セイア「君が望むのなら、殴り合うとしよう、ナギサ」   作:Rayu278

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セイア「君が望むのなら、殴り合うとしよう、ナギサ」【前編】

「はぁ………」

 

 一秒前に流し込んだ紅茶の香りを纏う溜息は熱を帯び、蒸気の様に微かに白く色づいて空に溶けていく。

 赤褐色の水面に映る物憂げな表情は、そのまま彼女の抱える内心の憂いそのものの色を映していた。

 

 既にトリニティを離れ、遠くミレニアムサイエンススクールへと旅立った友人。彼女の望みをただの「我儘」だと断じてしまえば、きっとそれまでだったのだろう。

 ナギサがそうは出来なかったのは、薔薇の茎の様な棘だらけの言葉の根っこに見えた、ナギサ自身を慮る純粋な気持ちから目を逸らせなかったからだ。

 

 彼女のそれを否定して、自分の意見を押し通そうとすれば、今度残るのはナギサの「我儘」だけになってしまう。

 

 ────その理屈は奇しくも、あの古聖堂で「赦し」を選んだ幼馴染のそれと似通った物だ。もっとも、ミカの選択を知らないナギサと、今ここにあるナギサの葛藤と選択の理由を知らないミカの間でそれらが共有されない限りは、日の目を浴びる事の無い偶然だが。

 

「……あっさり先生の言う事聞いた割に、不服そうじゃん。ナギちゃん?」

 

 机に肘をつき腕に顔を預け、両手に預けたスマホから目線だけをこちらに寄越すミカが口を開く。カップを口元から離し手元のソーサーに戻すナギサは、後味を噛みしめるのも程々に言葉を返した。

 

「私だって、私自身の仕事量に多少の無理がある事くらい分かっています」

 

「多少どころじゃないと思うけどなぁ。ほぼ三人分でしょ、三倍だよ?」

 

 どの口が。腸がぐつりと立てた音は聞かなかった振りをして、みたび紅茶を口に含んだ。

 

「その上で、秤に掛けたまでです。過労の私と病み上がりのセイアさんの、どちらに適した仕事であるかを」

 

 先の会議でもナギサが例示した、ミレニアムに関する芳しくない噂も大いに彼女の心労の一因ではある。ただ、心配の種はそれだけではない。

 

「今は安定しているかもしれませんが、出先で突然体調を崩したら…?」

 

 今回のミレニアムEXPOに際した学園交流に、救護騎士団は同行しない。シスターフッドと併せて、それぞれ異なる理由で外交向きでない事もあっての判断だ。

 果たして向こうに、緊急事態に対して適切な処置を出来るだけの設備や知識、それを活かせるだけの技術を持った人手があるのだろうか。

 

「…設備はともかくとして、セイアさんの容態に関する知識が無いのは事実ですから」

 

「それを言い出したら、ナギちゃんだっていつ倒れるか分かんないし一緒じゃない…?」

 

 む、っと顔をしかめるナギサ。「私は良いんです。本当に限界になったら分かりますから」口に出さず、態度でそう語りながら追いカフェインを決める姿から、やれやれ、目を逸らすミカ。

 

「……」

 

 そのまま暫しの沈黙が流れ、ナギサの心中が波打ち始める。

 

「私は、どうするべきなのでしょう……」

 

 目を閉じ、先の会議で彼女が言った言葉を諳んじる。

 

『────君たちが私の心配をしてくれるというならば────』

『────その権利は同様に、私にも有って然るべきじゃないのかい────?』

 

 心配。

 端的に言えば、ナギサとセイアは、互いの事を同様の理由で心配している訳だ。

 未だ安定したとは言い切れないセイアと、いつ過労が限度を超えるかわからないナギサ。傍から見れば、どんぐりの背比べに違いあるまい。

 

「ナギちゃんも殴り合ってみたら?結構スカっとするよ☆」

 

「本末転倒どころの騒ぎでは無いでしょう……」

 

