「はぁ、疲れた」
つぶやきながら、薄暗い路地を歩く。
もうこんな時間か。
何気なくスマホを見ると、時計は21時を指していた。
晩御飯も食べていない。
でも作る気力もないなぁ。
今の会社に転職して5年目。
どうにもままならない。
社内の雰囲気はいつもギスギスしているし、出世レースにしか興味がない先輩社員は周りの悪口ばかり。
正直、その場にいるだけで疲れてくる。
「なんでこんなに、歳食っちまったんだろうなぁ」
といってもまだ29歳なわけなんだけど。
でも、夢とか希望が無くなっちまった。
学生時代や社会人になりたての頃に感じていた、なんとなくこれからいいことが起こるかもっていう期待感。
そんなものは、すっかり消え失せてしまった。
コンビニに寄って、ハイボール缶でも買おうかな……。
そうだな、そうしよう。
そのためには、公園を突っ切った方が早いな。
そう思って、公園に足を踏み入れる。
あれ?
公園のベンチに、女の子が座っていた。
それも、かなり小さい子だ。
小学生ぐらいじゃないだろうか。
こんな夜に、どうしたんだろうか。
「でもまぁ、関わらないのが吉だよな」
今どき、小学生女児と一緒にいるだけで通報とかされかねんし。
それどころか、もしかしたらマセてる神待ち女児だったらどうする?
くわばらくわばら。
近づかないようにしよう。
そっと通り過ぎようとした時。
「ぐすっ」
女の子が泣いていることに気づいた。
思わず、幼女のほうをチラ見する。
女の子は、膝に怪我をしているようだった。
転んだのだろうか。
すりむいて、血が出ている。
俺は生来のお人好しだ。
それでこれまでの人生、損な役回りばかりやってきた。
今回も、黙って通り過ぎた方がいいのかもしれない。
でも、つい声をかけてしまった。
「あの、大丈夫?」
「え?」
女の子が顔を見上げる。
うわっ、すごく可愛い子だ。
目がクリっとしていて、鼻立ちもすっとしていて。
将来、美人になることえお約束されているような女の子だった。
「お、おじさん、だれ?」
初見でおじさんと言われて少しグサッときたが、まぁ仕方がない。
「いや、たまたま通りがかっただけなんだけどさ」
「え~?」
怪しい人を見るような目つきをされる。
そりゃそうか。
「その、なんか怪我して、泣いてるみたいだったから」
俺がそう言うと女の子は強がった。
「な、泣いてないもん。怪我だって……してないし」
俺は思わず笑う。
「ごめんごめん。泣いてなかったか。でも怪我はしてるだろ?」
「うっ、し、してないっ」
「じゃ、見せて?」
「きゃっ」
しゃがみ込んで女の子の膝小僧を見る。
暗くて少し見えずらいけど、そこはやっぱりすりむけていて、血が出ていた。
「え、えっちっ」
女の子がマセたことを言う。
「怪我を見てただけだよ」
俺は立ち上がった。
「転んだの?」
「う~……」
はっきり肯定しないながらも、うなづいた。
「ちゃんと洗った?」
「……まだ」
「じゃ、洗わなきゃ」
「しみるから、ヤダ」
「でも、ほっておいたら化膿しちゃうよ?」
「かのう?」
「傷口が腐ってくるってこと」
「ひぅっ」
女の子がビビる。
「く、腐るのやだっ!」
「じゃぁ、そこに水道があるから洗っておいて」
「う、うん」
ぴょんっとベンチから立ち上がり、とてとてと水道のほうに向かうも……。
「く、暗いから、ついてきて?」
女の子にせがまれてしまった。
たしかに、水道の位置は公園の茂みのそば。
薄暗い。
「しょうがないなぁ。いいよ、ついて行ってあげる。怖いの?」
「こ、怖くはないしっ!」
女の子はまた強がった。
水道の位置まで来たが……。
水道は出なかった。
壊れてるのか?
蛇口をひねっても反応しない。
「お水でない」
「うーん、どうしようか」
俺が辺りを見回すと、水飲み場がある。
こちらはどうだろうか?
