セイア「殴り合いだ。歯を食いしばりたまえ、ミカ」 作:Rayu278
────きっかけは、あの日。学内の視察に、数週間ぶりに自分の足で出向いた、あの日だ。
学内の視察。寝台から立ち上がれない日が続いた時は、ティーパーティーの部員に代理を頼む事も少なくない。代わりに様子を見てもらって、受けた報告に目を通す。
しかし、あくまで人伝て。学内の、生徒間の雰囲気や、派閥の情勢など、自分の目で見なければ分からない事もある。代理を務めてくれる部員を疑うだとかそういう話ではなく、物事は目を向ける箇所によって見え方が変わる。それだけの事だ。
救護騎士団から適度な運動を勧められている事もあるし、体調もここしばらくは安定している。
「…ふう」
意図せず、吐息が漏れた。陽の下に居ても肌寒さを拭いきれない初秋の昼。ものの十数分歩いた程度で汗が滲み、息が上がる。ただでさえ無いに等しい体力が、更に目に見えて減った事実を重く受け止めつつ、足を進める。
立って歩く私の存在が物珍しいという自覚はある。四方八方から視線が飛んで来て、声が上がる事もしばしば。それらに軽く挨拶を返し、見知った顔とは一言二言会話を交わし。生徒たちで賑わうトリニティ・スクエアの噴水を尻目に、お次は図書館の方へ────と、そんなことを考え、爪先の向きを変えた所で。
視界の端。柵の向こうの庭園にある人影は、屈んだ姿勢の物が一つだけ。良く見慣れた後頭部の、左右両側にお団子を結った、桃の髪。土で汚れたジャージ。一時は目に見えて減っていた、翼を可憐に彩る装飾品。膨らんだゴミ袋を片手に握り、空いた手は地面とゴミ袋の口を行って、来てを、繰り返し…たまに、顔の前へと持っていって、逆の手で弄る様子が見える。
「────精が出るね、ミカ」
「わっ!?」
張らずとも声が届く位の距離まで足を運び、ボランティアに勤しむ友人の名前を呼ぶ。ミカは小さな悲鳴を上げてバランスを崩し、尻餅をついた。爪に入った土を取ろうとしていた所に、意表を突いてしまった形だろう。
「びっくりしたぁ~、急に話しかけないでよ。…セイアちゃん?なんでこんなところに。寝てなくていいの?」
「…散歩だよ、近頃は調子が良いからね」
相変わらずだな。と、返ってきた言葉にため息を漏らす。悪気は、ないのだろうが。
君はもう少し、言葉を選ぶことを覚えるべき────などと、言い飽きた文句を静かに呑み込んだ。言葉の裏まで勘ぐって、素直に受け取れない私の方も問題だ。
尻に着いた土を二度、三度と払い、ミカは再び屈み込んで、草むしりの体勢に戻る。
「なーんだ、手伝いに来てくれたのかと思っちゃった。でもま、急に倒れられても困っちゃうし、いっか」
「…言われるまでも無く、邪魔だろうから手伝いはしないよ。それに、ボランティア活動は君に課された懲罰の一つだ。罪の清算に他人の手を貸りるのは、君も本意ではないだろう?」
…しまった。たった今自制したばかりだというのに、つい。しかも、今のは、良くない。
ぶち、ぶちと、音を立てて雑草が根から引き抜かれる。そのまま流れる様にゴミ袋へと放られ、ミカの細い手が次の雑草へと伸びた。手は止まらない。
髪に隠れ、横顔は見えない。袖を持ち上げ口を覆いながら、言おうとした。「────すまない、」から始まる、明確な失言に対する、弁明の言葉を。傷跡を抉る様な物言いの真意を。「そう言う事ではなくて…」と。
「うん。そうだよ。だから、早く行きなよ。こんなところで、セイアちゃんが私なんかに時間を食う事無いし」
「────」
私の発声の半歩先。ミカの声が、鼓膜を揺らす。思わず、押し黙ってしまった。吐き捨てる様に。視線を地面に向けたまま、はっきりと追い返された。
…“いつも”なら、もう少し言い返してくる所だ。お説教は聞き飽きた、だとか、言われなくても分かってる、だとかいう減らず口を。そうでなくとも、もう少し素直な反応が見られるところだ。落ち込むだとか、拗ねて頬を膨らませる顔が目に浮かぶ。
疲労。疲労だ。ボランティアの疲れで、気が立っているんだろう。彼女の努力は、庭園の様子とゴミ袋の中身を見れば察しが付く。
