セイア「殴り合いだ。歯を食いしばりたまえ、ミカ」   作:Rayu278

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セイア「殴り合いだ。歯を食いしばりたまえ、ミカ」【後編】

 ティーパーティーの“お茶会”。その言葉が指すのは、紅茶やお菓子を囲んで談笑し、親睦を深める、いわゆるお茶会とは訳が違う。

 一般生徒や他組織の生徒を招待する場合にも、それが純粋に親睦を深める目的である事は稀だ。────桐藤ナギサの“お茶会”に呼ばれた阿慈谷ヒフミが、補習授業部内で先生の「補佐」を申し付けられたように。

 ましてその場に、パテル。フィリウス。サンクトゥス。三大分派の代表が一挙に集うとなれば、もはやその机上はトリニティにおける政争の最前線とも言い換える事が出来る。

 紅茶と茶菓子の香りに彩られた机の下に、各自が取り揃えた手札を忍ばせた、一種の戦場。言葉尻一つ取られれば、学園の未来が左右される可能性すらある、一触即発。それを、甘い匂いが覆い隠す。それが、これまでのティーパーティーの“お茶会”。

 

 それ故に、此度の私が開くお茶会は、ティーパーティーの“お茶会”としては異端と言う他ない。

 

「…ミカさん、遅いですね。何かあったのでしょうか」

 

「…じき、来るさ。気長に待つとしよう」

 

トリニティの紋章の意匠が施された三段重ねのケーキスタンドに、これでもかと乗せられたお菓子。それを中央に置いた丸机を囲む形で、三角を描く様に置かれた三つの椅子。そのひとつは、未だ空席。

 心配そうに扉を眺めるナギサ。…その顔は、横目で見ても隈が目立つ。

 エデン条約の一件の直後、キヴォトス全域を襲った未曽有の「色彩」事件。その事後処理が落ち着いたタイミングで、今度は謝肉祭の用意。それらすべてを、可能な日は私や、傘下の子達の手を借りつつとはいえ、満足な休息も無く満遍なくこなしているのだから、無理もない。

 

 ばたばたと、足音が聞こえる。それが数瞬、扉の前で止まり、そして。

 

「おっまたせ~☆ごめんごめん、お気に入りのピアス、どっかやっちゃってさっ。焦って部屋中ひっくり返して探してたら、遅くなっちゃった!」

 

「ミカさん、お久しぶりです。お変わりないですか?」

 

「ナギちゃんてば、堅苦し~!そんなんだっけ?セイアちゃんが感染っちゃったんじゃない?」

 

 …勢い良く扉を開け、ベランダに姿を見せたミカ。その姿は元気溌剌で、あまり何も考えて居なさそうな言動で。綺麗に整った服装で。あまりにも、いつも通り。幼馴染であるナギサの目にすら、欺けてしまう程に。

 

 ────メイクが、濃い。明らかに。

 


────────眠れない。

 眠れない、眠れない。

 眠れ。眠れ。眠れ。眠れ。

 

 早急に意識を飛ばせ。可能な限り早く眠りに落ちろ。身体に休息を与えろ。今日までに溜めた疲労の全てを、ここから四時間後に顔を見せる朝日と対面するまでに綺麗さっぱり洗い流せ。そうでなきゃ、心配をかける。迷惑をかける。

 

 肺の中身を総入れ替えするまで深呼吸をして、新鮮な空気を取り込め。乱れている場合じゃないんだよ、心臓。脳味噌は変に騒ぎまわるのをやめて。あと、三時間。寝なきゃ。寝なくちゃ。肌が荒れる。荒れたのがバレたら、二人が気にする。理由を尋ねようとする。夜更かしの理由。考えたらいい?また嘘つくの?それは嫌。嫌だから、お願いだから寝て。寝かせて、ください。

 

