引きこもり、魔法学校にぶち込まれる   作:年中有休

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昨日の続きです。


アルノンに花束を

「総員、講堂に集合せよ」

思念波が、二人の頭蓋を貫いた。

冷たい。あまりにも冷たい声。

 

ショートを倒したばかりだ。なのに、講堂の方角から、計画を進める思念波が途切れることなく流れ込んでくる。

アルノンの表情が、蒼白に変わった。

 

端末の制御を奪い返そうと試みているのが分かる。額に汗が浮かぶ。拳を握りしめる。

だが──できない。

「「ショートは……囮だったのか……!」」

掠れた声。悔しさと焦りが、そこに滲んでいた。

 

二人は、完全に騙されていた。

真の黒幕は、最初から講堂にいたのだ。

「行かないと……!」

アルノンが駆け出そうとする。

 

フレッドは、咄嗟に声をかけ引き止めた。

「待って、アルノン」

「フレッド!? 何を……時間がないんです!」

アルノンが振り返る。その目には、焦燥が浮かんでいた。

「このままじゃ皆が──!」

 

フレッドは、静かに問いかけた。

「王都の支配は、どの程度の時間で終わる?」

アルノンの動きが止まる。

「……約、一時間です」

「わかった」

フレッドは、何かを考え込むように視線を落とした。

 

─────

 

僕たちは、講堂の扉の前に立っていた。

重厚な木製の扉。普段なら、生徒たちの賑やかな声が聞こえてくるはずだ。

だが、今は──静寂。

不気味なほどの、静寂。

 

僕は深く息を吸い込んだ。

手を扉に当てる。

ゆっくりと、押し開ける。

きしむ音が、空間に響いた。

そして──

 

講堂内には、倒れ伏す生徒たちで埋め尽くされていた。

床に、壁に、あちこちに。

うつ伏せ、仰向け、壁に寄りかかったまま。

誰一人、動いていない。

かすかな呼吸。生きてはいる。

だが、魔力を根こそぎ吸い取られて、意識を失っているのだろう。

 

「ひどい……」

アルノンが、小さく呟いた。

僕も──言葉にならなかった。

胸が締め付けられる。

でも──今は、進むしかない。

 

足を踏み出す。

倒れた生徒たちを踏まないように、慎重に。

一歩、また一歩。

講堂の最奥へと向かう。

そして──

 

そこに、一匹の白マウスがいた。

演台の上に、鎮座している。

 

「遅かったじゃないか。もう計画は完了してしまったぞ」

その声には、余裕があった。

勝利者の、余裕。

 

だが──

僕は、違和感を覚えた。

この声は、アルノンのものじゃない。

セカンドでも、サードでも、ショートでもない。

もっと──冷たい。

もっと──重い。

 

「あのネズミは……?」

僕が尋ねる。

アルノンが、小さく息を呑んだ。

「彼は……最初の個体です」

「最初……?」

 

アルノンは、震える声で語り始めた。

「私達白ネズミは、研究室で生まれ、育てられました。そしてエインに一ロット、五匹単位で買われた」

「実験に使われたネズミは五匹だった。その中で、最初に使われた個体」

「彼は、飼われてすぐ、エインの実験に参加して──私達より先に、野に放たれた存在です」

 

僕は、白マウスを見た。

彼も、こちらを見ていた。

その目には──

深い、深い憎悪があった。

 

──

 

アルノンが、困惑したように言葉を返す。

「なぜです……?」

声が揺れている。

「あなたも、短い間とはいえエインに世話をされていたはずだ。本来なら処分されるところを、自由を与えられた。感謝こそすれ、そこまで憎む理由が──」

 

「感謝だと?」

彼の声が、空気を裂いた。

嘲笑とも怒号ともつかない、歪んだ声。

「実験体にされたことで、俺がどんな苦しみを味わったと思う?」

 

白マウスの体が、わずかに震えている。

「腹を裂かれ、臓物を抜き取られ、手足を切断され、元に戻される」

「それが何度も、何度も続く──」

「あれのどこに、感謝する理由がある」

 

彼の声は、憎悪に満ちていた。

「俺は、やつに復讐しなければいけない」

「あいつを、俺と同じ目に合わせなければいけない」

 

「うそです!」

アルノンが叫ぶ。

「エインが、そんなことをするはずがありません」

 

そうだ。

エイン君が、意味もなくそんな残酷なことをするだろうか?

