S級勇者の友人A【書籍版発売中】   作:丁字

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聖騎士マティアスと瓶詰の事実・中編

 夜半の少し手前のことだ。

 務めを終え、部屋に下がった私は今日という日の出来事を反芻していた。

 

 寝台に腰かけ、傍らの友――枕元に置かれた仔山羊のぬいぐるみに手を伸ばす。

 緻密に織られた布地のさらさらとした感触を指先に感じ、私の心も心地よく冷えていく。

 

「ユリウスとは、十年ぶりに会ったんです」

 

 私は物言わぬ友に話しかける。

 自分の中に降り積もるものを言葉にするのに、こうすることが最も具合がよいとある時気づいたからだ。

 

「あまりいい別れ方でなかったので、元気そうで安心しました。ですが……」

 

 仔山羊の目がきらめく。

 捻角牛の角を磨いて作ったボタンは、飴色と黒の部分を上手く象嵌してあった。

 

 私は燭台のろうそくを吹き消す。

 あたりは柔らかな闇に包まれ、私は膝の上の友の柔らかな感触を手に遊ばせながら語る。

 

「そうなんです。今日、ユリウスがやって来たことも、その身なりが立派だったことにも驚きました。けれども、一番意外だったのは彼の態度がにこやかだったことです。てっきり、私と……そして伯父に失望したのだと思っていたものですから」

 

 ユリウスが寺院に流れ着いたのは、当時村に蔓延していた流行り病が理由だった。

 当初は誰にも馴染もうとしなかった彼が心を開いたきっかけは、私もまた母を同じ病で亡くしたと知ったことだった。

 

◇◇◇

 

「そうか、君もそうなんだ」

 

 ユリウスの頬に赤みが差し、見開いた瞳に光が宿る。

 

 ――私が喪ったのは実の母で、その前年に父も仕事の最中に事故で世を去っている。

 あなたは確か、両親の顔を知らないはずでは。

 ここにやってきた理由も、預け先を点々としたあげく、最後に辿り着いた先の夫婦が病を得て手放されたためだ。

 

 当時浮かんだ想いを敢えて言葉にするならそのようなものだろう。

 しかし当時の幼い思考は曖昧に像を結ぶばかりで、形あるものとして口にすることは叶わなかった。

 

 結果、どう受け答えしたものかわからなかった私は、ただ彼へ肯いて返す。

 

「君と俺は一緒なんだね」

 

 彼の声音には蜜を味わうかのような喜ばしさが溢れていた。

 

 以降、彼はその言葉に違わず、常に私に付き従っていた。

 その全てを模倣するように。

 いつか同じものになれるのだと、信じて疑わないかのように。

 

 ――かくん、と俯いた頭が落ちて意識を取り戻す。

 いつの間にか、私の思索は夢の中に分け入っていたらしい。

 

 膝の上からずり落ちかけていた仔山羊の縫いぐるみを抱え直し、ぽんぽんと叩いてみる。

 詰め物の偏りもなく、その身はふっくらと丸みを帯びている。

 満ち足りた赤子のように。

 

 枕元を手で探り、ハンカチを敷いた一角を見つける。

 それは友のための居場所で、私はそこに仔山羊の縫いぐるみを腰かけさせる。

 

 寝台に横たわってからも、思い返すのはユリウスについてだった。

 

 彼の思い定めた人生は、その後、ひとつの破綻を迎える。

 

 きっかけは私の進学だ。

 十五歳を迎えた私は、本格的に聖職者となる学びを得る為に神学校へ通うこととなった。

 

 聖職者の育成施設が併設されるのは、高位祭司の座す寺院に限られる。

 私もまた、王都の大寺院の宿舎に身を寄せ、そこの学問所に通う手はずとなっていた。

 

 つまり、この寺院を出る日が近づいていたのだ。

 比較的頻繁に顔を出せる距離ではあったし、事実、そうなってはいたのだが。

 

 その時はまだ、ユリウスも落ち着いた態度であった。

 

「俺も必ずお前に続くから」

 

 と、告げた彼の眼差しは揺らがず、決意に満ちているように見えた。

 

 寺院に戻る度に、彼はしきりに学びの場の話を聞きたがった。

 問われるままに語る祈りの日々について、彼は熱心に聴き入っていた。

 言葉をその身に染み入らせるように、我がことであるかのように。

 

 しかし入学資格を得る年齢を迎えても、彼はやって来なかった。

 

 寺院祭司である伯父が、ユリウスは聖職者として不適格と判断したのだ。

 推薦状は身上書も兼ねている。

 それがなければ、孤児にはどうすることもできない。

 

 私に続いて神の道に進みたがっていた彼は、どれほど失望したことだろう。

 いくらも経たず、彼は誰にも告げず孤児院を去ったそうだ。

 夏の終わりのことだった。

 

 けれども私は知っている。

 ユリウスの出奔の理由がそればかりではないことを。

 

 正確には、知らされたのだ。

 後年、ユリウスから手紙が一通だけ届いたからだ。

 

