足音が、やわらかく磨かれた石の床に反響する。
サオリちゃんも私に対しての緊張が解けたみたいで、3人で静かに会話をしたまま歩く時間がまた少し続いた。
ここに流れている静けさは、決して冷たいものじゃない。
むしろ、なんだか落ち着いたぬくもりと、これからに向けて何かがひとつ形を結びかけている、そんな安堵に近いものがあった。
「…そういえば、お姉さんは紅茶は好き?特にティーパーティーはお菓子と一緒に、よく紅茶を嗜むからさ。」
「うーん……私は飲んだことはあんまり無いかな。基本は、砂糖多量のコーヒーとかを眠気覚ましに飲む感じだからね…」
アツコちゃんの質問に苦いものを噛んだような表情になる。
この人生、あまり紅茶飲んだことなかったな。
ちょっと味が独特で、友達の一口もらってそれっきり。
「あと、所作に関しては……まぁ?意識したことがないから、やっぱり壊滅的だとは思うな…」
「私もまだ、所作には慣れていないな…」
私に同調するようにサオリちゃんもそう呟く。
何だろう、同じような人がいるだけで安心感が湧いて出てくる。
「そんなに気張らなくても大丈夫だよ?2人とも自分のペースで、ティーパーティーとの時間を楽しんでほしいかな。」
おお、アツコちゃん、貫禄がある。
流石は、アリウス派のホストだね。
「あぁ、了解した…」
「…うん、分かった。じゃあ、気楽にそうさせてもらおっかな?」
そうして曲がり角をひとつ抜けた先に、大きなステンドグラスが見えてきた。
金と青の模様が緻密に絡み合うその窓には、キヴォトスの聖書の一節か、それとも寓話の一場面が描かれているのかもしれない。
陽光がそこを通り、色とりどりの影となって廊下を静かに染めていて、伸びる光はまるで言葉を持っているように私たちの足元を撫でていく。
やっぱりそうなんだぁ…
これが、『トリニティ』っていう場所なんだよなぁ…
「(凄い……どんどん豪華になってく…)」
思わず息を呑みながら見つめる高い天井には、羽を広げた天使のような意匠が施され、壁際には古典的な意匠の燭台が並ぶ。
でも、火は灯っていない。
それでも空間は明るく、開かれていて、どこかただの教会とも、劇場とも、学校とも違う。
けれど、その全部を抱えているような、不思議な場所だった。
「…どうかしたの?」
「あっ!ご、ごめんね、また圧倒されちゃっててさ…?トリニティに来た時からそうだけど、この空間も本当に本の中の世界に見えるなぁ……って思ってたんだ?」
「たしかに、そうだな……私も一人旅をしていた中で、そこから知見を得たことがある。そうして改めて、トリニティという場所の見え方は変わった。」
「私も最初の頃はそうだったかも?特にこの場所はトリニティは歴史を詰め込んだような、そんな景観が広がる場所だからね。」
確かに、この場所はただ綺麗なだけじゃない。
歴史と祈りや、あるいは過去の争いや葛藤までも、全部静かに吸い込んで、受け止めてきたような、そんな深い深い器のような気がする。
それを2人も、私と同じみたく感じていて…
「……!」
一瞬、進行方向の先にわずかな気配が生まれた。
そしてカツン、と私たちではない誰かの靴音が響いた気がする。
先にあるのは、天井の高さに合わせる形で作られた、見上げて初めてその全貌を把握できそうな扉。
まだ見えないけれど、その奥に気配が確かにあった。
「……もしかして、この先?」
「…そうだ。扉の先にティーパーティーが集まるテラスがある。」
「多分、ミカさんたちはまだ茶会の最中だろうけど、お姉さんが来るのを待ち侘びているはずだよ?」
それはまるで舞台の開演を知らせる鐘のように、私の胸に少しだけ緊張を走らせる。
隣にいるアツコちゃんは特に何も言わず、けれどその気配に気づいたように小さくうなずいた。
「うん……それじゃあ、行こっか。」
そして、2人は扉に手を掛けながら私の方を一度だけ振り返ってくる。
その視線には、言葉にしなくても伝わる『大丈夫』が込められているのがわかった。
「………」
私も静かにうなずき返して、そっと息を吸いこんでその後を追った。
サオリちゃん以外のティーパーティーがいるという、広いテラスへと続いていた最後のこの廊下に、少し風が通った気がした。
後ろの白いカーテンがゆっくりと揺れて、その隙間から差し込む光の向こうに、幾つかの影が淡く、柔らかく浮かびあがってくる。
――トリニティ総合学園生徒会『ティーパーティー』。
『トリニティ』という名のこの場所で、誰よりも深く、長くこの学園の『中心』という位置に立ってきた子たち。
この先にいて、私はついに直接会うことになる。
少し湧き出ている緊張を抑えつつ、その光の中へと私はゆっくりと足を踏み入れーー
「ぐふっ…!?」
「わっ!」
ーーた私の顔に、何かモフモフとした何かが凄い勢いで飛び込んできた。
突然の顔を襲った衝撃に、ほとんど声を出す間もなくバランスを崩しかける。
綿菓子みたいな衝撃に目の前を占拠された私は、何がどうなったのかわからないまま仰け反りかける。
「…!」
すかさずサオリちゃんが私の腕と腰を掴んで支えてくれた。
でも……私に向かって、何が飛んできた?
