聖女は静かに暮らしたい~星詠みの力でうっかり救世主に祭り上げられ、スローライフが遠のくんですが!?~   作:ゴールド免許の2

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ここでオリチャーを発動!

 王都グリーンフィールを出発してから、早数日が経過した。

 聖女ミリシアとその一行を乗せた馬車は、きれいに整備された街道を西へ西へと進んでいる。馬車の内部は、アルテイシアの細やかな配慮によって、まるで神殿のミリシアの私室のミニチュア版のような快適空間となっていた。ふかふかのクッションに埋もれ、特製の携帯用魔法保温ポットから注がれる温かいミルクティーを飲み、時折アルテイシアが差し出す星形ビスケットを頬張る――そんなミリシアの日常は、場所が神殿から馬車に変わっただけで、基本的には何も変わっていなかった。流石は聖女が乗るだけあって、馬車のサスペンションもしっかりしているようだった。

 

「……まだつかないのですか、アルテイシア?」

 

 ミルクティーの最後の一口を飲み干したミリシアが、頬杖をつきながら不満そうに呟いた。

 

「きゃんでぃは、まだですか? どろのおふろも、まだですか?」

「ミリシア様、王都を出てまだ三日でございますよ。ディーオの町までは、この街道をまっすぐ進んでも、あと七日はかかるとクワット様がおっしゃっていました」

「な、なのかも……!?」

 

 ミリシアはがーん、という効果音が聞こえそうなほどショックを受けた顔をした。

 

「そんなにねむったら、わたし、とけちゃいます……。このえほんも、もうさんかいもよみました。うさぎさんがわるいおおかみさんをやっつけるところ、もうおぼえちゃいましたです」

「まあ、ミリシア様ったら。では、新しいお歌でも練習いたしましょうか? それとも、わたくしがお話を……」

 

 アルテイシアがにこやかに提案するが、ミリシアはぷいと顔をそむける。外では、馬上で先導するクワットが、時折馬車の小さな窓から中の様子を窺っては、小さくため息をついているのが見えた。

 

 その日の野営を終えた翌朝、一行が再び出発しようとした時だった。クワットが馬車のそばへ来て、アルテイシアに一枚の羊皮紙の地図を広げて見せた。

 

「アルテイシア、相談があるのだが」

 

 その声に、馬車の中でまどろみかけていたミリシアの耳がぴくりと動く。

 

「この先の分岐路なのだが、街道をそのまま西へ進むとディーオまで確かにあと六日ほどだ。しかし、こちらの森を抜ける獣道を行けば、最短で四日、うまくすれば三日で到着できる可能性がある」

「森の獣道、でございますか……?」

 

 アルテイシアは眉をひそめた。地図に描かれたその道は、明らかに細く、険しそうだ。

 

「ああ。ただし、道は舗装されておらず、馬車の揺れは大きくなるだろう。それに、森には魔獣が出るとの噂もある」

 

 クワットがそこまで言いかけた時、馬車の窓からミリシアがひょっこりと顔を出した。その瞳は、先ほどまでの眠気が嘘のようにキラキラと輝いている。

 

「みっかでつけるのですか!? じゃあ、きゃんでぃも、おふろも、みっかではいれるのですね!?」

「ミ、ミリシア様……しかし、危険な魔獣が……」

「はやくいきましょう、クワットさん! いそいでくださいです! きゃんでぃのためなら、ちょっとくらいのゆれは、がまんしますです!」

 

 ミリシアの鶴の一声で一行の進路はあっけなく決定された。

 

(ホウ……やはり、彼女の行動原理は単純明快、そして何よりも迅速だな。私の懸念である最近この街道沿いで物盗りの被害が増えているという情報を伝えるまでもなかったか)

 

 クワットは内心でそう呟き、アルテイシアは「ミリシア様がそうおっしゃるのでしたら……道中の安全確保、よろしくお願いいたします、クワット様」と、深々と頭を下げたのだった。クワットの進言は突然のオリチャーだがただの思い付きではなくちゃんと理由があるものだった。