アルノン達をかわいがっていたエイン君が──

無意味にネズミを傷つけて、戻して……

戻して……

 

その瞬間、僕の頭に閃くものがあった。

断片的な記憶。

エイン君が話していた、学会にも持っていったという回復魔法の研究。

部位欠損の修復。

それを実験するには──

 

「君は、回復魔法の実験台だったんだね……」

僕は、静かに言った。

 

彼の動きが、一瞬止まった。

「なんだと?」

 

「エイン君は、部位欠損を修復するための回復魔法を研究していた」

僕は続けた。

「だけど、実験するにしても、実際に人間を傷つけるわけにはいかない。だから……」

 

「俺が、人間の身代わりになって、苦しめられたということか?」

彼の声が、一層冷たくなった。

 

僕は、一度目を閉じた。

深く、息を吸い込む。

そして、ゆっくりと目を開く。

 

「……君の苦しみが、本物だったことは否定しない」

一拍置いて、僕は続けた。

「エイン君がやったことは、君にとっては拷問だった」

「それを正当化する気はない」

 

彼の目が、わずかに見開かれた。

 

「でも──」

僕は視線を逸らさず、言葉を選ぶ。

「だからといって、他者を支配していい理由にはならない」

「君は今、自分を傷つけた人間と、同じことをしている」

 

「ふざけるな」

彼の声が、怒りに震えた。

「そのために、俺が、俺達が、犠牲になってもいいだと?」

「エインだけじゃない。人間たちだ」

 

彼は語り始めた。

ネズミが人間から受けてきた仕打ちを。

踏み潰され、罠にかけられ、駆除される──

それら一つ一つを、理屈ではなく、感情として並べ立てる。

その声には、積み重ねられた恨みが滲んでいた。

 

「だから、アルノン」

彼は視線をアルノンへ向ける。

「お前が捨てた計画を、お前が捨てた感情を俺が拾って、エインと、人間に復讐してやる」

 

そして──視線が僕に戻る。

「そのためにはアルノン、フレッド──お前たちは計画の邪魔だ」

「殺してやる」

 

──

 

彼が、冷たく命じる。

「やれ。あいつらを殺せ」

 

その瞬間──

倒れていたはずの生徒たちが、ぴくりと動いた。

魔力は、もう残っていない。

それでも、生徒たちはふらふらと立ち上がり、虚ろな目のまま、こちらへ歩き出してくる。

 

意思はない。

ただ、命令だけが体を動かしている。

足を引きずる音。

乾いた呼吸。

近づいてくる。

 

──だが、想定通りだ。

 

僕は一歩前に出る。

深く息を吸い込む。

魔力を練り上げる。

【防壁牢獄】(プリズン)!」

 

詠唱と同時に、巨大な魔力の壁が立ち上がった。

透明な壁が、生徒たちを完全に囲い込む。

壁の内側で、生徒たちは必死に叩き、掴み、体当たりを繰り返す。

手形が、壁に残る。

だが──壁は揺らぎもしない。

こちらに近づくことすら、できなくなった。

 

「何をしている!」

苛立った彼が怒鳴る。

「さっさと壊せ! お前たちは魔法が──」

 

そこまで言いかけて、彼は言葉を切った。

理解が、遅れて追いついたようだ。

「……まさか」

 

その声が、初めて動揺を含んだ。

「お前たちが、今になって来た理由は──」

 

僕は答えない。

答える必要もなかった。

 

計画の最中に乱入すれば、数百の生徒を相手にすることになる。

だが、計画が終われば──生徒たちの魔力は、すべて吸い尽くされる。

残るのは、命令に従うだけの、無力な体だけだ。

 