「わあああああ!だ、大丈夫…!?ちょっと、どうなってるの、セイアちゃん!?」
「…すまない。つい過ぎた熱で過剰に驚かせてしまったらしい…どうも歓迎の仕方に関しては、この子たちの方が熱心なようだね?」
「そんな悠長に…!お怪我はありませんか、お姉様!?」
サオリちゃんに支えられながら立ち上がり、デコをさすりながら声の方を見る。
目を向けた先には、3人の上品な装いの子たちが揃って私に駆け寄ってきたり、焦ったように視線を向けていた。
そこいたのは、連絡を取った時に話したナギサちゃんのミカちゃんに、そしてさっきまでは映ってはいなかった子がもう1人。
「も、申し訳ないことをしてしまったね…怪我はないかい?」
狐の耳を立てて、光の中で透けるような黄金色の髪が風でなびいている小さい子……もしかして、この子がセイアちゃん?
サオリちゃんたちと同じように白の制服を着ていて、小さな鳥を両手でそっと抱えながら、私を目を線にしながら見てて……あれ?
私に向かってきたのって、あの鳥じゃない?
「…大丈夫、お姉さん?」
「ハッ…!う、うん、ありがとう………あっ。」
わたわたしながら状況を整理する間もなく、目の前には同じ見た目をした一羽がフワッと優雅に滑空してきて、今度はアツコちゃんの肩に器用に着地した。
さっきのぶつかってきた小鳥。
パッと見た感じになるけど、『シマエナガ』?
前に写真で見てて、かわいいって思ってた鳥だけど、なぜか今は、じっと『ふふん』とでも言いたげな目をしている私の方を見ている。
……えっ、もしかして敵対されてる?
「…私もびっくりしちゃった。」
「……セイア。何故、先生のお姉さんにこのようなことを?」
「決して他意があったわけではないよ、サオリ。その子も先生のお姉さんを歓迎をするつもりだったようだ……だが、やはりそれが常に善とは限らないものだね…」
低くなったサオリちゃんの声にセイアちゃんは静かに言葉を返した。
対するセイアちゃんの文学的で、知的な印象を受ける喋り方は、なんだか雰囲気通りの子だね?
なんかこう、言葉言い回しが独特というか?
「だ、大丈夫!」
「本当に、刺激的な歓迎だったね?私たちも予想外。」
アツコちゃんが肩に乗っかるシマエナガを指で撫でながらそう呟く。
この状況でも冷静なのは、すんごい。
「…しかし、本当に申し訳ないことをした。私たちとしても、ここまでお姉さんを驚かせるつもりはなかったんだが……ほら、おいで。」
「そ、そうだったのか…しかし、お姉さんに何もないようで良かった…」
私の横から聞こえたサオリちゃんの凛とした声が通り抜ける。
それを受けながらセイアちゃんはゆっくりと私の方へ歩いてきて、落ち着いた動作でシマエナガを指先で呼び寄せた。
「……おや?」
呼ばれた子は、アツコちゃんの肩に乗っかったまま見てるたけど、何故かその子は、今度は私の頭の上に乗ってきた。
「あ、あれ……私?」
「セイアさん…!せっかくの歓迎の雰囲気が、崩れてしまったではありませんか!ですから私は、このようなお迎えの仕方はやめましょうとお伝えしたのに…!」
セイアちゃんの後ろから聞こえた声の方を見ると、ため息を吐きながらナギサちゃんがつかつかと向かってきていた。
さっき通話した時もそうだったけど、真面目が故に、何かと発生した想定外に巻き込まれたり、挟まれたりするような立ち位置の子なのかな?
