聖女は静かに暮らしたい~星詠みの力でうっかり救世主に祭り上げられ、スローライフが遠のくんですが!?~ 作:ゴールド免許の2
王都グリーンフィールのアークレイア神殿は、普段の厳粛な空気に加え、どこか華やいだ、そして同時に張り詰めたような独特の雰囲気に包まれていた。神官たちは儀式の最終確認に奔走し、侍女たちは賓客を迎えるための準備に余念がない。誰もが、この歴史的な瞬間を成功させようと気を引き締めていた。
――ただ一人、その中心人物であるはずの聖女様を除いては。
「ミリシア様、本日の衣装の最終調整でございます。どうか、少しの間だけで結構ですから、じっとしていてくださいませね?」
「うー……あるていしあ、このリボン、ちょっときついです。もっとふわふわなのかもふもふなのにしてください。えんぷれす・もふももふもふはだいじといっていました」
「誰ですかそのお方は。これは儀式用の正装でございますから……。ですが、ミリシア様がお気に召すように、少し緩めましょうね」
ミリシアの私室では、アルテイシアが甲斐甲斐しくミリシアの世話を焼いていた。結局、ミリシアの儀式用の祭服は、彼女の着心地最優先という絶対的な要求に基づき、見た目の荘厳さを損なわない範囲で、極限まで柔らかく軽い素材を用いた特注品となっていた。それでもなお、ミリシアにとっては窮屈なことこの上ないらしい。
「おひろめがおわったら、すぐにこのおようふく、ぬぎますからね! すっぽんぽーんです」
「なんでこの国の人はすぐ脱ぎたがるんですか。駄目です。クワット様に襲われますよ?」
「おそわれるんですか?」
「はい、きっと食べられてしまいます!」
「それはこわいです。なら、すっぽんぽんはやめます」
「そうして下さいませ」
「では、とくべつなおやつと、それから……それから、アルテイシアにいれてもらう、あったかくてきもちいいおふろにはいるのです!」
「はいはい、そうでございますね。儀式が無事に終わりましたら、ミリシア様のために、神殿長にお願いして、とっておきの薬湯を用意していただきましょう。お肌もすべすべになりますよ」
「やくゆ? にがいのはいやですけど、すべすべになるなら、ちょっとだけなら……」
そんなミリシアのマイペースな日常とは裏腹に、神殿の外、王都グリーンフィールでは、いくつかの不思議な吉兆が人々の間で囁かれていた。
神殿の庭にある賢者の古木。東部の森林地帯に立つ大樹の分かち木とされ、ここ数十年花をつけたことがなかったもので、その木にまるで春の訪れを告げるかのように、一夜にして淡い星形の白い花を満開にさせたのだ。また、神殿の入り口近くにある清めの泉も、涸れて久しかったはずが、どこからともなく清らかな水が湧き出し始めたという。
「これもきっと、聖女ミリシア様のお力に違いない!」
「お披露目の儀を前に、星々が祝福を送っておられるのだ!」
王都の人々は口々にそう噂し、まだ見ぬ幼い聖女への期待と崇敬の念をますます高めていった。もちろん、これらの現象が、ミリシアが自室で「もっと気持ちよくお昼寝できますように」とか「お庭のお花が綺麗だと、お散歩も少しは楽しいかも」などと、無邪気に星に願った結果であることなど、誰も知る由もなかった。
神殿の一室では、エグバードが諸外国からの賓客リストを前に、苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えていた。隣には、護衛騎士クワットが、まるで石像のように微動だにせず控えている。
「騎士クワット……あの吉兆の噂は聞いているな? 民衆の期待は高まる一方だ。それは良い、実に良いことだ……だがしかし!」
エグバードはリストをバン、と机に叩きつけた。
「肝心の聖女様ご本人が、あの調子では! 万が一、儀式の最中に眠いだのお腹が空いただのと言い出されたら……我が神殿の、いや、グルテン王国の威信は地に堕ちるぞ!」
「フフ……神官長。彼女はまだ八歳の子供。そして、我々の常識では測れぬ可能性そのもの。儀式が型通りに進むと期待すること自体が、あるいは……」
「過ちだと言いたいのか、騎士殿!」
「いいや? 彼女の個性を最大限に活かすべき、と言っているのだ。下手に型にはめようとすれば、それこそ予測不能な事態を招きかねんぞ」
クワットのどこか含みのある言葉に、エグバードはぐうの音も出なかった。この若い騎士は、時折、まるで全てを見通しているかのような発言をする。それがエグバードを苛立たせ、同時にどこか頼もしさを感じさせるのだった。
「……よろしい。ならば騎士殿、貴殿に全権を委ねる。儀式当日、ミリシア聖女が聖女らしく振る舞えるよう、万全を期せ。これは命令だ」
「え、やだ」
「何か言ったかね?」
「……拝命しよう。……もっとも、彼女の聖女らしさの定義が、我々のものと一致するかは保証できんがな」
クワットは恭しく一礼すると、静かに部屋を退出した。残されたエグバードは、再び深いため息をつく。
「あやつめ、いつもいつも人を食ったようなことを……。だが、今は彼に頼るしかないのも事実……。おお、星々よ、どうかこの儀式が無事に終わりますように……!」
その夜、クワットは自室で愛剣の手入れをしながら、窓の外に広がる満天の星を見上げていた。
「フフ…神殿はまるで、祭りの前の子供のようだな。期待と不安で浮足立っている。だが、彼らはまだ理解していないのだろう。自分たちが迎え入れようとしている存在が、単なる聖女という枠に収まるものではないということを。彼女の周囲で起こる些細な吉兆……あれもまた、彼女の無意識の調律か。世界は、彼女の存在によって、少しずつその姿を変え始めているのかもしれん。嵐の前の静けさか、あるいは新たな可能性の萌芽か……いずれにせよ、退屈はしない。それが、この私が彼女の側にいる理由の一つ、とでも言っておこうか。フフフ……」
彼の口元には、いつもの怪し気な笑みが浮かんでいた。
◇
お披露目の儀前夜。
神殿全体が静かな興奮と、言いようのない緊張感に包まれる中、ミリシアはいつもと変わらぬ時間にアルテイシアに寝かしつけられていた。
「アルテイシア、あしたは、くもみたいにふわふわの、おおきなぷりんがいいです!」
「はい、ミリシア様。料理長に特にお願いしておきましょうね」
「それから、おふろも! おほしさまみたいにキラキラする、いいにおいのおふろがいいです!」
「かしこまりました。ミリシア様がお喜びになるような、特別なお風呂をご用意いたしますとも」
「わーい! やくそくですよ!」
ミリシアは満面の笑みを浮かべると、アルテイシアの優しい子守唄に包まれながら、すう、と安らかな寝息を立て始めた。その小さな胸の中では、明日の特別なプリンと、星空のようにキラキラするお風呂への期待だけが、夢いっぱいに膨らんでいるのだった。
聖女お披露目の儀という、グルテン王国の歴史に残る一日が、すぐそこまで迫っていることなど、今の彼女の幸せな眠りの前では、些細なことに過ぎなかった。