窓外を流れる景色は、朝の光に満ちてぼやけている。
規則的なレールの継ぎ目の音が、静まり返った車内に小さなリズムを刻んでいた。
…なんというか、本当にビックリな出会いになったね…?
「……あっ。え、ええっと……も、もしかして…」
私の膝の上からおずおずと降りたコハルちゃんが、制服の裾を握りながら、恐る恐るこちらを見上げてくる。
その頬にはまだ、つい先ほどまでの興奮と睡魔の名残が薄桃色に残っていた。
瞳は大きく揺れていて、頭の中で言葉を探しているのが伝わってくる。
その視線に引かれるように、ヒフミちゃんも表情を引き締めた。
さっきまでの柔らかさは影を潜め、少し緊張した面持ちで口を開く。
「先生……の、お姉さん…ですよね?」
その声が届いた瞬間、私は思わず口元をほころばせていた。
喉の奥に引っかかっていた何かが、すっとほどけていくような感覚。
「ああー……やっぱり、分かるんだね…?」
「わっ…!や、やっぱりそうだったんですね…!?」
「え、あっ……ほ、本当に来てたんだ…」
ヒフミちゃんは、座席から思わず前のめりに身を乗り出しながら、声を少し裏返してそう言った。
口元に手を添えて驚きを隠そうとするけれど、表情の端々から素直な感情がこぼれている。
一方のコハルちゃんは、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、ぽかんと口を開けている。
まだ、驚きと混乱がまだ整理できていないようだった。
「キヴォトスに来ているという話は聞いていたが、ここで会うことが出来るとは…」
ヒフミちゃんがほっとしたように胸に手を当て、やっと落ち着きを取り戻す。
仕草は、心の動揺がやっと一拍置かれたことを示していた。
その隣では、アズサちゃんが静かに私を見つめ、ほんのわずかに首を縦に振っている。
その仕草には、確認とある種の納得が込められている気がした。
「………」
ハナコちゃんは……あまり評価変わらず、じっと私のことを見てるね…
目を瞬かせながらも静かで、どこか興味深げに。
周囲の空気だけが、まるで時間が緩やかに流れているかのように穏やかで、その静けさが一層関心の深さを物語っている気がする。
言葉はないけどこの小さな変化が、ハナコちゃんの驚きの表現なのかな?
でも…この子、最初から私のことに気づいていたような気がするなぁ。
あの時、コハルちゃんに揺さぶられながら私を見ていた、あの視線。
うん……なんとなくだけど、私の『勘』が、そう言ってる。
「あっ、えーっと……さっきは、急に引き寄せちゃってごめんね、コハルちゃん?」
少しだけ体を前に傾けて声をかけると、コハルちゃんはびくんと肩を揺らす。
まるで驚きと恥ずかしさがらまだ身体に残っているかのように見えた。
そしてすぐに、あたふたと両手を振って否定する。
「い、いえ…!わ、私がバランスを崩したのがいけなかったからで…」
「うんうん。私も映画をオールで見て、寝不足で倒れたことがあるからね?その気持ちはすごく分かるよ?」
「えっ!?き、聞こえてたんですか…!?」
私の言葉にコハルちゃんの声が、さらに一段階高くなる。
車内に、小さな甲高い声が響き、その勢いで緊張の糸が少し緩んだ気がした。
頬を赤らめながら、上目遣いでこっちを見てきてるけど……あぁ、目がぐるぐるしちゃってる…
「はは……まぁ、ね?キヴォトスの子たちって、どんな会話をしているのか気になっちゃってね…盗み聞きしたみたいな形になって、ごめんね?」
できるだけ抑えた声でそう伝えると、コハルちゃんは困ったように唸りながら頭の羽を使って顔を覆う。
その仕草は、世界から自分を隠したいという、純粋心そのもの。
耳まで真っ赤で、今にも湯気が出そうになってる。
「(いや、でもさっきの会話…)」
……まあ、仕方ないか。
私だって思わず耳を疑ったハナコちゃんの発言が、他人に聞かれていたとなれば、そりゃあこんな反応になるよね…
「わ、私は別に会話の内容は気にしてないからさ…ねっ、大丈夫だよ?」
「うぅ〜…」
これを見たヒフミちゃんが、堅いながらも微笑みを浮かべて「ははは…」と笑った。
アズサちゃんは相変わらず、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま、私を見つめている。
でも、その目は少しだけ細められていて、観察しながらもどこか安心しているようにも見えた。
「と、とりあえず、座って話そっか…!みんなから色々と話を聞きたいんだ?」
その言葉に、4人の目が一斉にこちらを見た。
わずかに緊張しながらも、感情の入り混じった表情がそこにある。
緊張を抱えたままでも、私の言葉がきっかけになって、何かを話そうとしてくれているのが分かった。
「わ、分かりました…!」
ヒフミちゃんがこくこくと頷きながら、背筋をしゃんと正した。
声から分かるけど、少し力が入ってるね?