 おちゃらけた調子の提案に、深いため息を吐くナギサ。セイアの事を守りたいが為の喧嘩なのだから、そのセイアをぶん殴って何になる、という話だ。

 

 あの喧嘩から半年弱経っても、三人の間でその光景は記憶に新しい。『悩んだり、不安がある時は誰かにちゃんと相談する』。先生を呼び、仲裁を頼んだのも、その反省の目に見える一歩だと言える。

 ただ、この件はミカの時とは話が違う。あれは、か弱いセイアが裡に閉じこもったミカを助けたがったから、成立した物のはずだ。

 

「ナギちゃんとセイアちゃんだったら、ナギちゃんの方がギリ強そうだもんね。殴っちゃったらちゃんといじめかぁ」

 

「そういう話ではなく……」

 

 


 

 

 ────セイアさんが単身ミレニアムに出かけたからと言って、私の生活が大きく変わる事は無い。正義実現委員会がまとめて不在である為、発生した問題にいつもと異なるアプローチが要される点は失念していたが、シスターフッドとの提携によりそこで大きく不便が生じる事は無かった。

 

 正義実現委員会の代役────と言うと聞こえは悪いかもしれないが。ティーパーティーが直接的正義実現委員会に出動を依頼する所を、サクラコさんを通してシスターフッドに動いてもらう形式で対応した。

 殊の外情報伝達はスムーズに機能していた為、伝言ゲームが大失敗する恐れは、ただの杞憂に終わった。いちいち何か含みのある言葉が返ってくるものだから、後からどんなツケを取り立てられるか、それだけが気が気でない。

 

 起こる問題の規模は話に聞くゲヘナの惨状と比べれば可愛い物。所構わず大穴を空けては高笑いと共に煙に紛れて消えゆくテロリスト集団や、不気味な粘液を撒き散らし辺りを闊歩する正体不明の怪物は、この学園には居ない。

 …だから良い、などと言うつもりはない。真に悩みの種なのは規模ではなく頻度の方だ。最終的に全ての報告は私の下へ一極集中する。規模感がどうでも、私の行動は「状況を把握して指示を下す」だけなのだから、内容がテロリストの制圧でも痴話喧嘩の仲裁でも、私にかかる負担は大差ない。

 

 多様な理由で暴れるスケバン連中の制圧と、それらに起因するどこぞの団長の暴走。ヘルメットを被った武力集団と自警団の交戦による被害。ある一般生徒による戦車強奪事件。図書館での発砲沙汰。いじめ行為。金髪生徒のブラックマーケットでの目撃情報。その他、過激な派閥争いの問題行動が多数。

 

 ごく個人的な事情で耳を塞ぎたい事例が二件程見受けられるが、概ね対応が求められるのはこんな所。それに加えて予算の管理や生徒からの要望の精査など、無数の事務作業が文字通り山の様に残っている。

片っ端から目を通して問題の無い物には印を押し、そうでない物には赤字で修正や事実確認の調査を入れ、期限を設けて再提出を命じる。勿論、この辺りのスケジュールも全て把握しておく必要がある。

 

「ふぅ……」

 

 飽きるほど飲んでも尚飽きない。紅茶は、淹れ方で如何様にも化ける。

 香りと、熱と────それから、微量のカフェイン。これが無ければ、精神的にも物理的にも一週間を耐え抜く事は出来なかっただろう。

 

 いつも通り、七日間は仕事に忙殺されている間に過ぎ去って、今日はセイアさん達が帰って来る日。同行していたハスミさんや先生からも特に不穏な連絡は無い。少なくとも恐れていた様な事は起こらなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 いつものテラス、ミカさんと二人。 午前に仕事を押しやり、無理矢理作った時間。当然、セイアさんの出迎えの為だ。

丸机を二人で挟み、見慣れた空席を眺める。背もたれには彼女の嗜好を施したチェアカバー。華やかに装飾が為されているから、その主が不在である事で逆に寂寥感が滲む。

 

「────ナギちゃーん?」

 

