵対行動っすから、四宮かぐやと仲良くなるルートもいよいよ完っ全に消滅しちまいます。

 

それどころかこれをきっかけにウチと四宮の抗争が顕在化して、今後の互いの学園生活が殺伐とした感じになりかねません。

 

そこで更に考えましたよ。

 

スケープゴートを用意すりゃいいんですよ。

 

実際スパイやってもらう子にはこう伝えましょう、私のとこじゃなく四条(しじょう)家からの指示だってね。

 

四条は四宮に不満を持ち、四宮から分派した一族で、四宮を潰すことを目論んでるもう生まれからして四宮アンチな、まさしく生粋の四宮の敵対勢力です。

 

そんなところからのスパイなんざ今更幾ら居てもおかしくないでしょ。

 

バレてもいつものことかと然ほど注視されないはず。

 

あとは学園における四条の顔である四条眞妃(まき)に迷惑が及ばないかってとこですけど、まあ、彼女と四宮かぐやは表向き敵対関係にあるだけで、本心では人柄をそこそこ信頼しているようなところもありますし、スパイがばれても眞妃自身が仕掛けたと思われることはないでしょうし、そうでなくとも笑って許し合えるさ、二人の関係なら。

 

うん、大丈夫。イケそうな気がする。

 

思い立ったら即行動だ!

 

 

―――――

 

 

四宮かぐやが折原巡を明確に認識したのは中等部の頃になる。

 

いや、この言い方には語弊がある。

 

彼女らは共に幼等部から秀知院に通っている。互いのことは当然認識していたが、決して深く関わることは無かった。

 

当然そこには互いの家の事情が関係している。

 

四宮と折原、反目し合う関係というのは周知の事実だが、一方で四宮と四条の関係ほどあからさまというわけでもなかった。

 

互いにいずれ相手を消し去りたいとは思っているものの、今すぐにも是が非でもというわけではない、互いに潰し合った結果、得るものよりも失うものの方が多い今は平和的に膠着状態を保っていたい、それが互いに対する態度であった。

 

故に両家は互いに無干渉の姿勢を取り、その一員である彼女らもまた同様の態度を取ることで平和を保っていた。

 

言うなれば互いが互いを敢えて居ないもののように捉えていたのである。

 

それが変わったのが中等部の頃。

 

改めて言い直そう。四宮かぐやが折原巡を"敵として"認識したのはその時だった。

 

 

 

ことの発端は学園内におけるかぐやの支持派閥内での離反者の発覚にあった。

 

離反者と目された女子生徒は中等部から秀知院に中途入学したいわゆる混院の生徒だった。それ故か、形の上では派閥集団に属してはいたものの、実際のところ集団内で孤立傾向にあり、また派閥の主流派からは疎まれてすらいた。

 

そんな中で、彼女は派閥主流派よりかぐやの動向を第三者に伝えていた事実を告発されてしまったのだ。

 

初めは彼女も混院である自身への偏見に基づく根も葉もない言い掛かりと主張していたが、やがて彼女の携帯から離反の証拠となり得るやり取りの文面が流出したことで疑いはほぼ決定的なものとなった。

 

とはいえその内容はあくまでかぐやの学園における生活の様子を伝えるものでしかなく、漏らして良いかは別として、それだけでは特段かぐやに被害を与えるものではなかった。

 

そう問題は誰にその情報を与えていたかである。

 

事態が最悪の展開を迎えたのはまさしく、件の女子生徒が派閥主流派から通じていた相手に関し、詰問を受けていた時だった。

 

時間は昼、多くの生徒がいる中で見せしめも兼ねて行われていた。

 

『わ、わた、私は……』

 

大勢の前で追い詰められた少女は狼狽し、とても平然でないことは明らかだった。

 

だからかもしれない。

 

『ま、眞妃様!』

 

『え?な、何?』

 

彼女がああも大胆な行動に移ったのは。

 

追い詰められた彼女が縋ったのは、たまたまその現場を通り掛かった四条眞妃だった。

 

『私は貴女に、貴女の為に、やったんですから!私は!ね!?助けて下さいますよね!?』

 

女子生徒の言葉に周囲がざわつく。

 

その言葉は、ことの主犯が眞妃であると白状するようなものだったからだ。

 

『な、何をわけの分からないことを言っているの!知らないわよ、離しなさい!』

 

当の眞妃が困惑を露にし、きっぱりそれを否定しても事態はまるで好転しない。

 

それどころかその余裕の無さは寧ろ女子生徒の告白の真実味を強化するばかりだった。

 

『見捨てるんですか!?私は、私は貴女の為に、あんたの為に裏切ったんだよ!?それを…それを!!』

 