「ああ、私も先生のお姉さんから話を聞きたいからな?」
アズサちゃんはぬいぐるみの頭をぽんと軽く叩いてから、すっとヒフミちゃんと並んで私の隣に座る。
仕草を見るに、私への警戒心よりも情報への関心が勝っているようだった。
「…はい。では、トリニティに到着まで、お話をしましょうか?」
「し、失礼します…!」
その後ろに続くように、コハルちゃんとハナコちゃんも静かに頷き、座席にちょこんと腰を下ろす。
コハルちゃんは膝の上で手をきゅっと握りしめながら、ハナコちゃんは相変わらず穏やかな表情だけど、私のすぐ隣に座ることを迷わず選んだ。
こうして4人は、私を挟むように並んで座った。
レールと車輪が奏でる一定の走行音だけが、対話の始まりを促すように静かに鳴り続けている。
さっきまでとは打って変わって静かな空気が流れているけれど、不思議とぴんと張った緊張ではなくどこか落ち着いた安堵感が同時にある。
軽くそれぞれの名前を確認し合ったあと、私は自然な口調で話を切り出した。
「そういえば……4人は、トリニティの子たちなんだよね?実は私も、ちょっと用事があってこの電車に乗っててさ。」
「そ、そうだったんですね!しかし、トリニティに用事ですか?」
ヒフミちゃんが、少し身を乗り出すようにして尋ねてくる。
声のトーンは丁寧なままだが、関心の色がにじんでいた。
「うん、そうなんだ。いま私は、弟がキヴォトスでどんなことをしていたのか見て回っててね?それでトリニティに向かってる途中なんだ。 …」
「なるほど…あなたの話は、様々な場所で昨日から耳にしていたが、まさかトリニティに向かっているとは思わなかった。」
アズサちゃんの目がわずかに細められる。
語調は落ち着いているけれど、その内側には『納得』と『驚き』が折り重なっているように見える。
噂になっている人間が目の前にいるという事実を静かに処理しているようだ。
「はは、私もほぼ思いつきで向かってるからね…?でも、概要だけは知ってて、初めてトリニティに行くわけだから……知らない事すごく多いんだ…」
「…なるほど。四ノ崎さんは、私たちからトリニティについて知りたいということですね?」
「そうそう。あとは弟についても知りたいかな…」
ハナコちゃんが、目を細めながら少しだけ前屈みに言葉を継ぐ。
その言い方は冷静そのものだったが、どこか優しい響きも含んでいた。
「…みんなの反応的に、弟とは結構関わりがある感じがしたからね?どんな形で弟と交流があったのかな?」
4人の顔がほんの少しだけ曇った。
それは夏の終わりに感じるような、一瞬の切ない陰り。
懐かしさと、ほんのわずかの切なさが浮かび、言葉を探すように互いに視線を交わしていた。
「…ふふふ。それでは私たちについては、部長であるヒフミちゃんからお話をしてもらいましょうか?」
「そ、そうね!」
ハナコちゃんが軽く茶化すような口調で振る。
ヒフミちゃんは一瞬きょとんとしたあと、すぐに視線を泳がせた。
「えぇ…!?わ、私からですか…!?」
「たしかにそれがいいな、ヒフミ部長。」
「ア、アズサちゃんまで…!?うう…はい、分かりました!」
