「なるほど。茶葉って、加工方法だけで紅茶とか緑茶とかに変わったりするんだ……同じ葉なのに、不思議だね?」
腰を折ってそう言うと、ふわりと上品な金木犀の香りが漂ってきたナギサちゃんの手がぴたりと止まった。
ティーポットを傾けようとしていたナギサちゃんは、そのまま一瞬だけ動かずにいたが、すぐにいつもの落ち着いた声で返してくる。
「え、ええ、そうなのです…」
上品で澄ました表情の奥に、微かな微笑みが混じる。
一度アールグレイを飲み干し、別の味の紅茶を淹れてもらっているのを待っている間に、私はナギサちゃんの近くで紅茶についてのレクチャーを受けていた。
そして、そのまま紅茶の話に入ったナギサちゃんは、まるで自分の庭を歩くように、淀みなく言葉を紡ぎはじめる。
「茶葉は、発酵の度合いで、出てくる風味もまったく変わっていくのです……た、例えば紅茶は完全発酵、緑茶は非発酵…烏龍茶はその中間にあたる、半発酵の茶葉などで作られます…」
「それで、あの味の違いになるんだ……気にしてこなかったけど、茶葉って奥が深いんだね?」
自分の好きなものを語ってるからか、ナギサちゃんは穏やかでありつつも理知的で、それでいて少しだけ熱がこもっている。
その声が心地よくて、私はうなずきながらナギサちゃんの言葉をひとつひとつ、カップの中でなびいている紅茶を再度眺めた。
自分の好きな事を話す子の言葉って聞いてると、微笑ましくてなんだか安心する。
「そ、それで…」
だけど、金木犀に混じった紅茶の香りがふわりと鼻をくすぐる中で、ナギサちゃんの言葉がふと途切れた。
「あれ?どうしたの、ナギサちゃん?」
カップから目線を切って、すぐ横にいるナギサちゃんに目を向けながら問いかけると、ナギサちゃんは唇を結んでどこか気まずそうに小さく目線を逸らす。
そのまま少しの沈黙の後で、ぽつりと私たちの様子を見ていたミカちゃんが、言葉を向けてくれた。
「あっはは……多分だけどナギちゃん、かなり照れちゃってるね〜…」
「そ、それは違いますよ、ミカさん…!」
「あっ!そ、そうだったら、ごめん!話を聞くにしても、近すぎたよね…?」
「い、いえ!そんなことは…」
「こ、紅茶のおかわりも来たみたいだから、私はこれで〜…」
ミカちゃんの言葉を聞き、自分もここでやらかしにハッとして、そそくさと早足ですぐに自分の席に戻る。
すると、シマエナガが肩に乗ってきて体を私の頬に擦り付けてくる。
あぁー、癒しだなぁ、この子。
「(……んま。)」
そして、変に乾いた口の中に最初に食べたものと同じタルトと、新しく淹れられたダージリンを流し込んだ。
アールグレイと違って柑橘の香りがついていない分、茶葉本来の味がある……気がする。
「(……切り替えよ…)」
もう少し、話を聞いてみたかったけどこれ以上は考えものだ。
にしても、聞くのに夢中になって、また昔の頃の距離感で話していたけど……流石に距離を詰めすぎてた。
やっぱりどうも、キヴォトスに来てから足が軽くなりすぎてる気がする。
……やっぱり、自分はでも気付かないだけでそんなに求めているのかな。
「次は、これ食べてみる?トリニティのスイーツはどうかな、お姉さん?」
「んー、最高。」
アツコちゃんの問いに対して語彙のなくなった声を返す。
だってある意味夢じゃん、こんなスイーツ食べ放題の時間とか。
「ふふ、良かった。」
足早にフルーツタルトを食べ終え、すぐ次に皿へと取り分けたガトーショコラケーキにフォークを突き刺す。
しっとりとした断面からふわりとビターな香りが立ちのぼり、私はそれを一口分に切り取って、ゆっくりと口元へ運ぶ。
「(ミーカーさーん…!)」
「(ご、ごめんってば、ナギちゃん…!)」