「予見には、常に最も正しい者の言葉に宿る…とは、たしかに古い書にあったね?だが、君の忠告に耳を傾けなかったのは、たしかに私の落ち度だった…」
「全く……突然のご無礼をお許しください、お姉様。改めて、こうしてお越しくださり感謝申し上げます…」
「あっ、そんな丁寧に…」
ナギサちゃんは、お辞儀から目線の動かし方から見ても、『上に立つ人』のオーラが滲み出ている気がする。
「ティーパーティー一同、貴方をお待ちしておりました。」
それにしても、そうだ。
呆気に取られてたけど、私って今トリニティの中心みたいな場所に足を踏み入れようとしてるんだった。
「私はそんな大事じゃないから、謝らなくても大丈夫だよ、ナギサちゃん。私も、みんなに会えるのを楽しみにしてたし?」
「そうおっしゃって頂き、感謝致します…」
丁寧にお辞儀をしてきたナギサちゃんを見て、私も自然と腰が低くなる。
それにしても、頭の上がゾワゾワして、なんだかくすぐったい…
というか、キヴォトスにもシマエナガっているんだね?
「でも、その……まだ私の頭の上にシマエナガが…」
ナギサちゃんに対して、私も言葉を続けようとした。
けれどらどうも脳みそは、頭の上に乗っているシマエナガにリソースを割ってしまっていた。
「ごめんね、お姉さん…!本当にぶつかるつもりは全くなくて、その子はお姉さんを出迎えてくれる、私たちの歓迎係のつもりだったの…!」
そんなこと考えていると、ナギサちゃんの横にいたミカちゃんが、焦った様子で私のすぐ目の前までぐっと距離を縮めてきた。
「あっ、そうなんだ…!それなら、大丈夫!たしかにびっくりはしたけど、その気持ちはちゃんと伝わってきたからさ…!?」
「そ、それなら良かったけど…」
綺麗な淡いピンク色の髪に、ふわりとした雰囲気。
通話した時からそうだったけど、立ち姿や話し方から『天真爛漫』って言葉がピッタリ似合う子。
なんだか、本の中から出てきたお姫様みたいで…
「一応、私も前はそう呼ばれてたんだよ?」
「……アツコちゃん。今のは流石に怖いよ?」
スッと横から向けられたアツコちゃんの言葉に背筋が伸びた。
声には出してなかったはずなんだけど、ねえ?
「…私たちが向かっている間、こちらがどうなっているのかすこし気になってはいたが、まさかここまでとはな?」
サオリちゃんの言葉に、ミカちゃんはしゅんと小さくなる。
「ううっ…この子たち、誰かさんに似て想像以上に元気すぎちゃって……ごめんなさい、お姉さん…」
「おや、それはまた随分と曖昧な指摘だね、ミカ?『誰かさん』などというぼかした名指しは、しばしば矛先を曖昧にしているようで、最も的確に誰かを示す。まさか、自分のことを指しているのかい?」
「セイアちゃ〜ん?」
「あっ、お姉さん。私の後ろに来た方がいいかも。」
アツコちゃんが私の袖を掴んで後ろへ誘導してきた。
私もこの生じた不穏な気配に、頭を縦に振ってすぐに移動する。
「ミカさん、セイアさん…」
すると、雰囲気からミカちゃんとセイアちゃんの口撃戦が開幕しそうになったタイミング。
表情に影を落としたナギサちゃんが間に入った。
「先生のお姉様がいらっしゃるんですよ?ここでは言い争いは、これ以上は控えて下さい…!」
「…すまない。」
「はーい、ナギちゃん…。」
ナギサちゃんの一括で不穏な空気は振り払われた。
「まずは、サオリさんとアツコさんの労いと、お姉様の歓迎を行いましょう……お姉様、どうぞこちらへ。」
「あっ、うん…」
ナギサちゃんに促されて私はアツコちゃんの後ろから出てくる。
「……サオリ、アツコ。」
すると、ミカちゃんが2人を優しい笑みを浮かべながら呼び止めた。
「お姉さんのこと、連れてきてくれてありがとね?」
「どういたしまして、ミカさん。」
「あぁ……だが私は、私のすべき事をしただけだ。」
「も〜う、サオリは相変わらず硬いなぁ!」
サオリちゃんの返答にミカちゃんは明るくそう返す。
そして、視線を私の方へ向けてきた。
「…私たちといっぱいお話ししようね、お姉さん!」
「そ、そうだね、ミカちゃん?」
やっぱりなんだか、みんな私がイメージしていたよりも、ずっと柔らかい雰囲気だね?