 そんなことをぼんやり考えていたら、ミカさんに声を掛けられる。はっ、と身体が弾み、手に持ったティーカップの中で赤橙色の水面が大きく波を打った。

 

「す、すみません。何かありましたか…?」

 

「眠たいなら、無理しなくても良いんだよー?」

 

 それこそ、一週間ぶりの休息だ。ぼうっとしていたのは否定できない。……それとも、今の私はそんなに酷い顔をしているのだろうか。

 

「……出迎えくらいはしっかりと。不仲で居たいわけではありませんから」

 

 そっか、とだけ言葉を返し、背もたれに上体を預け直すミカさんを視界の端に。ちょうど、がちゃり、とノブが回った。扉を開けたお付きの生徒が先に出て扉を抑え、その後方で金色の狐耳が、ぴょこりと跳ねる。

 

 

 

「ただいま。ミカ、ナギサ」

 

「おかえり、セイアちゃん!」

「おかえりなさい」

 

 特に勿体ぶるでもなく挨拶を終えたセイアさんは、白地にミレニアムの校章が印刷された紙袋を持って自身の席に歩を進める。

 

「………」

「………」

 

 …沈黙。互いに発声のタイミングを逃した実感が沸々と湧き出でて、握った手の中でじんわりと嫌な汗。

 出発前に顔を合わせたのは、「行ってきます」「行ってらっしゃい」の1ラリーで終わった見送りの一回で、その一つ前は先生を呼んだあの会話になる。互いに無視できない気まずさから目を伏せた結果、さらにそれが増長する最悪の状況になってしまった。

 

「…えーっと。セ、セイアちゃん、それお土産?中見ていい?」

 

 秒刻みで重くなる空気に耐えかね、私と同様に額に汗を浮かべたミカさんが間に割って入る。「ああ」と端的に返事を返すセイアさんは、素知らぬふりをして目を閉じたまま紅茶を一口。

 がさごそと紙袋を漁り、なんとも前衛的な見た目のサングラスを手に首を傾げるミカさんを視界の外に追いやり、黙りこくっていてもどうしようもないと、乾いた喉から絞り出す様に声を出す。

 

「……ミレニアムは、如何でしたか?」

 

 開口一番喧嘩の話から入るのもどうかと思い、当たり障りのない会話からゆっくり軌道を合わせようと指針を定めた一言。貼り付けた澄まし顔で、相手の出方を伺う。

 

「得る物はあったよ」

 

 ……。

 

 ……あの。それだけですか…?

 

「ど……どんな、展示が…?」

 

「我々には馴染みの無い物ばかりさ。詳説にも難儀するくらいにね」

 

 ……つまり、言う気は無いと…!?

 

「えぇ、と…。……も、問題は、ありませんでしたか?体調の程は……」

 

「見ての通り、健在だとも」

 

 この人、会話を続ける気が無さすぎませんか…っ!?

 

 目も合わせず、両手の袖をぽふぽふと浮かせる適当な態度での返事に、貼り付けた筈の笑顔が引き攣る。言葉遣いにそぐわないどころか、見かけの方に釣り合ってしまう行動の幼稚さ。

 

 要するに、私の方から謝るまでまともに会話をする気はない、とでも言うつもりだろうか。そう思うと途端に「君はあれ程口煩く物を言っていたが、結果として恙無く事は終わった訳だ。さて、一週間何の不都合も無く役割を全うした私に対して、何か言う事は無いかね、ナギサ?」とでも言いたげな、得意げな表情に見えてきた。

 …目は口程に物を言う、と言うが。口がお喋りなら、目もまた同じ事なのだろうか。

 

「………それは何よりです」

 

 ……だが。今回上手く事が進んだからと言って、次もその次も心配は要らない、などとどうして言い切れるだろうか。ここで私が折れて謝る事は、本当に彼女の為になるのだろうか。この成功体験に乗っかった彼女が、いつ足を滑らせる結果になるか。それを思うなら、ここで私が折れるべきでは無いのではないか。

 