ふと横に目を向けると、ナギサちゃんに顔を寄せて、ミカちゃんが何かを小さく囁いていた。
「や、やっぱりお姉さんって、当たり前のことなんだろうけど、本当に先生にそっくりだよね…!?」
「んぐ?」
内容までは聞こえなかったけれど、その直後、ミカちゃんがぱっと私の方を向いて、やや焦ったような声で話しかけてきた。
「私たちに対しての距離感というか、そういう所がすぐに近くなっていくところが特に似てる気がするんだ…!」
「ん……そ、そう?」
私は少し遅れてから、ミカちゃんの言葉に対して返事をした。
口の中の甘さを咀嚼しながら、なんとなく頬が熱くなっていくのを感じる。
「ま、まぁ、昔からそうだったんだけど、楽しいことはみんなとワイワイしたいみたいな、感じ…?」
肩をすくめるように言いながら、テーブルの端に置いたティーカップへ視線を落とす。
キヴォトスに来てから『似ている』って言われる度に、嬉しさと一緒に寂しさも覚える。
「でも、キヴォトスの外の世界で先生になった後もこの感覚があまり抜けてないし……大人として、ここはしっかりしないといけないとは思ってるんだ…」
うっすらと紅茶の表面に映る自分の顔が、どこか頼りなくも見えた。
「ふむ、君がそう思っているとは少し意外だね?」
静かに響いたセイアちゃんの声に、私は顔を上げた。
「私が見ている君は、本心から揺らぎもなく、自然な在り方で此方に届いているようだったんだが……違ったのかい?」
セイアちゃんはそう言って、手元のスプーンを皿に置くと陶器の音が、小さくテーブルの上に余韻を残す。
その目は、どこか澄んだ湖のような光を帯びていて、その語り口とは裏腹に、まっすぐ私を見つめていた。
「いやぁ、そうかもしれないけど……でも、なんだかそんな距離感だと、『大人らしくない』……っていうかさ?」
「…しかし、私はそっちの方がいいと思っている。」
「えっ?」
「あぁ、いや……少なくとも、私はだがな…?」
「私も今のお姉さんの距離感の方が好きかな。お互いにいい意味で意識しなくていいのが私としては心地いいみたいな?」
視線を泳がせながら言うと、すぐ隣にいたサオリちゃんやアツコちゃんがぽつりと呟くように言葉を継いだ。
思わず目を瞬かせるけど、まっすぐなその言葉は、余計な飾りもない。
「そ、そう?」
「うんうん!私もサオリ、アツコと同じ考えかなー?」
流れるように、ミカちゃんが元気よく頷きながら笑った。
手にしていたケーキのフォークをくるくると回しながら、明るい声で続けてくる。
「やっぱりお姉さんみたいな大人でも、何かを楽しむ気持ちがあった方が絶対にいいって思ってるし!今のお姉さんみたいな先生像が、私も好きかもなぁ〜☆」
「ありがとう……みんなの優しさが、身に染みるよ…」
少し照れ笑いを浮かべながら、紅茶を一口すする。
甘さと渋みのバランスが絶妙で、その味わいすら、どこか今の会話と重なる気がした。
キヴォトスの子たちって、みんな素直でいい子だなぁ…
「……でもさ?初めてナギちゃんと話してた時のお姉さん、すごい緊張してたのに今は本当にその面影が全くないよね?ナギちゃんは、まだ少し引きずってるみたいだけど…」
「うぐっ…」
「はぁ……一言多いですよ、ミカさん…」
ミカちゃんが悪戯っぽく笑いながらそう言って、ナギサちゃんの方へちらりと目を向けた。
ナギサちゃんはそれに対して、小さく溜め息をつきながらも目線をそらして、顔の前でそっとカップを持ち上げた。
「(あの時のことかぁ…)」
少しだけ目を伏せると、あのときの恥ずかしい記憶が鮮やかに蘇ってくる。
たしかに緊張があったとはいえ、あの時の私は酷いくらい言葉に詰まってたな…
その時と比べると……まあなんとも、かなり近い距離感になったね?