 明日。その明日はとっくに今日。薄い毛布に包まって待っていても眠気は来ない。でも来てくれなきゃ困る。寝かせて欲しい。今日までの。その今日はすでに昨日。昨日までの客観視すれば過重なまでに重ねたボランティアの疲れが露呈しちゃう。見られちゃう。弱い私を。先生にナギちゃんにセイアちゃんにコハルちゃんにみんなにあれだけしてもらってまだ弱い私を。二時間もない。起きて準備をしなくちゃいけない時間まで。二時間も、ない

 

 一時間四十六分十八秒。一時間四十六分六秒。一時間四十五分四十一秒。一時間四十五分二十九秒。一時間四十五分十九秒。一時間四十五分十六秒。一時間四十五分十二秒。一時間四十五分十一秒。一時間四十五分十秒────────目を閉じて。開いて。何度時計を見たって、まだ朝じゃない。遅い。遅い。遅い遅い遅い遅い。時間の流れが遅い。これだけ時間があるのに。まだ朝じゃないのに。寝れない。寝れない。寝れない。

 

 それでも、時間は私を置いて、勝手に前に進むから。

 差し込む朝日が、眩、しくて。

 ベッドから見える位置にある、姿見に映った、自分の顔。

 

「…隈…、ひどい、や。肌荒れも」

 

 

「…セイアちゃんの…お茶会。…行かなきゃ。行かないと。行って、それから」

 

 

 ────扉の前。どうやってここまで来たか、よく覚えてないや。

 笑ってない。笑わなきゃ。声を出さなきゃ。私らしく。いつも通り。心配かけないように。

 人差し指で、無理やりに口角を持ち上げて。それを、ゆっくり離して。それから、ノブに手を掛けて────。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────おっまたせ~☆」

 

 

 

 


 

 もしかしたら、と淡い希望を抱いていた。全てが杞憂で。あの時はただ、本当に一時の気まぐれで、気が立っていただけで。

 少しいじらしげに現れて、おずおずと席について。話を始めた私が、それとなく話題を振って、それで、遠慮がちに庭園での話を始める、なんて、都合の良い空想を。

 ナギサも、違和感には気付いているのかもしれない。何も知らなければ、わざわざつつくほどでもない違和感。

 それが、私にはどうしようもなく大きく膨らんでいるように見えて。

 だから、彼女が私に振った言葉にも、いつもの調子で返す事が出来ない程に、私は動揺していた。

 

「────ミカ」

 

 椅子を引き、私の左前方に座った彼女。その名前を、静かに呼ぶ。

 

「なぁに、セイアちゃん?セイアちゃんがお茶会だなんて、いつぶりだっけ。ねぇねぇ、このお菓子どこの!?見た事無いやつだ!あ、こっちはこないだ話題になってたやつでしょ!あははっ、ハズさないね、流石セイアちゃん!」

 

 いつも通り。いつも通り、とは、なんだ?

 あの時の、庭園でのボランティア中の事。それがまるで、無かった事であるかのような声色。

 背筋を、何かが伝う感覚。ナギサの顔が見れない。ミカに、思考が奪われる。

 私は名前を呼んだ。ミカは返事を返した。でも、それは会話じゃない。

 なんだ。この、見えない壁があるような、錯覚は?

 

 ────視界の端で、不意に。私の肩から、小さな影が飛び降りた。

 

「……?」

 

 机の上には、私の小さな友人。シマエナガが…なぜか、抜けたての自身の羽を一枚、嘴に挟んで、此方を見つめている。 多少の贔屓目はあるかもしれないが、彼はかなり賢い。私からの指示も無く、なんの意図も無い行動をしだすのは極めて稀だ。

 何か、伝えたいことが。そう思って少しの間、彼に目線が引き寄せられる。

 

 用意した紙ナプキンの上に、弾むように移動した彼は、咥えていた羽根をその上に落とし、…そのすぐそばにある、チョコレートの皿に、こつんと嘴をぶつけた。

 チョコレート。ストロベリーのジャムが入った物。

 紙ナプキン。シンプルなデザインに、トリニティの校章がワンポイントで入った高級品。

 羽根。根元から綺麗に抜けた、小さな羽根。

 