それぞれお互いに、心に留めずに言い合っているみたいな、そんな感じ。
しがらみとか、そういった類のものがこの子たちの間にあるとは思えないような空気が流れてる気がする。
「……やっぱり、みんな揃って仲がいいんだね?」
「たしかに、そうだな……だが、こうなるまでにも色んなことがあったのは事実だ。」
「…うん。ここまで私たちの関係性が深まったのも、先生のおかげだよ。」
ナギサちゃんに続くようにミカちゃんが歩いて行き、私は噛み締めるようにそう話すサオリちゃんとアツコちゃんに着いていく。
元々、アリウスとティーパーティーとの出会いは、『侵攻』という形だった。
お互いに決して簡単には埋まりきらない溝があったはずなのに、今はこうして同じテーブルに並ぶまでになっている。
……これも、アイツのおかげなんだ…
「…どうやら、君たちの関係性も良好なものになったようだね、サオリ、アツコ。先生のお姉さんとのしがらみは、もう無いのかな?」
「「……!」」
歩いていく先には、色とりどりなお菓子や白いクロスが風になびくような席がテラスにいくつも並んでいる。
けれど、そこへ向かっていく途中で、少し前を歩いていたセイアちゃんが振り返って私たちの顔を覗き込むように見てきた。
「書物に溢れていたインクは確かに消え去ったが、そこに新たな文字を書き留めること自体は躊躇していたからね?」
「だが、その表情を見る限りだともう『空白』はないようだね。」
「うん。ありがとう、セイアさん。」
「……あぁ…もう、私は大丈夫だ。」
「…それなら私ももう安心だ。今日は素晴らしい日なんだ。」
静かに語るその声は優しく、だけど確かに、サオリちゃんたちの背中をそっと押すような力が込められていた。
そしてアツコちゃんに送り合う視線には、どこか興味深さと安心が同居しているように見える。
「これから飽くまで君のそのページを埋めきるほどの時間を、過ごしていこうじゃないか?」
まぁ、言葉は、相変わらず少しだけ難解だけど。
でも、だからこそ、ふと心の奥に引っかかるものが浮かび上がった。
「……ねぇ、セイアちゃん?」
小さな疑問……けれど、それは確信に近い。
「どうしたんだい?」
「あっ、いや…ちょっと、聞きたいことがあってね?アツコちゃんたちを私のところに向かわせる提案をしたのって……あなた?」
セイアちゃんは私に対して眉ひとつ動かさずに返してきた。
だけど、どこかその表情には微笑がにじんでいる。
「…ああ、たしかに私だ。だが、急にどうしてそんなことを聞いてきたんだい?」
「い、いや…もしかしてだけど?最初から、私とアツコちゃんたちが『こうなる』ことを期待したのかなぁ…って思ってさ?」
「……ふふ。」
私の言葉に、セイアちゃんは長い服の袖を口元に当てて私の目をじっと見てくる。
その視線は、何かを見透かしているようで、けれどまるで子どもの悪戯を見守るような優しさがあった。
「特に深い意味はなかったよ。サオリやアツコにした提案についても、ただの私の気まぐれというものさ?」
「そっか……優しいんだね、セイアちゃんは。」
「……ふむ?」
変に長く感じる一瞬の静寂の間。
サオリちゃんは、私とセイアちゃんの顔にそれぞれ視線を向けてきていた。
「…先生のお姉さんにそう言ってもらえるとは、光栄なことだね?その言葉は有り難く受け取っておくよ。」
「私たちも、後でしっかりお礼をしますね、セイアさん。」
「……アツコ。言葉というものは、一度口から放たれれば二度と籠の中には戻らぬ鳥のようなものだよ?沈黙とは、時として金以上の価値を持つもの……という格言を、君に贈っておこうか。」
「ふふ、ごめんなさい?」
「ははは…」
アツコちゃんは、やっぱりこの空気の中でも楽しそうにしてるね…
「…んん。さて、立ち話はここまでにして、少し遅めのティーパーティーといこうかね?」
「あっ……あの〜、セイアちゃん?」
私は背を向けて歩き出そうとしたセイアちゃんを呼び止めて、視線を少し重さを感じる頭の方へ向ける。
「どうしたんだい?」
「えっと、この子なんだけど、ずっと私の頭に…」
たしかに、私にとっては、ここまで近い距離でシマエナガに触れ合えるのは嬉しいこと。
だけど、ずっと頭に乗っかって動いてくれないのだけが、流石にちょっとだけ……うん、困っちゃう問題だからね?
「…どうやら、その子は君のことが気に入ったらしい。」
「………えっ?」
「だからもうしばらく、頭の上をお借りしてもいいかな?」
ぽかんと間の抜けた声が、思わず口からこぼれてしまう。
セイアちゃんは、そんな私の反応にくすりと笑いながら、口元をほんの少し緩めた。
そして、ティーパーティー日和の快晴の空の下に、可愛らしい鳥の声が一つ、私の頭の上から聞こえてきた。