青い残影を求めて   作:イナブ

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〈第二十一話〉かつての名と今の名を背負って

 

 心臓が脈打つ緊張の一瞬。

 そして、ジリリと砂嵐のような電子音が走ったかと思うと、スマホの上に淡く光るホログラムが浮かび上がった。

 

「(こ、この子が…)」

 

 そこに現れたのは、長く艶やかな髪を整え、凛とした眼差しを湛えた少女。

 白い花の髪飾りが、ふと目を引く。

 制服の襟元にはきちんと結ばれたリボン、姿勢は崩さず椅子に正しく座っていた。

 

 背景にはまるで西洋の庭園のような景色が広がっていて……これは、テラス?

 あとは花畑のように色とりどりなお菓子などが並べたられたテーブルの一部が見える。

 

 なんだろう……見える範囲がまるで童話の中の世界みたいで、私が踏み込めなさそうな雰囲気だ…

 

「『はい。こちら、ティーパーティーの桐藤ナギサと申します。…こうして、お電話をいただけるのをお待ちしておりました。』」

 

「は、はいっ!そ、そうです…しのざき、ですっ…!」

 

 ガチガチの緊張で、喉が一瞬にして乾いた。

 今ので声が裏返らなかったのは奇跡だったな…

 でもたぶん……顔は今、気温に反比例して少し熱い…

 

「『えっ!?ほんとにこれ、先生のお姉さんからの電話だったの、ナギちゃん!?』」

 

「わぁっ…!?」

 

 突然、ナギサちゃんの横からピンク色の髪の子が顔を覗かせた。

 白くて華やかな制服がよく似合う、まるでお姫様みたいな子だな?

 大きな瞳と明るい表情で、こちらを覗き込んできた。

 

「『少し落ち着きたまえ、ミカ。こうして突然横から入ると、先生のお姉さんを驚かせてしまう……おっと、私も今は控えたほうがいいかもしれないね?』」

 

「(…!違う声…)」

 

 さらにもう一人、画面外から声が聞こえてきた。

 落ち着いて、品のある声で…この子もティーパーティーの1人なのかな?

 これまた、雰囲気があって……ヤ、ヤバい…

 

 …とにかく、すごい場所に無防備で足を踏み入れてしまったんだな、私…

 

「あのっ、すみません…!こんな急なご連絡をしてしまって、ご迷惑ではなかったですか…!?」

 

 思わず画面のほうに身を乗り出す。

 その拍子にホログラムがふわっと揺れて、映像が一瞬、ノイズのようにかすんだ。

 あっ…と小さく息を呑んだその瞬間、ナギサちゃんのまばたきが一度だけ揺れる。

 それでもすぐに、表情はまるで何事もなかったかのように穏やかに整えられていた。

 すごい切り替えの速さだったな…

 

 ……そして、さすがに焦りすぎだな、私…

 

「『いえ。むしろ、私もこうしてお話できて光栄です。……改めて確認させていただきますが、先生のお姉さまでいらっしゃいますか?』」

 

「『その確認はもういらないと思うけどなぁ。私も最初、間違えちゃいそうになったくらいなんだよ?本当にそっくりだし!』」

 

 はしゃいだような声が割って入ると、画面の端にさっきのピンク髪の子……ミカちゃんが再びひょこっと顔を覗かせた。

 …あれ、その後ろで誰かが肩越しに何か言おうとしている?

 

「『たしかに、そうですが…』」

 

 ナギサさんが苦笑混じりに返す声の奥にも、微かな安堵が混じっているような気がした。

 ……やっぱり、向こうも私と一緒で少し緊張してたのかな…?

 

「『でも、やっぱりすごいな……先生のお姉さんが、こうしてキヴォトスに来てくれてるんだ…』」

 

 ぽつりと感嘆のように呟いたミカさんの目は、まっすぐこちらを見ていた。

 どこか思い出を滲ませたその視線に、思わず目を逸らしそうになる。

 

「『…『ミカ』、そこまでにしておきたまえ。ここはナギサに先生のお姉さんの応対を任せるべきだよ。ついさっき、先生のお姉さんがナギサに接触するという私の直感が当たった場合、私たちはあまり会話に介入しないとも決めていただろう?』」

 

「『もー、それは分かってるよ『セイア』ちゃん!…それじゃあ、お願いするね、ナギちゃん!』」

 

 ミカちゃんがくるっと踵を返し、画面の外へ小さく手を振る。

 そして、ピンクの髪が画面の端にふわりと光彩を残して揺れたかと思えば、まるで花びらのように風にさらわれるように消えていった。

 

 また画面外から、今度は静かで嗜めるような声が飛んできていた。

 やっぱり、誰かは見えないけど……やり取りを聞く限り、仲の良さが伺えるなぁ…

 名前はセイアちゃんか…さっきから声だけは聞こえてるけど、どんな子なんだろう?