「………えっと……二人ともー…?」

 

 …下らない意地だとは自覚している。ただ彼女の態度が気に入らないだけだろう、と突っ込まれてしまえばそれまでかもしれない。どちらかが折れなければ、大人にならなければ終わらない我慢比べだという事も理解している。

 

 それらの事実と私達に挟まれおろおろしているミカさんから全力で目を背け────私、桐藤ナギサと百合園セイアの間に、火花が散る。

 

 


 

 

「っは~~~…。もう、居心地悪ぅ…!」

 

 そう言いながら、ミカは凝った身体を伸ばす様に両手の指を組んで大きく上へ持ち上げる。

 先の会話から程なくして、ナギサが残った仕事の関連で呼び出され、席を空けた。ぴりついた空気の中では流石に、ミカのいつもの無神経も鳴りを潜めていたが────。

 

「当事者の前で言う事かい?君はもう少し、気を遣うという事をだね…」

 

「嫌味だもーん。意地張らずに、さっさと謝って終わらせちゃえばいいのに…」

 

 …意地。

 

「ミカは私が悪いと、そう思っている訳か?」

 

「どっちもどっちだよ。お互い頑固者なんだから」

 

 呆れたような表情で溜息を漏らすミカ。そう言われてしまうとぐうの音も出ない。私の頭の固さは、もはや言われるまでも無く自覚しているのだから。

 

「ナギちゃんだって謝る気ゼロって訳じゃないのは、セイアちゃんにも分かるでしょ?セイアちゃんの方から謝れば、ナギちゃんも謝るって」

 

「……胸に秘めた思いというのは往々にして、言葉にしなくては伝わらない物だよ。私の側からそれを促すのは、道理が違うという物さ」

 

「そういう所が意地っ張りだって言ってるんじゃん。どっちが先に謝るかー、とかじゃなくない…?」

 

 ……珍しく。そう形容するのも失礼な話だが、珍しく、ミカの正論が深々と突き刺さる。……だが。

 

「……意固地になっている自覚はあるさ」

 

 私を「保護対象に過ぎない」と言い切ったナギサは、私の事をその身を案ずる必要がある、か弱い存在だと認識していた筈だ。

 

「だが……今回の外交対応に際し、私は身をもって示した訳だ。私だって力になれる、という事を」

 

 天を仰いでから瞼を降ろす。EXPOで起きたトラブルと、その収拾の為に奔走した一週間を、その裏に投影しながら。

 “仲間“と、胸を張ってそう言える、ミレニアムの友人たちの様に────言葉にはせず、心の中でそんな枕詞を付け足しながら。

 

「────口に出して、認めてくれても良い、と。そう思うのは、悪い事だろうか?」

 

 

 


 

 

 ────一際大きな、私室の窓。朧雲が頭上に浮かぶ、いつもよりも少し暗い夜。膝の上に乗せた本に栞を挟み込み、そろそろ寝ようかという頃。

 

「────?」

 

 視界の端。窓から影が落ちたように感じ、ゆっくりと首を其方に向ける。

 淡い月明かりの逆光を受けた人影。その体躯は私のそれと大差ない、身軽さを見て取れる────などと口に出せば、本人はきっと怒るだろう。

 

「よう。来てやったぜ、セイア」

 

 この時間に、こんな場所からの尋ね人。緩くはない筈のセキュリティを素知らぬ顔ですり抜け、気安く「遊びに来た」などと言い放つ。声を聞くまでも無く心当たりのそれと一致した侵入者の姿を見て、思わず笑みが零れてしまった。

 

「……本当に、突然来るものだね」

 

 立ち上がり、膝の上の本を棚に戻す。寝間着な事に多少の小恥ずかしさを覚えつつ、不躾な客を快く迎え入れる準備を整え────。

 

「私の秘密の園へ、ようこそ────ネル」

 

 

 

 

 

 ────こぽ、こぽ。熱を持った飴色の液体がティーポットから注ぎ落とされる、耳心地の良い音。椅子を腰かけ足を組んだまま、物珍しそうにその様子を見つめる彼女の態度を咎めるつもりは無い。