この出来事の後、更に件の女子生徒が四条より指示を受けたことを裏付けるようなやり取りの記録を自ら明かしたことで、四宮かぐやに内通者を差し向けていたのは四条眞妃という噂がある程度の力をもって語られるようになってしまった。

 

これには大いに問題があった。

 

そもそも四宮と四条は確かに敵対関係にあることは公然の事実であるが、その令嬢二人はどちらも互いに積極的な敵対意思を持っていなかったのだ。

 

故に周囲の印象とは裏腹に内通者を差し向けるだといった相手を貶める裏工作などは殆どなされたことがなく、彼女ら自身はいたって平穏な関係を保ってきていた。

 

また彼女らを勝手に担いでいる派閥集団も彼女らの態度を見て、積極的な敵対行動を控えていた。

 

互いに反目すれども、実力行使には至らない。

 

それが一種暗黙のルールとして存在し、それにより平和を保っていたのが、秀知院における四宮、四条両派閥の状況だったのだ。

 

故に四条眞妃がその一線を越えたという爆弾が与えた衝撃はすさまじいものがあった。

 

四宮支持派閥は報復に動き出し、四条支持派閥は遂に攻撃の時が来たと歓喜に沸き、更に両派閥とは直接関係のない野次馬たちが四条眞妃が主犯であることを疑いようのない真実であるかのように吹聴して回ったことで事態を悪化させた。

 

これには自身の支持派閥集団と距離を置いていたかぐやと眞妃も動かざる得なかった。

 

すぐに派閥の主導格とコンタクトをとって事態の暴走にストップをかけ、また衆目の面前で和解する姿を見せることで収拾を図った。

 

トップである両者が素早く動いたことで全面的な抗争は避けられたものの、その行動には大きく二つの悪影響も伴ってしまった。

 

まず一つは四条眞妃が和解の姿勢を見せてしまったことで、彼らの世代において、四条は四宮に破滅を齎すという悲願を遂げられない可能性が示唆されてしまったことだ。

 

これにより、四条の内で何としても今代のうちに四宮を潰さんとする声が高まることになり、全面抗争へと大きく近づくことになってしまった。

 

そして残る一つは彼らが和解の姿勢を見せたことで両支持派閥の内より、トップ二人を日和見主義と見限って派閥を後にする者が多く生まれたことだ。

 

それ自体は大したことではない。寧ろ足並みを揃えられない者が抜けることは喜ばしいことなのだから。

 

だが問題は、その離脱者が向かった先である。

 

彼らの多くが新たに折原巡の支持派閥へと合流したのだ。

 

確かに折原という立場を考えれば当然の成り行きとも言える。古い名家としての格を持ちながら、一度没落して再起した経歴から新興勢力とも多くの交流があり、新たな価値観にも寛容。更にきちんと四宮への憎しみも持ち合わせている。両派閥の"代替品"として折原ほど魅力のある勢力は無い。

 

だからこそ成り行きとしては不自然ではないのだ。

 

この一連の事態が起きるということ、そのものの不自然さを除けば。

 

そもそも四宮かぐやと四条眞妃が争ったところで得をする人間はそう居ない。

 

学園における権力のヒエラルキーの頂点である彼女らの存在はそのまま学園内の秩序そのものとも言える。

 

彼女らの名を借り、その庇護下に置かれるからこそ、生徒の多くは無用な派閥争いから逃れることができていたのだ。

 

その秩序をわざわざ崩壊させるような今の事態を引き起こす意味など、殆どの生徒にとって存在しない。

 

そう、折原を除いて。

 

疑惑があるならば、やはり確かめておくべきだろう。

 

相手が敵か否か。

 

例え全ては後の祭りだろうとも。

 

 

 

 

『…そう、図書室ね。ありがとう』

 

事態が落ち着きを見せてから少し経った頃。

 

かぐやは折原巡の元へと向かっていた。

 

既に時間は放課後、日も傾き始め、校舎には薄闇が差している。

 

生徒の数は疎らで、舎内は彼女の足音が響くほどの静寂に包まれていた。

 

どうやら目的の相手は校内の図書室にいるらしい。

 

これからかぐやが相手に問い詰めようとしている内容を考えれば、人が殆どないだろう空間は好ましい。彼女としてはこれ以上の騒ぎが誘発されるような事態は避けたかった。

 

ほの暗い廊下を歩いて漸く図書室へと着いたその時、彼女は反対方向からこちらに向かってくるある人物の姿を捉えた。

 

『あ』

 

『…』

 

四条眞妃、今回の事態で大いに損害を被った人物の一人であるが、わざわざこの時間にこの場所へ来るということは、どうやら彼女もかぐやと同じ目的で来たらしい。

 