 

「『はい。……失礼しました、お姉様。少し騒がしいところを見せてしまいましたね…?』」

 

 ミカちゃんの姿が映像から見えなくなったあと、ナギサさんが小さくため息をつく。

 画面の中で微かに整え直した髪が揺れるのを見ながら、私は思わず背筋を伸ばした。

 

 ここからが、本題……でもやっと、ようやく言葉を返せるだけの余裕が、胸の奥に宿った気がした。

 

「はい…シャーレの先生の実の姉です。…でも、まさかクッキーを一緒に作った相手が、ティーパーティーのナギサさんだったとは思ってなくて……本当にすみません、そんな軽い気持ちでこうして連絡をしてしまって…」

 

「『ふふ、大丈夫ですよ。あの時のことは、今でもよく覚えています。先生には素材の選定から試食まで、様々なことを手伝ってもらいましたからね?』」

 

 ナギサちゃんは、どこか懐かしむような口調でそう言った。

 目元が少しだけ和らぎ、それに釣られるように、私の肩から力がふっと抜ける。

 

 そして、ナギサちゃんは一呼吸おいてから、ふっと表情を引き締めた。

 

「『それで本日は……事情はある程度、こちらも把握しております。トリニティの敷地内をご案内してほしい、というご要望でしょうか?』」

 

「(そ、そこまで分かってるんだ…)は、はいっ。弟がどのようにしてキヴォトスを生きていたのかを知りたくて……それで、こうしてお電話をさせていただきました…」

 

 ダメだ…少し話はしたけど、まだ緊張が指先に微かに残ってるよ…

 それを隠すように、私は自分の膝に手を置きながら、続けた。

 

「それで……その、弟のお礼もしたかったんです。ナギサさんなら、話も通りやすいって…思ってしまって…」

 

「『わかりました。では、私たちティーパーティーが責任を持って、敷地内をご案内します。』」

 

「えっ!?い、いいんですか!?でも、そこまでのことは…!」

 

「『…いえ。『ティーパーティー』は、単なる権威ではなく、生徒たちの生活と安全を守るための存在でもあります。そして、お相手が何度もお力添えをいただいた先生のご親族なら……尚更です。』」

 

 その言葉には、揺るぎない芯があった。

 私よりずっと年下であるはずの彼女から、まっすぐな『責任感の抱えた声』が届く。

 

「……かっこいいなぁ、ほんと……」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、ナギサちゃんは少し頬を緩めた。

 

「『そ、そこまで仰られるようなことでは…』」

 

「あっ!ご、ごめん…!今の声に出ちゃってた…!?」

 

「『いえ…意図せずにこうしてお褒めの言葉を口にするのは、先生もよくしていましたからね…』」

 

 微笑ましくナギサちゃんを見て、空気が少しだけ和らいだ気がした。

 …それでも、やっぱり緊張が抜けきらないなぁ…

 やっぱりこの子たちが『ティーパーティー』だっていう事実が、私にとっては荷が重いのかな…

 

「そ、それじゃ……今から、トリニティに向かっても大丈夫ですか?」

 

「『はい…ですがその前に一点、よろしいですか?』」

 

「え…?な、なんでしょう…?」

 

 ナギサちゃんはほんの一瞬だけ視線を伏せ、それからまっすぐこちらを見据えながら、静かに問いかけた。

 

「『…我々ティーパーティーは、お姉様がトリニティを訪れることを、心より歓迎いたします。』」

 

「……!う、うん…」

 

「『先生が私たちと共に作り上げたトリニティの景色を、ぜひご覧になって下さい。』」

 

「…ありがとう、ナギサちゃん。」

 

「『お姉さーん!紅茶とかお菓子とか、沢山用意して待ってるからね〜!』」

 

「『ミ、ミカさん…!?まだ先生のお姉様とのご挨拶が終わっていないのですよ!?』」

 

「…あっ。」

 

 …再び画面に勢いよく飛び込んできたミカちゃんと、押し返そうとするナギサちゃんのやりとりで、連絡は途切れた。

 まあ、なんというか…今の話の中でも、仲睦まじい様子だったのが分かったかな?

 

 ……うん、これは良いことだね?

 

「(……でも、今のって…)」

 

 ベンチから立ち上がった私の頭に疑問として浮かんできたもの。

 それは、画面が揺れて連絡が途切れる寸前のことだった。

 

 ……画面のごく端に、一瞬だけ『誰か』の静かな影が見えた気がする。

 

 今までの会話の中で映ることはなかったセイアちゃんかもしれないけど……なんだか、違う気がする。

 それはほんのわずかで、見間違いだったのかもしれない。

 

 …ただ、なんでだろう?