 

 予告の通りに最上級の茶菓子を取り寄せる事は叶わなかったものの、来客用に取り揃えていた物の中から砂糖控えめな物を選び取って机に並べてある。紅茶が甘いから、という事もあるが────腐っても、女子。夜中の糖分には十分警戒したい。

ともかく、突発的に始まった真夜中のティータイムに、見劣りするという事は無いだろう。カフェインで眠気が遠のくのが玉に瑕だが、致し方無い。

 

「……これ、ホントに紅茶か?もうちょい苦かったりするもんじゃねーの?」

 

 カップに唇を付けたネルが、目を見開いてそう漏らす。籍を置く環境と彼女自身の人となりから、我々の開くような茶会の場には慣れていないのだろう。そんな顔が見られただけでも、茶会のホストとしては鼻高々という物だ。

 

「はちみつの風味を含んだアプリコットだ。お口に合うと良いのだが」

 

 遅れて説明を挟み、自身も一口。目を瞑り、口に広がる深い甘みとフルーティーで芳醇な香りを楽しんで、飲み下してから────口を開く。

 

「それで、どうしてこんな時間に?」

 

「朝っぱらからC&Cの任務で動いててな。帰り際、偶然トリニティの近くに立ち寄ったから、驚かせてやろうと思って」

 

 つい昨日まではEXPOの裏で走り回っていたというのに。ミレニアムから中々に距離のあるトリニティ近辺にまで一日かけての任務とは、考えられない運動量だ。にも拘わらずけろりとした顔で私の部屋への侵入もこなす始末。さぞ忙しく、暇しない日常を送っているのだろう。

 

「……?どうした、シケた面して」

 

 ……“忙しい日々”。その言葉にふと過ぎったナギサの顔。

 いつぞやの、スズミとの初対面で悩む胸の内を言い当てられた時の事を思い出す。どうやら私は、ことこういう話題に関しては表情を隠す事が限りなく下手な様だ。

 

「……何。見解の違いで、少し友人と揉めていてね」

 

「……そういやそれらしい事、ちらほら言ってたな」

 

 ずず、と音を立てて紅茶を啜るネル。ふぅ、と熱い吐息を漏らしてから、続けて言葉を発した。

 

「事情も知らねえしとやかく言わねえけど、あんま考えすぎんなよ。リオみたいのがもう一人なんて、面倒見切れねぇからな」

 

 当然の様に反面教師として、悪い例の代表に挙げられる────もう一人の友人の、困ったような表情を思い浮かべ、苦笑いをする。

 

「あぁ、ありがとう。肝に銘じておくよ」

 

 肺に溜まった甘く暖かい空気を、お腹から一息に吐き出す。

 

 ……ミカにも言われた通りだ。大事なのは「どちらが先に謝るのが道理か」ではない。事の発端は、ひとえに私もナギサも互いを心配しての事。その本質が揺らいでは本末転倒も良い所だ。

 ネルの言う通り、考え過ぎなのかもしれない。凝り固まった考えを解き解す事から始めていこう、と────そう考えながら、甘い紅茶をもう一度、口に含んだ。

 

 


 

 

 その報告が私の耳に入って来たのは、翌日の昼頃。

 疑いが挙がった朝の時点から事実確認を挟み、更に変わらずの激務の渦中にある私の耳に届けるまでに掛かったのが半日。仕方のない事だ。

 無論早いに越したことは無いが、事が起きた後である以上は五十歩百歩。咎めるべきはそこではない。

 

「セイアさんの部屋に、侵入者…!?」

 

 構成員からの報告を聞き、真っ先に思い浮かぶのはエデン条約にまつわる例の事件で起きた、セイアさんの襲撃。その真相はセイアさんが自身の死を偽装し、姿を隠すためのブラフだった訳だが────それは、彼女に予知夢の権能があった頃の話。

 