少なくともその剣呑な表情を見るに、ただ本を借りに来たというわけではなさそうだ。

 

『…あら、おば様もこちらに御用事が?』

 

『ええ、会っておかなくてはいけない人がいるから。貴女は?眞妃さん』

 

『ま、私もそんなところよ』

 

慇懃な態度で為される上辺だけの会話。

 

いつもならここで互いに悪態でもついて終わるところだ。

 

しかし

 

『…ねえ、勝算はあるの?』

 

平時と異なり、眞妃は少し逡巡しながらも、敢えてかぐやへと衒いを捨てた言葉で問いかけた。

 

それに少し意外そうな顔を浮かべつつ、かぐやも答えた。

 

『ないわよ、そんなもの』

 

はっきり言って状況はどうしようもなかった。

 

何故なら問題は黒幕が誰かとか、真実がどうとかではなく、四宮、四条の全面対決になり得る状況において、彼女らが積極的な争いの姿勢を見せられなかったことにあるのだから。

 

みすみす起こさせてしまった時点で、もう彼女らの負けは確定だったのだ。

 

『でしょうね……一応私も調べてみたけど見る?』

 

『いえ、結構よ。どうせあの子までは行き着かなかったのでしょう?』

 

『その通りよ…はぁー、全く嫌になるわ』

 

更にその意味のない真実さえも、探ることは困難だった。

 

件の女子生徒とその相手とのやり取りはウェブ上の匿名のコミュニケーションツールを介して行われており、IPアドレスを解析するのにかなりの時間を要した。

 

更に必死にアドレスを辿ったところで行きついたのはホテルなどに無断で設置された一枚板程度の簡易なコンピュータであり、通信はすべてそれらを経由して行われているようで、更にそれらは使用後に遠隔で内蔵のデジタルデータを全て消去されてしまっていた。

 

今後データの復元が叶えばそれ以上の追跡も出来なくはないが、それが出来た頃には相手に繋がる痕跡は消されてしまっていることだろう。

 

眞妃は頭を抑え、暫し夕陽に照らされた床を見つめる。

 

その様子に、話を先に進めるべくかぐやが声を掛ける。

 

『…入らないのかしら?』

 

『入るに決まってるわ。意味ないけど』

 

そうこれからすることに意味はない。

 

もう彼女たちの負けは決まっていて、話したところで何も変わらないのだから。

 

ただ…

 

『そうね。でもこのまま確かめずに終わらせるわけにもいかない。だから貴女も来たんでしょう?』

 

『まあね』

 

折原巡()のスタンスを確かめねば前には進めない。

 

図書室には殆ど誰もいないようで、至って静かだった。

 

さて、目的の折原巡だが、腕を枕にして机に突っ伏した状態で俯いていた。

 

微かに寝息も聞こえていることから、本当に寝ているらしい。

 

これには、さあ戦いだと勇んでいた二人も面食らうと共に気勢を削がれてしまった。

 

何にせよ、起きて貰わなければ話も出来ない。

 

かぐやは少し大きめの声で巡へと声をかけた。

 

『折原さん、少し宜しいかしら』

 

数瞬間を置いて、巡が顔を上げる。

 

その時、彼女の瞳がやけに鋭く見えたのは果たして気のせいだったのだろうか。

 

しかし、すぐに彼女はいつものような柔らかい笑みを浮かべ、優しげな声音で二人へと応えてみせた。

 

『………やあ、四宮さん、四条さん。お揃いでとは珍しいね』

 

とはいえ、寧ろ寝起きだというなら僥倖であったかもしれない。

 

眞妃はまず相手を揺さぶる為に、持参した一連の事態に関する調査資料を投げるようにして折原の目の前に差し出した。

 

勿論こんな資料を見せたところでどうにもならない。内容としては折原が関与した可能性を多少示唆する程度な上に、例えそれを証明できたところで意味はないのだから。

 

だからこれは単なるハッタリ。

 

しかし、多少の反応は見られるはずだ。

 

そう思っての行動だった。

 

『やってくれたわね』

 

『うわー、よく調べたね。大変だったんじゃない?』

 

『ええ、とてもね』

 

だが、それに対する巡の態度は非常に淡白で、表情のみならず態度や目線などからも一切心情の変化は読みとれなかった。

 

本当に何も感じていない。或いは隠すのが上手いのか。

 

分かりきっていたことだが、やはり彼女は相当に面倒な相手らしい。

 

『随分用意周到に準備していたようね。一体どういうつもり?』

 

『………参ったなー。何のことかさっぱりなんだけど』

 

引き続き問いかけてはみるものの、何ら明瞭な反応が返ってくることはなかった。

 

『しらばっくれることないわよ。私達を潰し合わせようとするなんて大それたこと、あんたぐらいしかやらないもの』

 

