青い残影を求めて   作:イナブ

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〈第一話〉残されたモノ、託されたモノ

 

 ーー弟が死んだ。

 

 初めにそれを聞いた時に浮かび上がってきたのは、悲しみでも何でもない本当に空っぽな、無機質な無。  

 そのため『私ってそんな淡白な人間になってしまったのかぁ』……と思わず乾いた感情が湧き上がってくる。

 それはまるで、井戸が底をつき、もう何も汲み上げられなくなったような、冷たく寂しい実感だった。  

 

 ……まあ、こんな人間だからこそ、私は愛想を尽かされたのだろう。

 

「(……この駅、か…)」

 

 同じ血のつながりがあるにも関わらず、私たちは赤の他人のような淡白な関係性だ。

 その間に流れた時間は硬く、二度と動かない断絶となっている。

 

 これの原因は……色々とあるけど、1番は昔に私が弟を引き離したことであり、それが決定打だった。

 

 私たちはそこから何年もの間、クリスマスや正月やらのどんな行事が訪れても顔すら合わせていない。

 本当に、お互いになにも知らない日々を過ごしていた。

 

 私の前からパッタリと消えた弟の所在についても全く知らなかったけど、不本意にもこんな形で知ることになってしまった。

 

「(はぁ……ほんと、気分悪…)」

 

 気分はすこぶる重いが、弟の死を理由に久しぶりに少し長めの休暇となった。

 でも、学校には多くを語らなかったし、語る気にもなれない。

 いや……正直なところ、語る言葉を持たないのではなく、真実を語る資格がないように感じていた。

 

 だけど、あまり心配させないために他の先生や生徒たちには、私が休暇を取る理由を事前にぼかしてだが目的は伝えている。

 

 この時期に何かと忙しい先輩や生徒たちには、少し悪い事をしてしまったけど…

 

「……うん?」

 

 内心の申し訳なさを抱えつつ、私は電車をいくつも乗り継ぎさらに歩いて、ようやく辿り着いたのがこの駅だった。

 あの電話の後に、私宛のメールに送られてきた『キヴォトス』という場所への行き方。

 それが、私以外に人の姿が見えないこの駅にあるという。

 

「(あれ……ここで良いんだよね…?)…とりあえず、待ってみるしかないか…」

 

 そこは寂れた静かな駅だった。

 ホームの割れたコンクリートの隙間からは花が咲いているのを見るに、整備が行われているのかすら怪しい。

 でも、無関心と放置の中で、それでも強く咲く生命力だけが、この場の静寂を破る小さな抵抗のように見えた。

 

 屋根を支える柱にも何らかの枯れた植物が巻き付いており、独特な雰囲気を放っている。

 何だか、廃墟のようで人がいないのが逆に神秘的な、どこかノスタルジーな雰囲気を醸していた。

 

「(……これ、あの子達も好きそうだなー…)」

 

 湿気を帯びた空気と、遠い時代の錆びた鉄の匂いが混ざり合い、静寂の中に沈殿している。

 その冷たい匂いは、まるで過ぎ去った時間と風化しない空気が、この空間には凝縮されているようだった。

 壁際を伝う薄暗い光は、この駅が忘れ去られた場所であることを静かに物語り、世界から切り離された一枚の絵画のように感じられる。

 

 微かな風がホームを横切り、まるで誰かのささやきのように耳元を撫でて消えていく。

 待てども来ない日々の空白がそのまま形になったかのような場所で、ただ次の『何か』を待つことしかできなかった。

 

「あっ……あれかな…?」

 

 こうして1人で静かにぼんやりと駅のホームで待っていると、少し傷やら汚れが目立つ古ぼけた電車がやってくる。

 車体は長い年月を経て、鋼鉄が持つ本来の輝きを失い、煤けた鈍い光を放っていた。  

 線路の上を進む音が駅の中を反射して私の耳に大きくなって届く。

 

 それはまるで、世界が沈黙を破り、ただこの場所にだけ焦点を合わせるような、異様に大きな響きだった。  

 そして、先頭車両が私を通り抜け、段々とスピードが減速していくと側面に取り付けられているドアがピッタリと、自分の立っている正面に止まった。

 

「……おぉ…」

 

 これは普通に、何度も目にしてきた景色。

 いつもなら、何とも思わないだろうけど、なぜか今は喉の奥から感嘆の声が漏れ出た。

 当たり前のように目の前で起こったこの作業も、培った経験や技術があってことだろうなぁ……と素人の感想が頭に浮かび上がる。

 

 そんなくだらない事を考えていると、扉が開かれ少し薄暗い車内が目の中に入る。

 車内には埃と、過去の乗客の残香のような、曖昧な匂いが漂っていた。

 私は、その中に引き込まれるように歩んで行く。

 

「(本当に私しかいないな…)」

 

 誰も駅のホームへ降りる事なく、結局行き来したのは私だけだった。

 扉を潜って1番近くにあった席に座り、キョロキョロと別車両を見ても奇妙なほど誰もいない。

 そして、発車を伝えるアナウンスもなく重い音と共に扉が閉じられた。

 古いためか、次の駅を知らせてくれる簡易的な電子板すらなく、自然と目線はゆっくりと動き始めた窓の外へ向かう。

 

 ……そういえば、この電車がホームに来た時、車掌はいただろうか?