 「君は…」

 

 黒い瞳に、陽光がハイライトを加える。真っ直ぐと私を見据える、手のひらほどの小さな友人。

 

『レイサさんの言いたい事────つまり、こういう事でしょうか────聞いてくれそうにないからと悩むくらいなら、無理矢理にでも聞かせてしまえばいい』

 

 スズミの声が、耳の中をハウリングする。

 

『そう言う彼女は────懐から「挑戦状」と書かれた…少し、汚れかかった封筒を取り出しながら────』 

 

 レイサの姿が、脳内に投影される。

 

「…君は」

 

 彼は、理解したのだろう。私と同じことを、私よりも単純に。

 ミカに、私の言葉を聞くだけの余裕はない。隈を、肌荒れを、胸中の闇を覆い隠す、仮面の様に厚いメイク。ただひたすら、明るく振舞おうとする、彼女の態度。

 だからこそ、彼は言っている。

 

『あれを、どうすべきか?』

 

『君には、彼女の為に、何が出来る?』

 

『────百合園セイアの「正義」とは、なんだ?』

 

 鼓動が、ひとつ。一際、大きな、鼓動が。私の耳に、届いた。

 

 チョコレートを、一粒手に取る。かり、と、外側のチョコレートの部分を歯で削り、中に詰まったどろりとした苺のジャムが漏れ出す。

 細い羽根を手に取り、その翮にジャムを着け────紙ナプキンの上に、迷わず滑らせた。

 …小さな羽根だ。羽根ペンとして扱うにはあまりにも細く、柔らかい。ジャムも、筆先に着けて字を書くには向いていないし、一つのチョコレートで書ける量など、たかが知れている。

 それらを念頭に置いたうえで、書いては着け、書いては着けを繰り返し────持ち上げた紙ナプキンを、ミカの方へ。フリスビーの様に回転を加えて、投げた。

 

 ミカもナギサも、呆然としている。当然だ、傍目には何をしているか、理解すら及ばなかった事だろう。

 だが、私の投げた紙が、空気に揺られながらミカの下まで届いたところで、ようやくそれが、私からミカに宛てた、何かの行動だという事は、二人とも把握したらしい。

 手元に来た紙を目に近づけ、眉をひそめるミカ。

 

「なに、これ…?読めないんだけど…セイアちゃ、」

 

「『果し状』」

 

「…え?」

 

 流石に、原文────というか単語は、たった三文字とは言え、あの画数だ。間に合わせの画材で描くのは無茶が過ぎる。だから、ニュアンスは変えないまま、字面的にももう少し簡易的な表現で。さらにそれを、草書体────いわゆる、崩し字の形式で、なるべくインクを節約しながら、記す事に決めた。

 

 

「…言葉は変えたが、これは私から君への────「挑戦状」だ。受け取っておくれ」

 

 

 借りるよ。胸の中で、恐らくは今日も自治区内を駆けまわっているであろう、元気な────「トリニティの太陽」。「自警団のスーパースター」と名乗っていたのも聞いたな、などと、帰り際の記憶に。短い感傷に浸りつつ────…元気な、正義感の塊に向けて、呟きながら。

 

 

 

 

「この私、『トリニティの賢人(フィロソファー)』こと、百合園セイアが。たった今、この場で、…聖園ミカ。君に、決闘を申し込む────!」

 

 

 

 

 

「…あ、?…え、…?」

 

 

 先に口を開いたのは、ミカ。…否、二人とも、口だけはずっと開きっぱなしだ。私の突然の奇行に、茫然自失としている。

 

「…あ…あは、あは、は。何、急に。セイア、ちゃん?…ドラマの見過ぎじゃない?それともアニメ?そういうの見るタイプだったっけ。いくら寝たきりで、他に娯楽がないからって、さ。ていうか、それにしたってその口上はダサいし、イタいよ?キャラに合ってないっていうか。イメチェン?方向性、間違ってる、と、思うなぁ、私」

