大学生になった二人のある日のできごと
小さな"ふたり分のしあわせ"

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Saturday in the Rain

「まだこんな時間じゃない」

 

朝はいつもより念入りにお化粧して、今日のために用意したとっておきに身を包んだ。

お気に入りのリボンを結ぶまでに姿見の前を往復した回数は多分十回じゃきかない。

それでも電車に乗ったとき、まだ街は微睡んでいた。

 

大学生になってから初めての、フー君の街までの小旅行。

朝食は、前から行ってみたかったカフェに。

座り心地のいいソファーにゆったりした音楽、味はもちろん、写真映りも最高。

約束の時間まで優雅なティータイム――そのつもりだったのに時間がぜんっぜん進まない。

 

世界中の時計から電池が抜けちゃったみたい!

我慢できなくって予定よりずっと早くお店から飛び出しちゃった。

……まあいいか。フー君なら、私が早く来たって絶対嬉しいはずよね。

 

彼の家までの道は何度も何度も予習したから間違えようがない。

携帯を鏡代わりに、身だしなみの最終チェック、うん、どこも変じゃない。

昨日降ってた雨もやんで、雲の切れ間から差す日の光が反射してキラキラと眩しい。

雨上がりの土のにおいの中にほんのり夏の色が混じってる。

 

ドキドキとうるさい心臓の音は聞こえないふりして、ドア横のチャイムをそっと押した。

チリン。思ってたよりずっと頼りない音。

気づいてくれなかったらどうしよう。何回も押したらみっともないと思われるかしら。

 

「はーい」

ドアの向こうから彼の声がして、顔がふにゃっとしちゃう。

 

「フー君、会いたかったわ!」

ドアが開いた瞬間、好きが溢れて思わず抱きついちゃった。

「二乃?約束は10時じゃなかったか」

耳元で聞こえる驚いたような彼の声。おずおずとした感じで背中にふれる彼の手の感触。

「待ちきれなかったの!」

 

久しぶりのフー君はなんだかちょっといい匂いがする。

らいはちゃんから「最近筋トレしてるよ」って聞いてたけど、たしかに前よりガッチリしてるかも。

前よりカッコよくなっちゃって……どうするつもりなんだろ、ほんと。

 

「狭いけど、まあ適当に上がってくれ」

「おじゃまします」

 

彼の家には靴箱がなかった。

玄関に彼の靴と私の靴が揃って並んでる。

フー君にあってから私の頬は緩みっぱなしだ――おっこちちゃうんじゃないかしら。

 

部屋の中央には椅子なしで座るタイプのテーブルに野暮ったいノートPC。

申し訳程度におかれた本棚にあるのは分厚い専門書だけ。

部屋の隅に綺麗に畳まれた布団と、部屋干しされてる洗濯物を除けば驚くほど生活感のない部屋だ。

今日はこの後二人で遊びに行く予定だったけど、部屋があまりにも殺風景で、なんか気が変わっちゃった。

 

「台所も全然使ってる感じがないじゃない。普段何食べてるのよ」

「電子レンジがあればカレーは食える。俺が一から料理を覚えるよりもプロの作ったレトルトを食った方がいい。合理的な判断だ」

 

大真面目な顔をしているフー君。

食にこだわりがないのは知ってたけど――想像以上だったわ。

冷蔵庫を覗いてみたけどほとんど空っぽ。

 

「あたしがいる間はそんなの許さないから。お昼作ってあげる、何食べたい?」

どうせなんでもいいって言うんでしょ。

 

「あー、ダッチベイビーだっけ?昔作ってくれたあれがいいな」

 

……ちょっとビックリ。

私が初めて作ってあげた料理だ。

あのころは、こんなやついなくなっちゃえって思ってたのに。

 

「せっかく来てくれたし、その、俺だって色々期待してたんだ」

 

照れながら頬をかくフー君。

仲悪かったころの私も嫌いじゃないってことなのかな。

なんか……ずるい。

 

「とにかく、まずは買い物に行くわよ!」

照れくささを誤魔化すように声を張り上げた。

付き合う前は私がアタックし続けてたはずなのに、照れさせられてばっかり。

フー君がカッコ良すぎるのが悪いわ!

 

会えなくなって二か月も経ってないのに、話したいことは山ほどあって、お店までの道のりだけじゃ全然足りない。フー君が私より長い足で、私と同じペースで歩いてくれてるってことに気が付いたのはいつだっけ。

 

「晩御飯はカレーにするわ、作り方教えてあげるから自炊できるようにしなさい」

会いに来る前、らいはちゃんに特製カレーのレシピを教わった。

食べたときどんな顔してくれるのか、今から楽しみだ。

 

「こっちの安いのでいいんじゃないか」

「それはむね肉じゃない、カレーはもも肉の方がいいの」

「珈琲買うなんて意外だな」

「隠し味よ」

 

私がフー君に色々教えてあげるなんて、新鮮でなんだか楽しい。

レジで「少しはカッコつけさせろよ」と全額出してくれた。

……無理しちゃって。

照れたときにちょっと上を向いちゃう彼を見ると、好きなのは私だけじゃないんだなって胸がポカポカする。

 