 

「ふわぁ……まっ…気にすることでもないか…」

 

 浮かび上がってくる違和感はすぐに霧のように……そう、『何か』に気づく前に薄れて消える。

 まるでこの場の空気には、思考の輪郭を意図的に曖昧にさせる力が働いているようだった。

 ふとポケットからスマホを取り出して見ると、画面の時刻はいつもなら学校で生徒たちに挨拶をしている時間となっていた。

 

 こんな時間なのにも関わらず、私しかこの電車に人がいないのはつくづく不思議なものである。

 静寂は、まるで世界から発せられるべき全ての音が吸い取られた後の真空のように。

 ここからどれだけこの電車に揺られることになるかすら分からないが、乗り物特有の揺れは私の眠気を刺激してくる。

 

「んーん……」

 

 前日の睡眠は取ったはずなのに、妙に意識が散漫としてしまう。

 外の冷たい空気とは違い、電車の中は丁度いい暖かさを保っていた。

 この暖かさによって眠気はさらに膨張していき、人がいないからと、私は広々としている座席の上で倒れるように横になった。

 

「…………」

 

 今にも閉じそうになっている視界の先の風景は、いい意味で殺風景。

 色彩のないモノクロームの世界が、早送りのフィルムのように流れ去っていく。

 ありきたりな建物が密集して、変わり映えしないものであった。

 

 昔は、こんな風景を弟と2人で目を輝かせながら見ていた。

 座席の上で身を乗り出す勢いで映り変わる景色を齧り付くように見て、母親に注意されたのも今となっては懐かしい思い出だ。

 

「(……なんで…かな…)」

 

 それなのに私は、なんでこうなってしまったのだろうか?

 

 本当の意味で1人になったのにも関わらず、未だに実感が湧かない。

 

 一体いつから、こんな人間になってしまった? 

 

 子供のような様々なことを輝かせながら見るわけでも、大人のように俯瞰して物事を見るわけでもない。

 

 キラキラとしていた子供心を失い、自分の言葉に責任すら持たない、大人にもなりきれていない中途半端な人間。

 

 私は過去と未来、そのどちらにも錨を下ろせない、水面に漂う古ぼけた木の葉のようだった。

 

 …あの時、手放したくなかったと言えればよかった。

 

 黙って背を向けたのは、きっとあの子より私の方だった。

 

 そして、たった1人の家族を失ったという知らせを受けたのに、なんでこんなに何も感じない?

 

「………」

 

 それが、心底気持ち悪く感じる。

 今も現実を見ようとしていない自分がただただ醜い。

 そうしてため息となって吐き出される空気が、妙に重い。

 その重さは、私が抱える不快感の質量そのものだった。

 

「……はぁ…」

 

 だけど……まぁ、だからこそ丁度よかった。

 自分を見つめ直すわけでも、目的があるわけでもない。

 今はただ、何も見ずにいたかった。

 

 目的地は『キヴォトス』。

 

 そこがどこであれ、私の『日常』から遠く隔てられた場所であるなら、それで充分だった。

 

 窓から顔を覗かせる朝日が目の中に入り込んでくるのを避けるために目を閉じる。

 

 すると意識は、すぐに微睡むように溶けて暗闇に消えた。

 

 それは、水底へと沈んでいくような、抗うことのない静かな降下だった。

 

*******

 

「……ん…」

 

 目を閉じて、何度揺れを感じたかすら思い出せないほどに、時間は滑らかに通り過ぎていた。

 それは意識のない期間でありながら、何か決定的なものが再構築されていたような、異質な時間の流れそのもの。

 ぼんやりと瞼を擦りながら周りに視線を向けるが、やっぱり私以外に人は誰もいない。

 

 何か無くしたりしていないか、手探りでポケットの中を漁ったりしてみるが、特にそういったことは起きていなかった。

 身体を伸ばして新鮮な空気を取り込むと、心地よい時間を過ごせたのだと満足感に満たされる。

 車内の暖気と外の冷気が混ざり合い、私の曖昧な意識をそっと現実に引き戻した。

 