 

 数秒の空白を挟み、絞り出すように声を上げたミカ。どこか手探りな言葉を、心臓を整えるようにゆっくりと紡いでいく。ナギサは尚も、全くもって理解が追い付いていないような顔で、ミカと私を交互に見つめている。

 

「け…決闘、って言った?いや、何言ってんのさ。銃なんて私、持ってきてないって。はたし…挑戦状?が、何だって?ちょっとごめん、ほんとによくわかんなくて…。え、セイアちゃんが、私に、ってこと?」

 

 ミカはへらへらと笑顔を浮かべ、必死に言葉を紡ぐ。額に滲んだ汗が見えた。

 

「お茶会の場に銃を持ち込むなんて、無粋な真似はしない。当然だね、最低限の品格は備えてきたらしい」

 

 椅子を引き、立ち上がり。そうして、はっきりとミカの目を見据え。

 

「分かるかい、ミカ。今、この場での決闘、それすなわち────」

 

 

 

「殴り合いだ。歯を食いしばりたまえ、ミカ」

 

「…は?」

 

 ミカの表情が、疑問に曇る。当然だ。私だって、今しがたその言葉を発した自分自身がなんとも滑稽でならない。少なくとも、年ごろベッドの上で咳き込んでいるだけの虚弱な女が放つ言葉にしては、あまりにも威勢が良すぎるというものだ。

 状況が呑み込めず呆然としているミカの下へ、机の横を回り込んで、歩を進めていく。

 

「…ぇ、ほ、本気なんですか、セイアさん…!?」

 

 ミカと同様に呆けた顔をしていたナギサも、動きを見せた私を見て、慌てて立ち上がって仲裁に入ろうとする。

 しかし、私の心は決まっている。君と真正面と向き合うには、これくらいしなければ意味が無い。それが、私の出した結論だ。

 だから、我ながらあまりにも細く、小さなこの拳を、可能な限り強く握り────

 

 

 

 彼女の頬目掛けて、思い切り、振るった。

 

 

 

 ぱしん、と乾いた音が響く。

 当然、止められた。それどころか勢いをつけて殴りかかったせいで重心がふらついて、ミカに拳を受け止められていなければそのまま転んでいたくらいだ。

 

「っ、…ふざけ、てるのっ!?」

 

 状況を理解できないまま反射で掴んだせいか、私の手を握った瞬間のミカの手には、力に加減が無かった。そのせいで、細い手首がみしり、と軋む。

 

「────っ」

 

 歯の隙間から漏れ出すような私の悲鳴とほぼ同時に、ミカの理性が働いたか、彼女の手から一気に握る力が抜ける。じんじんと痺れる感覚。骨折までは行かないにしても、ヒビくらい入っていてもおかしくない。

 そうだ、これが現実。相手は聖園ミカで、私は百合園セイア。

 力を派閥の根幹とするパテルの代表を務めた少女。彼女が力を振るう度に届く目を疑うような報告書の内容に、幾度となく頭を悩ませていたのも、まだ記憶に新しい。

 

 事戦いにおいては、聖園ミカと百合園セイアでは文字通り、格が。次元が。世界が違う。

 

 分かっている。そんなこと、誰に言われるまでも無く。考えるまでも無く。

 例えじゃれあいの中ですら、私がミカの頬をぶん殴ることなんて、きっとこの先一度としてないだろう。

 

 だが。

 

「う、あぁあっ!!!」

 

 緩められても振り解けない右手は他所に、逆の、左手を。困惑に歪むミカの顔面目掛けて、袖越しの握り拳を、横薙ぎに振るう。へっぴり腰の左フックは、観客(ギャラリー)がいればなんとも無様で、滑稽に見える事だろう。

 

「っ…!!」

 

 今度は身を反らし、避けられた。しかもその勢いが乗った状態で、支えとなっていた右手が手放され、身体は勢いよく真横の丸机に倒れ込んで。突っ込んで。ケーキスタンドや、多数のお皿。それに乗ったスイーツたち。食器と、ティーセット。それらが丸ごと、宙に舞った。

