残響は水底より   作:くにゅたろ

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Episode 55「光路の先端」

 

 都市の中心に出現した光の螺旋は、空を穿つように、静かに伸びていた。

 

 それは階段のようでもあり、橋のようでもあり、あらゆる重力と直交した構造体のようでもあった。

 素材は光――だが、足を乗せればしっかりと“踏みしめる”感触がある。冷たく、けれど温かい。不思議な手応え。

 

 先頭に立ったのはフィノ、その後ろにミリ、そして巡礼者の中から選ばれた三名が続く。

 周囲には誰もいない。都市は静寂の中にあり、だが無数の視線が、遠くからその背中を見守っていた。

 

 一段、また一段。

 登るごとに、身体が軽くなる。

 空気は澄み、風はないのに髪が揺れる。呼吸は乱れず、鼓動だけが外へ響いていた。

 

「重力が……解けてきてる?」

 

 ミリが不安げに足元を見下ろした。

 はるか下に都市がある。もう見慣れたはずの街並みが、箱庭のように遠く、小さくなっていく。

 

「この階段自体が、“次元移動の装置”なんだ。上に向かうほど、物理法則から切り離されていく」

 

 フィノの声も、どこか浮遊していた。

 それは音としてではなく、皮膚を通じて届くような、直接的な伝達。

 

 ――この空間では、言葉もまた別の振動となる。

 

 しばらく登ると、風景が変わった。

 空間の色が反転し、黒に似た透明が周囲を満たしていく。

 重力も、時間の感覚も、わずかに歪む。だが歩を止める者はいなかった。

 

 そして、階段の最上段――螺旋の終端に、門が現れた。

 

 それは物理的な“扉”ではなかった。

 鏡のように滑らかな平面が、宙に垂直に浮かんでいた。

 中を覗くと、そこには――都市が映っていた。

 

 けれど、それは現在の都市ではない。

 

「これは……未来の都市?」

 

 ミリが呟く。

 

 都市は廃墟だった。建物の外殻は崩れ、空は割れ、地には花が咲き乱れていた。

 だが不思議と、絶望の印象はなかった。ただ、無限に広がる“可能性の残骸”のように見えた。

 

 フィノがそっと手を伸ばすと、鏡面に触れた指が、静かに吸い込まれていく。

 表面は液体のように波打ち、そして収束した。

 

 彼が一歩、踏み込んだ。

 続いてミリ、そして巡礼者たち。

 

 足元は確かで、空気は薄くも濃くもなく、だが――音がなかった。

 ここは時間の境界にある場所。門の向こう側。

 ただ静かに、無数の鏡が並んでいた。空間の上下左右、あらゆる方向に、無限に続く鏡。

 

 それぞれの鏡には、異なる都市が映っている。

 焼け落ちた街。浄化された街。空に浮かぶ街。滅びを受け入れた街。再構築を選んだ街。

 どれも、確かにこの都市であり、だがどれも“選ばれなかった未来”だった。

 

「……ここは、“選択されなかった歴史”の保管場所なのか?」

 

 ミリの声が震える。

 

「あるいは、“可能性”そのものの空間。選ばなかった、というより……まだ選ばれていない」

 

 フィノはそう言って、目の前の鏡を見つめた。

 そこに映るのは――彼自身。だが少し違う。

 目に疲労と諦めが刻まれ、背中が僅かに曲がっている。

 都市を見放し、自らを閉ざした未来の彼。

 

 ミリもまた、鏡に映る自分と対面していた。

 そこには、誰も救えず、言葉を失った彼女がいた。手は汚れ、目は虚ろだった。

 

「ここに映るのは、私たちが選ばなかったもの……でも、それは私たちの一部でもある」

 

「そうだ。否定じゃない。可能性はすべて、ここに在る」

 

 巡礼者のひとりが、深く頷いた。

 

 そのとき、空間が軋んだ。

 

 音もなく、鏡がひとつ崩れ落ちた。

 続いてもうひとつ、そしてまたひとつ。

 無数の選ばれなかった歴史が、静かに砕けていく。

 

 それは破壊ではなかった。選択の更新だった。

 いま、この瞬間の“意志”が、未来の断片を塗り替えようとしている。

 

「フィノ、見て!」

 

 ミリが指さす先、砕けた鏡の向こうに、道が現れていた。

 光でできた道。分岐のない一本道ではない。

 螺旋に似た、幾重にも交差する、多数の選択肢が重なり合う廊下だった。

 

 可能性は無限に枝分かれする。

 だがその中心には、必ず――“今”がある。

 

 フィノは、深く息を吸った。

 

「行こう。もう迷わない。これは、僕たち自身のための旅だ」

 

 

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