聖女は静かに暮らしたい~星詠みの力でうっかり救世主に祭り上げられ、スローライフが遠のくんですが!?~ 作:ゴールド免許の2
ミリシアはまた、夢を見ていた。どこまでも広がる深淵の闇、広大な宇宙の中、煌びやかな星々がミリシアを包み込むように光を放っている。
そのきらきら一つ一つがミリシアに語り掛けてくるようで、まるでそれは歌のようにも聞こえた。
「……きらきら……わんわんのおなまえ……まちゅかーんっていうんですか?」
ミリシアは、ふかふかとした温かい何かに包まれて目を覚ました。
目の前に広がるのは、鮮やかな赤い毛皮。そして、その毛皮の持ち主であろう巨大な狼が、穏やかな蒼い瞳でじっと自分を見下ろしている。
「ん……あ、わんわん……おはようございますです……?」
ミリシアは寝ぼけ眼をこすりながら、自分が魔獣の背中の上で眠っていたことを思い出す。昨日、森の中で出会ったばかりの、大きくてちょっと怖かったはずの魔獣。しかし、その赤い毛皮は驚くほど柔らかく、太陽の光を浴びた陽だまりのように温かい。そして何より、その背中の揺れは、どんな高級な揺り椅子よりも心地よい眠りを誘うのだ。
「このわんわん、さいこうのベッドです! きょうから、ミリシアのせんようしんしつです! わんわんはペットにするので、おなまえひつようですね! ぼくきめました! きょうからこのこは、まちゅかーんです! まちゅってよびますね!」
ミリシアは魔獣――マチュカーンの首筋にぎゅっと抱きつき、満足そうに宣言した。マチュカーンは迷惑がるどころか、ミリシアの言葉が分かったかのように「ニャアン」と嬉しそうな鼻息を漏らし、その蒼い瞳を細めた。
その光景を、少し離れた場所で見ていたクワットたちはもはや慣れたというべきか、諦めたというべきか、複雑な表情で見守っていた。
「ミリシア様は……本当に、どんな状況でもお休みになるのがお上手でございますね……」
「ホウ……彼女にとっては、魔獣の背中も天蓋付きの寝台も、大差ないということか? いっそ地べたで寝かせてしまおうか?」
「クワット様、不敬ですよ!」
「フン」
クワットは魔獣が同行者になることが気に食わないのか、剣をマチュカーンに投射した。
マチュカーンはそれに気付くと爪を巧みに使い剣を弾き返す。
「クワット様! ミリシア様に当たったらどうなさるおつもりですか!」
「どうせ当たらぬのだろう」
「このことは報告させて頂きますからねっ!」
「好きにしろ」
と言いながらまた剣を投射する。どうしても魔獣を殺したいらしいが、マチュカーンはニヤリと笑みを浮かべるとそれをまた弾き返した。クワットが弾き返されたそれを体を捻りながら握り、回転の勢いで投げ返す。それをまた弾き返すというどこぞの勇者が空き瓶で光弾を跳ね返すような光景が繰り広げられていた。
「ふたりとも、あそぶのがすきですね!」
ミリシアはそれを遊んでいると思ったのか、にぱ~と笑みを浮かべて見守っていた。
程なくして一行は、ミリシアを乗せたマチュカーンを先頭に、再び森の獣道を進み始めた。クワットが先頭に出ようとすれば、マチュカーンがその先を進むを繰り返し、ミリシアは最初こそエキサイティンな動作で楽し気にしていたのだが、だんだんと酔って来たのか気持ち悪くしていた。マチュカーンがそれに気を病んで減速した結果、先頭をクワット、次いで騎士隊、馬車、そしてマチュカーン、騎士隊の順になった。
そんな珍道中を経て、一行はようやく森の獣道を抜け、ディーオへと続く街道沿いの小さな村――モック村へとたどり着いた。のどかな田園風景が広がる、何の変哲もない小さな村だ。
街道沿いの畑で農作業をしていた村人たちは、まず立派な馬車と、その先導を務める騎士クワットの姿に気づき、興味深そうに手を休めてこちらを見ている。貴族か、あるいはどこかの偉いお役人様の行列だろうか、と。