 

 痛い。

 右手首だけじゃない。今度はじんじんと、全身が痛む。

 ティーセットが割れる、耳障りな音。菓子類が落下し、崩れた鈍い音。食器が奏でる、金属の木霊。飛び散ったスイーツは、私達の白い制服を色とりどりに汚す。

 机に倒れ込んだ身体。頭や肩、足なんかに、ぶちまけられたお菓子が雨の様に降り注いでぶつかる。

 

「…ふーっ、…ふーっ…」

 

 足音。地面で潰れたお菓子を、上から踏みつぶす音。影が、私に。

 見上げた、ミカの顔は。ひどく、苦しそうで。

 

「────いい加減にしてください!!!」

 

 テラスに、鋭い声が響き渡る。

 

「いったい何があったんですか、セイアさん…!?ミカさんも、衝動的にならず、落ち着いてください!!」

 

 ナギサ。ナギサが、拳銃を。

 彼女の愛用する拳銃を、ミカに向けている。

 お茶会の場で、銃を出す。既にお茶会の場と呼んでいい物か怪しい部分はあるが、それにしてもだ。規律を。規範を。誠実さを。品を欠くような事を好まない、ナギサが。銃を。

 

 そして、怒号が、跳ね返る。

 

「衝動的なのは、どっちさ!!!」

 

 絶叫にも近い、ミカの悲痛な怒鳴り声が、先のナギサのそれよりも、更に大きく木霊する。

 

「挑戦状とか殴り合いとか、急に訳わかんない事、言いだしてさあっ!!!訳わかんないのはいつもの事だけど、今日のは特に、全然意味わかんない!!!」

 

 そのミカの剣幕に、さしものナギサも拳銃を向けたままの姿勢で凍り付いてしまう。

 

「なんで私に銃を向けるの!?なんで私を止めようとするの!!?ケンカ吹っ掛けてきたのは、セイアちゃんの方じゃん!!セイアちゃんが殴りかかってきて、勝手にすっ転んだんじゃんか!!なんで、なんで私を、私がっ、なんで!!」

 

 肩で息をするミカ。雷鳴の様な声で空気を震わせていたその姿は、ただ少し俯いただけで────ひどく、小さく見えて。

 

「…せっかく…。せっかく、久々に…。二人と、お喋り…できるって、思ったのに…」

 

 大粒の涙を流す、ミカ。

 

 彼女の仮面が、剥がれてゆく。

 

 

 

 

「────よく、言うよ。上辺だけを、どうにか…ぎりぎり、取り繕っただけの、”聖園ミカ”で、入って来た、癖に…!」

 

 

 

 

「…はあ?」

 

 

 

 

 震える膝に、手を添え。ゆっくりと、着実に立ち上がる。

 

 手首が痛い。肩が痛い。背中が痛い。腰が痛い。脚が痛い。

 

 だから何だ。

 

「…聞こえなかったか?葛藤と…苦しみの痕を、即席の化粧で覆い隠した君なんか…!寂しさと自責の痛みを、作り物の笑顔で誤魔化す君なんか!!この茶会に招いた覚えは無いぞ、聖園ミカ!!」

 

 喉が痛い。心が痛い。目尻が熱い。声が震える。

 

 

 だから、なんだ。

 

 

「ッッ~~~~…!!!セイアちゃんには関係ないでしょ!!?もういいから、放っておいてよ!!私の責任なんだから!!私が、私がどうにかしなくちゃいけないんだって、!!それで、私がどうにもっ、しなかった、からぁ、!!それでっ!!!」

 

「本気で言っているのか!?言ったはずだろう!私達は互いに話をするべきだと!!言えなかったことも言いたかった事も、互いに!!硝煙と暗雲が晴れ、止まない雨が止み、無限に続くかに思われた絶望の夜が明けたあの日の朝に!!元々欠けていた教養や品格に飽き足らず、記憶力と脳味噌に詰まった中身の記憶まで牢屋に置き去りにしてきたのか、君は!?このっ、ぅっ、……バ、カ!!!」