「…そう、か。…繰り返すようだが、邪魔をして悪かったね。…休憩も、しっかり、取るんだよ」
少し、初めの一言が震えた。返事は、無い。
体を捻って、方向転換をするよりも先に、重心を後ろへ傾け、片足を退く。後退り。
元から滲んでいた汗が、嫌な感触を帯びる。風が吹き、冷えた体と、尻尾の毛が一気に逆立った。
────遠目に、桃色の髪の隙間から見えた表情に、薄っすらとあの時の悲痛に似た色が見えて。
放っておいて、と、言葉を介さず怒鳴りつけられた様な空気の重みを実感しながら。
呆然としたまま、生徒たちの喧騒の中へ。トリニティ・スクエアの方へと、足を引きずっていった。
────これというきっかけが、ある訳じゃなかった。
飽きもせずに続く嫌がらせ。直接私に手出しできないからって、物を隠したり、壊したり、落書きをしたり。悪口をわざと聞こえる様に喋って、笑いながら逃げて行ったり。最近、またぶり返して来てる気がする。
ムカつくけど、そんなのにはもう慣れっこ。言葉なんて無視して忘れればいい。物は無くなったらまた買えばいい。…なんて。物の方は、そうやって言い切れるほど懐に余裕がある訳じゃ、ないけど。
先生と、連絡が取れてない。昨日の夜に送ったメッセージにも既読が付かない。溜まってる仕事の関係で、しばらく缶詰めになる、みたいな話を、前に会った時に聞いた。だから仕方ないって分かってるけど、寂しい。
…前に会ったの、いつだったっけ。実際は一週間ちょっとだろうけど、もう暫く会っていない気分。
みんな、なんだか忙しそうに見える。ナギちゃんも、正義実現委員会の子たちも、その他、みんな。大きな事件があった訳じゃない。派閥同士が揉めているわけでもない。私を取り巻く色々が少し落ち着いたから、いつも通り忙しいみんなが余計にそう見えるだけ。
今日の分のボランティアも増やした。ティーパーティーの空席に名札が置いてあるだけの今の私には、今まで通りの仕事が来ない。
それしかやる事が無い。それしかやれることが無い。言いようのない焦り。冷えて、痛んで、汚れる指。痛みが溜まって、重くなる足。肩、腰。それらが、私の償いの一歩。そう言い聞かせて。私はちゃんと向き合ってるって言い訳。
────これというきっかけがある訳じゃなかった。ただ、積み重なっていただけ。
先生の手が空いて、少しでもお喋りが出来たら。私が変に遠慮せず、ナギちゃんに相談していたら。自分で、少し脅すくらいの事をして、嫌がらせを鎮静化させていたら。ボランティアの量を普通くらいにして、少しでもリラックスできる時間を、自分で作っていたら。
あるいはそれが、────今日じゃ、なかったら。
『────罪の清算に他人の手を貸りるのは、君も本意ではないだろう?』
そう。そうだ。これは私の問題なんだ。だから。
『────だから、早く行きなよ』
だから、頼っちゃいけないんだって。懲りもせず、そんな風に思い込んだり、しなかったかもしれないのに。
ベンチに腰を下ろす。こうして息を整えるのは今日、何度目か。
初めは学園の敷地内だけで収めようと思っていた。それでさえ途方も無く広いのだから、自治区まで足を伸ばすのは別日にせざるを得ないと、至極現実的に考えて。こうして休憩を挟みつつ調子よく歩ける日が、次にいつ来るか分からない以上、苦渋の決断ではあったのだが。
「…いつの間に、こんな所まで」
見渡す景色は、気づけば自治区の街並み。スイーツ店やアクセサリーショップが立ち並ぶ通りの端に腰掛け、尚も上の空。
辺りの会話に道すがら聞き耳を立てたり、会話を楽しむ生徒間の様子を見たりと、当初の目的である視察は怠らないよう注意を払っていた。それでも、ぼんやりと“その事”を考え、忙しなく足を動かしている内に────結局、考えていたよりも大分離れた所にまで来てしまった。
「…ミカ」
脳裏に焼き付いて離れない、友人の姿。冷たい秋風の中で見たあの顔。今にも泣きだす寸での所で堪えている様な表情。此方を一瞥もせず、何かを諦めたような声色。どうしようもないものを抱えた少女が、それを吐き出せずに苦しんでいる姿。
