聖女は静かに暮らしたい~星詠みの力でうっかり救世主に祭り上げられ、スローライフが遠のくんですが!?~ 作:ゴールド免許の2
プリンで始まる朝
アークレイア神殿の最も奥、陽光ですら遠慮がちに訪れるその一室は、小さな主の好みを反映し、
ふかふかと雲の上を歩くような絨毯。壁には星々が瞬く夜空を描いたタペストリー。そして部屋の中央には、レースの
その寝顔は、まさに天使と見紛うばかりの愛らしさだ。絹糸のような銀髪が、最高級のシルクの枕に星屑のように散らばり、規則正しい呼吸に合わせて小さな肩が微かに上下する。時折、ふにゃりとした寝言が漏れる。
「んぅ……あと、ひゃくねん……おかしの、おふろ……とろけますぅ……」
彼女の周囲だけ、なぜか部屋の他の場所よりもほんの少しだけ空気が澄み、心地よい温度と湿度が保たれている。それはミリシア自身も気づかぬ、彼女の星詠みの力の無意識下での恩恵だった。
「ミリシア様、ミリシア様。朝でございますよ」
その聖域に、そっと声をかけたのは、聖女付き見習いメイドのアルテイシア・シロッコ。ミリシアより一つ年上で、栗色の髪をきっちりと三つ編みにまとめ、オリーブグリーンの簡素なメイド服に身を包んだ少女は、ベッドの傍らに膝をつくと、優しくミリシアの肩を揺する。
しかし、小さな聖女は「んぅ……」と唸ったきり、枕に顔をさらに深く埋めてしまう。アルテイシアは慣れたように微笑むと、もう一度、今度は少しだけ悪戯っぽく囁いた。
「ミリシア様、起きてくださいませ。今日の料理長特製のおやつは……とろける星蜜プリンだそうですよ?」
その瞬間、ぴくり、とミリシアの小さな耳が動いた。ゆっくりと、本当にゆっくりと、銀色の睫毛が持ち上がり、夜明け前の空のようなバイオレットブルーの瞳が、まだ夢の続きを見ているかのようにぼんやりとアルテイシアを捉える。
「……ぷりん?」
「はい、ぷりんでございます。それも、ミリシア様がお好きな、お星さまの形をしたカラメルビスケットが乗った、特製のものでございますよ」
「……とくせい……」
ミリシアは数秒間、プリンという甘美な響きを頭の中で反芻しているようだったが、やがて小さな口から「ふぁ~あ……」と大きなあくびが一つ。そして、両手をアルテイシアに向かって差し出した。抱き起こせ、という無言の催促である。
「はいはい、かしこまりました」
アルテイシアは慣れた手つきでミリシアの小さな体を抱き起こし、ベッドの端に座らせる。ミリシアはまだ半分眠っているようで、アルテイシアの肩にこてん、と頭を預けたまま動こうとしない。
「ミリシア様、まずはお着替えをいたしましょう。今日は神官長様もお見えになるのですから、きちんとしませんと」
「……きがえは、あるていしあが、えらんでください……」
「もう、いつものことでございますね。かしこまりました。では、今日は昨日届いたばかりの、小鳥の刺繍が可愛らしいシルクのお寝間着風ドレスにいたしましょうか」
「……ねまきふう……それは、すてきです……」
ミリシアの言葉に、アルテイシアは小さく笑みをこぼす。ミリシアの言う素敵とは、大抵の場合着心地が良くて眠るのに最適という意味であることを、彼女は熟知していた。
アルテイシアは手際よくミリシアの寝間着を脱がせ、新しいドレスに着替えさせる。その間もミリシアは、時折「ふわぁ……」とあくびを漏らすだけで、されるがままだ。髪を結い、顔を温かいタオルで拭き、小さな歯ブラシで歯を磨かせるのも一苦労だが、アルテイシアにとっては日常の風景だった。
「さあ、ミリシア様。朝食の準備ができておりますよ。食堂へ参りましょう」
「……しょくどうまで、だっこしてください……」
「まあ、ミリシア様ったら。もう八歳でございましょう? ……ですが、今日だけですよ?」
結局、アルテイシアはミリシアを抱きかかえて、陽光が優しく差し込む小さな食堂へと向かうのだった。彼女のメイドとしてのスキルは、この小さな聖女様のお世話をすることで、日々確実に向上している。主に忍耐力と、いかにしてミリシア様を動かすかという交渉術において。
食堂では、ミリシアの好物ばかりが並んだ、子供にとっては夢のような朝食が待っていた。
ふわふわのミルクパン、果物がたっぷり入ったヨーグルト、そして温かいハーブティー。ミリシアはまだ眠いのか目を擦りながらも目を輝かせ、小さなスプーンを手に取る。
その、平和で穏やかな朝のひとときを破ったのは、食堂の扉をノックする音だった。
「聖女ミリシア様、神官長エグバード様がお見えでございます。護衛のクワット・アズナーブ様もご一緒です」
侍従の声に、ミリシアはヨーグルトを頬張ったまま、ぴたりと動きを止めた。その瞳に、あからさまな警戒の色が浮かぶ。
アルテイシアはミリシアの口元をそっとナプキンで拭いながら、小声で囁いた。
「ミリシア様、ちゃんとお返事を。……大丈夫ですよ、私がついておりますから」
「……はーい……どうぞ、です……」
扉が開き、厳格な顔つきの神官長エグバードと、その後ろに控える騎士クワット・アズナーブが入ってきた。エグバードはミリシアの前に進み出ると、恭しく一礼する。
「ミリシア聖女様、ご機嫌麗しゅう。本日は、聖女様にとって極めて重要な儀式について、ご説明に参りました」
「……ぎしき……?」
ミリシアは首をこてん、と傾げた。その純粋無垢な瞳は、エグバードの言葉の意味を全く理解していないように見える。いや、理解しようとしていないのかもしれない。
「はい。数日後に執り行われます、ミリシア様の聖女お披露目の儀についてでございます。この儀により、聖女様のお力が正式に王国と民に示され、アークレイア神殿の、そしてグルテン王国の権威はますます高まることでしょう。つきましては、聖女様には……」
「……めんどうくさいのは、いやです」
エグバードの長広舌を、ミリシアは一言で、ばっさりと切り捨てた。
その場に、しん、と気まずい沈黙が落ちる。アルテイシアは顔面蒼白になり、慌ててミリシアの口を優しく塞ごうとする。
「ミ、ミリシア様! なんてことを……! も、申し訳ございません、神官長様! ミリシア様はまだお目覚めになったばかりで……その……」
エグバードの眉がぴくりと動き、その額に青筋が浮かんだのを、クワットは見逃さなかった。彼は遠い目をして、そっと自分の胃のあたりを押さえる。
(ホウ……始まったな。聖女ミリシア様の、最初の試練が。いや、試されているのは我々の方か……? この胃の痛み、いつか私を新たな境地へと導いてくれるのかもしれんな……)
クワットが内心でそんなことを考えているとは露知らず、ミリシアはアルテイシアの手に抵抗しながら、不満そうにエグバードを見つめていた。
「だって、ぎしきって、ながいおはなしをきいたり、ずっとたってなきゃいけなかったりするのでしょう? ミリシア、そういうの、きらいです。おひるねのじかんが、へっちゃいますか?」
そのあまりにも聖女らしからぬ、しかしミリシアにとっては至極もっともな問いかけに、エグバードは深々とため息をつきたい衝動を、かろうじて抑え込むのであった。
転生大聖女の異世界のんびり紀行読了して浮かんだやつ。