 

「うるっさいから、黙れって、言ってんの!!ほおら、これ見よがしに噎せたりなんかしちゃってさあ!!体弱いんだから、素直におへやで静かにねんねしてたらいいじゃん!!!なんでわざわざ私に構おうとするわけ!?放っておいてくれたらいいの!!時間が解決する話なんだから!!私には、セイアちゃんの、助けなんて────!!!」

 

 


 

 

 肺がつぶれる。こんな声を出したのは、生まれて初めての事だ。

 内容は、目も当てられないほどひどい。殆ど、ただの暴言の応酬。幼稚な、子供の喧嘩だ。

 

 ────互いに、言葉が出尽くして、喉が枯れるまで叫び合った頃。

 

「…君を、殴る。今、私に出来る限りの、全てを尽くして」

 

 視界の四隅が、黒く。狭窄しかかっている。酸欠だろうか。深く息を吸って、吐いて。まだ、倒れるわけには行かない。

 

「やめろって、言ってん、じゃん…!…どうして、…どうして、さあっ…!?」

 

 大粒の涙でメイクがぐちゃぐちゃに崩れて、ひどい顔だ。だが、それを気にする素振りも見せず、ナギサよりも濃いのでは、と思うほどの隈のある目で、真っ直ぐに私を見つめながら、ミカは言う。

 

「────どうして私に、セイアちゃんを傷つけさせようとするの!?」

 

 …あぁ、やっと。君らしい声が、聞けた気がする。

 私は────何と答える?

 

「────それが、君に許された救いであるべきだからだ…!!」

 

 もう一度。握った右拳を、思い切り。ただでさえぐしゃぐしゃで、見るに堪えないミカの顔に向けて、振り被る。いっそ、更に歪めてやろう、という位の気概で。

 

「────ッ!」

 

 それをミカは、初めと同様に、またしても難なく受け止めた。

 

「ワンパターン、なんだよ…!ケンカへたっぴなクセ、に────…!?」

 

 

 ────そうだね。そうするだろう。馬鹿正直な、君の事だ────。

 


 

『セイア様に、これをお渡ししておきたいんです』

 

 ────別れ際。彼女はそう言って私に、どう好意的に受け取っても、その名前通りに受け取ることは出来ない形状の「お守り」を手渡した。

 

『…あの、スズミ。これは、どう見ても…』

 

『「お守り」です。…“それ”は、私の…正義の、象徴の様な物ですから。…それで身を守ってほしいだとか、そういう話ではなく…単に、セイア様がご自身の「正義」を貫き通せる事を願う、願掛けの様な物だと、思ってください』

 

 ────彼女はあくまでこれを、お守りだと言った。相手を極力、傷つけない為に、彼女が選んだ武器。

 それを、こんな使い方をする私の事を、彼女はどう思うだろうか。卑怯な戦術。傷つける為の用法。そうやって、私を軽蔑するだろうか。

 …いいや。そんなことは関係ない。だって、これが私の貫くべき「正義」なのだ。

 

 君を。殴る。

 思い切り、殴る。

 そうしたら、────こっちを見ざるを、得ないだろう。言葉を聞かざるを得ないだろう。

 何が起きているのか、理解するために。“なぜ殴ったのか”と問い質すために。

 

 

 

 

 迷うな、百合園セイア。

 心は、決まっている。

 

 

 


 

「────ワンパターン、なんだよ…!ケンカへたっぴなクセ、に────…!?」

 

 掴まれて自分の頭よりも上で固定されている、自分の右腕に顔をうずめて目を守り、耳を可能な限り倒して塞ぎながら────肩から左腕に移動した小さな友人を、ナギサに向けて飛ばす。

 

「う、わああっ!?」

 

