青い残影を求めて   作:イナブ

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〈第十四話〉甘さの消えたクッキークラム

  

「それで先生は…給料の使い方が変な方向に思い切りが良かったんです… !特に月末になれば、フィギュアやゲームの課金などで食費がなくなるなんてこともあったんですよ!?」

 

「そ、そうだったんだねぇ〜…」

 

 私は目を見開きながらも苦笑いを浮かべていた。

 想像していたよりも遥かに、弟の実態がひどかったらしい…

 

「ふふ、ユウカちゃん。それで先生の家計簿まで付けていましたもんね?」

 

「えっ!?本当に!?」

 

「ちょっ…!?そ、それは言わないでよ、ノア…!」

 

 私はノアちゃんと一緒にバターの香るクッキーを口に運びながら、ユウカちゃんから弟に関する話を聞いていた。

 ユウカちゃんが慌てて赤面するのを、私は思わず目を細めて見つめる。 

 口元には自然と緩んでおり、クッキーを一口齧るたびに、バターの甘い香りが口いっぱいに広がる。

 でも、聞こえてくる話のインパクトは、その甘さを打ち消すほどの勢いだった。

 

 どんな内容が飛び出してくるか内心ソワソワしていたが……うん。

 …いきなり、中々濃いエピソードが出てきたぞ?

 …家計簿まで付けさせてたのかよ…何してんだよ、アイツ?

 どんだけ生活壊れてたんだ…そりゃあ、ユウカちゃんもここまで感情的になるわけだ…

 

「(……アイツって、そんなに無駄遣いが激しかったのかよ…)」

 

 私は唖然としながらも、クッキーをもう一つ指先で摘み上げた。

 今さらながら、アイツがどのくらい周囲に世話をかけていたか、ひしひしと実感する。

 

「…まさか、弟の金銭管理がそこまで壊滅的だったなんてね……な、なんかユウカちゃんには手間をかけさせてたみたいで…ごめんね?」

 

「い、いえ!そんなことは…ですが四ノ崎さんも、先生のお金遣いの荒さに頭を悩ませたんじゃないですか?先生…1日に十数万を使ってしまうこともザラにあったんです…」

 

「(じゅ、十数万…!?そんなに…!?)」

 

 私は思わずクッキーを咀嚼する手を止めた。

 視線がユウカちゃんへと自然に戻る。

 

 ちょっと待て……さすがに限度あるだろ、アイツ。

 それはもう生活じゃなくて、破滅だろう?

 これは…ユウカちゃんが管理を行ってくれていた理由も納得がいく。

 …というか、いくらなんでも、こんなに金遣いが荒かったか…?

 

「あー…それは見てると心配になるね…?うーん…私の知ってる弟は、たしかにフィギュアとかを集めるのが好きだったね?他にも家には色んなゲームが置いてあって、私もよく入り浸ってたし…でも、そこまで自分を追い込むお金の使い方はしてなかった気がするね…」

 

「そうだったんですか…」

 

 そのやり取りを聞いていたノアちゃんが、クッキーをそっと皿に置きながら、小首をかしげるようにして私の方へ視線を向けてくる。

 …まぁ、アイツにどうこう言ってたが、私はふと自分の財布事情を思い返してしまう。

 ……苦い思いを抱きながらになるが…

 

「(……でも私からアイツのこと、あまり強く言えないなぁ…料理なんてほとんどしないで、外食やコンビニで食事を済ませてるから、気づけば通帳の残高が減ってるし…)」

 

 ユウカちゃんの話を聞く限り、アイツは本当にギリギリの生活をしてたみたいだなぁ…

 だが私も、口には出さなかったが、弟と同じ血をしっかりと受け継いでいる気がする……しかしだ。

 

「(……生徒に家計簿を管理されるなんて、本当に何してんだか…)」

 

 …さすがの私でも、そこまで切り詰めたり、他人に支出の管理を心配されるほどではないぞ…?