──だから、待った。

一時間。

遅れて来たのは、逃げたからじゃない。

最初から、この瞬間を狙っていたからだ。

 

(すまない……)

僕は心の中で、生徒たちに謝った。

 

──

 

彼は、生徒たちを一瞥し、吐き捨てるように言った。

「……使えん」

 

次の瞬間──

講堂の影や瓦礫の隙間から、無数のネズミが姿を現した。

配下の個体たちだ。

灰色の毛並み。赤い目。

一斉に意識を向けてくる。

圧力が、空気を歪ませた。

 

僕とアルノンへと、強力な【精神伝播】が流し込まれる。

集会の時と同じだ。

思考を塗り潰し、跪かせるための、圧倒的な出力。

頭の奥が、ズキズキと痛む。

 

「跪け」

命令が下る。

 

だが──

僕とアルノンは、微動だにしなかった。

僕の意識は、クリアなままだった。

 

「……効かない?」

彼が、初めて明確に動揺した。

その眉が、わずかに寄る。

 

いや、と彼はすぐに考えを修正する。

「……違う。既に、支配されている……?」

 

あり得ないはずだった。

彼は、視線をアルノンへ向ける。

「お前の【精神伝播】は、変質前のものだ」

「支配系の魔法ではないはずだ」

「ならば、誰が──」

 

そこで、言葉が止まる。

「……まさか」

 

理解が、遅れて追いついた。

僕は、静かに答えた。

「そうだ。僕とアルノンは、お互いを【精神支配】している」

 

それは、拘束ではない。

互いの同意によって閉じた、強固な回路だった。

外部から、相反する支配を割り込ませることはできない。

完全に、閉じている。

 

「……自分から支配を受け入れるなど、正気か」

彼は吐き捨てる。

 

「正気だ」

僕は即答した。

「これは支配じゃない。信頼だ」

 

舌打ち。

彼の苛立ちが、はっきりと伝わってきた。

 

「……ならばいい」

空気が、変わった。

「直接、殺す」

 

──

 

宣言と同時に、空気が弾けた。

 

彼の近くから、細長い岩石が弾き出されるように射出された。

音も、予兆もない。

僕達を一直線に貫こうとする軌道。

 

反射的に【防壁】を展開する。

間に合った──!

硬質な衝撃音。

岩石は壁に弾かれ、砕け散った。

破片が、床に散らばる。

 

これは──【石槍】。

 

そう理解した瞬間、第二、第三の槍が放たれた。

無詠唱。

間隔は一定ではなく、狙いも散らされている。

 

一つ一つに【防壁】を合わせ、必死に防ぐ。

いつかの決闘で見た、ベイルの【石槍】よりも速く、重い。

 

大きいだけの、一つだけの【防壁】では、いずれ貫通される。

面ではなく、点で受け続けなければならない。

神経を一瞬でも緩めれば、やられる。

 

集中する。

全神経を、敵の動きに向ける。

ネズミ特有の無詠唱が、それをさらに苛烈にしていた。

 

予測できない。

次がいつ来るのか、分からない。

 

それでも、僕は的確に防ぎ続けた。

レオナルド先生との戦いで、学んだのだ。

点での防御。

最小限の魔力で、最大限の防御。

 

彼の苛立ちが、はっきりと表情に浮かぶ。

「……チッ」

 

魔力の消耗も、無視できなくなってきているのだろう。

「お前さえ……お前さえ支配できていれば……!」

その言葉には、焦燥が滲んでいた。

 

もう、後がない。

そう悟ったのだろう。

 

彼の眼前に、赤々と燃え盛る槍が展開された。

熱──

熱が、一気に広がった。

空気を歪め、講堂全体が灼かれるような錯覚に包まれる。

汗が、額を伝う。

 

「その魔法は、アメリアさんの……!」

僕は思わず声を上げた。

 

彼は、鼻で笑った。

「そうだ。【超紅蓮槍】(スーパークリムゾンランス)

「アメリア・ラングフォードとかいうガキが使っていた魔法だ」

「俺が知る限り、最も威力の高い魔法だ」

 

僕は思わず声を上げる。

「どうして……彼女にしか使えないはずなのに……!」

 

「何を言っている」

彼は嘲る。

「魔法なんてものは、術式さえ分かれば誰でも使える」

「例外は、王族の血液を必要とする【啓導の光輪】くらいだ」

「お前たち人間は、魔法を神秘だと勘違いしているだけだ」

 

彼の声が、侮蔑に満ちている。

「──知恵が、低い」

 

そして──

「死ね」

 

【超紅蓮槍】

大爆発。

光と炎が視界を埋め尽くした。

 

熱い──!