原因は察しが付く。一時は先生を呼ぶ騒ぎにまで発展してしまった事もある、一般生徒からのミカへの嫌がらせ。今日歩いた中でも、生徒の会話に時折魔女がどうのと聞こえてくる事があった。
ほとぼりは冷めても、一度定まった世間の評価は簡単には覆らない。落ち着きを見せたと思っていても、水面下で起こっている事柄については、上から見下ろすだけではやはり気付き辛い。そう考えると、こうして実情を知れただけでも一歩前進、と捉える事も出来るかもしれない。だが────などと俯いて、ぼんやりと思考を巡らせていた時だった。
「────…すみませ~ん、そこの方!大丈夫ですかーっ!?」
どんどんと迫って来る、大きな声。街路に良く通る声を聞いた耳が、ぴくりと揺れる。何か起きたか、と遅れて顔を上げると、その声の主は私の方へ真っ直ぐ走って来ている。
「もしかして、体調不りょ、っあわあぁっ!?」
…そして、私のすぐ前で、盛大にすっ転んだ。
「あぁっ、レイサさん!もう、急に走るから…はっ、は…」
淡い紫と水色の混じったツインテールは長く、派手に浮き上がった分、転び方を余計に豪快に見せる。
遅れて駆け寄ってきたもう一人の生徒が腕を引き、“レイサ”と呼んだ少女の腕を引いて、助け起こす。その姿には見覚えがあった。
「確か、自警団の…」
そう、呟く様に漏らすと、頭部の白い翼を揺らす生徒と目線が合う。
「…あ、やっぱり。ティーパーティーの百合園セイア様、ですよね。こんな所でお見掛けするとは」
「あいてて、スズミさん、ありが…ぁえ゛えぇっ!?セイア様って、あの、…あの!?」
軽く頭を下げ、会釈をするスズミの隣で、ぺたりと地面に座り込んだまま、赤くなった鼻を擦りながら私とスズミの顔を交互に見回すレイサ。おろおろと、小動物の様に目を丸くしている。
状況証拠から考えるに、ベンチに座って悩み事に耽る私の姿を体調不良者ではと考え、一緒にパトロールをしていたスズミも置いて慌てて駆け寄って、すっ転んだ、という所か。
その上、駆け寄った相手がティーパーティーの一人。それも、滅多に外に出ない虚弱体質という属性付き。学園から離れた所でそれが体調不良を訴えていれば、なるほど慌てるのも無理はないか、という考えに至る。
「初めまして、だったかな。パトロールお疲れさま、二人とも。私の方は散歩を兼ねた学内視察…の、つもりだったんだが、ね」
袖に隠れた両手を持ち上げ、「何を間違ったか、少し遠くまで行き過ぎてしまったよ」と、精一杯茶化すつもりで言葉を返す。
私の返事を聞いたスズミはほっと息を吐き、レイサを落ち着かせるようにぽん、ぽんと頭に手を添えた。レイサの疑った体調不良の心配は無いと判断したのだろう。
「あぇ、スズミさん…!?」
地べたにしゃがんだままのレイサは、スズミの意図を汲み取れているのかいないのか、どちらにしてもその意識は不意に撫でられている現状にシフトしたようだった。
少しの間、スズミの視線が真っ直ぐ私に注がれる。
「…何か、ありましたか?物憂げな表情を、されておられるので」
…顔に書いてある、という比喩表現があるが、今の私が良い例だ。ほぼ初対面の相手にさえ、思い煩う心中を言い当てられるほど分かりやすいとは。普段は分かりにくいと、それこそミカに口を酸っぱくして言われているのだから、皮肉な話だ。かなり歩いたから、もしかしたら物理的に顔色が悪いのも一因かもしれない。
少し、迷う。今ここで、二言三言交わしただけの相手にするべき話だろうか。しかし、虚勢を張る理由も無いし、無用な心配を掛けてしまうのも申し訳ない。
「…友人が、少し…思い悩んでいるようで。なにかしてやれる事は無いか、少し考えていただけさ」
制服の袖で口元を隠し、可能な限り言葉を選んだ悩みの種を伝える。だいぶ抽象的になってしまったが、その位が丁度いいだろうと考えて。
「────レイサさん。今日は朝から動きっぱなしですし、この辺りで少し休憩を取りませんか?」
