残響は水底より   作:くにゅたろ

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Episode 56「選択の廊下」

 

 崩れた鏡面の奥に現れたのは、まるで夢の中の構造体だった。

 

 道は一本ではなかった。幾重にも枝分かれし、交差し、絡まり、反転しながら、無数の方向へ伸びていた。

 一本一本が独立した“廊下”であり、それぞれに異なる光と温度、匂いと響きを帯びている。

 

 「ここが、“選択された未来”へ続く道……?」

 

 ミリが一歩踏み出した瞬間、道のひとつがゆるやかに明滅した。

 それは彼女の記憶に呼応しているかのようだった。

 幼少期に見た風景、失った人の手、選び損ねた言葉――そうした断片が光に混じり、道へと編み込まれていく。

 

「選択の廊下は、記憶に基づいて形成される。つまり、自分にしか踏み込めない道があるということだ」

 

 フィノもまた、自らの足元を見つめていた。

 彼の前に伸びる廊下には、あの研究施設の天井、母親の声、鐘楼の影――過去の要素が幾重にも重なっていた。

 

 やがて、巡礼者たちが次々に各々の“道”へと吸い寄せられていった。

 彼らは誰に命じられるでもなく、ただ“呼ばれる”ようにして分かれていく。

 まるで、選択の意思が彼ら自身の中から自然に現れたかのように。

 

 「行くよ、ミリ」

 

 フィノの声が聞こえた時には、彼はすでに別の廊下へと足を踏み入れていた。

 その背中を見送ることもできず、ミリもまた、自らの廊下へと導かれていった。

 

 ――ふたりは、離れた。

 

 ミリの廊下は、最初こそ光に包まれていたが、奥へ進むにつれて次第に陰影を深めていった。

 両壁には記憶が映っていた。

 救えなかった人々。届かなかった声。拒絶した手。笑顔と、涙と、沈黙。

 

 それは彼女にとっての“可能性”であり、“重荷”でもあった。

 

 歩みを止めそうになるたびに、誰かの声が背中を押してくれた気がした。

 いまや誰のものだったか思い出せない声――だが、それは確かに彼女を信じていた声だった。

 

 一方で、フィノもまた、迷路のような道を進んでいた。

 分岐点に立ち止まるたび、選ばなかったもうひとつの自分の人生が、鏡のように目の前に現れる。

 

 ある廊下では、彼は深淵病を恐れて研究を放棄していた。

 別の廊下では、仲間を犠牲にして都市の機能を保ち、自ら孤立していた。

 どの自分もまた、確かに“彼”だった。

 

「選ぶって、こういうことなんだな」

 

 彼は呟いた。

 正解はない。ただ、向き合い、受け入れて、進むだけ。

 

 ふたりの歩みが同じ場所へと収束するまで、そう時間はかからなかった。

 

 廊下の最深部。

 そこで、ミリとフィノは再び出会った。

 

「……来たのね」

 

「ああ。君も」

 

 言葉は短く、それ以上は要らなかった。

 ふたりの足元に、新たな道が浮かび上がる。

 

 白と黒、二色の百合が交互に咲く一本道。

 その一輪一輪が、過去と未来、忘却と記憶、恐怖と希望の象徴だった。

 

 「この道が、“統合の道”なんだ」

 

 フィノが言った。

 

 「二律を同時に受け容れる者だけが、進める」

 

 ミリは頷いた。

 

 花々は、進むごとに強く揺れ、音もなく咲き誇った。

 まるで彼らの歩みが、新たな選択を呼び込んでいるかのように。

 

 そして、一本道の終端――そこに、巨大な“心臓”が現れた。

 

 鼓動を打つそれは、血も肉も持たず、光と音で構成された結晶のような存在だった。

 

 ドクン。ドクン。

 

 都市の鐘と同じリズムで、光球が脈動している。

 

「これが……門の核心?」

 

「いや、これは、“選択の心臓”だ」

 

 フィノは静かにそう言った。

 

 あらゆる選択が、ここに集まり、ここで揺れ、ここで新たに生まれる。

 

 ふたりは、しばし立ち尽くした。

 けれど、恐れはなかった。

 選択するということが、もう“孤独な行為”ではないと知っていたから。

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