問い詰めるような、如何にも相手の命運を自分が握っているかのような言葉だが、当然これもハッタリだ。

 

確かな回答が得られずとも何らかの情動が見て取れるなら御の字というところだが、今の流れではそれも難しいかもしれない。

 

このまま続けても無駄かと眞妃は思い始めていた。

 

しかし、今回の巡の反応は先程までとは異なっていた。

 

彼女はパラパラと興味なさげに資料を捲っていた手を止め、頬杖をつきながら呟くように言葉を溢した。

 

『……潰し合ってんのは元からじゃん?私、関係ある?』

 

『っ…』

 

そこには呆れと僅かな怒りが込められていた。

 

初めて折原巡が明確に感情を彼女らに向けて表してきた瞬間だった。

 

頬杖をついたまま視線だけを二人に移し、彼女は続ける。

 

『私が居ようが居まいが君らが飽きもしないで争ってて、互いが消えるまでやり続ける事実は変わんないじゃん。私に何か言われても困るんだよねー』

 

その言葉に二人は怒りを覚えるも何も言い返すことが出来ない。

 

実際に折原の関与を証明出来てすらいない今、その言葉を肯定する他なかったからだ。

 

巡は少し姿勢を正してから頬杖をついていた方の手で資料を掴み、ヒラヒラと顔の横で振りながら小馬鹿にするような笑みと共に言葉を続ける。

 

『よく調べたねー、頑張ったねー、で?何して欲しいわけ?悪いんだけどさ、私が君らに出来ることって、なーんにもないんだよね』

 

勝者の余裕と共に存分に敗者をなぶる言葉の数々。

 

屈辱と共に眞妃らは改めて悟る。

 

やはり彼女こそ今回の首謀者だったのだと。

 

更にトドメとばかりに巡は資料を眞妃へと突き返し、再び視線を二人から反らしながら吐き捨てるように呟いた。

 

『君らさあ、私なんかに構ってないでもっと他に目を向けようよ。私に係ってる時間なんて君らにないと思うんだけどなー?』

 

巡は言い終わると共に鞄から携帯を取り出し、もう用事は済んだとばかりに弄りだした。

 

もはや彼女から得られるものは何もないと眞妃がその場を後にしようとしたその時、かぐやが口を開いた。

 

『一つ、いいかしら』

 

『…何かな?』

 

かぐやは折原の視線の交差しない瞳をしっかり捉えながら問いを投げ掛けた。

 

『◯◯さん、今どうしていらっしゃるのかしら』

 

それは件の離反者とみなされ、今は秀知院を後にしてしまった女子生徒の名前だった。

 

『…………ごめん、誰それ?』

 

巡は少しだけ考える素振りを見せた後、半笑いを浮かべながら真正全く心当たりが無い様子で答えた。

 

『…ありがとう、その答えで充分よ』

 

そう今日一番の冷たい声音で返して、かぐやはようやくその場を後にした。

 

折原巡は曲がりなりにも人柄に優れた情に厚い人物として秀知院では知られている。

 

その評判故か、彼女は自身の友人に限らず、多くの生徒から相談を受けることが多い。

 

件の女子生徒もまたその内の一人だった。

 

もし万が一にも彼女が偶然に疑わしい位置に居ただけの不運な部外者であれば、知っていると答えても何ら問題はないが、わざわざ記憶に無いと答えたということは、それ即ち彼女が今回の事態の関係者ということを示す半ば決定的な証左となりうる。だがそちらは今更重要ではない。

 

かぐやにとって重要なのは別のことだ。

 

もし評判通り情を重視する人間ならば先の質問をした際、多少動揺などがその顔に現れてもおかしくはない。

 

しかし折原巡の表情にそのような様子は全くなく、平静のままだった。

 

つまりは彼女はかぐやと同類なのだ。

 

四宮の在り方を叩き込まれた自分のように、自分に助けを求めてきた相手すら利用し、切り捨てることに何のためらいも持たない、他者を自身の駒としか思わない、そんな人でなし。

 

『…おば様』

 

その場を後にしながら、眞妃がかぐやへと声を掛ける。

 

云わんすることを理解してかぐやが応える。

 

『ええ、分かってるわ。このままだと四宮も四条も…』

 

折原巡は敵だ。

 

折原(あの子)に喰われる』

 

それも自身たちに並び得る難敵である。

 

 

……………

 

 

「書記ちゃんに関しては中等部の頃から疎遠になったみたいですね。色々と噂はありましたが、具体的に何があったかは知られていないようです。一応、二人が二重奏を解散した時期とも重なるので、そこと関連する可能性はありますが……いずれにせよ、周辺情報が少なすぎて何とも言えません」