 耳の方は申し訳ないが、どう考えても私がどうこうする事は出来なかった。

 私は、弱い。全て思うまま、取り零さずハッピーエンドを迎えるだけの力は無い。

 だから、ナギサを巻き込んでしまう。彼女を巻き込まずに、この状況を作り出す事は、私にはできなかった。

 本当に苦労性だ。その一因には本人の気質もあるのだろうが、そうでなくとも周りがこれだけ騒がしいのだから、そういう星の下に産まれたという事だろう。気の毒に。

 だが、シマエナガのお陰でナギサに目を瞑らせる事は出来た筈。私の掌にすら乗れてしまう、小さな友人。その活躍を信じ、それを一瞥する暇もないまま。

 

 左手、袖の中に隠した“それ”のピン。

 指をひっかけたまま、勢いよく腕を振るうと、ピンの抜けた「お守り」が袖から飛び出した。

 

 スズミから貰った、あまりにも無骨な見た目の「お守り」。

 

 

 

 

 閃光弾が、ミカの眼前で炸裂する。

 

 

 

 

 きぃん、と遠のく現世の全ての音。

 腕。制服。瞼。それらすべてを貫通し、私の眼を灼く閃光。防御が不十分だったのだろう。

 なんとか正常に動作した閃光弾(スタングレネード)。その影響が抜けきるのを、待っている余裕はない。

 

────左手。利き手ではないし、体勢が悪い。今しがたミカに突き出したばかりの腕を振り被り、彼女の顔面に叩き込む余裕はあまりない。指から、血が出ている。ピンに指をひっかけ、グレネードを振り回す様にして遠心力で無理にピンを引き抜いた時か。皮が剥がれて、痛い。────右手。ミカの手が緩んで、ようやく気が付いたが…もう、握る力が入らない。初めに受け止められた時の影響か、あるいは自分でも気づかない程に、強く握り続けていたせいだろうか。…自分の爪が刺さって、掌に浅い創傷が四つ。────ミカ。今は目を閉じているが、耳を塞ぐのと合わせて対処が間に合わず、もろに喰らった様だ。握る力が緩み、私の手を取り落とす。仰け反る様な姿勢で後ろに倒れる姿が、妙にゆっくりと見えて。────制服。汗とスイーツと血で、随分と汚れてしまった。急いでクリーニングに出さないと、汚れが染みになって残る。────髪。鏡が無くともわかる程度に乱れ切っているうえに、なんだか頭が重たい。潰れたショートケーキでも乗っているのではなかろうか。────ナギサ。目を向ける猶予は無いが、遠く、遠くで悲鳴が聞こえた。────シマエナガ。同じく、見る余裕はない。閃光弾の影響が、心配。────椅子。視界の端で倒れてる。────椅子。こっちはミカが座ってたやつ。────床。凄く汚れてる。────青空。綺麗。────雲。────光輪。────。

 

 

 

 

 

 否、今は────ミカ。…ミカ、ミカだ。

 

 

 

 

 ぐわんと揺れ、散乱する思考を無理矢理に、一点に纏める。ぼやける視界をわざと一挙に狭め、それ以外の情報の一切を遮断する。

 

 

 目の前に、良く見慣れた、桃色が。

 

 

 

 

 

 

 

            殴、

 

 

                      る。

 

 

 

 

 

 ────ぱしんっ。

 

 

 テラスに響く、乾いた音は。ずっと遠くに行ってしまったままの、私の鼓膜にも届いた。

 ────あぁ、くそ。あれだけの啖呵を切っておきながら。私には、あまりにも弱い、一発のビンタが精一杯だ。

 

 

 

 

 

 しばらく、寝そべったままでいた気がする。

 意識が飛んだ、というより、起きているけど何も考えていない、という方が正しいだろう。

 恐る恐る近づいてきたナギサが体を揺すり起こしてくれなかったら、倍の時間は同じ状態で時間を浪費していた気がする。

 

 …どう、なった?