 ミレニアムEXPOへのセイアさんの参加を渋った理由の一つでもある、予知夢の能力の喪失。体が弱く自衛の手段も信頼に欠ける彼女にとって、未来を先読みするある種大きな武器であったはずだ。

 能力と引き換えに「勘が鋭くなった」とは言うものの、その精度は明確に全盛のそれよりも低く取り回しも悪い。

 

「警備は、何を…!」

 

 エデン条約の一件。それから、ミカさんへの嫌がらせの再燃が発覚した、件の決闘。その二つの要因から、ティーパーティーメンバーの二人の私室周りの警備の見直しは数回に渡って行われている。少なくとも、アズサさんの襲撃時とは比較にならない程、厳重になっている筈だ。

 

 だが、それでも。監視カメラに映った不可解な影や部屋周辺にわずかに残った痕跡。動物や自然現象とは異なる、人の手で残された証拠は、何らかの目的でセイアさんの部屋に侵入した人物が、少なくとも「アリウス分校で訓練を受けた経験のあるアズサさん以上に、潜入が上手く手際の良い何者か」である事を示していた。

 

 当人への事情聴取からはセイアさん自身に特に危害が及んだ様子も無く、特に部屋の物が盗まれた、とかいう被害も出てはいないようだった。だが、これを幸いと取るかは判断しかねる。

 

 握った手の中で滲み出る汗。思考の先走りで痛い目を見るのはもう何度目か。ついこの間、謝肉祭に際したシスターフッドの一件でもそうだった。ミカさんにこってり絞られ、反省してから、既に一か月と少し。

 それでも、邪推は止められない。セイアさんが、ミレニアムEXPOで────或いは何らかの形で、誰かの恨みを買うような事をしていたとすれば。…或いは。

 

「────対策を講じます。正義実現委員会に、警備の巡回ルートの見直しを。それから……」

 

 襲われなかった理由など、幾らでも思い浮かぶ。偵察目的。様子見。疑いを与える事すら、作戦である可能性。

 見据えるのは常に最悪の想定。セイアさんがミレニアムの恨みを買った、以上に────、

 

「……何か私に、隠している事が……?」

 

 あの時以来心に巣食い、この頃鳴りを潜めていた猜疑心が────幼馴染の裏切りの記憶すらも、引きずり出して。

 

 疑念は芋づる式に、私の選択肢を狭めてゆく。

 ミカさんと話した時に自らの口で発した言葉だが、「不仲で居たいわけではない」のは本心だ。そしてそれはセイアさんの方こそ、そうである筈だ。

 にも拘わらず、EXPOを挟んで尚続く不和を解消しようとしないのには、理由があるのではないか────?

 

 そして、EXPOから帰還したタイミングでの謎の侵入者の存在。セイアさんの周辺の何かを狙っての事であるならば、直近に起こした大きな行動────ミレニアムEXPOの参加と、全くの無関係であると断じる方が不自然だ。

 かといって、ミレニアム生にアタリを付けるのも危険な事に間違いはない。だって、正義実現委員会もEXPOに参加していたのだから。

 

 無数に枝分かれする可能性の全てを睨んでいても、どうしようもない。ミレニアムからロボットか何かが送られてきている可能性もあれば、既にトリニティ内部に息を潜めている、いわば“裏切り者”の再来という事もあり得る。或いは、先にも浮かんだ、本当に最悪の筋書きであったとしたら。

 

「…………」

 

 思考の袋小路に行き詰まる。ただ一つ分かるのは────可能な限り早く、出来る限り人手を借りず────先ずは、百合園セイアにかかった容疑を晴らすべきである、という事。

 

二日の空白。その答えは月の下、ナギサの手に握られたボイスレコーダーの中に、

 

『……マジか、通りでやけに厳重だと思ったら』

『あぁ。少し、会合は控えるべきかもしれないね』

 

 私の────桐藤ナギサの想定する“最悪”を、見事に引き当てる形で、音声として残されていた。

 

 


 

 