頬をほんのり染めながら、ヒフミちゃんは背筋をピシッと正した。
座席に腰掛けているにもかかわらず、その姿勢は、まるで公の場で挨拶をするかのように律儀。
そして意を決したように、しっかりと口を開く。
「わ、私たちは『補習授業部』という集まりで活動しています…!…『元』ですが…」
「へ、へぇー…補習授業部……少し聞きにくいけど、その……言葉通りの部活なの?」
私が少しだけ肩をすくめながら言うと、コハルちゃんが「うっ…」と小さくうなだれた。
なんだか、過去の苦い思い出が凝縮されている気がした。
「は、はい……元々は、成績不振だったことで私たちは集められました…」
その言葉には、ほんの少しの恥ずかしさと、でもそれを乗り越えてきた誇りのようなものが滲んでいた。
最初は少しだけ震えていたけれど、言葉の芯はしっかりしていく。
座席に腰掛けるみんなの姿は、困難な試練を共に乗り越えた同志としての、確かな絆を静かに示していた。
聞くと、『補習授業部』は落第の危機にあった生徒たちが、トリニティの生徒会とシャーレの権限を利用して設立されたという。
そして、弟は補習授業部の顧問として関わっていた。
その存在は4人にとって言葉じゃ足りないくらいの、大きな存在だったらしい…
「そうだったんだねぇ…」
車窓を流れる光が一瞬、私の目に差し込んだ。
その光の眩しさにも似た安堵が胸の中に広がっていく。
……なんか、ちゃんと『先生』をしている弟の話を聞くことができて、なぜかホッとしている私がいる。
これが知れただけで、この電車に乗って良かったって思えるよ…
「でも、『元』って言ったのはどうしてなの?」
問いかけながら、私はふと4人の顔を見る。
皆どこか、遠くを見るような眼差しをしている。
それは過ぎ去った日々に捧げる、一抹の郷愁にも似た視線だった。
「それは……今はもう、私たちは先生のおかげで成績のことで困ることはなくなったんです。ですが、そうなると自然と『補習授業部』自体が…」
「あっ、そっか……わざわざ集まって、そういった活動をしなくてよくなるね…?」
たしかにそうだ…これは自然な事。
目的を果たした場所は、役目を終える。
だけどーー
「そうなる…だが、私たちはこの場所を完全に無くしたくはなかった。だから今は、先生やティーパーティーというトリニティの生徒会に頼み、こうして集まる場所を残してもらっているんだ。」
アズサちゃんが、視線を外に向けながら答えた。
まるでそれは、自分の中にある『居場所』という言葉の輪郭を確かめるようだった。
「名前はまだ『補習授業部』のままですけど…」
「そっか……でもそう思うくらい、4人とも仲がいいんだね?」
コハルちゃんが苦笑交じりにそう言いながら、ちらりとヒフミちゃんを見る。
そこには少し照れたような、でも大切に思っているという誠実な眼差しが宿っていた。
「…私は凄くいいことだと思うよ?最初の集まった理由はなんであれ、思い出の詰まった場所を無くしたくないって思うのは変なことじゃないしね。」
話を聞いててグッとくるなぁ…これって一連托生っていうんだっけ?