 

 左手に隠し持っていた閃光弾を、ミカの目の前で爆ぜさせて。握る事すら敵わなくなった右手を振るって、“殴る”と言ったくせに誠に不本意ながら、たった一発の弱弱しいビンタでこの場を締める事になった。

 右の掌が、新たに痛みを訴えている。ひりひりと、ぶつけたような。それが、私の朧げな記憶が、確かな物であると教えてくれる。

 あぁ、というか全身が痛い。喧嘩どころか、ここまで動いたのも初めてかもしれない。

 

 …額の辺りが、なにか柔らかいものに埋もれている。獣耳がなだらかな丘に沿うような形で。

何かの音がする。が、それが籠って上手く聞こえないのは耳が塞がっているからか、未だに閃光弾に眩まされているからか。

 私が頭部を預けるそれが、震えている。不規則に、しゃくり上げるように。

 直前の記憶と、未だ薄い認知機能をフル活用して、ようやくそれが嗚咽と泣き声であることを、脳が認識する。

 

 これは、ミカだ。私は、ミカの腹の上に倒れ込むような形で。彼女の身体がクッションになって、衝撃が受け止められたらしい。

 とすると、私の額から上が埋もれているのは胸か。そう考えるとなんだか少し腹立だしく思えてくるが────危うく、頭を打つところだった。それで本当に気絶なんかしていれば、 人生初の決闘で、無様にも大敗を喫したと言わざるを得ない。

 

 D.K.O(ダブル・ノック・アウト)。引き分けだ。…此方の決まり手は実質閃光弾だから、試合を分けて戦いに負けた、という所か。デビュー戦で相手がミカなのだから、十分及第点だろう、と勝手に言い訳をする。

 

 ────うん。頭が、回って来た。

 

  何もかも思い通りにいかず、泣き出してしまった子供のように。それを引っ込めようと必死で藻掻くあまり、逆に零れ落ちる涙に戸惑う子供のように。

 声を殺した泣き声だけが、テラスに響く。

 

 私の頭上で泣きじゃくるミカが、口を開いた。

 

「…なんで、こんな、こと」

 

 体勢はそのまま、言葉を返す。

 

「…君が、塞ぎ込んでいたから」

 

「なんで、わか、わかった、の」

 

「見ればわかる。…見て、漸く分かった」

 

「…」

 

「…」

 

 暫しの沈黙。ふと、横に立つナギサに、ちらりと目線だけ向ける。

 どれだけ怒っているか、と思ったが、存外、心配そうな顔でおろおろとしているだけだった。肩に私の相方を乗せて────あぁ、君も無事だったか。

 …ゆっくり。可能な限り。痛みに震える手を持ち上げて。自分の身体の癖に、思うまま動かない右手の、弱弱しく立てた人差し指を、唇に当てる。

 もう少し、待ってはくれないか────と。

 

 「…寂しかった」

 

 ミカが言う。

 

「うん、そうだろうね。君は、寂しがりだから」

 

 私が言う。

 

「…もっと、起きててよ」

 

「それは難しい事を言う。出来るなら、そうするんだがね」

 

「会いに、来てよ」

 

「そこは体調と相談だ。もっとも、毎朝している事なんだが…此奴が、君に負けず劣らずの頑固者でね。困った物だ、まったく」

 

「…助けに」

 

 そこで、ミカが言うのを止める。

 私は、血の滲む掌を地面に着き、上半身をわずかに起こして。逆の、こちらも血の滲む掌を────ミカの頬に、そっとあてた。

 

 大丈夫。

 

「…助けに、来てよ…セイア、ちゃん…!」

 

 …そう。それで、良いんだよ。

 

「…あぁ。すまなかった、ミカ」

 

 

 


 

 

 

 

「────ね。賢人(フィロソファー)のセイアちゃん」

 

「…なんだい。聖園バカ」

 

「決死のへなちょこビンタより、その後お腹に倒れ込んできた時の方が痛かったよ☆」

 

「…次はしっかり、グーで殴るさ」

 

 笑みが、こぼれた。

 

 

 

 

 


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