「えっ?…あ、あぁはい、それは構いませんけど…」
目を閉じ少し考えるような素振りを見せたスズミは、不意にレイサへと視点を向ける。話の流れをぶった切るスズミの提案に困惑しながらも、スズミの手を借りて立ち上がったレイサは、落ち着かない様子だ。
「この間お話していたクレープ屋さん、この辺りでしたよね。どこでしたっけ?買って来るので、教えて頂けると助かります」
「あっ、はい!スイーツ部の皆さんから教えてもらったお店は、向こうの角を…じゃ、なくって!スズミさん、セイアさまの────」
言いかけて、そこで詰まる。スズミが片目を瞑り、指先を口元に当てているのを、私も見た。
「私が買ってきます。セイア様もお時間さえ宜しければ、ご一緒にいかがですか?」
「…いや、私は────」
遠慮しておく、と言いかけた、丁度そのタイミングで。
きゅる、とお腹が鳴った。
スズミが少し頬を綻ばせたのを見て、再び口元を…今度は、鼻の辺りまでを覆う様に隠す。豆鉄砲を喰らったような顔をするレイサの事も、今は少し見たくない。
…誰だ、こんなこってこての台本を書いたのは。そうやって居もしない人生の脚本家に心の中で恨み節を呟く。
頬が帯びる熱を布越しに感じながら、半ば諦念に後頭部を押される形で、私は小さく頷いた。
つまるところスズミは、悩みを抱える私に二人がかりで寄り添ってやろうと企てた訳だ。私が断り辛い様に、自警団活動の休憩時間と称し、合理的に私に構う時間を作り出し────そこまで織り込み済みであったかは定かでないが、都合良く鳴った私の腹時計という援護射撃を経て、その策略は見事に実現する事となった。
自警団は部活としては非公認。殆ど、各々が自主的な活動で治安維持を行っている様な物だ。そこの所属なのだから、正義感の強い子たちだという事は周知の事実。…こんな風に、心のケアまで受け付けるというのだから、彼女らなりの正義への意欲と誠意に感服せざるを得ない。
「…大丈夫でしたか?あ、その、ちょっと無理に付き合わせる形に、なっちゃったかなぁと思って…」
クレープを買いに行ったスズミを待つ間、私の隣に座ったレイサが、おずおずとそう話しかけてきた。
「心配要らないよ。…むしろ、感謝したいくらいだ。気を遣わせてしまって申し訳ない、ともね」
「いえいえ!自警団として、困っている人は見過ごせませんからっ!スズミさんも、同じ事を仰ると思いますっ!」
ぱっ、とレイサの表情が明るくなり、声調も一段階、二段階程上がったのが分かる。
「この『トリニティの太陽』宇沢レイサが!セイア様の心に立ち込める暗雲もずばばーんっ!と振り払ぁ…」
飛び跳ねる様に立ち上がり、ポーズを取るレイサ。先程、私を呼んでいた時の様な調子が戻って来たなと、そう思った矢先、レイサの言葉が途切れる。
「…えたら、良いんですけどね。友達に関する悩みといえば、私も…つい、この間までは、当事者だったものですから」
再びベンチに体重を預け、今度はしみじみと、振り返る様に目を閉じた。その瞼の裏に、彼女が何を見ているのか、部外者の私には分からない。語り口的には、多少なりとも苦い思い出も含まれているのだろうが────。
「…聞いても、大丈夫な話かい?」
「あはは、もう解決した話ですし、大丈夫です。…セイア様の件の、参考になるかは怪しいですけど!」
そう前置きをして、レイサは話し始める。
「中学の頃から私はこんな感じ…といいますか。困っている人は助ける、困らせる人は成敗っ!て具合で…そこらじゅうを駆けまわっていた訳です。そんな中で、中学時代に唯一、一度も勝てなかった、子…スケバンの中でも名前が知れていた様な子と、高校に入ってから再会する機会がありまして」
ぽり、と頬を搔いて、少し照れくさそうに。先の私と同様、個人を特定されない程度に、抽象的な物言いを選ぶレイサ。
「一方的にライバル視していたのと、まぁ…久々に会えて嬉しかったのもあって、昔みたいな勢いで絡んじゃったんです。…とっくにスケバンもやめて、その事を忘れたがっている、向こうの気持ちも知らず、考えずに」
