残響は水底より   作:くにゅたろ

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Episode 53「光環の胎動」

 

 白百合の種が集まり、空に生まれた光環は、ただ浮かんでいるだけではなかった。

 それは静かに、だが確かに――“拍動”していた。

 

 最初に気づいたのは、都市南部の小学校にいた少年だった。

 何かが胸に触れるような、内側からの響き。それは心臓の鼓動とは違う、けれど無視できないリズムだった。

 

 続いて、工房の技師、病院の看護師、広場の露店主。

 都市のあちこちで、「拍動と重なる感覚」が報告されはじめた。

 

 それらはやがて、ひとつのパターンとして都市全体を包み込んでいく。

 

 ――天に浮かぶ光環が脈打つとき、地上の鐘もまた、共振するようにわずかに鳴動する。

 

 目に見える揺れではなかった。耳に聞こえる音でもなかった。

 それは“感じる”ものだった。身体の奥、あるいは記憶の底に触れてくるような、言語を超えた振動だった。

 

「これは、記憶にアクセスしている」

 

 フィノはそう判断した。

 光環と鐘の共鳴が作り出す干渉波が、人々の神経系に干渉している――

 つまり、“思い出”に、直接触れてくる。

 

 その予感は、まもなく現実になる。

 

 街のあちこちで、「聞こえないはずの声を聞いた」という報告が相次いだ。

 

 「亡くなった母の声を聞いた」

 「昔、一緒に遊んだ友人の笑い声が耳元で……」

 「私、間違いなく名前を呼ばれたんです。もういないはずの、あの人に」

 

 それは決して録音ではなかった。脳内再生でも、幻想でもない。

 “本当に、そこにいた”。

 人々はそう口を揃えた。

 

 一部の者にとって、それは慰めだった。

 懐かしい声。語られなかった言葉。未練の余白を埋めるような、優しい囁き。

 

 けれど――すべてがそうではなかった。

 

「やめてくれ……頭の中から……!」

 

 救護班が駆けつけたとき、男は耳を押さえ、地面を転げ回っていた。

 彼の脳内には、亡き父親の怒鳴り声が響き続けていたという。

 暴力の記憶、喪失の記憶、罪悪感、孤独。

 記憶はただ美しいものだけではない。

 

 「これはまずい……希望の共鳴が、個人にとっては“異物”にもなる」

 

 ミリは即座に判断した。

 

 「記憶波形には、死後の境界情報が混じっているわ。それがフィルターなしに流れ込んでる」

 

 市の救護ネットワークはただちに再構築された。

 ミリは中央制御塔に設置された振動調整装置を遠隔操作し、干渉波の一部を選択的にカット。

 さらに“和らげる周波”を新たに生成し、都市全域へ拡散させた。

 

 効果は、即座に現れた。

 

 苦しんでいた者たちの表情が、次第に落ち着きを取り戻す。

 声は、もはや叫びではなく、囁きになった。

 

「……ありがとう」

 

 最初に微笑んだのは、病院の少女だった。彼女の耳には、もう一度だけ、母の声が届いたのだという。

 

 ミリは膝に手を置き、大きく息を吐いた。

 この現象は、制御不能ではない。

 扱い方次第で、人を癒すことも、壊すこともできる。

 だからこそ、使い方を間違えてはならない。

 

 ――この光は、優しさと危うさを併せ持つ。

 

 そのときだった。

 各地のスピーカーや端末、壁面の共鳴板から、静かな声が重なって聞こえはじめた。

 

「回帰する花弁を探せ」

 

 その一言だけが、繰り返された。男でも女でもなく、老いも若きもなく、どこか機械的で、しかし懐かしい声。

 街のあらゆる音響媒体が、まるで意志を持ったように、その語句を復唱していた。

 

「回帰する花弁……?」

 

 フィノとミリは顔を見合わせた。

 

 ただの謎掛けか、それとも次なる指標か。

 だが、ふたりはすでに動き出していた。

 迷いはない。

 

 都市は今、ひとつの心臓のように鼓動していた。

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