アイツも、本来は無くなるはずだった『補習授業部』っていうこの子たちの場所を残すために、色々としてたんだな…
「……私にも、そんな場所があったからね。」
アイツは、この場所を単なる制度ではなく、この子たちの『心の拠り所』に変えたのだと理解できた。
……本当に、ちゃんと先生してるなぁ…
「そう、ですね……本当に先生には感謝しています。様々なことを教えてもらいましたから…」
「……そうだな…」
「…うん。弟も、みんなにそう思ってもらえてること、喜んでると思うよ?」
その言葉を挟んだ瞬間、周囲の空気は一段と澄んだものに変わった。
静かな時間の中で聞こえてきたのは、レールの上をすべる電車の音だけ。
誰も口を開かないその沈黙が、逆にこの場のぬくもりを証明しているようだった。
でも、せっかくこうしてアイツが請け負っていた生徒の子たちと時間を過ごせているのに、それが勿体無く感じてしまう。
私がぽつぽつ言葉を選んでいる間にも、勿体無く刻一刻と到着の時が近づいている。
……ああ、なんか。
言葉が追いつかないのって、もどかしいなぁ…
「(………あれ?)」
ふと視線を向けると、ヒフミちゃんたちが小声で何か言い合いながら、バッグを抱え直していた。
そういえば、さっき電車に乗る前、この子たちって…
「(たしか、映画を夜通し見てたんだよね?)…ねえ?さっき話を聞いてた限りだと、たしか映画を夜通し見てたんだよね?それで、話に出てたペロロ様って一体…」
「はっ!!そうなんです!お姉さんはキヴォトスに来たばかりで、『モモフレンズ』についてご存じでないんですよね!?」
おっとぉ……ヒフミちゃんにスイッチが入ったかな?
結構、すんごい勢いで近づいてきた。
瞳の奥に、自分の『好き』を共有したいという熱意が、パッと灯ったのが見える。
「う、うん……どういったものなのか、全く分からないんだよね…?」
「なるほど……では、今から私やアズサちゃんがモモフレンズについての説明をします!お姉さんも、この子たちをきっと好きになりますよ!」
「ああ、私もモモフレンズ好きが増えるのは、嬉しいからな?協力させてもらうぞ?」
アズサちゃんは「ふんす」と効果音が聞こえてきそうな表情で、話に出てた持っていた『スカルマスク』のぬいぐるみを差し出してきた。
そのわずかに顎を引いたポーズは、可愛らしいキャラクター紹介でありながら、どこか戦闘態勢のようにも見える。
やっぱり、ちょっと刺激的な赤色が目立つけど、可愛らしいキャラクターだね?
「まずこの子、『スカルマン』と言うんだ。私がモモフレンズにハマるキッカケになってくれた子になる。」
「そうなんだ…じゃあアズサちゃんにとって、大切な子なんだね?」
名前の通り、骸骨を模したであろう顔のしたデフォルメ化された人形。
さっきは物騒な名前で警戒していたけど、やっぱり実際に見ると印象は大きく変わるね?
そして……
「では、私のいちばんのお気に入り……この子ですッ!」
アズサちゃんに続いてヒフミちゃんは、バックを開けた瞬間に1番のお気に入りであるペロロ様を私に見せてきた。
いや、うん……袋やら何やらからはみ出してて、ちょくちょくは顔は見えていたけど…
「………」
……ごめん、ヒフミちゃん…!
この人形に関しては、本当に目が怖い…
も、申し訳ないけど、私の好みではないかな〜?
「ちなみに、お姉さんはどんなキャラクターがお気に入りになりましたか?!」
「あっ…そ、そうだね…?」
表情には出さないようにしていてたため、すぐに話題がペロロ様から変わったことに少し安堵した。
それにしても、お気に入りのキャラクターか…
「(……このモモフレンズの中で、か…)」
ふと、学校での賑やかで少し騒がしい日常の光景が、一瞬脳裏に蘇った。
私の生徒たちの中でも色々流行ってて、時々クレーンゲームで取ったものを貰うことはある。
でも、やっぱり私が興味を惹かれるのは、キャラクターよりもデフォルメされた動物とかの人形とかで、そっち方面が結構好き派なんだよなぁ…
「うーん……それなら、私は…」
だから、私の目の前にあるモモフレンズの中で選ぶとしたら…
「…この『ウェーブキャット』が良いなって思ったかな?あとは『ピンキーパカ』とか、アズサちゃんのお気に入りの『スカルマン』とかかな?」
「なるほど!特にお姉さんはウェーブキャットがお好きだと…」
そう言うと、ヒフミちゃんはパンパンに詰まったペロロ様バックの中をあさる。
その動作は、まるで宝物庫の中から一品を探し出すかのようだった。
「えーっと……では、こちらをどうぞ!」」
今言ったウェーブキャットの顔がアップでプリントされたアイマスクを差し出してきた。
ヒフミちゃんの笑顔は、心からの喜びで満ちている。
その純粋な気持ちが、アイマスクを通して伝わってくるようだった。
「……えっ?これ、本当に私がもらって良いの…?」
「はい!私たちと同じくモモフレンズを好きになった友好の証です!ですので、ぜひお姉さんに受け取ってほしいです!」
おお、キャラクターの目元がペイントされたアイマスク。
これは実用的で、私もかなり嬉しいものだね?