しかし、その馬車の後ろから、のっしのっしと姿を現した巨大な赤い狼を見た瞬間、村の空気は一変した。
「ひぃぃぃっ! ま、魔獣だーーーっ!!」
「赤い……赤い毛皮の巨大な狼だぞ! まさか、噂の赤毛の狂犬か!?」
「あんな大きな魔獣が、なぜ村に……!」
「子供が……子供が喰われるぞぉぉぉっ!!」
誰かの叫び声を皮切りに、村は大パニックに陥った。
カンカンカンカン! と、けたたましく村の半鐘が打ち鳴らされ、家々からは錆びた槍や鍬、鎌を手にした自警団の男たちが、顔面蒼白になりながらも飛び出してくる。平和な村が一瞬にして臨戦態勢へと変わったのだ。
「チッ、犬畜生はやはり殺しておくべきだったか! お待ちいただきたい! 我々は聖女ミリシア・アストラル様とその一行である! この魔獣は……その、聖女様に従順であり、決して皆様に危害を加えるものではない!」
クワットは剣を鞘に収めたまま馬を降り、村人たちの前に立ちはだかるように両手を広げて必死に弁明する。その後ろでは、アルテイシアが馬車から飛び降り、震える声でクワットの言葉を補足した。
「皆様、どうかお静まりくださいませ! こちらの魔獣、マチュカーンは、聖女様がお認めになった、心優しき……? その、恐らく……ええ! 大変力強いお供の方なのでございます!」
心優しき、は少し無理があるかしら……でも、ミリシア様には確かに優しいし……とアルテイシアは内心で冷や汗をかきながら弁明する。
しかし、突然現れた巨大な赤い魔獣を前にして興奮状態の村人たちには、彼らの言葉はなかなか届かない。
「聖女様だと? 魔獣に操られているのではないか!」
「早くその子供を助け出せ!」
と、敵意のこもった声が飛び交う。
その騒ぎで微睡んでいたはずのミリシアは目を覚まし、マチュカーンの背中の上でむくりと起き上がると、寝ぼけ眼で周囲を見回す。
「……んぅ……なんですか、このさわぎは……? みなさん、どうしたのですか?」
そして、剣や鍬を構えて自分たちを取り囲んでいる村人たちと、その視線の先にいるマチュカーンを交互に見比べると、にっこりと笑顔を浮かべて手を振った。
「こんにちはです! このあかいわんわん、ミリシアのおともだちになったのです! とってもいいこですよ? ねー、まちゅ?」
そう言って、ミリシアはマチュカーンの首筋を優しく撫でた。マチュカーンは気持ちよさそうに蒼い瞳を細め、「ニャアン」と甘えたような声を出す。
「ニャアン、だと!?」
「狂犬ではなく猫なのか?」
「でも見た目は狂犬だぞ!」
「だがニャアンって言ったぞ!」
「ニャアンが猫とは限らないだろう!」
などとのたまいながらも、小さな子供が魔獣をまるでペットのように従えているのを見て、多少は敵意が薄らいだようだ。
ミリシアはマチュカーンから降りると、お近づきの印にと言いながらお菓子を配りだす。手土産で懐柔するつもりかとクワットは考えたが、そこまで頭が回る子供ではないだろうと考え直し、今が好機と言わんばかりにマチュカーンの殺害を試みるが失敗に終わる。
「このように、この魔獣は聖女の加護を授かっている! 君たちが例えその武器で襲いかかったとしても、傷一つつけることは叶わないだろう!」
「なんということだ。光の壁に剣が拒まれた?」
「というかあの騎士様、平然とした顔で殺そうとしなかったか?」
「そういう演出だろう。……演出、だよな?」
「もう、まちゅをいじめちゃだめですよ! めっ!」
ミリシアはクワットを叱りつけるが、その光景がなんだか微笑ましい光景に見えて、村人たちの殺気立った空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