あぁ。胸中で嘆息が漏れる。
言葉を額面通りに受け取れば、「名の知れたスケバン」は、中学時代のレイサからしてみればどうしたって成敗すべき対象に他ならない。しかし、彼女の語り口調からは、正義を貫く者としての、悪さを働く不良へのそれが欠片も感じられなかった。
始まりがどうであれ、何度も顔を合わせるうちに────後に再会した時に「久々に会えて嬉しい」と感じる程度の関係性を築いたのだろう。
そして、その頃に対する捉え方は違った。レイサにとっては腐れ縁の思い出話でも、相手にとってはとっくに忘れたい過去。それを、無暗矢鱈に掘り返す真似をすればどうなるか、想像に難くない。
…自身の失言に、被る部分がある。
レイサもその結果を口に出す事はしなかった。あなたの想像通り、と言う代わりに、少しの沈黙を挟んで。
「…それで、これ以上迷惑をかける前にと思って、一人で突っ走っていたら、余計に迷惑をかけちゃいまして。まぁ、それがあったおかげでむしろ、今の“杏山カズサ”と仲良く…なれた!といいますか、今思うと、悪い事ばかりでもなかったな~と…?」
「…あ」
「…あ゛っ!!」
綺麗なユニゾン。相手の本名どころか、フルネームをそのまま漏らしたレイサと、顔を見合わせたまま、硬直する。
…レイサが余計にかけたという「迷惑」とは、中学時代の…“杏山カズサ”(…レイサ曰く、「仮名!!仮名なので!!実在する人物・団体とは一切関係!!ありません!!!」との事)。彼女と因縁のあるスケバン達にレイサが囲まれ、彼女の情報を吐かされそうになったところを、“カズサ“とその仲間たちに助けられた、という塩梅の話だった。
レイサの過ちと、反省。先生が関わっていたという話だから、間の取り持ちが上手く行った事も含めて、それらが“カズサ“が行動を起こすまでの心情の変化に繋がり、拗れた関係を解く鍵になったのだろう。或いは、”カズサ“も初めから思う所があったのか。仔細までは聞かずとも、大まかにそういう風に受け取る。
『──── 、 ────…!』
…鼓膜ではなく、私の脳裏を直接震わせる声が、辺りに響く感覚がした。
あれは、エデン条約の一件。白昼夢の果て、虚弱なこの肉体では耐え難いほどの負荷と引き換えに、先生の命が脅かされようとしている事を知った私。
『──君が、先生を連れてきたから……!』
思い出される、焦燥。恐怖。渦巻く悪感情と、胃の底が持ち上がる様な不快感。それらに全身を揉まれる様な錯覚を覚える。平衡感覚すら失いかけ、取り乱した私から…口をついて出た、言葉。
薄れゆく意識の中、微かに聞こえた、ミカの悲痛な声色。血の赤で滲む視界に、大粒の涙を零していたあの顔。あの、顔。
「……レイサ。少し、聞いてもいいかい」
「あ、はいっ。答えられる事なら、なんでも!」
「…君が“カズサ”と再会し、踏み込むべきでなかった過去に触れてしまったと、気づいた時。中学時代の…彼女が、触れて欲しくないであろう“杏山カズサ”に迫ろうとする、スケバンと戦っていた時。君は…きっと、後悔や、自責の念に苛まれていたはずだ」
選択を誤った。すべきではなかった。
誤ったのは自分の短慮。この結果は自分が招いたもの。
自分が、悪い。自分の、せい。
『────私の、せいだ────…!』
再び、同じ声が。────ミカの、自責の叫びが、私の脳内を震わせながら、乱反射する。垂れ落ちる様に言葉を零した、その顔が。血の色に滲んでも尚はっきりと浮かんでいた悲痛の色が、先程庭園で見た、ミカの横顔に薄く重なった。
きっと、あの時と同じ。「魔女」と蔑まれ、それを受容する事も厭わなくなりつつある、彼女に根付いた、自責。自分のせいだから、受け入れて。自分のせいだから、一人で。
私を、ナギサを、人を頼る事すら許せない、彼女の頑強な自責。それを、私が。
“君の“、罪の清算に────。いつも通り、それが正しい事であるかの様に、上から目線で語って、その地盤を更に踏み固めてしまったのだと。
その色を拭う為に、私に何ができる?