 内心呆れながらこう思っていたが、私は次にユウカちゃんの会話を微笑んで聞いていたノアちゃんに質問を向けてみる。

 

「…ノアちゃんも弟と交流してて、なんかこう…迷惑かけられてなかった?ユウカちゃんの話を聞いてたら、一気に不安になってきちゃってさ…」

 

 私はちょっと身を乗り出し、ノアちゃんに問いかける。  

 すると、ノアちゃんは一瞬考え込んだあと、首を横に振って答えた。

 

「…いえ、特にそういったものは…私は、先生によく個人的な相談に乗ってもらっていました。ですので、あまり先生の生活の深いところまで、知る機会はなかったですね?」

 

「そ、そっか……ちょっと、少し姉として安心…」

 

 だが、胸をなでおろしたのも束の間、ノアちゃんが静かに続けた。

 

「先生は、私室の模様替えを手伝ってくれたり、看病してくれたり…ごく自然に、そうしたことをしてくださる方でしたよ?」

 

「……んぇ!?それはなんか、深くない…?!」

 

「…!?ノ、ノアって、そこまでのこと先生にしてもらってたの!?」

  

 ユウカちゃんがノアちゃんの発言に驚いて身を乗り出す。

 しかしノアちゃんも、その反応が来るのが分かっていたように、揶揄うように口元を絡ませながらユウカちゃんの方を向いた。

 

「…あら?ですが、ユウカちゃんも同じようなことを先生からしてもらって…」

 

「な、ないわよ…!!」

 

「…………」

 

 私は2人の様子を横目に、表情が固まっていた。

 ……この子たちに何してたんだ、アイツ?

 いや、マジで言葉が出てこない……距離感のバグが起こってないか?

 聞いた話の中のアイツと…私の知ってるアイツと同一人物なのか、怪しく感じて急に現実味が遠のいた。

 

「……うん…生徒のみんなとの交流が、かなり深かったみたいだね?でも……多分だけど、2人以外の子たちにも同じように接してたんじゃないかな?」

 

 視線を落としながら、そっと呟いた。

 すると2人は互いに顔を見合わせてから、頷き合った。

 

「…!…たしかにそうです。ミレニアムでは、よく問題が起こりますが、その度に先生にはお力添えをいただきました。その時も、時間をかけて生徒との交流していましたね?」

 

「…そうですね?先生はミレニアムだけでなく、他校の多くの生徒とも良好な関係を築いていました。生徒一人一人と深く関わることが、その関係性の構築に深く関わっていたのは、たしかですね?」

 

 彼女たちの真っ直ぐな眼差しが、眩しく感じる。

 私はわずかにそれから逃れるために、視線をそらした。

 

「(……一人一人と深く関わる…か…)……そっか。」

  

 …この子たちは、アイツとの時間を嫌ものとして捉えてはいない。

 アイツが生徒や自分のプライベートに入り、入らせたりしていたのは…いわゆる『信頼の裏返し』なのかもしれない。

 話を聞いていた私は、弟のことをまるで『少しだらしない人間』だと決めつけていた…

 

 ……ちゃんと向き合っていたんだ、生徒たち一人ひとりに。

 

「お姉さんは、先生のお家に入り浸っていたと言っていましたが、本当に仲の良い姉弟だったのですね?」

 

「……はは、そうかな?」

 

 私は苦笑しながら頷いた。

 記憶の中で、同じ部屋で溶けるように、2人でだらけていた情景が浮かび上がる。

 

「たしかに、高校までは同じ家で暮らしてたけど、さすがに大学からは別々で……まあ、同じ大学だったから、特に変わらず弟の家にお邪魔してたかな?だから仲は…たしかに、良かったかも?」

 

「しかし、先生からお姉さんのお話しをお聞きしたことがなかったです。ですので、キヴォトスに来たと聞いた時は本当に驚きました…」

 

「そうだったわね?…少し気になってはいたんですけど、先生は自分のご家族に関しては、あまり私たちに話すことはなかったんです。個人的に四ノ崎さんは先生と連絡を取り合ったりなどはしていたんですか?」

  

 私は少しだけ目を伏せた。

 クッキーを指先で軽く転がしながら、小さく息を吐く。

 

「……いや、ここ数年は疎遠だったよ。…実は大人ってね?独り立ちすると、自然と周りとの関係が希薄になるんだ。」

 

「……えっ?そ、そうなんですか…?」

 

 ユウカちゃんとノアちゃんは互いに顔を見合わせた。

 …その仲睦まじさは、私から見ても羨ましく思えるくらいだ。

 だからきっと、この2人はいま私の言った言葉には該当しないと思う。

 