 そしてふと、背中に温かみを感じ、まだ眠い目を擦りながらふと後ろを振り返った。

 

「……あっ…」

 

 私は、目の前に広がっていた風景に目を奪われた。

 

「はは……凄く綺麗だなぁ…」

 

 ただ一言、この言葉が溢れる。

 電車はいつの間にか延々と続く地平線の先まで伸びる水の上を走っていた。

 線路は水面に沈むことなく、まるで細い橋のように遥か遠くまで続き、暗がりとオレンジ色の混じった空が水面にも映し出されて広がる。

 それはまるで、過去の記憶の断片が、遠い水平線の上に浮かび上がった幻影のようだった。

 

 どこか懐かしいような、それでいて寂しさを覚えるような風景。

 

 なんで、こんなに感覚を覚えているのだろうか?

 

「……先生。」

 

 窓の先に広がる風景に釘付けになっていると、背後から声が聞こえてきた。

 それこそ、何度も聞いてきた私を呼び止めるような声。

 その声に驚いて振り返ると、先程まで誰もいなかった正面の席に見慣れない服装の少女が座っていた。

 

「えーっと……もしかして、今の…見てた…?」

 

「はい、とても楽しそうにしていましたね。」

 

 うっわぁ、完全にやらかした…

 まさか今のを見られていたとは…

 

「ははは……今のこと、忘れてもらえないかなぁ?あぁ、誰もいないと思ってたんだけどなぁ…」

 

 席に座り直して、改めて正面から目の前にいる少女を見つめる。

 その姿は、透き通るような水色の長髪に、桃色のインナーカラーがさり気なく揺れている。

 瞳は澄んだ水色を宿し、どこか遠い未来を見通しているかのように澄んでいた。

 

 物静かそうであどけなさがありつつも、雰囲気は私よりも『大人』っぽい。

 項垂れる私を日の光をバックに笑みを浮かべて見る顔は優しいが、それによってかえって気恥ずかしさが増していった。

 

「私もたった今来たところです、先生。驚かせてしまいましたね?」

 

「先生って……君は、私のことを知っているの?それに今来たって…」

 

「……そうです。私はずっと、先生がこの『キヴォトス』へ来るのを待っていました。」

 

 その言葉を聞いた瞬間に心臓が跳ね上がる。

 今、目の前の少女は『キヴォトス』とそう言葉を発した。

 加えて今になって気がついたが、この声には聞き覚えがあった。

 

「……ねぇ?違ってたら答えなくていいけど…もしかして私に連絡をしてきたのって、あなただったりする?」

 

「………」

 

 目の前にいる少女は私を見つめたまま返答は返さない。

 ただ静かに、しかし何かを伝えたそうにしているだけだった。

 

「や、やっぱり今のはナシで……でも、本当にキヴォトスに来たんだねぇ?内心少し疑ってたから、来れたことを安心してるよ…」

 

 チラリと視線を送り、会話を続けるのを試みるがやはり言葉は返ってこない。

 だが、少女は少し目を伏せたまま、わずかに指先を握りしめた。

 それでも、何かを伝えようとするその沈黙に、胸がざわつく。

 何かしら気に触るようなことを言ったか、無理に踏み込みすぎてしまったか不安がよぎったが、目の前の少女の口が開かれる。

 

「捻れて歪んだ終着点……つまり、先生が選び続けてきた『後悔』の積み重ねのその先で、答えとなるものに辿り着きました。」

 

「………?」

 

 突然、少女から紡がれた言葉。

 それはまるで、今まで見てきた情景を思い浮かべるような声色だった。

 あまり感情の起伏を持たない、真理を語るような静かな響き。

 だけど、私からしてみればどんな意味が込められているか分からない。

 

 不意に、サッと揺れた髪の隙間から覗かせた両目で見つめられる。

 より差し込んでくる日の光が強くなった。

 それを目にした瞬間、身体が強張るような感覚に陥る。

 

「ね、ねぇ……それは、どういう…こと?」

 

「…ですが、ただ一つ。やり残してしまったことがあると言われ、私はその意思を先生から託されました。だから今度は、私が先生の選択を形に…私が責任を負うものとして、あなたに…」

 

 声が突如として静寂を切り裂くように、しかし優しく響いた。

 

「……えっ?」

 

「……私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません……だから、どうか…」

 

 少女はそう言って、私に手を差し出してくる。

 その手は、現実の温もりと何か超越的な冷たさの両方を帯びているように感じられた。

 

 

 

「ーーー先生と同じ、あなたなら…」

 

 

 

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