聖女は静かに暮らしたい~星詠みの力でうっかり救世主に祭り上げられ、スローライフが遠のくんですが!?~ 作:ゴールド免許の2
朝食を終えた食堂の空気は、エグバードの熱弁によってやや重苦しさを増していた。もっとも、その重圧を感じているのは主にアルテイシアとクワットであり、当のミリシアは食後のデザートとして出された小さな星形のクッキーを頬張りながら、心ここにあらずといった様子で窓の外を眺めている。
「聖女様、ご理解いただけましたかな? この聖女お披露目の儀は、聖女様が神々の御使いであり、グルテン王国と民の守り手であることを内外に示す、極めて重要な祭典なのでございます。聖女様には、その威厳と慈愛に満ちたお姿を……」
「……いげん、とか、じあい、とかは、よくわかりませんけど、その、おひろめ? をしたら、新しいおもちゃとか、もらえますか?」
ミリシアはこてん、と首を傾げ、純粋な瞳でエグバードを見上げた。その問いに、エグバードは一瞬言葉に詰まる。アルテイシアが慌てて口を挟んだ。
「ミ、ミリシア様! そのような……! も、もちろんでございますとも! お披露目の儀を立派に勤め上げられましたら、きっと素晴らしいご褒美が……例えば、そうですね、神殿の宝物庫に眠る、古代のオルゴールなどはいかがでしょうか? 星の歌を奏でると言われておりますよ」
「ほしのうた……それは、こもりうたですか?」
「さ、さようでございますとも! きっとミリシア様の安眠のお役に……」
アルテイシアの必死のフォローに、エグバードは内心で頷きつつも、ミリシアの興味が安眠にしか向いていないことに一抹の不安を覚える。クワットは壁際で静かに目を閉じている。
(ホウ……オルゴールか。彼女にとっては、ただの騒音発生装置にならねば良いがな。もっとも、彼女の歌そのものが、この世界の法則すら書き換える可能性を秘めているのかもしれんが……しかし玩具に対し古代の遺物を持ち出そうとは、このメイドも中々肝が据わっているというか……)
「では聖女様、早速ではございますが、儀式の練習を始めさせていただいてもよろしいですかな?」
「……もう、おひるねのじかんでは、ないのですか?」
「まだ午前中でございますよ、ミリシア様! さあ、参りましょう!」
アルテイシアが半ば強引にミリシアの手を引き、一行は神殿内にある儀式練習用の広間へと向かった。陽光がステンドグラスを通して虹色の光の筋を落とす、荘厳な雰囲気の広間だ。しかし、ミリシアにとってはただのちょっと広いお部屋でしかない。
数人の侍女たちが、ミリシアのための小さな祭服と、小さな杖の模造品を用意して待っていた。
「ミリシア様、まずはこちらの祭服にお着替えを……」
「いやです。いまのおようふく、とってもきもちいいので、このままがいいです」
「ですがミリシア様、儀式では正装を……」
「きゅうくつなのは、きらいです。それに、このおようふく、あるていしあがぬってくれた、ふわふわのうさぎさんのししゅうがついてるのです」
ミリシアは自分の服の裾にある小さなウサギの刺繍を指さし、ぷいと顔をそむける。エグバードがこめかみを押さえた。
「……よろしい。ならば、その服装のままで結構です。まずは、祭壇へ向かう際の歩き方から……ミリシア様、このように、背筋を伸ばし、ゆっくりと、一歩一歩を慈しむように……」
エグバード自ら手本を見せるが、ミリシアは床に座り込み、絨毯の模様で遊び始めている。
「ミリシア様! 聞いておいでですか!」
「……このもよう、おほしさまのかたちににてます。あとで、このもようのおかしをつくってください、あるていしあ。ぼくはいまから、もようのかずをかぞえます」
「か、かしこまりました……ですが、今は練習を……!」
アルテイシアは懐から小さな袋を取り出し、中から星形の砂糖菓子を一つ、ミリシアの口元へ運んだ。
「これを一つ召し上がったら、少しだけ歩く練習をいたしましょう?」
ミリシアはぱくりと砂糖菓子を食べると、ようやく重くもない重い腰を上げた。しかし、その歩き方は、聖女の威厳とは程遠い、よちよちとした子供のそれである。お辞儀の練習では、バランスを崩してアルテイシアに抱きとめられる始末。
「もう、いやです! あしがつかれました! おなかもすきました!」
「ミリシア様、もう少しだけ……」
ミリシアが再び座り込もうとした、その時だった。
彼女が退屈しのぎに、ふと鼻歌を口ずさみ始めたのだ。それはどこかで聞いたような、それでいて誰も知らないような、不思議な旋律だった。
すると、どうだろう。広間の壁に備え付けられた古い燭台の、火の灯っていなかった数十本の蝋燭に、ぽっ、ぽっ、と柔らかなオレンジ色の炎が、まるでミリシアの歌声に応えるかのように、ひとりでに灯り始めたではないか。
さらに、ミリシアが練習用に持たされていた小さな杖の模造品が、彼女の小さな手に握られた途端、まるで本物の聖遺物のように、淡く、清浄な光を放ち始めたのだ。
床に落ちていた、どこからか紛れ込んだ一枚の枯れ葉が、ふわりと宙に舞い上がり、ミリシアの歌に合わせてくるくると踊るように旋回している。
「こ、これは……!」
エグバードは息を呑んだ。これが、聖女ミリシアの力。星詠みの力の一端なのか! なんという神々しさ、なんという……扱いにくさ!
アルテイシアは驚きつつも、どこか慣れた様子で手元の小さなメモ帳に何かを書き留めている。
「ミリシア様、鼻歌にて燭台自動点火、及び模造品ではあるものの、聖具の発光現象を確認……と」
クワットは壁にもたれたまま、その光景を見つめていた。
(ホウ……彼女にとっては、これが日常の範疇ということか。歌一つで周囲の環境に影響を及ぼすとはな。これが彼女の言うお星さまへのお願いの具体的な現れか……。実に興味深い)
しかし、当のミリシアはそんな周囲の驚愕などどこ吹く風。自分の鼻歌が起こした小さな奇跡にも気づいていない様子で、歌い終わると同時に大きなあくびをした。
「ふぁ~~あ……もうつかれました! げんかいです! ミリシア、おやつにして、おひるねします!」
そう宣言すると、ミリシアはぽい、と光る杖を床に放り投げる。アルテイシアがそれを慌ててキャッチしている間に、広間の出口に向かってとてとてと歩き始めた。
「ミ、ミリシア様! お待ちください! まだ練習が……!」
エグバードの悲痛な叫びも、今のミリシアには馬の耳に念仏、いや、聖女の耳に説法である。アルテイシアは深々とため息をつくと、エグバードとクワットに申し訳なさそうに一礼し、急いでミリシアの後を追った。
「やれやれ、といったところか」
クワットは小さく呟き、誰もいない天井を仰いだ。
(聖女お披露目の儀、か。果たしてどのような終わりを迎えるのか。楽しみ半分、恐怖半分、とでも言っておこうか。フフフ……)
その口元に笑みが浮かんでいた。
クワットの様子を見ていた周りの神官が、小さなミリシアを見てずっと笑みを浮かべているクワットを見て、こいつ事案か? などと思っているなど、当の本人は思いもしなかった。