青い残影を求めて   作:イナブ

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〈第十五話〉付加価値では測れないもの

 

「ご、ごめんね……き、聞いたことない値段に驚き過ぎちゃった…」

 

 私は震えながら静かに座り直し、手元のクッキーとお茶を見つめた。

 まるで、それが何か神聖な美術品であるかのように…いや、それ以上の価値を持つ存在のように…

 どうしよ……なんか、急に金塊のように輝いて見えてきた…

 それはもう、バターや茶葉の香りではなく、『資産』の香りがしてくる気さえする…

 

 ……もう、気軽に触れる事すらできなさそう…

 

「し、仕方ありませんよ…たかがクッキーやお茶が、そんな値段になるなんて誰も思いませんから…」

 

「うぅ……あ、ありがとう…」

 

 そっと視線を上げると、ユウカちゃんが気遣うように声をかけてくれた。

 ほっとしたけれど…やっぱりまだ心臓がバクバクしているよ…

 

「…でも、私もこの味は好きです。優しい味がしますからね?」

 

「た、たしかに美味しかったけど…!しょ、正直…私の舌は、今ので一回壊れたかもしれないよ…」

 

 も、もう…私にはユウカちゃんとノアちゃんが癒しだ…

 目の前のクッキーと湯呑み、なんか…私を見て笑ってるように見えるんだけど……幻覚じゃないよね…?

 

「それにしても、本当にすごい値段ね…?さすがはトリニティって感じだけど…」

 

「そうですね…こちらは、ミレニアムからでも購入は可能でしたが、数分で完売しましたので、今やプレミアがついて……おそらく現在の市場価値では、もっと高額かと…」

 

「グフッ…!!ノ、ノアちゃん…!?2回刺してくる必要はないんじゃないかな…!?」

 

 ユウカちゃんの純粋な疑問に、付随してやってきたノアちゃんの追撃。

 このユウカちゃんの無垢な驚きが雷なら、ノアちゃんの分析は刃物だ。

 この鋭利な2度目の衝撃に、今度は頭がぐるぐると回り始める。

 もうこれは、もはや贅沢とかのレベルではない…『供物』だ…

 

 ……いや、どこの貴族の午後ティーだよ…!?

 

 ていうか、あれだよ……これ、もしかしなくても今までの人生で口にした『食べ物』の中で、圧倒的に最高額だな…

 

「だ、ダメだ……私…もう弟のこと金遣いの荒さにどうこう言えないよぉ…」

 

 ソファに体を横に倒して、震える声で本音が漏れ出る。

 もう、更新されたよ…銃撃に巻き込まれた時以上の衝撃だよぉ…

 金額の衝撃だけで、私の今までの人生観にヒビ入ったよ……

 

「お、落ち着いてください、四ノ崎さん…!もともと歓迎のために置いてあったなら、四ノ崎さんには金銭的ダメージはないはずです!」

 

「ご、ごめんなさい。お姉さん、ユウカちゃん…私もここまで取り乱すのは想定していませんでした…」

 

 もー、ダメだ……いや、確かに自分の財布から出したわけじゃないよ?

 それはちゃんと分かってる…だけど、コンビニ弁当と冷凍うどんで構成されてる私の体には、刺激が強すぎたよぉ…

 な、何か……この衝撃でできたヒビの隙間を埋めれる話題はないのかな…

 

「うん……大丈夫だよ…ユウカちゃん、ノアちゃん……少し、頭を休ませれば落ち着くはずだがら……でも何か…この動揺を落ち着けさせてくれる弟の話ってないかな…?」

 

「(こ、声から力が抜けきってる…!?)ちょ、ちょっとノア…!さすがに四ノ崎さんのことを驚かせすぎよ…!完全にフリーズしてるってば!」

 

「そうですね…では、このクッキーや茶葉、その値段がここまで高くなった原因についてお話ししましょうかね?」

 

「いや、さすがに一旦この二つの話題から離れない…!?」

 

 ユウカちゃん…さすがにノアちゃんのこと必死に止めてるなぁ…

 でも、ダメだ……なんかもう、頭回らない…

 私はもうこれを見てることしかできない…ごめん、2人とも…

 

「私がここまで、この二つの値段を強調していたのは…クッキーの製作、そして茶葉の収穫に『先生が大きく関わっていた』からです。」

 

「…えっ?」

 

「……え…?」

 

 静かな物言いでそう言葉をポツリとこぼしたノアちゃん。

 誰かが部屋の窓を開け放ち、別の世界の風が吹き込んできたような、そんな感覚が私の背筋を這い上がっていった。

 …だが、その中に(アイツ)が関わっているという文言が出てきた?