 これは……1人の人間の小話のようなものだ。

 

「…ふふ、意外だよね?でも、これは残酷な事実で…それは家族でも例外じゃない。…だからなのかもしれないね……弟の近況も、亡くなったという知らせが来るまで、何一つ知らなかった…」

 

 言葉の重さが、部屋の空気をわずかに沈めた。

 言いたくはなかった、知られたくなかった。

 理由は色々あれど、私はアイツと一悶着あってから一度も会っていなかったという理由は、2人には話さない…

 

 ……いや、違うか。

 私がこれ以上思い出したくないし、話したくないだけか…

 でも、これでいい…留めておこう、ここで。

 

「…まっ!こんなことがあったから、私からできる弟の話に関してはあまりないんだよねー…?気になってたら申し訳ないけど…ごめんね?」

 

「い、いえ!四ノ崎さんが謝ることではないですよ!」

 

「はは、ありがとうユウカちゃん…少し重い話しちゃったし、切り替えるためにもう少し、2人から見た弟の話が聞きたいな……いいかな?」

 

 私にとっては、慣れた作り笑顔だ。

 興味を逸らす…それはさりげなくでも、苦笑を浮かべるのが効果的だ。

 

「…はい。もちろんいいですよ。」

 

 差し出した笑顔に、2人が柔らかく頷く。

 温かなクッキーの香りの中で、私は少しだけ過去を思い出さないように目を閉じた。

 

 ……今はもう少し、楽しい話をしよっか。

 

*******

 

 それから私たちは弟がミレニアムでしていたことについての話を聞いていた。

 問題を処理する立場ということもあり、話しているユウカちゃんのため息が多くなっていたが…

 

「……♪」

 

 …でも、さっきからノアちゃんの視線が気になるな…

 なんで、私とクッキーやお茶を交互に見ながら、微笑みを浮かべているんだろう…?

 

「えーっと…ノアちゃん?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「いやぁ…なんだかジッと見られている気がしてね?何か私を見て気になることがあったかな…?」

 

 負傷しているとはいえ、変に心配させないように肌が見える範囲の湿布は外している。

 そのため、この視線が一体何を意味しているのか、それだけが分からずいた。

 

「いえいえ。ただ、突然お邪魔した私たちに対して、ここまでおもてなしをして下さるとは思いもしなくて…」

 

 悪戯に笑いながら、ノアちゃんは意味深にそう言葉を口にする。

 一体どういうことだろうか……ここまでの、おもてなし?

 しかしその表情……なんだか、ノアちゃんに試されてる気がする…

 でも…やっぱり、この意味が分からない…

 

「うーーん……んん…?……いや、そこまで言われるようなことしてるのかなぁ?」

 

「あら、そうなのですか?こんなに豪華なお菓子やお茶をお出ししているので…つい、このような言葉が出てしまいました♪」

 

 ………んんー…?

 豪華なお菓子…って、まさか今食べてるこのクッキーやお茶のこと…?

 まぁ、今まで食べたことのないくらい、物凄く美味しかったけど…

 

「…あれ?ノアに言われて私も思い出したけど…もしかしてこれって、この間の『イースターエッグコンテスト』で最優秀賞を取ったクッキーじゃない!?」

 

「あら、ユウカちゃんも気付きましたか?」

 

「イースターエッグ…コンテスト…?」

 

「はい、トリニティで行われた最大規模のスイーツコンクールで、ユウカちゃんが言いましたが、これは最優秀賞を取ったものなんです。超高額で限定販売されたのにも関わらず、即完した幻のお菓子…まさか、口にすることできるとは…」

 

「へ、へぇ…キヴォトスにいるこの子たちが驚くほどのものなんだね、これ…」

 

 そういえば、プラナちゃんはトリニティは特にお菓子が物凄く美味しいって言ってたなぁ…

 …お嬢様学校のため、その分お菓子やら何やら色々と割高らしいが…

 そんな場所で開かれた最大規模の大会の最優秀作品…限定……超高額…

 

「………んん?」

 

 ノアちゃんの言葉を思い返しながら、私は口元に運んだクッキーのサクッとした食感と、舌にまとわりつく濃厚な甘さをじっくりと楽しんでいた。

 だが……その瞬間、私の顎が止まった。

 咀嚼が止まり、舌の上でとろけるはずの味もどこかへ吹き飛ぶ。

 

 …ちょっと待って?