 様々な伝手を辿って聖堂騎士団にもたらされ、どこから出されたものかも定かではない封書。

 中には便箋が一枚きり、ただ一言『俺の宝物はお前たちに埋められた』と記してあった。

 

 ……ふと、暗闇の中で私は目を開く。

 彼の告げた意味を、今にして悟ったためだった。

 

 子供時代に、こっそりと彼が見せてくれた『宝物』に思いをはせる。

 そっと撫でた時の柔らかな感触と温かさ、そして無垢な眼差しも。

 

 以降の数日間は概ね平和に過ぎ去っていった。

 

 けれども孤児の間には常にかすかな緊張感が漂っている。

 ヤンは形見の護符を失くした一件以来、どこか他人に壁を作っていた。

 

 今やあの子は、護符を誰かが盗んだものだと信じて疑っていない。

 けれども私と伯父の手で孤児の一人一人に聞き取りをしたところによれば、盗みを認めたものはおろか、それらしき素振りを目撃したものもない。

 

 そのことをもって全員の潔白の証明にはならないかもしれないが、疑うに足る根拠もまた、薄い。

 

 しかし、事実を誰がどう諭したところでヤンが揺らぐことはないのだろう。

 表面上は態度を改めたとしても、心に巣食う疑念が晴れることは決してない。

 

 これは他の誰でもない、彼だけの傷だ。

 だからこそ、彼自身の手でしか乗り越えられない物事だった。

 

(ユリウスはどうだったのだろう)

 

 世俗の世界に飛び出した彼の十年間を思う。

 その傍らには、常に寺院への……伯父と私への失望感があったのだろうか。

 

 程なくして私は勇者ギルドの一員として寺院を出立した。

 帰参するのは、数か月後――の、予定だった。

 

「おやマティアス」

 

「ただ今、帰参いたしました」

 

 私を出迎えた祭司(伯父)が目を丸くしてこちらを見上げている。

 次は季節がめぐる頃に来ると告げて出立した甥がひと月もしないうちに再びやって来たためだろう。

 

「勇者一行としての務めは大丈夫なのかい?」

 

「はい。現地での任務がつつがなく解決いたしましたので。後始末も問題なく、であるならば、これ以上長居することもありませんから」

 

「そうか。順調ならなによりだ」

 

 私は敢えてユリウスの再訪があったかどうか、問うことはなかった。

 このように運んだということは、ここに私が在ることに意味があるためだから。

 

 晴れ渡った空高く、一つかみの巻雲が浮かんでいる。

 つややかな赤い実をつけた木の下に立って私は彼を待った。

 秋風にそよいだ葉擦れの音が、ささやかな庭を満たす。

 

 そうして木戸が開き、さくさくと下草を踏みしめる音が近づく。

 

 ユリウスはリンゴの木に歩み寄ると、幹に手を当てて私を見た。

 枝には果実がたわわに実り、しだれるほどになっていた。

 

 ユリウスは真紅の実をじっと見つめてから、視線を脇に――木と隣あう位置の窓へと向ける。

 

「ここはまだ祭司(せんせい)の部屋なのかい?」

 

「ええ。部屋割りは変わっていません」

 

「それじゃあ、リンゴが熟してもおいそれと盗み食いはできない訳だ! 俺が居た頃はまだ苗木だったのが心残りだったが、世の中にそうそう美味い話はないものだな」

 

 確かに、このリンゴに手を出す子供は誰も居なかった。

 寺院に引き取られたばかりの者が果敢に挑むことはあったが、それは――。

 

 ユリウスが私をじっと見ていることに気づき、思索を切り上げた。

 目が合った途端、彼はふいと視線を逸らして再び木を見上げる。

 絡み合う枝の間から梢を見透かすかのように。

 

「マティアス」

 

「ユリウス。私は――」

 

「頼みがあるんだ」

 

 私の言葉を遮り、ユリウスは告げた。

 ひそやかな囁き声はどこか濁り、ざらついている。

 

「リンゴの実を俺にくれないか。いや、許してくれなくても構わない。祭司(せんせい)の目があるならば、押し通ってでも俺はこれを食べなければならない」

 

 私は木の横、枝が覆いかぶさる位置にある窓へ視線を送る。

 伯父は今、孤児たちに手習いを教えている。

 この場の出来事を咎めだてする者はない。

 

「構いませんよ」

 

 私はよく陽の光を受けた、特別紅く色づいた実をもぎ取った。

 差し出されたリンゴを震える手で受け取ったユリウスは、急き立てられるように実の表面を服で拭い、かじり付く。

 

 涼やかな風が吹き抜ける。

 表情を凍り付かせていたユリウスが、はたと自失に気づいたかのような素振りで、二度、三度と咀嚼する。

 口内の果物の欠片を、たっぷりと時間をかけて味わってから、飲み込む。

 

「ユリウス、美味しくないでしょう。この実は硬くて、酸っぱくて、とても食べられたものではないんです」

 

「――そんな、そんなはずは」

 

「そうですね、あなたの中ではこの木に実る果実は甘くなければならない。あなたの宝物の血肉を吸ったのだから」

 

 

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