 ────肩で風を切り、道無き道を駆ける音。

 途切れ途切れの、足音。壁を蹴って宙を舞い、草木の合間に身を滑り込ませる。パルクールを魅せているかのように、縦横無尽に。自然のアスレチックを駆け抜ける、小柄な少女。

 

 真っ直ぐ突き進めば良い物を、わざわざ複雑な経路を彼女が辿るのは、木々に姿を隠した多数の正義実現委員会の生徒の射線。その存在を、正確に見抜いている証明にほかならない。

 

 緊急の配属ラインとはいえ、その脆さを補って余りある人数。それを、頭数など関係無いと嘲笑う様に、着々と目的地へと距離を縮めてゆく。そんな報告が、リアルタイムで私の耳に届く。

 

 跳び、駆け、滑り、転がり、回り。発砲すら許さず包囲網の網目を潜り抜け────その足が、遂に部屋の窓へ。

 

「……随分派手な歓迎だな。この部屋の主が、そんな事許したのかよ?」

 

 月を背負った橙の髪。三つ編みを風に泳がせ、此方を見下ろす少女。背丈はセイアさんと然程変わらない。鎖で繋がれた二丁のサブマシンガンを鞄に吊るし、先に録音で聞いていたあの声で。人相の悪い少女は、余裕たっぷりに笑みを浮かべる。

 

「セイアさんなら席を外しています。救護騎士団の健康診断────其方に手を回して、その時間を調整致しました」

 

「へぇ。まるであたしが来んのが分かってたみてぇな口振りだな」

 

 臆する様子を欠片も見せず、此方の種明かしを軽く聞き流す。声が震えないよう腹に力を入れ、真っ直ぐに拳銃を向けながら言葉を紡ぐ。

 

「貴方程名前が知れ渡ってはいませんが、こちらにも優秀な諜報部が居りますので」

 

 初めの想像を大きく飛び越えるほどの、大物。その威圧感を肌で感じながら────彼女の名を、呼んだ。

 

 

 

「……ミレニアムサイエンススクール、C&C所属。コールサイン「00(ダブルオー)」────“約束された勝利の象徴”、…美甘、ネル」

 

 

 

「言ってくれるじゃねえか……って、噛みつきてぇとこだけど。優秀なのは間違いねぇんだろうな。いつから捕捉されてたんだ?気付かなかったぜ」

 

 何せ、いつ誰に見られてっかわかんねぇからよ。どちらに対してもそこまで意に介していないような口ぶりでそう笑い飛ばしながら、ネルは窓辺にぶっきらぼうに腰を下ろし、両手を挙げてひらひらと動かす。

 

「ま、悪ぃのはあたしの方だ。あと、あたしの事を黙ってたセイアもだけどな」

 

 ぴくり。一挙手一投足、放つ言葉を一つたりとも逃さないように、強い警戒を向けていた所に────当然のように飛び出す、セイアさんの名前。

 親しいかの様な口ぶりだが、どんな関係なのか────?そうやって問い質したいのは山々だが、その衝動をぐっと飲み込み、聞くべき事を初めにはっきりさせておく。

 

「────では、降伏する、と?」

 

「手荒なのが好きなら付き合うぜ。どうする?」

 

 白い歯を覗かせ、鞄から覗くサブマシンガンに手を触れてかちゃかちゃと音を鳴らす。

 彼女の実力が本物である事は、疑いようも無い事実。ミレニアム最高戦力と言っても過言ではない相手だ。それこそ、ミカさんかツルギさんでも連れて来なければお話にもならず逃げられる事だろう。

 

 言葉遣いは別として、思いの外物腰柔らかな彼女の態度と、戦力差。それらを考慮に入れた数秒の逡巡を経て、窓の外の部隊に銃を降ろせとハンドサインで命令を下す。

 ────握った拳銃だけは、狙いがブレないように腕を伸ばしたまま。

 

「へっ。つまんねぇけど、賢明だ」

 

「…目的は何ですか。セイアさんに、何をするおつもりで…」

 