レイサは、黙って私の次の言葉を待つ。垂れ目気味の双眸を真っ直ぐこちらに向けて、真剣な面持ちで。私の言葉が、あくまで質問の前段階。前提であると理解した上で、それを拒まない肯定の姿勢。
「…君が、それでも彼女との仲を、はっきりと「友達」と言える、今に。どのようにして、行きついたのか…」
違う、と思った。木霊するミカの声に意識を奪われて、上手く言語化出来ない。
「彼女の、お仲間の皆さんのお陰でもあります。今の私と、今の…杏山カズサ。それを繋げてくれた、最初の一歩は、あの人たちが作ってくれました。あ、もちろん先生も、です」
しかし、レイサはそれに答える。大まかに何を聞きたいのか、理解した様で。少し言いよどんでから…半ば諦めたように、彼女を「仮名」で呼びながら。
「ですが、一番はやっぱり、もう一度しっかり話す機会を得た事、ですかね!いつも通り決闘を挑んだり、一緒に、スイーツを頂いたり。そういう日常の中で、言葉を交わしている間に、…自分が悪いんだ、って思い込んでいたことも、いつの間にか忘れちゃう。…とまでは、言いませんけど!」
…話す。
「…今の私の言葉を、彼女が聞き入れるとは思えないんだ」
「私は、よく言われますよ。“声も大きいし見るなり飛び掛かって来るから、無視しようにも出来ない”って、こ~んな顔をして!」
そう言う彼女は目じりに指を当て、無理矢理吊り上げる様に、恐らく悪態をつく“カズサ”の真似をしてから、にかっと笑顔を浮かべた。
懐から「挑戦状」と書かれている、少し汚れかかった封筒を取り出し、両手で持ったそれを眺めながらレイサは続ける。
「今思うと、高校生になってまた会えたあの時、私が決闘を挑んでいなかったら…こうはならなかったと思います。無理矢理で、強引で、嫌な思いをさせてしまったのは勿論、反省点ですが、…さっきも言いましたけど、悪いことばっかりじゃなかった。行動力だけは、スズミさんにも褒められるので!」
「…行動力だけ、だなんて、そんな薄情な事を言った覚えは無いのですが…」
その時、手に三つのクレープを抱えたスズミが戻って来た。
「あ、スズミさん!お帰りなさいっ!」
「お待たせしました、お二人とも。どうぞ、美味しそうですよ」
「…あぁ、お帰り。ありがとう。ご厚意に、甘えるとするよ」
私とレイサにクレープを受け渡したスズミは、迷わずレイサの反対側。私の左隣に腰を下ろした。
「私も、お話に混ぜて貰ってもよろしいですか?」
言葉を聞いて、レイサの方を見る。特に隠している話という訳でも無いらしく、サムズアップで「大丈夫です!」と意思を伝えてくれた。
ざっと、レイサの話と、それを受けての私の相談内容をなぞった。三人で、クレープをかじりながら。
「…レイサさんの言いたい事の、途中で割り込んでしまったみたいですね。つまり、こういう事でしょうか」
もぐ、もぐ。ごくん。クレープに歯形を残し、飲み込んでからスズミが口を開く。
「聞いてくれそうにないからと悩むくらいなら、無理矢理にでも聞かせてしまえばいい。…セイア様に決闘を申し込め、と言うのも、難しい話だと思いますが」
「あ、はは…私も流石に、そこまで言うつもりはありませんでしたけど…」
少々強引な結論。しかし、停滞するよりはやぶれかぶれでも言葉を交わす方が良い。口に含んだ、甘いクレープの味を噛みしめつつ。
「…仮に、言葉を届ける事が出来たとしても。それを、彼女が望んでいるかどうかは…」
「私は、正義実現委員会には入りませんでした」
「────え?」
食い気味。という言葉が当てはまるだろうか。私が発しかけた弱音の上から被せる様に、スズミが口を開く。全く的外れなような出だし。先刻、私を引き留めようとしたあの時に似た感触。