「半分渡しなさい」

「これぐらい持てるぞ」

「それだと両手がふさがっちゃうでしょ!」

 

よくわかってない感じの彼から荷物をひったくって、そのまま左手を握りしめた。

大きくてあったかい手だ。

 

「帰り道、忘れちゃったわ。迷子よ」

 

恥ずかしくて顔を上げられなかったけど、彼はゆっくり手を握り返してくれた。

あたしのフー君。

ぜったいに、はなさないんだから。

 

 

 

「ちょっと、包丁がないじゃない!」

お玉もボウルも何もない。辛うじてあるのは小さなお鍋とフライパンだけ。

冷蔵庫に食材をしまっていざ料理を始めようって段階で思わぬアクシデントだ。

 

「自炊の予定なんてなかったからな」

……男の一人暮らしってみんなこうなのかしら。

思わずため息が出そうになったけど

「ついでに二乃の分の食器も買いに行くか」

そんなこと全部どうでもよくなっちゃった。

 

え……?あたしの分の食器……?それって、どういう意味?もしかして、一緒に住む……とか……!?いやいやいや、それは考えすぎよね!?少なくともまた来て欲しいって意味よね……!

おそろいのマグカップとか並べたら……最高だわ!

 

「ほ、包丁なしでも作れるから先にお昼食べてからにしましょ」

フー君のせいで私の心臓はドキドキしっぱなし。声裏返ってなかったかしら。

「何か手伝えることはあるか」

「大丈夫、それよりフー君の大学生活が聞きたいわ。浮気してないでしょうね」

「そんなわけないだろ」

 

ちょっと慌てながらメモを引っ張り出しながら近況を一生懸命伝えてくれるフー君。

こっそりのぞいたら”二乃に話すことリスト”なんて書いてあった。

彼の不器用だけど一生懸命な優しさがたまらなく好きだ。

 

フライパンの上でゆっくりとバターを溶かす。

ジュワっと黄金色の泡がはじけて、ゆっくり幸せの匂いが広がっていく。

リストは”楽しかった話”に進んだみたいで、彼の弾んだ声に自然と笑みがこぼれる。

時間が飛ぶように過ぎてっちゃう。

オーブンもスキレットもなしでちょっぴり不安だった生地も、上手く膨らんでくれた。

生ハムは売ってなかったからソーセージで代用して、旬のアスパラガスを並べる。

トマトの赤とほうれん草の緑で彩を添えてやれば完成だ。

 

「一枚できたわ。時間かかるから先に食べてて」

「待つよ、一緒に食べた方がうまそうだ」

……彼は私をバターにして食べちゃうつもりなのかもしれない。

 

「フー君には焼きたてを食べて欲しいの」

「今日は二乃がお客さんなんだからいい方食べろよ」

なんてやり取りがあって、結局半分こすることになった。

次からは二種類作ろっと。

 

「ほらっフー君。あーん」

「なっ……!?」

 

絶句して固まっちゃった彼だけど、

「食べてくれないのかしら」

上目づかいでお願いしたら目をつむって口をあけてくれた。

耳まで真っ赤にしちゃってかわいい。

――私の顔が熱いのはさっきまで料理してたせいね。

 

「どうかしら感想は」

「おう、最高にうまいぞ」

 

何食べてもおいしいって返ってくる彼だけど、それでもやっぱり嬉しい。

照れくさそうにはにかんだ笑顔つきならなおさらだ。

――お箸で食べるのも案外悪くないわね。

 

食べた後にすぐ動く気にもならなくってぼんやりとフー君の顔を眺める。

 

「なんだよ。顔になんかついてるか」

「んーん、眺めてるだけ」

「にらめっこか?」

 

そんなことを言う彼の口角はもう上がってる。

きっと私も同じ顔をしてるから引き分けね。

 

ポツポツと音がした気がして視線を向けると、水滴が窓を叩いていた。

外は明るいのに、空からは雨が降ってくる。

天気雨だ。

 

近くに幸せな狐さんがいるのかも、なんてフー君と出会う前の私だったら絶対考えなかったと思う。

 

「雨降ってきちゃったな」

「そうね」

 

バターの香りでいっぱいの部屋の中はあったかい。

おなかもいっぱいで少し眠くなってきた。

狐の結婚式はやっぱり和装なのかな、なんて考えながらフー君の肩にもたれかかる。

椅子のない部屋ってちょっと慣れないけど、好きな場所に座れるのはいいわね。

 

「なんだよ急に」

「いいでしょ、べつに」

 

返事はなかった。

かわりに彼の手がそっと肩にまわされる。

 

風のせいだろうか、雨の音が大きくなる。

それに負けないくらい大きなフー君の心臓の音がなんだかくすぐったい。

「好きよ、フー君」

心の中でそっとつぶやいて私は目を閉じた。

 

雨音に包まれながら、ここだけは世界から切り離されたみたいだった。

そのままじっとしていると、彼の緊張がふっと緩んだ。

彼の心臓の音と私の心臓の音。どっちがどっちかなんてもうわからない。

私たちは溶けあってひとつの大きな温かい生き物になったみたいに、ただお互いを感じていた。

 




「狐の嫁入り」
晴れた日にそっと雨が降ること
瑞兆
雨上がりにはきっと虹がかかっている

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