たしか、私のクラスの子がこれをつけたまま、遅刻ギリギリに学校に来たことがあったっけ…
なんか、将来私もこれつけながら「夜遅くまで小テストの見直ししてたら、目が開かないんです」とか言い訳しそうだな…
「…ありがとう、ヒフミちゃん。これは、大事に使わせてもらうね?」
「はいっ!」
ヒフミちゃんは嬉しそうに頷いて、けれどちょっと緊張したようにぎこちなく笑っていた。
その隣では、アズサちゃんが「ふん」と鼻を鳴らしながらスカルマンのぬいぐるみの腕をぐいっと曲げてポーズをとらせている。
「そういえば、コハルちゃんやハナコちゃんは、2人みたいにモモフレンズの興味はないの?」
「そうですね……私は少し、2人から話を聞いて知っているくらいですかね?」
「わ、私もあんまり…でも……あの…」
言いかけて、コハルちゃんはちらりとヒフミちゃんたちの顔を見た。
その視線は、まるで「別に嫌いなわけじゃないんです」とでも言いたげで、少しだけ焦ったように続けた。
「……ヒフミやアズサが嬉しそうにしてるのを見るのは、好き…です。」
「あらあら〜。」
ハナコちゃんが、楽しげに小さな笑みを漏らす。
その気持ち、すんごい分かるよ…なんか私も、思わずニヤけちゃいそうになったもん。
「……!」
「コ、コハルちゃんっ…!」
ヒフミちゃんとアズサちゃん、照れて席から離れたコハルちゃんに寄って行って、3人でわちゃわちゃし始めた。
でもコハルちゃんも、顔がどんどん赤くなっていってるけど、悪い気はしてないみたいだね?
うんうん、本当に仲の良さが滲み出てるいい光景。
「あはは、いい関係だね……本当にお互いに支え合ってるって感じで?」
「…ふふ、そうですね。」
私がそう言うと、私の隣で3人のやり取りを見ていたハナコちゃんがゆっくり口を開いた。
楽しそうに見ているから、「ハナコちゃんも行かないの?」って言おうとしたけど、私は目線を外した。
陽光に透ける髪のように、掴みどころのない透明感がある。
「(うーん…)」
……正直、私はまだこの子のことが分からない。
これについては、ハッキリとは言語化できないんだけど…
なんだか、この子からはノアちゃんと似ている。
私でも知らない自分の奥底まで見えているような、そんな色が滲み出ている気がする…
「…私は、お姉さんのことがまだ少し気になりますかね?」
「えっ……わ、私…?」
思わずハナコちゃんの方へ振り返って気の抜けた声を漏らす。
今の言葉が、私が考えていたことに対する返答なのか、はたまた無意識のうちに出たものなのか、私を見つめてくる目を見ても分からない。
「……でも、話せることなんて何かあったかなぁ…?」
ガタン、と車輪が小さく音を立てた。
遠くでヒフミちゃんたちの笑い声がくぐもって聞こえる。
その静けさの中で、ハナコちゃんは、ぽつりと口を開いた。
「…そうですね?なんだか、私から見たお姉さんはーー」
ハナコちゃんの声は、いつも通り静かだった。
先ほどの、ギリギリアウトで社会的に抹殺されそうな大胆な発言をしていた少女の姿はそこには無い。
その一語一語はまるで水面に落ちる小石のように、私の心に静かに波紋を広げていった。
「……どこか、『自分の居場所を探している』ように見えましたので。」
「……!」
その言葉が落ちた瞬間、空気がすうっと冷えたように感じた。
息を呑み、心臓が一度大きく跳ねるような気さえする。
私は何も言えずに、ただハナコちゃんの目を見つめ返すしかできない。
そして、やっぱりその目はどこかノアちゃんに似ていた。
冗談を言っているわけでもなく、断定するような色でもない。
ただ、ありのままを見つめている……そんな瞳。
「……ははは…」
……ごまかせないなぁ、ほんとに…
いつの間にか、こんな風に見透かされるようになったんだ?