それに不思議と不快感が無かったのは────今しがた零れ落ちかけた弱音を、言わせないでくれたからか。
「あの組織が掲げる正義は、私の信じるそれとは少し、異なる物でした。…セイア様の御前でこんな事を言うのは少し憚られますが…生徒会組織・ティーパーティーの指揮下にある正義実現委員会。それすなわち、彼女たちをトリニティの公戦力と捉える事も出来ます。否が応でも政治性が付き纏い、時には目の前で困っている人に手を差し伸べられない事もある。救う力も、その意思もあるのに、動けない。どちらにとっても、そんなに悲しい事はない、と、そう思ってしまったんです」
「────」
「私は、私の正義を信じて、自警団に所属しています。上下も規律も、曖昧なものしかありません。それでもこの場所は私の信じる正義を全うできる、私の居場所です」
「スズミさん…」
レイサの手の中のクレープは、既に半分以上が食べられて、原形を留めなくなっている。良いペースで食べ進めていたと思っていたスズミの物は、話し始めてから進んでいないからか、ちびちびと啄む私のそれと、減りが大差ないように見える。
ずい、と前のめり。スズミの顔が、私に近づく。
「…お友達の為に提言をするのは、時に不安かもしれません。それでも純粋に、お友達の為を思っての事であるならば。それが、セイア様の『正義』であるならば。それを貫き通した結末は、きっと良い物に落ち着くはずです」
…私の。『正義』。
スズミの言葉を噛み締めるように、唇を閉じたまま口内だけで発音する。
「…私たちに出来るのは、何処まで行っても応援止まりです。行動を起こすも、起こさないも、セイア様の選んだ『正義』が、どうか良い形でお友達に届きますように」
スズミの言葉に、何の返事も返せないままに。ただ私は、沈む太陽を見送る。
夕日が、落ちてゆく。
その後。私は自警団の二人に付き添ってもらう形で、それほど遅くはならずにトリニティへと帰る事が出来た。
「…」
私室に、一人。窓を開け、すっかり暗くなった空を一望する。街灯がほのかに敷地を照らすトリニティの窓からは、見える星も限られているが。
…夜風に当たりながら、スマートフォンを取り出し、電話をかけた。2コール、3コール。それが終わると同時に、ぷつりと音の余韻が途切れた感触の後。すっかり聞き慣れた声が、電話越しに耳に届いた。
『────はい、もしもし』
「もしもし。忙しい所、申し訳ない。重ねて急な話だが、…今週末にでも、久々に“お茶会”を開きたいんだ。予定はどうかな────ナギサ」
電話口の向こうに居るのは、桐藤ナギサ。現状、私に代わってティーパーティーホストの業務を、代理として請負ながら────来たるトリニティ謝肉祭の準備を取り仕切ってもいる。恐らく今この瞬間、トリニティで最も多忙なのは、彼女を置いて他に居ないはずだ。
『今週末、ですか。…少し、スケジュールの見直しが必要かと思いますが、はい。お時間は作れると思います』
しかし、返答は以外にもあっさりとした、承知の色を示す。
本当に、大丈夫か。無理はしていないか。そういった、心配の言葉は、飲みこむ。積極的に後に回す理由が無いのなら、鉄は熱いうちに打つべきだ。ナギサには、申し訳ないの一言に尽きるが────大切な事だ
「…そうか。ではそれで。場所は追って連絡するよ。...それから、────」
一呼吸おいて、はっきりと。
「────今回のお茶会には、ミカも呼ぶ。…君から声を掛けてくれると、ありがたい」
帰り際。スズミに貰った「お守り」。左手の中のそれを、より一層、力強く握りながら。