 

「そう、ありがとう早坂」

 

白銀御行と折原巡の密会(?)を目撃してから数日後の夜、四宮かぐやは自身の侍従である早坂(はやさか)(あい)より巡に関する報告を受けていた。

 

まずは彼女の友人である藤原千花との関係に関してだ。

 

先日の尋常ならざる様子は気にしない方が無理というものだろう。

 

しかし、早坂の報告を聞くに彼女らの間に横たわる問題は契機が数年前にあり、更にそれだけの時間が経過しても消化しきれないものらしい。

 

周辺情報だけでは詳細が分からない以上、後は本人に話を聞く他ないが、先日のあの様子ではそれも難しいかもしれない。

 

「藤原さんとの関係についてはもういいわ。今すぐどうこうできる問題でも無さそうだから」

 

現状打てる手がない以上一先ずは保留にする他ないだろう。

 

それよりもかぐやにとってはもう一つの問題の方が喫緊である。

 

「それで、会長に関しては?」

 

「一応白銀会長の周りと、巡様の周りも感付かれない範囲で一通り探ってみましたが、全く何の噂もありませんでしたね」

 

「全く?」

 

「ええ、というより、浮ついた噂どころか会話しているところすら見たことがないとの意見もあるほどで、客観的視点から探るのはこれ以上難しいかと」

 

「そう…」

 

予想できた結果だった。

 

かぐやは折原巡の政治的動向に関して非常に警戒している。

 

故にこれまでも出来得る限り彼女に関する情報を収集せんとしてきた。

 

当然情報収集能力に長けた早坂愛にもこれより前から既にその周辺を探らせ続けていた。

 

その前提がありながら、先日の一件は寝耳に水だったのだ。

 

今更多少調査範囲を広げたところで得られるものは殆どないのが当然と言えた。

 

しかし、それでは困るのだ。

 

寧ろ噂にならないように彼女が立ち回っているのなら一層深刻だ。

 

わざわざ人目につかないようにしているのは、その姿を自身の派閥内の混院に反感を持つ生徒を刺激しない為だと思われるが、それはそうとして、問題はその行為自体だ。

 

人目を忍んでの密会を繰り返す男女。

 

そんなものはまるで恋人のようではないか。

 

次に打てる手はないか頭を巡らすかぐやに早坂は見かねたように、最も手っ取り早い手段を口にしてみる。

 

「……そんなに気になるなら直接会長に聞けばいいじゃないですか」

 

「出来るわけないでしょ!」

 

「………」

 

政治的やり取りに長けた主人は何処へやら。

 

早坂は昔からは考えられないかぐやの恋愛脳への変化っぷりに呆れると共に、少し嬉しくもなるのだった。

 

 

ーーーーー

 

 

……………怖っ。

 

何?何なの?

 

寝起きで超珍しく四宮かぐやと四条眞妃に話しかけられたと思ったら、めっちゃ詰められたんすけど。

 

てか、スパイ、ソッコーバレたんですけど。

 

そんでめっちゃ拗れたんですけど。

 

いや、全然そんな気なかったのよ。

 

だって原作に派閥争いとか、そんな、激しい感じじゃ無いし。

 

大したことにはならないだろうと思ってたんですよ。

 

何でこんな大騒ぎになんの?

 

私にはわからない…。

 

そんでさあ、スパイの子もめっちゃ可哀想な感じになっちゃって、初めからあんまなかった居場所が完全に消え去ったって感じで、いやマジゴメン。

 

ここ数日はずっとその子のフォローに回ってて、別の進学校への転校の手配とか制服買ったりとか、あと四宮と四条の奴らから親御さんが嫌がらせ受けると悪いってんで、ウチがサポートするように色んなとこに話つけて回ったりとか、コンクール直前以来ですよ、こんなにクソ忙しかったのは。超寝不足です。

 

いや冗談抜きで本当に申し訳なかった。

 

最後に会った時にあの子が、面倒な政治的やり取りからやっと解放されてせいせいしたって、言ってくれたのが救いかな。社交辞令だろうけどさ。

 

本当に軽率な行動だった。

 

てか、◯◯さんて、あれか!あの子か!今分かりましたわ!