 その影には何かを避けるような、そして重たい空気があったように思えた。

 

「………」

 

 『違和感』。

 

 それをうまく言葉にできるほど、私はまだこの場所のことを知らない。

 けれど、あの子たちの明るさと並んで、あまりに静かだった…

 もし、あれが『セイアちゃん』ではないとしたら、あの子たちはそのことを知っているのかな?

 

 ……あるいは、あえて触れないようにしている。

 

 そんな気さえした。

 

「(……到着すれば、何か分かるかな…)…よし。それじゃあ、私たちはトリニティに向かおっか、プラナちゃん。」

 

「『はい、お姉さん。…ちなみに、トリニティ行きの電車の出発時刻はあと2分後です。』」

 

「う、うそ…!?少し急いで行くから、揺れると思うけどごめんね…!」

 

 靴音を響かせて走り出す。

 風が髪をふわりと揺らし、上着も小さく跳ねた。

 

 ……この先で、私はどんな景色と出会うんだろう。

 

*******

 

「やれやれ、随分と締まらない終わりになってしまったね?」

 

 静謐な声が、午後の陽光に満ちる空間に溶け込むように響いた。

 そこは、トリニティ中央庭園の奥、古びた修道院を改装して設けられたテラス。

 天井の高窓から差し込む光は、曇りガラスを透かしてやわらかく空間を満たしており、静けさに満ちた時間がそこには流れていた。

 

 アンティークのロングテーブルには、季節の花を象った菓子皿と、繊細な刺繍のティーマット。

 銀縁の磁器カップには、数十年前に焼かれたという聖典の紋章がかすかに浮かび、漂う紅茶の香りが室内の緊張をゆるやかにほどいていた

 

「全く…ミカさん!まだ話の途中でしたのに、おかしなところで途切れてしまったじゃないですか!」

 

「ご、ごめん〜、ナギちゃん…」

 

 ミカが軽く手を合わせる。

 その仕草に合わせて、彼女のティーカップの中で琥珀色の液面がわずかに揺れた。

 まるでその笑顔ひとつで、空気の張りつめた糸を緩めてしまうような軽やかさがあった。

 

「…しかし、本当に今の会話の中に入らなくて良かったのかい?」

 

 続けて口を開いたのは、狐の耳を立ててシマエナガとゆっくりと戯れるセイア。

 そしてその声の先にいたのは、彼女たちと同席する2人。

 日の光が遮られ、影の落ちた席に座る少女たちだった。

 

 白い制服に身を包み、気品のある姿で席に座っているのは淡いライトパープル色の髪をサイドに三つ編みに結んでいる。

 静かな庭園から吹き抜けた風によって、柔らかく髪が揺れていた。

 

 そしてもう1人、同じような制服に身を包んでいる少女。

 黒と青のインナーカラーで彩られた髪が対照的で印象に残るだろう。

 雰囲気は花を軽く揺らすほど静かに落ち着いていたが、その奥に潜む緊張は、他の誰よりも強いものだった。

 

「まだ新興とはいえ、君たちも新たなティーパーティーの一員となったんだよ?」

 

 カチリ、と銀のスプーンが磁器の縁に触れる音が響いた。

 その微かな音に導かれるように、彼女は伏せていた視線を上げかける。

 だが、すぐにまた目を逸らし、カップの中の紅茶へと視線を落とした。

 

「…うん。でも私たちは、話すとしても『直接』じゃないといけないなって思ったんだ?」

 

「……そうだな。だが、時は過ぎても『あの過去』の事実も消えない。私は先生の家族に顔を合わせる権利など…」

 

 その言葉とともに持ち上げたカップは、どこかぎこちなく、動作の節々にはためらいが滲んでいた。

 窓辺の光が茶の表面に揺れてはきらめき、彼女の瞳の奥に小さな影を落とす。

 

「もー、そんな暗いこと言わないでよ?先生に、『これからは振り返らずに、前だけを見て進んでほしい』って言われたんでしょ?」

 

「たしかにそうだが…」

 

 テーブル越し、ミカはそっとティーマットの端を整えながら彼女を見た。

 その視線は静かで、言葉よりも多くを伝えていた。

 共に同じように、背負った過去の罪の痛みを知る者の眼差しだった。

 

「ふむ……しかし、今から君たちが先生のお姉さんと顔を合わせるのはどうだろうか?」

 

「……!」

 

「…私たちが?」

 