「うーん……忘れてほしいかなぁ、あの時のことは?」
「えぇ〜、どうしよっかなっ?」
濃厚な甘さのガトーショコラに舌鼓を打ちながら、ミカちゃんにささやかなお願いをしてみる。
まぁ、いたずらに返ってきた笑顔を見て、その望みはかなり薄い事が分かったけどね…
「もう、ミカちゃん…」
柔らかい空気に気を和ませて、肩に乗っているシマエナガを揉むように撫で回す。
やっぱり、触れてみてもこういう小動物は可愛らくしてたまらない。
そして、次に目が入ったのはチーズケーキ。
昔からだけど、食べ放題とかこういう目の前に美味しそうなものが沢山あると、自分でも分かるくらいにはがめつくなる癖が抜けない。
「(……あっ。)」
狙いをつけたタイミングで、横から手が伸びてくる。
その先を見ると、私と同じものに手を伸ばしていたサオリちゃんと目があった。
サオリちゃんが少しだけ視線を落として、動きを止める。
そのまなざしははっきりと私の目の前にあったチーズケーキに注がれていたのを見て、手を動かす。
「サオリちゃんも、このチーズケーキ?」
「あ、ああ…」
銀のトングがケーキをすくうたび、カップの紅茶がわずかに揺れた。
「はい、どうぞ。」
「手間を、かけさせてしまったな?」
「大丈夫、大丈夫。」
ミカちゃんに返答を返しながら、私はサオリちゃんの視線の先にあったケーキを取って渡した。
ふむ、このチーズケーキも中々いける。
ほのかな甘さとチーズのクリーミーな感じがたまらない。
ちなみに、モンブランとアールグレイのコンビは、この茶会の中で見つけた名コンビだった。
この組み合わせは特に優秀で、私の中の合格点を優に超えている。
「しかし、ミカの言う通り、トリニティに来る前のナギサとの会話で見せていた君のあの焦りは、もう霞のように消えてなくなっているからね。時は他人との距離を縮めると言うが、君はそれが顕著に見えるね?」
私と同じように指先を使ってシマエナガと戯れているセイアちゃんは、そっと微笑みながら、カップの縁に視線を落としている。
紅茶の表面に揺れる小さな波紋を、さっきの記憶をなぞるように見つめながらの言葉だった。
「た、たしかにあの時は三大校の一つで、しかもそのトップの子にいきなり連絡をしちゃって凄く焦ってたからね…」
チーズケーキの味の余韻に口の端をゆるめながら、少し肩をすくめるようにして言葉を返す。
そして、気づけば手元の皿にはまた別の甘い何かが乗っていた。
これは何だろうでもとりあえず、これまた美味しそうなものだね?
欲望のまま、もう結構食べてる気がするけど…まあ、いいか。
「…それでも今は、トリニティに来てからみんなの事を見てたら、その緊張はもうほとんど消えちゃってるよ。」
私は苦笑しながら、チーズの風味が残る口の中へアールグレイを流し込むためにカップを唇に運ぶ。
湯気越しにふと目をやると、サオリちゃんがちらりとこちらを見ていたのに気づいた。
「…でも、1番の要因は、サオリちゃんとアツコちゃんのおかげかな?」
「私たち、がか?」
「そう言ってもらえて、嬉しいな。」
サオリちゃんは少しだけ姿勢を崩して、ティーカップを口元に運ぶ。
その動作には緊張ではなく、気恥ずかしさの色が混じっているように見えた。
アツコちゃんは物静かに、にこやかな笑みを向けてくる。
「確かに、このテラスに到着した時は、お二人はお姉様と並んで来られていましたね?」
そんな私たちの様子を見て、ナギサちゃんが不思議そうに口を開いてくる。
「…あの時にはもうすでに、お互い距離感というものはあまり無いように見受けられました。」
「ふふ、そうでしょ?サオリちゃんとアツコちゃんにはね……本当に、私も、危ないところを助けられたからね…」
私はカップをそっとソーサーに戻しながら、視線を落とす。
指先には、シマエナガの綿毛のようなぬくもりがほんのりと残っていて非常に心地よい。
けれど、脳裏にはほんのさっき目の前で繰り広げられていた、銃撃戦の騒がしい残像がちらついていた。
「本当に…本当に、補習授業部のみんなとアリウススクワッドのみんなには助けられたよ…!また銃撃戦に巻き込まれた時は本当に、自分の運のなさに呆れちゃったね…」
冗談めかして苦笑しながら頭を抱えると、その言葉にナギサちゃんがふっと表情を曇らせるのがわかった。
その視線は、私の手元にあるティーカップに向けられたまま、動かなかった。
「……本当に申し訳ございません…先程は私たちも、お姉様が巻き込まれていたということを露知らずで、対応に遅れが生じてしまいました…」
「あっ、いやいや、ナギサちゃんが謝る事じゃないよ!あれがキヴォトスの日常だっていうのは、私も重々体感してるし…」
「でもさ…私たちも銃撃が起こったってことは聞いてたんだけど、お姉さんがその現場にいたって聞いて、ナギちゃんは本当に焦ったんだよ!?」