 

ずっと下の名前で呼んでたから姓の方が完全に頭から抜け落ちてました。

 

◯◯さんっつったら親御さんの方しか思いつかなくて微妙に繋がらなかったっすわ。

 

まあ、どうでもいいですけど。私が知らないって答えて何か不都合があるわけでもないですし。

 

ていうか、四宮四条の問題はそっちで勝手に解決してくださいよ。

 

私関係ないでしょ。私居なくても勝手に争うの知ってんですよ。私は漫画読んでんですからね。

 

そちらのゴタゴタに私を巻き込まないで下さい。

 

私にどうこう出来ることは何一つないんです。

 

調子こいたの反省しますんで、頼むからほっといて下さい。

 

さて、反省してどうするかって話ですが、もうそりゃ慎ましく生きてやりますよ、マジでね。

 

正直あのお二方と関わるとキャラ萌えどころじゃなく、学園全体の環境に影響しそうなんで、もうそういうファン精神はキッパリ諦めました。

 

取り敢えず、私が荒らしてしまった学園に少しでも平穏を取り戻すべく動くべきでしょうかね。

 

舞台がぶっ壊れてちゃ、高等部以降の物語本編にも支障が出てしまいかねないっす。

 

とはいえ、幾ら私が慎ましくしよう、学園を良くしようとしても周りにそう伝わらないんじゃ、またあのお二方に絡まれる可能性があります。

 

周りに私が学園を荒らす意思がないとアピールできる肩書が必要なのです。

 

というわけで私は、

 

風紀委員になります。

 

 

ーーーーー

 

 

ここ私立秀知院学園も他の学校に漏れず数多くの委員会を抱えているが、その中でも抜きん出て過酷と言われている委員会が存在する。

 

それは風紀委員会である。

 

校則違反者の取り締まり、校内の見回り、また生徒間のトラブルの仲裁など、その立場に課せられた役割は一般的な学校におけるそれと大差ない。

 

が、問題はここ秀知院が決して一般的な環境ではないということだ。

 

通う人間の殆どは当然のように名家や有力者の子息子女。皆同じ制服に身を包んだ生徒という立場ではあるが、そこには確かに家同士の確執や、その格差が存在している。

 

不可視ながら確かな力を有する身分のヒエラルキー、それは言ってしまえば学園のもう一つの秩序の形なのだ。

 

しかし風紀委員はそれら一切をねじ伏せ、校則という平等なる圧政の下、全生徒を従わせなくてはならない。

 

圧倒的な難行、それどころか自身の立場を危うくする可能性すらある無謀。

 

だが反面、困難であるからこそ風紀委員という仕事は生徒の尊敬を集めやすい立場でもある。

 

歴代の生徒会長には風紀委員経験者も決して少なくない。

 

積極的に学園に貢献しようとする姿勢を見せられる風紀委員は生徒会長を目指す者の足掛かりとして、中々に魅力的な仕事だと言えるだろう。

 

そして今まさにその風紀委員に所属し、そして生徒会長を目指している少女が一人、放課後の学園の廊下を歩いていた。

 

彼女は伊井野(いいの)ミコ。

 

秀知院学園高等部一年生の彼女は同学年の学期末試験で常に一位を取り続けてきた秀才であり、また親に高等裁判所裁判官を持ち、本人も風紀委員に所属している、精励恪勤品行方正を地で行く優等生である。

 

そんな彼女だが今現在風紀委員会に充てられた委員会室へとちょっとした所用のために向かっていた。

 

既に時期は夏休み目前であり、委員会としての仕事もそれほど忙しくはない。

 

彼女の用事というのも取り締まりの活動記録について少し纏めておこうという程度であり、それほど時間を掛けるつもりはなかった。

 

が、その目論見は委員会室に辿り着いた時点で脆くも崩れ去ることとなった。

 

「失礼しま…けほっけほ」

 

委員会室の扉を開けた瞬間、伊井野はその場のあまりの埃っぽさに思わず咳き込んでしまった。

 

何故こんなことになっているのかと室内に目を向ければ、そこには彼女が尊敬してやまないある人物が、マスクに三角巾にエプロンを付けた状態で彼女の方を見ていた。

 

「おー、ミコちゃん。お疲れ。ごめん、埃っぽいよね。ちょっと待って」

 

「折原先輩、お疲れ様です。掃除ですか?けほっ」

 

「そ、夏休み前だし、折角だから節目にやっとこうと思って」

 

言いながら書類を脇に退け、窓を開けたのは秀知院学園高等部二年折原巡だった。

 

彼女も暇ではないだろうに、誰に言われるわけでもなくこういうことする姿勢に伊井野は身が引き締まる思いがした。

 

用事を終えたらすぐに帰る予定だったが、尊敬する先輩に一人仕事を任せるわけにもいかないだろう。

 

伊井野は巡の横に向かうと彼女が運んでいた備品を一部抱えた。

 

「手伝います」

 

「本当に?ありがとう、助かるよ」

 

「いえ、これくらいは。それにどうせ今日は暇だったので」

 

「悪いねー…ちょっと待ってね、今エプロンとか出すから」

 

彼女と伊井野ミコの付き合いは巡が中等部三年で風紀委員長を務めていた頃まで遡る。

 