 これには思わず、私とユウカちゃんは同時に同じ声を漏らしてしまった。

 

「せ、先生が?」

 

「……えっ?な、なんで…弟が関わってるって、どういうこと…?」

 

 ようやく頭に入ってきたその一言に、私は震える声で問い返す。

 アイツの名前が、なんでこんな高級クッキーと紅茶にくっついて出てきたの…?

 

「実はこのクッキーと茶葉、とある生徒に付き添い『先生が試験的にプロデュースした』という経緯がありまして。生徒の提案に先生が付き添い、味の調整や、試食の分析など……かなり深く関わった記録が残ってあります。」

 

「そ、それがなんで……この二つの値段に関係するの…?」

 

「…『付加価値』です。」

 

 ノアちゃんの言葉は、相変わらず感情の抑揚を欠いていたけど、それが逆に、突き刺さるように重かった。  

 付加…価値……ふかかち…?

 だ、ダメだ……思考にモヤがかかってるよ…

 

「え、えっと……その、『付加価値』って……つまり…」

 

「商品そのものの素材や味に加え、『誰が関わったか』によって、その価値が跳ね上がる現象のことですね?例えば、ある有名な画家が描いた風景画なら、それがごく普通ものでも値段は跳ね上がったりなど…」

 

 ユウカちゃんからの補足が、困惑している私に向けられる。

 ありがたい…こう聞けば、さすがに今の私でも輪郭くらいは掴める。

 

「あ、ありがと……今ので、私も連想はできたけど…」

 

「ユウカちゃんが言ったものと、同じ原理です。……ただ、先生のケースでは『ただの有名人』という以上に、その行動がキヴォトスにとって象徴的な意味を持っている。ですので、『歴史的意義』と表現しました。」

 

 『歴史的意義』…?

 ちょ、ちょっと待って……それって、アイツが…ってこと?

 

「で、でも…それって……え、ええっ?!弟ってそんな影響力あるの…?!」

 

「先生には、キヴォトスのほとんどの学生層、関係部署では絶大な知名度と信頼性がありました。『あの先生が関わったなら間違いない』という声も、私が見たレポートなどに多数、残っていましたからね?」

 

「いやいやいや、ちょっと待って…?な、なにその信仰…そんなの聞いてないんだけど……っていうか…そんな弟、私知らないんだけど…?」

 

 あ、頭が回らない……

 さっきまで金額で飽和していた脳みそに、さらなる衝撃が…

 …いや、これはもう『追撃』じゃなくて『空爆』だよ…

 

 私の知ってる弟は、寝癖のままパンをくわえて出かけていくようなやつで、洗濯物は裏返ったままだし、カップ麺の残り汁を放置して怒ってたばっかのはずで…

 

「…前に『どこで買ったのこのシャツ?冗談みたいな色してるね?』…って私に言われて、素直にしょんぼりしてたんだよ…?そ、それなのに…」

 

「『親しみやすさ』もまた、ブランド性を高める要素となりますからね?」

 

「いや、そんなこと言われても分からないって…!?それで『そうなんだね』ってさすがに納得できないよ…!」

 

 ふらりとソファに再び横になりながら、ノアちゃんに向かって私は胸の内を口から出す。

 さっきまで私を打ちのめしていたのは、『金額』という数値の暴力だった。

 …けれど今は、それが『弟が超高級品に関わっていた』という、意味の分からない現実へとすり替わっていた…

 

 なにこれ……混乱って、こんな段階踏むものなの?

 だ、誰かこの状況を……冷静に受け止められる人いないの…?

 

「(そ、そうだ……ユウカちゃんなら…!)」

 

「……なるほど……いや、納得したくないけど、そういうことなら、まあ……納得『は』できる…かも?」

 

「ユ、ユウカちゃんも…?!これに、しれっと納得してるの…?!」

 

 ああ、もうダメだ…私ひとり、完全に取り残されてる…

 ユウカちゃんまで『理屈で受け入れてしまう側』だったとは…

 しっかり者ほど現実を飲み込むのが早いって…こういうこと…?

 

「……それほどまでキヴォトスで、そして私たち生徒にとって…先生の存在は大きなものだったんです。それこそ…いま話したような、付加価値ですら表せないほど…」

 

「……ぇ…?」

 

「…!……ノア…」

 

 不意に湯気の立つ湯呑みの中を覗きながらそう言ったノアちゃんの声は、静かに淡々としていた。

 …だが、この静かさに深い思いが隠れているのが感じ取れる。

 ユウカちゃんも、ノアちゃんの言葉に続けて噛み締めるように言葉をこぼした。

 

「…ごめんなさい、四ノ崎さん。少し回りくどくなってしまいましたが、先生がどういった人だったのかを、このようにしてしっかりと伝えたかったんです。……私たちも同じ気持ちですから…」

 

「……そうね…」

 

 私はその言葉を飲み込んだ。

 まるで、その響きに全てを託してしまいたくなるような、重い、沈黙のようなものが部屋を包み込んでいる。

 