 私の言葉を聞いたネルの表情が変わる。目を見開き、素直に驚いたような顔で、盛大に舌打ちを響かせてから顔を背け、ぶつぶつと何かを呟き始めた。

 

「マジで何の説明もしてねぇのかよ…あいつ、あたしの事なんだと思って……いや」

 

 かと思えば、今度は何かに気付いたように此方に顔を向け、半ば睨みつけるように目を細めた表情で此方を見つめて来る。

 

「し、質問に答えてください!貴方は、何のつもりで────」

 

「そうか────お前か、セイアと喧嘩中の友達ってのは」

 

「────!」

 

 頬が強張る。力が入ったのは顔だけでなく、全身だ。意識の外から殴りつけられた様な衝撃。どうして、どこから、どうやって。考えるまでも無く、「本人から聞いたから」の一言で説明がついてしまう。

 

 もしかして、本当に────?

 

「やっぱりな。…お前ら、分かりやすいんだよ」

 

 思わず押し黙ってしまった此方の顔を見て、後頭部を搔きながら深く溜息を漏らす彼女。

 

「何のつもりで、って聞かれたな。あたしは文字通り、ただ遊びに来てるだけだ。……証拠っつーんなら、これだな」

 

「────」

 

 そう言うと彼女は、着崩している制服をくい、と引っ張って指し示す。その意図を測りかねている私を見てか、付け加える様に言葉を発した。

 

「…あたしの事調べたんなら分かるだろ?メイド服を脱いだあたしは、C&Cとは何の関係もねぇ。プライベートの、一人の美甘ネルだ」

 

「……根拠として、弱すぎます」

 

「なら、セイアを呼べよ。それが一番話が早ぇ」

 

 ……それは。

 

「……だんまりか?イラついてくるからしゃっきりしろ」

 

 言葉通り、不機嫌を隠そうともしない相手。確かに、この場にセイアさんが来れば彼女の発言の真偽は一発で分かる。だが、それをするのは────。

 

「……お前は多分、あたしの知り合いと同じタイプだ。流石にそいつ程じゃねえだろうが、大分頭が固いと見た。違うか?」

 

「っ……」

 

 誰の事を、言っているのだろう。

 心の踏み込まれたくない所に、土足でずかずかと踏み入られるような感覚に、不快感を覚える。

 

「発端は知らねえけど、アイツと揉めたって事はそういう事だろ。さっぱりした奴だからな」

 

「貴方が、セイアさんの何を…」

 

「あたしもセイアの“友達”だ。お前が知らねえ面を知ってて、お前が知ってる面を知らねえ。そんなもんだろ」

 

 ────何、を…!

 

「……口も利きたかねぇってのは相当重症だな。何から逃げてんだよ。お前は、何がしてぇん…」

 

「────私達の、何を知って、偉そうにっ!!」

 

 

 

「セイアさんが一時期どんな状態だったかも知らない部外者が!」

 

 叫ぶ。

 

「私“達”にとって彼女がどれだけ大切かも知らない癖に、勝手な事をっ!!」

 

 叫ぶ。

 

「たかだか一週間もない付き合いで、思い上がりも甚だしい!!」

 

 叫ぶ。

 

「口の中をスコーン詰めにされたくないなら、その口を閉じなさい!!」

 

 …叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。

 溢れ出る激情の奔流に身を任せ、トリニティのホストにはとてもとても似つかわしくない言葉遣いで口汚く罵りながら。

 

 震える指を引き金にかけ、睨みつけた相手の顔は────笑っていた。

 

「────なんだよ。元気よく喋れんじゃねぇか」

 

「…聞こえなかったのですか…!?口を、閉じろと…」

 

「ただ、やる相手が違ぇ」

 

 徐に。片手を持ち上げ、此方を真っ直ぐ、指さす────否。

 その指が指し示すのは、私ではなく、その後方。

 

「───────ナギ、サ……?」

 

 声を聞きつけたのか、開いた扉の向こうで呆然と口を空けている────ミカさんと、セイアさんの事を。

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