白百合の種が集まり、空に生まれた光環は、ただ浮かんでいるだけではなかった。
それは静かに、だが確かに――“拍動”していた。
最初に気づいたのは、都市南部の小学校にいた少年だった。
何かが胸に触れるような、内側からの響き。それは心臓の鼓動とは違う、けれど無視できないリズムだった。
続いて、工房の技師、病院の看護師、広場の露店主。
都市のあちこちで、「拍動と重なる感覚」が報告されはじめた。
それらはやがて、ひとつのパターンとして都市全体を包み込んでいく。
――天に浮かぶ光環が脈打つとき、地上の鐘もまた、共振するようにわずかに鳴動する。
目に見える揺れではなかった。耳に聞こえる音でもなかった。
それは“感じる”ものだった。身体の奥、あるいは記憶の底に触れてくるような、言語を超えた振動だった。
「これは、記憶にアクセスしている」
フィノはそう判断した。
光環と鐘の共鳴が作り出す干渉波が、人々の神経系に干渉している――
つまり、“思い出”に、直接触れてくる。
その予感は、まもなく現実になる。
街のあちこちで、「聞こえないはずの声を聞いた」という報告が相次いだ。
「亡くなった母の声を聞いた」
「昔、一緒に遊んだ友人の笑い声が耳元で……」
「私、間違いなく名前を呼ばれたんです。もういないはずの、あの人に」
それは決して録音ではなかった。脳内再生でも、幻想でもない。
“本当に、そこにいた”。
人々はそう口を揃えた。
一部の者にとって、それは慰めだった。
懐かしい声。語られなかった言葉。未練の余白を埋めるような、優しい囁き。
けれど――すべてがそうではなかった。
「やめてくれ……頭の中から……!」
救護班が駆けつけたとき、男は耳を押さえ、地面を転げ回っていた。
彼の脳内には、亡き父親の怒鳴り声が響き続けていたという。
暴力の記憶、喪失の記憶、罪悪感、孤独。
記憶はただ美しいものだけではない。
「これはまずい……希望の共鳴が、個人にとっては“異物”にもなる」
ミリは即座に判断した。
「記憶波形には、死後の境界情報が混じっているわ。それがフィルターなしに流れ込んでる」
市の救護ネットワークはただちに再構築された。
ミリは中央制御塔に設置された振動調整装置を遠隔操作し、干渉波の一部を選択的にカット。
さらに“和らげる周波”を新たに生成し、都市全域へ拡散させた。
効果は、即座に現れた。
苦しんでいた者たちの表情が、次第に落ち着きを取り戻す。
声は、もはや叫びではなく、囁きになった。
「……ありがとう」
最初に微笑んだのは、病院の少女だった。彼女の耳には、もう一度だけ、母の声が届いたのだという。
ミリは膝に手を置き、大きく息を吐いた。
この現象は、制御不能ではない。
扱い方次第で、人を癒すことも、壊すこともできる。
だからこそ、使い方を間違えてはならない。
――この光は、優しさと危うさを併せ持つ。
そのときだった。
各地のスピーカーや端末、壁面の共鳴板から、静かな声が重なって聞こえはじめた。
「回帰する花弁を探せ」
その一言だけが、繰り返された。男でも女でもなく、老いも若きもなく、どこか機械的で、しかし懐かしい声。
街のあらゆる音響媒体が、まるで意志を持ったように、その語句を復唱していた。
「回帰する花弁……?」
フィノとミリは顔を見合わせた。
ただの謎掛けか、それとも次なる指標か。
だが、ふたりはすでに動き出していた。
迷いはない。
都市は今、ひとつの心臓のように鼓動していた。