元々伊井野はピアノを習っていた関係もあり、それより以前から巡のことを認知していた。

 

あの天才ピアニスト藤原千花に並ぶヴァイオリニスト界の天才にして、彼女のデュオのパートナー。更に互いに舞台上のみならず私生活でも交流のある大親友。

 

伊井野は藤原のことは当然として、巡のこともまた同様に尊敬していた。それは何より二人の関係性も含めて彼女が二人のファンであったことに由来するが、それはまた別の話だ。

 

とにかく長らく一方的に尊敬の感情を向けていた相手と急に近づける機会を得たことは伊井野にとって得難い幸運だった。

 

そして更に僥倖だったのは、折原巡という人物がその尊敬の念を何倍にも膨らませてくれるほど優れた人物であったことだ。

 

巡が風紀委員長となったその年、中等部風紀委員会は近年稀にみる高評価を叩き出した。

 

校則違反者は目に見えて数を減らし、一方で風紀委員会への生徒からの自主的な相談件数は過去最高を記録、その年の風紀委員会は生徒会以上の信頼度を獲得している状態と言えた。

 

巡自身は偏に風紀委員全体の努力の結果と言っていたが、伊井野は自身が注意しても何ら素行を改めなかった相手が巡の説得によって急激に態度を軟化させる場面を何度となく見ている。

 

その手腕に疑う余地はない。

 

加えて彼女は人格面でも優れていた。

 

人当たりがよく、物腰も柔らかく、頑ななところが全くないその在り方が相談者を多く生む一因だったろうことは想像に難くない。

 

事実、伊井野もまた彼女に幾度となく様々な悩みを打ち明けていた。

 

伊井野にとって折原巡とは憧れであり、恩人であり、そして誰よりも信頼する人物の一人であったのだ。

 

「今年始まったと思ったら、もう夏休みだよ。いやー早いね」

 

「そうですね。あっという間でした」

 

雑務をこなしながらの何気ない会話。

 

伊井野はそれも心地良く感じていた。

 

やがて話題は伊井野が長年目指して来たものへと移る。

 

「夏休み明けてすぐ10月には生徒会長選挙だよー、本当、月日の流れを実感するわ。…ミコちゃん、出るんだっけ?」

 

「はい。ずっと目標にしてきたので」

 

巡の問いかけに伊井野は間髪入れずに答える。

 

生徒会長、それは彼女にとって悲願ともいえる目標である。

 

長らくその役職自体に憧れていたことも目指す理由ではあるが、それとは別に、巡には伝えていないある目論見を達成するためにも是非とも勝ち取りたい肩書だった。

 

そうした決然とした伊井野の言葉に、巡はなぜか少し複雑そうな表情を見せた。

 

「そっかー…」

 

その姿に伊井野が疑問を覚える間もなく、巡はまた新たに別の話題を口にした。

 

「…そういえば、期末試験の結果見たよ。相変わらず凄いよね、毎回学年一位だなんてさ」

 

「いえ、そんな…たまたま、運がよかっただけというか…」

 

「ははは、謙遜下手だなあ」

 

褒められたことであからさまに表情を崩す伊井野に巡は苦笑する。

 

しかしその直後

 

「…でも実際、運がいいと見られてるかもね」

 

「…え?」

 

巡はそんな伊井野に対し、侮辱ともとれる言葉を口にした。

 

困惑する伊井野をよそに巡は言葉を続ける。

 

「現生徒会長が何故高等部からの編入生でありながら今の役職を勝ち取れたのか、分かる?」

 

「え、えっと…成績と…あとは…現生徒会長は人格に優れた人だと聞いていますし、それが理由ではないでしょうか?」

 

「ま、それもあるけど、それだけでなれる程この学園の生徒会長は安くない」

 

一瞬目線を伊井野へ向けてから巡は答えを口にする。

 

「一番の理由はさ、四宮かぐやに勝ったってことだよ」

 

「それはどういう…」

 

「ミコちゃんはあんまり詳しくないかもしれないけど、彼女は天才なんだよ。実態もそうだけど、ここで言いたいのはパブリックイメージのことね」

 

尚もあまりしっくりきていない様子の伊井野に再び苦笑しつつ、巡は少し間を置いてから口を開いた。

 

「彼女は幼い頃から様々な分野で輝かしい成績を残してきた。勿論勉学も含めてね。高等部一年までうちの学年の学期末試験一位は常に彼女のものだったんだよ。またその家格も日本有数。この学園においては並ぶ者がない。更にあの容姿だ。彼女は誰が見ても分かりやすい完璧人間なわけさ。加えて秀知院なんてエスカレーター式の閉ざされた空間であれば、その天才性への信頼はいよいよ揺るぎがたい観念となる。四宮かぐやは誰も敵わない絶対的強者、それがうちの学園における常識だったんだよ」