 

 かくして、ミリシア一行は、街道から外れ、鬱蒼とした森の獣道へと足を踏み入れた。

 そこは、王都近郊の森とはまるで雰囲気が異なり、昼なお薄暗く、巨大な木々が空を覆い隠している。道はクワットの言葉通り険しく、馬車は木の根や岩を乗り越えるたびに大きく揺れた。時折、名前の知れない獣の低い遠吠えや、木々の葉が不気味にざわめく音が聞こえ、アルテイシアは知らず知らずのうちにミリシアの手を固く握りしめていた。

 

「……くらいのは、やっぱりきらいです……。それに、なんだか、へんなにおいがします……」

 

 ミリシアはクッションに顔をうずめ、不満そうに呟いた。しかし、馬車の不規則な揺れは、まるでゆりかごのようでもあり、彼女は再び抗いがたい眠気に襲われ、やがてすーすーと小さな寝息を立て始めた。

 アルテイシアはそっとミリシアに毛布をかけ直し、窓の外の景色に再び目を向けた。不気味な静けさの中に、時折、木漏れ日に照らされてキラキラと光る苔や、見たこともないような奇妙な形をしたキノコが見える。それはそれで興味深かったが、やはり緊張は解けなかった。

 

 森の奥へ進むにつれて、馬車の揺れはさらに激しくなり、空気はますます重く、張り詰めたものへと変わっていった。

 ふと、アルテイシアは気づいた。あれほど聞こえていた獣の遠吠えや鳥のさえずり、虫の音が、いつの間にか完全に途絶えている。不自然なまでの静寂が、森全体を支配していた。

 

 その時だった。

 

 ザザザッ、と前方の茂みが大きく揺れ、おびえた様子の小鹿が数頭、血相を変えて飛び出してきた。その後ろからも、兎や狐らしき小動物たちが、まるで何か恐ろしいものから逃げるかのように、一行の進む方向とは逆へと必死に駆け抜けていく。

 

「……ッ! 全員、止まれ!」

 

 先導していたクワットが、鋭く右手を上げて制止の声を張り上げた。

 馬車が急停止し、その衝撃でミリシアが「んみゅ……?」と小さな寝言を漏らす。

 クワットは抜き身の剣を構え、油断なく周囲に視線を巡らせる。アルテイシアもミリシアを庇うように身構えた。

 

「……来るぞ! 間違いない、かなり強力な魔獣の気配だ! 総員、戦闘配備!」

 

 クワットの言葉が終わるか終わらないかのうちに、前方の木々の間、薄暗い茂みの奥で、二つの点がギラリと赤く光った。それはまるで、暗闇に灯る二つの血の塊。そして、地を這うような低い唸り声が、森の空気をビリビリと震わせた。

 ゴソリ、と茂みが揺れ、ゆっくりと、しかし圧倒的な威圧感を伴って、巨大な赤い影が姿を現そうとしていた。

 

「グルルゥゥ……」

 

 それは、まさしく狂犬と呼ぶにふさわしい、禍々しい姿だった。

 深紅の毛皮はところどころ逆立ち、鋭い牙が剥き出しになった口からは、涎が滴り落ちている。蒼い両の目が、飢えた獣の獰猛な光を宿し、一行を――いや、その先頭に立つクワットを射抜くように見据えていた。

 その魔獣が、低く咆哮を上げながら一歩前に踏み出した瞬間、馬車の大きな揺れとクワットの緊迫した声で、ようやくミリシアが目を覚ました。

 

「……んぅ……うるさいです……。だれですか、ぼくのおひるねをじゃまするのは……?」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、ミリシアはのっそりと顔を上げ、自分たちの進路を塞ぐように立ちはだかる、巨大な赤い獣の姿をぼんやりと見つめた。

 

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