「……そっか…」

 

 ゆっくりと体を起こすと、静かに息を吐き出す。

 深い呼吸の中に、胸の内に渦巻いていた感情を少しずつ追い出すように。

 

「そう…なんだね……それくらい、弟がね…」

 

 ぽつりと、声が漏れる。

 だが、やはり泣きたくなるような感情はない。

 ただ…誇らしいとか、羨ましいとか、悲しいとか…そういう感情がごちゃごちゃに絡まりながらも、不思議と柔らかい気持ちになっていく。

 

「(こんなふうに……誰かの中に、ちゃんと残って…)」

 

 コレは、自嘲でも呆れでもない。

 ただ目の前にある事実を、ひとつずつ確かめるように、自分の中で噛み締める。

 私が知らなかったアイツの姿…

 誰かの…この子たちのために動いていた弟の姿。

 

「…先生がいなくなってから……やはり、ミレニアムの空気も少し変わったと思います。」

 

 ノアちゃんが、そっと湯呑みから視線を外して私の顔を見てくる。

 その動きすら、どこか丁寧だった。

 

「いくら時間が進んでも、技術や制度が整っても、人の心までは補えない…先生は、それをわかっていた人でした。」

 

「……うん…」

 

「私たちは、何度も支えてもらいました。厳しい言葉もありましたが、いつだって『見てくれている』という安心があったんです。」

 

 ノアちゃんの言葉に、ユウカちゃんがそっと続ける。

 

「ノアの言う通りです。先生は『優しさ』も持っていましたが、なにより『逃げない人』でした。どんなトラブルにも、面倒でも困っていても、絶対に顔を背けなかった。だから、私も…そんな先生を信じてこれたんだと思います。」

 

「………」

 

 私は目を伏せる。

 言葉にできないものが、胸に溜まっていく。

 

 アイツが…こんなふうに見られていたなんてね…

 乖離していた私の知っている『弟』と、この子たちに『信じられていた先生』が、少しずつ重なって見えてくる……そう思えた。

 

「……でもさ…なんか、ずるいよね?」

 

 私は静かに口を開く。

 

「そういう大事なこと何も言わないくせに…一言でも教えてくれてたら、もっと話を聞けたのにって思っちゃう……それなのに、こっちが気付いたときには、もう…いないとかさ?」

 

「「…!」」

 

 ユウカちゃんとノアちゃんが、少しだけ目を伏せる。

 2人の雰囲気を緩めるために、笑みを浮かべるべきだったが…私は笑えなかった。

 

「……残されてばかりで、それすら出来ないないんてさ?それで、勝手にいなくなるのは…勘弁してほしいよね?」

 

 これは、私が抱えている気持ちをそのまま口に出した言葉だろうか?

 それとも、2人の心情に対するものだろうか?

 

 …もしかしたら、私自身に向けた言葉だったのかもしれない。

 

 ……もう、分からないや…

 

「……でも、知れてよかった。」

 

 ただ、心の中でアイツの顔を思い浮かべていた。

 色々と等身大の人間で、友人とつるんで笑っていたり、私が近過ぎたことで嫌な顔をされたりしたこともあった。

 

 ……だけど、たしかに誰かのために、ちゃんと動ける奴だった。

 

「だからさ…教えてくれて、ありがとうね?…ふたりとも。」

 

 それだけを言うのに、ずいぶんと時間がかかった気がした。

 だけど、今の私には、それがすべてだった。

 

 言葉の余韻が、静かに室内に溶けていく。

 さっきまで笑っていたはずの空気は、どこか穏やかで、それでいてほんの少し、胸の奥を締めつけてくるような…そんな気配に変わっていた。

 静まり返った部屋の中で、誰も言葉を続けようとしなかった。

 ただ、湯呑みの中で揺れるお茶の波紋だけが、細かく、音もなく時を刻んでいる。

 私は、ゆっくりと背筋を伸ばしてソファから起き上がる。

 膝の上にそっと手を置き、目の前のお茶とクッキーを見つめ直す。

 

「(……これも…アイツが残したもの…)」

 

 ……この味を、弟はどう感じていたんだろう。

 

 アイツが関わったというこの焼き菓子は、ただの高級スイーツではなくて、きっとアイツが誰かのために真剣に向き合って、生まれたものだったのかもしれない。

 だからかな……さっきまで金塊に見えていたこのお菓子も、今は少しだけ、あたたかいものに見えていた。

 

「(……本当に…出来た弟だよ、アンタは…)」

 

 ……あの子が、キヴォトスに残したもの。

 

 それは、豪華な味でも、高級な茶葉でもなくて。

 誰かのために動いて、見守って、信じさせることができた…そんな『在り方』だったのかもしれない。

 

 ……私はそれをいま、ほんの少しだけ…近づけた気がした。

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