 

四宮かぐやの絶対性、それは学園内の政治に明るくない伊井野からすればやはりピンとこないものであったが、曲がりなりにも学園内で指折りの人望の厚さを誇る巡にここまで言わしめる程という事実には、確かな説得力があった。

 

「その常識を現生徒会長、白銀御行は打ち破った。それは純院混院に拘る生徒すら黙らせる、いや彼らだからこそ認めざるを得ない圧倒的な偉業だったのさ」

 

成程、確かにそれは偉業だ。

 

天才である四宮かぐや、即ち全生徒が認める非の打ちどころない人間を下した者が、その全生徒の承認を得られないはずがない。

 

伊井野が一人納得しているのを他所に、巡は言葉を続ける。

 

「翻って今の一年だけど、私が見た限りあの中に彼女に比肩しうるほどの天才はいない」

 

何気ない語調だった。

 

しかし伊井野にはその言葉がとても重たい響きを持っているように聞こえた。

 

「ミコちゃんは確かに凄いよ。毎回学年一位なんだからそれは誇っていい。でもね、その一位は君が思うよりずっと軽い」

 

伊井野は確かに足をつけているはずの地面が揺らいだように感じた。

 

確かな誇りにしていた一位の座が、自分の中で急激にその価値を落としていくのが恐ろしくて堪らなかった。

 

「そして次回の選挙、白銀御行がもう一度出てくる可能性が高い」

 

そしてその言葉に伊井野は思わず息を飲んでしまった。

 

「四宮かぐやを下し、更に生徒会長として稀に見る支持率を叩き出した彼だが、まだ上はある。中途入学生で二回目の生徒会長当選という偉業を成せば、彼の名はいよいよ秀知院の歴史に絶対的なものとして刻まれる。秀知院が日本の中枢を担う人間を多く排出してきた実績を持つ以上、卒業後の人生において強力なアドバンテージとなるだろうからね。彼ほど向上心に富んだ人間なら充分にあり得る話だ」

 

その可能性も考えなくはなかった。

 

しかし、それでも自分が彼に劣る要素はないと、伊井野は思っていたのだ。

 

だがもし巡が言うほどのアドバンテージの差が存在しているとすれば、果たして自分は…。

 

「君が勝つには成績だけじゃ多分届かない。正直言ってかなり厳しい戦いになるだろうね」

 

伊井野は悟った。

 

自分のやろうとしていることが如何に無謀か。

 

きっと尊敬する先輩も自分のそんな無様さを案じてこういった話をしてくれたのだろう。

 

でも、それでも…。

 

憧れが行き詰まり、理想が追い詰められていく。

 

伊井野がたった今突きつけられた現実に打ちのめされようとしていたその時。

 

「ただ、私は君がなれないとは思わない」

 

何でもないような調子でそんな言葉が響いた。

 

いつの間にか俯いていた伊井野が顔を上げると、尊敬する先輩が彼女に優しく微笑んでいた。

 

「ごめんね、脅かしちゃって。でもそれだけ気合いを入れて臨んで欲しいんだ。君には期待してるからさ」

 

期待している?折原先輩が?私に? 

 

たった数言で伊井野の心境は一気に上向き始めた。

 

「君が凄く頑張り屋さんで、周りを思ってる優しい子なのはよく知ってる。後は皆にもそれを知ってもらうだけだ。まあ、それが難しいんだけどね」

 

言われた言葉が伊井野の内で何度も反響する。

 

先ほどまでの暗い気持ちは綺麗さっぱり消え失せ、尊敬する先輩に自身を肯定する言葉を続けざまに浴びせられたことで伊井野の内心のテンションは異様なほど高まっていた。

 

「君ならなれる。だから頑張って。応援してる」

 

「はい、頑張ります!」

 

その答えには確かな力が籠っていた。

 

先に述べた伊井野ミコが折原巡にも伝えていない目論見、それは折原巡と藤原千花を共に自身の生徒会に迎え、その場を利用して二人の仲を修復することだ。

 

二人がデュオを組まなくなった理由は定かではないが、伊井野は以前、巡に対して藤原の話題を振ってみたことがあり、その時の反応から二人の間にそれまでの彼女らの友情を破壊する何かがあったのだろうとは察していた。

 

伊井野の目論見には尊敬する二人を自身の傍に迎えたい、またあの二人の二重奏を聴きたいという下心もあるが、一方で巡に対する恩義に報いたいという思いも確かにあった。

 

だからこそ、そのためにも自分は負けられない。

 

伊井野は生徒会長選挙に向け、決心を固くするのだった。

 

 

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