子供の純粋な言葉と、その聖女様と呼ばれる少女が持つ不思議なオーラ、そして何よりも、あの恐ろしいはずの赤い魔獣が、少女の前ではまるで大きな飼い犬のように従順な姿を見せている。そのあまりのギャップと、何故かその魔獣をちょくちょく殺そうとしているやべえ騎士の姿に村人たちは戸惑いを隠せない。
敵意は薄れたものの、恐怖と疑念はまだ残っている。一行はその夜の宿を探したが、どの宿屋の主人も、遠巻きにマチュカーンを見ては「いやはや、そのような大きな赤いワンちゃんをお連れでは、他のお客様が怖がってしまいますので……」と、丁重に、しかし断固として宿泊を断ってきた。
クワットとアルテイシアは途方に暮れた。野宿も覚悟しなければならないか、と思った矢先、ミリシアがマチュカーンの背中からずり落ちるように降りると、街道の脇に座り込んでしまった。
「ミリシア、おなかすきました。それに、まちゅもきっとおなかすいてます。おうちがないなら、もうここでごはんたべて、おひるねします」
「ミ、ミリシア様、そのような場所では……!」
「やはりこの聖女、寝られればどこでも良いのか?」
アルテイシアが慌てるが、ミリシアはぷいと顔をそむけてマチュカーンに寄りかかっている。その時だった。
「……もし、よろしければ……うちの宿で、お休みになっていかれませんかな?」
声をかけてきたのは、村外れで小さな木賃宿を営んでいるという、腰の曲がった老婆だった。その皺だらけの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「こんな小さな宿で、聖女様をお迎えするには粗末すぎますが……お困りのご様子。ただし、その大きな赤いワンちゃんだけは、裏の家畜小屋でお願いできれば、と」
その申し出に、クワットとアルテイシアは顔を見合わせ、深く頭を下げた。
「まちゅといっしょじゃないといやです!」
ミリシアがいつものように駄々をこね始めたが、アルテイシアが「ミリシア様、マチュカーン殿は屈強な番犬として、私たちを外からお守りくださるのですよ。それに、明日の朝には、この村で一番美味しい焼きたてパンをマチュカーン殿にもご馳走しましょう?」と巧みに説得し、クワットが「マチュカーンは寒さにも強い。家畜小屋でも問題あるまい」と後押ししたことで、ミリシアはしぶしぶ納得した。
その夜。
ミリシアは、老婆が用意してくれた粗末だが清潔なベッドで眠る前に、こっそりと自分の夕食として出されたお肉の煮込みの残りを持って、アルテイシアの目を盗んで家畜小屋へと向かった。
家畜小屋では、マチュカーンが少し寂しそうに丸くなっていたが、ミリシアの姿を見ると、その大きな赤い尻尾を嬉しそうに振った。
「まちゅ、ごはんですよ。これ、とってもおいしいおにくです」
ミリシアが差し出すと、マチュカーンは喜び勇んでそれを食べ、感謝するようにミリシアの小さな手をぺろりと舐めた。
お肉の煮込みには毒が混入していたが、聖女であるミリシアと、その加護を受けている騎士たちは村で手に入る少量の毒では効果が薄く、受けた加護が薄いクワットが多少お腹を壊した程度で済んだ。
毒を入れられたことにそこでようやく気付いたクワットは老婆を殺害し、翌朝、老婆は早朝に出かけたことにして、毒の無い食事をアルテイシアが作り皆に振る舞った。
「……さて、聖女ミリシア。そろそろ出発するがよろしいか?」
「はい、くわっとさん。でも、おばあちゃんにあいさつしなくていいですか?」
「ミリシア様、お婆様はどうやらご用事があるようでして、聖女様によろしくと言っていました」
「そうですか。わかりました!」
殺害した老婆と、聖女を害することに協力した村人数人をその家族ごと殺害し終えた騎士たちは、何事も無かったかのように旅路へ着く。
どうやらこの村の者は悪魔に魅入られていたようだ!
そんな恐ろしい真実を知ることもなく、ミリシアは村を旅立つのだった。