水栓を押すと、水が出た。
「ここなら使えるよ」
「やった!」
でも。
「足が、届かないよぉ」
女の子の背が低くて、上を向いた水飲み場のノズルから出る水では膝を洗えない。
「ちょっと待って」
俺は、自分のハンカチを水に濡らした。
「ちょっとしみるかもしれないけど、じっとしててね」
「う、うん」
女の子が、覚悟を決めたように、目を閉じる。
俺は、濡らしたハンカチを使って、女の子のすりむいた膝を拭いた。
「ひゃうっ」
女の子が声を上げる。
「ごめん、痛かった?」
「ううん、へ、へいきっ。いたくないもんっ……ひぅっ」
結構痛そうだ。
できるだけ、優しく拭くことにする。
「はい、一応きれいになったよ」
「……あ、ありがとぉ///」
女の子が、ちょっぴり照れたような顔をして、お礼を言ってくれた。
しかし、考えてみれば絵面的にまずいな。
深夜の公園で、小学生の女の子のスカートの前にしゃがみこんで何やら膝小僧に触れている30歳の男。
人に見られたら死だ。
「さ、さぁ、ベンチに戻ろう」
「うんっ!」
女の子は素直についてくる。
ベンチに戻ってから、カバンの中を探った。
たしか、絆創膏があったはずなんだよな。
先日、書類を整理していて指を切ったときに買ったんだ。
あぁ、あったあった。
「これ、あげるよ」
「いいの?」
「もちろん」
「ありがとう!」
女の子が、膝を差し出す。
「どうしたの?」
「貼ってほしい」
「お、俺が貼るの?」
「うん♪」
うーん、できるだけ接触は避けたいんだけど。
女の子は、早く張ってと言わんばかりの表情だ。
しょうがないなぁ。
あたりをちらっと見まわし、誰もいないことを確認。
俺は女の子の膝小僧に絆創膏を貼ってあげた。
俺がきょろきょろあたりを見回していたのがおかしかったのだろうか。
「くふふ。おじさん、なんかあやしー」
女の子がからかってきた。
だいぶ痛みが引いてきたのか、余裕あるじゃないか。
「それで、こんな夜中にどうして一人でベンチにいたの? もう帰らなきゃ」
「うぅ、それは……」
問いかけると、女の子は言葉を濁す。
「べ、別にいいでしょ? そんなの、虹夏の勝手だもん」
虹夏っていうのか。
「でも、あまり遅くまで遊んでるとおうちの人が心配するよ?」
「……しないもん」
すねたように顔をそむける。
これは、たぶん家族と喧嘩したのかな?
俺にもそういう経験はあった。
子供の頃って、ちょっとしたことがすごく大きく感じられるんだよな。
「家族と何かあったんだろ」
「うぐっ」
女の子が、わかりやすい反応をする。
「ひ、ひみつっ!」
「お母さんと喧嘩したのか?」
「ち、ちがうもんっつ! お母さんはいつも優しいもん。悪いのはお姉ちゃん……あっ」
「そうかそうか、お姉ちゃんと喧嘩したのかー」
「うぅぅ、おじさんずるいー」
ぽかぽかと叩いてきたが、全然痛くない。
「まぁ、今日のところはさ、おうちに帰りなよ」
「でもぉ」
「お姉ちゃんと喧嘩してても、お母さんとは喧嘩してないんだろ」
「うん」
「じゃ、お母さんが心配してもいいの?」
「そ、それはヤダ」
「探してるかもしれないよ」
「うぅぅ、そうかも……」
「だったら帰らなきゃ」
「……わかった」
虹夏ちゃんはこくんとうなづいた。
素直ないい子だ。
「おうちまで一人で帰れる?」
「うん。近いから、大丈夫」
「そっか。それじゃね」
「あ、ま、まって」
ぐいっ。
女の子が、俺のスーツをつまむ。
「あの、ハンカチ」
「あぁ、あげるよ、それ」
「でも、人から借りたものはちゃんと返さなきゃってお母さんが」
真面目だなぁ。
「だから、えっと、今度返しに行くから、その」
「?」
「お、おじさんのおうち、教えてほしいな///」
少し照れたように、虹夏ちゃんが問いかけてきた。
「え、家? 俺の?」
「う、うん」
教えていいものなのかなぁ。
とはいえ。
虹夏ちゃんは、俺のスーツの裾をつまんで、真剣な表情。
これは、教えなきゃ手を放してくれないし、家に帰ってくれないかも。
まぁ、家を教えたって実害はないか。
本当にハンカチを返しに来るかどうかもわからないし。
「ほら、あそこ。公園の向こうにマンションが見えるでしょ? 大きな楓のマークがロゴのマンション」
「うん」
「あそこの、1111号室」
「わかった!」
女の子が、元気いっぱいにうなづいた。
「えっとね、虹夏の家はね、あそこ! あのマンションの702号室だよ! 伊地知って書いてあるお部屋!」
「あ、ありがとう……」
ちびっこと住所交換しちまった。
まぁ、訪ねるわけないけど。
「じゃぁね~、おじさ~ん!!」
「おぅ、気をつけて帰れよ」
「おじさんもー!!」
もうすっかりと痛みは感じなくなったのか、女の子はかけっこで帰っていった。
子供の回復力はすごいなぁ。
対して俺は、デスクワークの腰痛が全く治おりゃしねぇよ。
苦笑しながら、俺も帰宅した。
家に帰ってから、缶ハイボールを買い忘れたことに気づいたが、不思議とお酒を飲みたいという欲望は消えせていた。
久しぶりに、学生時代に好きだったロックバンドのCDを聞き、心地よく就寝した。
もしかしたら、続くかも。