 セイアの声は穏やかだったが、まっすぐに本質を突いてくる。

 まるで本を閉じかけた瞬間、ふいに現れる一行の余白。

 そこにこそ、書き加えるべきものがあるのだと言わんばかりに。

 

「書物でいえば、『余白』を読む瞬間だ。……過去のページに書き加えるには、君の手でその余白を満たすべきだろうからね?」

 

「なっ…!?ま、待ってくれ、それは…!」

 

 彼女はわずかに椅子の肘掛に手をかけ、立ちかける。

 だが、思いとどまり、再び座り直した。

 胸の奥に広がるのは不安か、それとも赦されることへの戸惑いか。

 香る茶葉の香気が、ひとときの沈黙を優しく包み込む。

 

「おー、たしかに良いアイデアだね!」

 

「…でもミカさん、すごく先生のお姉さんに会いたそうにしていたよね?」

 

「うっ……」

 

 その言葉にミカは少しだけ顔を伏せる。

 すると指先が、カップの縁を迷うように辿った。

 微かな振動で、スプーンがソーサーと触れてか細い音を立てる。

 

「ま、まぁ、ほんとはね…?私が行こうかなってちょっと思ってたよ…?」

 

 声のトーンは、柔らかな葛藤を宿している。

 しかし彼女は視線を上げ、どこか遠くを見つめるように目を細めた。

 心の中に描いた、けれど手放そうとしている小さな期待の残滓。

 

「…でもあなたたちが行く方が、きっと『物語』として綺麗だよね!」

 

「…!ミカ…」

 

 一瞬の寂しさを振り払うように、ミカが手を打つように頬を緩ませて微笑んだ。

 同時に、言葉の余韻に小さな沈黙が降りた。

 その無邪気さが、重たくなりかけた場を自然に転換させた。

 

「ここまでの案内役として、誰かお姉さんのところに行かないといけなかったわけだし……2人が行くならきっと先生も、先生のお姉さんも安心すると思うなぁ?」

 

「…ええ、そうですね。新たな制定となった組織の最初の大仕事として、任せても良いですか?」

 

 ミカの雰囲気に合わせて、ナギサの声はいつになく柔らかだった。

 その言葉の裏には、ここに至るまでの苦悩と責任を知る者の深い配慮が込められている。

 

「最初の大仕事……うん。」

 

「……あぁ、分かった…」

 

 2人はそう言うと、声にかすかな決意のひびを混じらせながら、静かに立ち上がった。

 深く礼儀正しく磨かれた床に、椅子脚がわずかに音を立てて引かれる。

 きっちりと背筋を伸ばし、淡く光を帯びた黒髪が肩越しに流れた。

 軍人のような規律と、祈りにも似た静けさ…それをまとった動きだった。

 

「…ならば、私たちが責任を持って先生の家族をここまで案内してこよう。」

 

「…そうだね。『アリウスの首長』として……そして、ティーパーティーの一員としてね?」

 

 影の内側から一歩踏み出し、そこに宿ったのは責任と覚悟の光だった。

 かつての自身の贖罪を行うために灯る光は、3人の視線を釘付けるには十分すぎるものである。

 

「それじゃあ君にお願いするよ……『サオリ』、『アツコ』。」

 

 セイアの声に応えるように、かつてその身を怨嗟の炎に投じていた少女……サオリとアツコは静かに頷く。

 花のような薄紫色の髪と、長い黒髪が肩越しにさらりと流れ、陽の光がその髪先を淡く染める。

 

 窓の外には、次の季節を告げるように風がそっと庭の木々を揺らしていた。

 紅茶の湯気がうっすらと昇るテーブルに、残された飲みかけのカップが、彼女の不在を静かに見送っていた。

 

「ふふ、任せて。」

 

「…では、行ってくる。」

 

 重厚な扉が、音を立てて開かれる。

 古びた蝶番が小さく鳴き、外の風がすっと流れ込んでいった。

 サオリとアツコ、2人の姿が扉の向こうに消えていくその間も、室内の空気は一切崩れない。

 扉が静かに閉じられるとともに、そこには再び静寂が戻っていた。

 

 残された三人の前には、湯気をまだ立てる紅茶と、湯気の残る紅茶と、フォークの跡を残したままのフルーツケーキ。

 それらは誰の手にも触れられず、ただ時間の中に佇んでいる。

 

 まるで今この瞬間だけが、歴史の中に封じられた一枚の静物画のようだった。

 

「さて……迎える準備を整えましょうか。私たちの『大切な客人』を。」

 

 ナギサの言葉に、ミカとセイアが静かに頷いた。

 

 そしてまた、銀のポットから注がれる紅茶の音だけが、テラスの静寂にやさしく溶けていった。

 

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