キヴォトスに来てから……いや。
アイツの生徒の子たちと出会ってから、ずっとだね?
「…もしかして、キヴォトスの子たちってみんな、人の心を覗き込む名人なの?」
「………」
「……でも、ハナコちゃんの言う通りかもしれないね…」
そう言って笑ったつもりだったのに、声は妙に乾いていた。
ヒフミちゃんたちのわちゃわちゃした空気がふっと和らいで、こちらにチラリと目を向けているのが分かる。
でも、私はあえて気づかないふりをして、ハナコちゃんにのみ聞こえるように言葉を続けた。
「実を言うとね……私、ここに来てからずっと、『昔に戻っている』気がしてるんだ?おかしなこと言ってるかもしれないけど…」
私の言葉に、ハナコちゃんが静かに瞬きをひとつする。
その仕草は、静かに私の告白を受け止め、次に語られる言葉を待っているかのようだった。
「…大人らしく振る舞おうとしても、どうしても『昔の自分』が顔を出す。弟のことを聞いて、昔見たことあるような懐かしい場所に触れて……それで、どんどん『姉だった私』に戻っていく気がしてるんだ…?」
そこまで話して、私はふっと目を伏せる。
「そう思ってる『つもり』なんだけどね……でも、それすら本当に『今の私』の気持ちかどうかは、分からなくなる時がある…」
ハナコちゃん向かって小さく、笑ってみせる。
だけど、この子はきっと分かってしまうだろうな…
この笑顔に、少しだけ混ざった苦味の正体を。
「……まぁでも、それでも…」
私は目を上げ、再びハナコちゃんの方をゆっくりと見つめた。
「…『先生』だった弟が、どんな風に生きていたか……それを知りたいと思う気持ちだけは、『今の私』のものなんだ。だから、今の私にできることを、少しずつでもやりたいんだよね?このキヴォトスを見て回ろうとしてるのも、その一つ…」
静かな沈黙が、座席に広がる。
電車の振動だけが、遠く、深く響く……けれど、どこか温かい。
この空気の中に、私はやっと『今の自分』という立ち位置を、ほんの少しだけ置けた気がした。
「…多分だけど、ハナコちゃんも私と似たようなことを抱えてるんじゃない?」
「(……!)…なぜ、そう思ったんですか?」
「うーん……これはなんとなく、かな…?でも、ハナコちゃんが3人を見ている時の目が、時々私がしている目とそっくりだったからね?」
自分ではない誰かに、自分の抱える影を見つけたような、そんな感覚。
「……ハナコちゃんにとっては、この『補習授業部』こそがかけがえのない居場所なんでしょ?」
「…ふふ、そうかもしれないですね?」
ハナコちゃんの答えは、静かでありながら、確固たる重みを持っていた。
その言葉の響きには、守りたいと願う、温かい世界の輪郭が感じられる。
「……確かに、コハルちゃんたちと一緒にいる時間は、私にとって何にも変え難いものです。」
「うん……案外、似た者同士なのかもね、私とハナコちゃんって?」
私たちの間には、静かな共感で満たされていた。
車窓の外の景色が穏やかに流れ、その速さがまるで私たちを包む時間の流れのように感じる。
「でも似てることに、ちょっと安心できるのも……なんだか不思議だよねぇ…」
「ふふ、私もそう思いますよ?」
ハナコちゃんと笑いながら再び、電車の揺れに身を任せながら改めて思った。
『姉』としての時間も、『大人もどき』の私も、『今』のこの瞬間も…
どれもちゃんと、私自身の一部なんだって。
でも、ヒフミちゃんからもらったこのアイマスクで少しだけ色々と遮断して…
そんな時間が、いまの私にはちょうどいいのかもね?