 今、私が口にしているこれ……何かもう、やたら強そうな漢字とカタカナが合体した、超レアな限定お菓子じゃなかったっけ…?

 

 そこまで考えたとき、頭の隅からじわじわと湧き上がってくる疑念。

 

 ——これ、いくらしたの…?

 

 いや、ダメだ…これは絶対に聞くべきじゃない。

 きっと後悔する。

 知ってしまえば、何もかもが台無しになるやつだ。

 …だが、これも人間のさがだろうか……やっぱり…気になる…

 

 はぁ…もう……人間の好奇心って、なんて厄介なんだろうね…?

 

「……ね、ねぇ、ノアちゃん…?このクッキーについてなんだけど…どれくらいの値段で販売されてたの…?」

 

 あーぁ……なんで聞いてしまったー…私はー…

 脳内で、理性が両手を合わせて止めてきてたけど…全てが遅い。

 もう後戻りはできない…それにしても、なんでだろう?

 今まで濃厚なバターの味が口に広がっていたのに、急に味覚がなくなってきたぞー…?

 

「…あら?やはり、ご存じなかったのですね?」

 

「う、うん…さすがに今日、キヴォトスに来たばかりだからね…?」

 

 ごまかすように笑ってみるけど、口元が引きつってる自覚はある。

 カップの中のお茶に逃げたくなるくらい、胃がきゅっと締まってきた。

 

「…そういえば、すぐに売り切れたって噂では聞いていたけど、私も値段とかについては知らなかったのよね?ノアは、詳しい部分も把握しているの?」

 

 ここへきて、ユウカちゃんまで便乗してきてしまった。

 ダメだ…完全に聞く体勢が整ってしまったな、これ…もう逃げられない。

 

「…はい。個人的に興味があったので少し調べていたんです。味はもちろん非常に好評だったようです…しかし、ここまでかなりの金額に登ったのは、とある理由があるそうですが…今は割愛させていただきます。それで、このクッキーの値段についてなんですが…」

 

 ノアちゃんが一拍置いて、口元に手を添えながら、静かに言った。

 本人もすごく困ったような顔をしてる…いや、もうこれはそういうことじゃないか…

 い、いや……まだだ…

 まだ、私の精神にヒビが入るほどのものにならない可能性は大いにあるはずで…

 

「……〇〇万円だそうです…」

 

「グフッ…!!(私の給料の、1ヶ月分…!?)」

 

「えっ…!?コレ、そんなにしたの!?」

 

 喉に詰まる、甘さのなくなったクッキーの残骸たち。

 呼吸が乱れて、目の前がぐらりと揺れる。

 思わずテーブルに手を突き、ガタッと音が響いた。

 

 …これ、6ケタを超える額だったらしいけど……いや…嘘でしょ…?

 聞いたことすらない値段……そんな本当にお菓子、存在するの…?

 

 しかも、確かにさっき、私はそのクッキーを惜しみなくお皿に並べていた。

 ざっと見ても、開けたのは二箱で………待って、それなら値段も2倍…!?

 

 しかも食べる時にいつもの癖で積み上げてたけど…今思えば美術品を積み木代わりにしてたようなもんじゃない…!?

 

「だ、大丈夫ですか!?は、はい、お茶です…!」

 

「あ、ありがとう…!」

 

 差し出されたお茶を一気に流し込む。

 はぁ……染みる……心に……優しい味だ……

 

「…ちなみに、たしかそちらのお茶も○万円でしたね?」

 

「お茶もって……え、うそでしょ…!?」

 

「ゴフッ…!?(これ…家賃並じゃん……!?)」

 

 言葉にならない悲鳴が再び喉の奥で炸裂する。

 あぁ、胃が……胃がキュッて鳴ったぁ…

 

「お、お姉さん…!?」

 

 ユウカちゃんが半ば慌てながら背中をさすってくれるけど、私の表情筋が全て停止し、ただ遠い目をしていた。

 …頭の中では、今、銀行口座の残高が現実と照らし合わせられている…

 口の中には、たしかに贅沢の味がまだ残っていた。

 でも、その重みを知ってしまった今、私の心は……もう、甘さを受け止めきれなかった…

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