手を軽く振りながらナギサちゃんへそう返すと、隣のミカちゃんが少し身を乗り出してくる。
強調するように目を大きく見開いて言うその表情は、本気の心配が見え隠れしていた。
「それにセイアちゃん、慌ててた私たちを見ながら1人だけ落ち着いてたしー…」
「なに、杞憂というのは案外、周囲の様子から察する事ができるものだよ。あの時は、すでにサオリが動いていて…加えて、前触はあった。特に空気の香りや雲の動きは、今日が特別な日になると語っていたからね?」
「そんなこと言ってもさ〜…」
ミカちゃんの言葉に対して、対照的に落ち着いたままのセイアちゃんの目は、遠い風を読むように細められている。
シマエナガから離れた指先が、紅茶のカップを撫でるように触れていた。
「しかし、ナギサのあの慌てっぷりは中々絵になるものだったね?ミカもあの様子を見て、自然と自分の中の焦りが収まったんじゃないかい?」
「あー……確かにそうだったね?」
「セ、セイアさん…!?私はそこまでは…!」
セイアちゃんの言葉の矢印が今度はナギサちゃんへ向かっていった。
名前を出されたナギサちゃんの顔が、一層赤らんでいくのが見える。
「してた、してたよ!『お姉様の身に何かがあったらどうしよう…』って、顔を真っ青にしながら、もう今にもトリニティ中の部隊を総動員して出す勢いだったじゃん!」
「ミ、ミカさんまで…!」
「……ねっ、サオリちゃん、アツコちゃん?もしナギサちゃんの言ってた通りになってたら、どうなっちゃってたの?」
興味半分、怖いもの見たさ半分の私は、少し顔を固めながら尋ねる。
するとサオリちゃんは、チーズケーキを頬張るのを止め、淡々とした口調で答えた。
「そうだな……仮に正義実現委員会、砲撃隊を含めた部隊が動いていたら、被害は私たち戦いの跡よりも酷いものになっていただろう…」
「そ、そこまで…!?」
「…本当。トリニティはキヴォトスの三大校の一つ。だから抱えている戦力も、多分お姉さんが思っている以上だよ?」
私は唖然としながら首を縦に振るアツコちゃんとサオリちゃんを見た。
さっきの銃撃戦だけでも、建物やら道やらがボロボロになっていたのに……あれ以上なの?
「……仕方ないではありませんか…!!」
そうならなかったことに安心していた私の横では、ナギサちゃんが勢いに任せて言葉を続けている。
でも、一際大きな声が聞こえてきた事で、体が少し上に跳ね上がった。
「私にとって先生のお姉様が無事かどうか!それが、最優先だったんです!ですから、あのように気が動転していたのも仕方のないものなんです…!!」
「(も、もう勢いのままになってるし…)そ、そう言ってくれるだけでも…」
ナギサちゃんの懸命さに呑まれそうになりながら、私は心の中でそっと息を吐いた。
このまま「ありがとう」と笑って流せば済むことだったかもしれない。
けれど、その誠実なまなざしの強さに、私の方が目を逸らしそうになった。
弟は、どんな繋がりでここまで関係性が深くなったんだ?
「ナ、ナギちゃん…それはもう、完全に開き直ってるじゃん…」
「ああ。見事に開き直ったね?」
ミカちゃんは困ったように笑いながら眉を下げてナギサちゃんを見ていて、セイアちゃんも静かに頷き、紅茶のカップをそっと置いて口元に柔らかな笑みを浮かべていた。
雰囲気は変わらないまま…だけど確かに、ナギサちゃんの想いを真摯に受け取っているような気配だった。
「ナ、ナギサちゃん?私としては、そこまで私の身の安全を心配してくれて、本当に嬉しいよ…!だから落ち着いて…」
「…だが、ナギサの心配は理解できる。」
もう、かなり大きな騒動になってしまったかもと、そう思っていた時だった。
空気をすっと切り裂くような、サオリちゃんの澄んだ声が落ちる。
「結果として、今回は何も無かったけど、万が一があったかも知れない。」
続けて静かに響いたその言葉が、テラスの空気をピンと張りつめさせた。
自然とその声に意識が引き寄せられ、全員が静かな雰囲気を纏ったままのサオリちゃんを見つめる。
「私も同じだ。もし先生のお姉さんが巻き込まれ、撃たれたとか知らされたら…きっと私も2人のように冷静でいられず、ナギサのように大きく取り乱していただろう…」
「サオリさん…」
ナギサちゃんがポツリとサオリちゃんの名前を呟くけど、けれど、その声にどこか戸惑いが混じっているのは、私も感じていた。
サオリちゃんの視線はどこか遠くに落ちていたけれど、声だけは明瞭で迷いがない。
「…そうだね。でも、今はこうしてお姉さんは私たちと一緒にお茶会を楽しんでる。」
ミカちゃんも同意するように、だけど静かにその言葉紡ぐ。
「『だから、この話はもうおしまい』……きっと先生がここにいたら、こう言うんじゃないかな?」
これは、アリウスとトリニティを繋いだ弟への感謝の大きさへの表れか。
そこまで真剣な思いを抱えていたことを、私も含めてここで実感したからだった。