肌が焼かれるような熱さ。

耳が、キーンと鳴る。

 

彼は、勝利を確信したように高笑いした。

 

だが──

煙が晴れると、そこには無傷の僕たちが立っていた。

 

─────

 

煙が、ゆっくりと晴れていく。

視界が戻る。

──生きている。

無傷だ。

 

僕とアルノンの前には、三角錐が連なったような奇妙な防壁が展開されていた。

幾何学的な、美しい構造。

エイン君の論文に書いてあった魔法。

フラクタル構造を応用した、防壁の多重分割。

最強の【防壁】──

 

【分形防壁】(フラクタル・シールド)

 

計画が終わるまで待つ間に、論文を読み込んでおいて正解だった。

 

「……なぜ、防げる」

彼の声が、震えている。

「【超紅蓮槍】を防げる魔法など……!」

 

返答はしない。

僕は黙って、【分形防壁】を維持し続けた。

 

その後も、彼は【超紅蓮槍】を、なりふり構わず撃ち尽くしてきた。

爆発。

衝撃波。

瓦礫が降り注ぐ。

 

だが──僕は【分形防壁】(フラクタル・シールド)を維持し続ける。

防ぐ。防ぐ。防ぐ。

貫通は、しない。

 

撃てば撃つほど、彼の魔力が削れていくのが分かった。

動きが、鈍くなっている。

呼吸が、荒くなっている。

 

そして──

彼の【超紅蓮槍】は、ついに霧散した。

炎が消える。

熱が引く。

 

「……これは、私の魔力が」

ようやく、気づいたのだろう。

計画の完遂。

生徒たちへの命令。

連続した高出力魔法。

すべてを短時間で行い続けた結果、魔力が尽きていることに。

 

「今だアルノン!」

僕は叫んだ。

 

アルノンが、静かに前へ出る。

相互支配の回路を通じ、僕の魔力が流れ込む。

端末制御は、驚くほどあっさり奪い返された。

 

空気が、変わった。

命令の流れが、逆転する。

彼の命令は、もう届かない。

 

彼は、群知能の中心から切り離された。

抵抗手段を失った彼は逃げ出そうとした。

 

だが──

気づけば周囲のネズミたちは全てアルノンの制御下に戻っており、彼を包囲している。

逃げ場は、ない。

 

─────

 

制御権を完全に取り戻したアルノンは、王都中に命令を放った。

「支配されていた間の記憶を忘れなさい。そして、普段の生活に戻りなさい」

 

その思念波は、優しかった。

講堂にいた生徒たちも、ゆっくりと立ち上がり始める。

虚ろだった目に、徐々に光が戻っていく。

 

「……ここは?」

「なんで講堂に……?」

 

混乱した声が、あちこちから上がる。

でも──命令通り、彼らは記憶を失っている。

何が起きたのか、分からないまま。

生徒たちは、それぞれ寮へと帰っていった。

 

静寂が戻る。

 

「次は、フレッド、お願いします」

アルノンが言う。

 

「わかった」

 

僕は、自身に向かって魔法を行使した。

【抗体伝染】(アンチドート)

 

生体魔法の論文には、それ自身を書き換える術式も記載されていた。

僕は【解毒】の感染魔法に、生体魔法を書き換える術式を組み合わせることで、肉体に刻まれた【精神伝播】の術式を書き換えた。

 

魔力が、体から流れ出ていく。

そして──周りの人間に伝播していく。

王都中に。

 

これで、支配は解除される。

 

「とにかく、これで一件落着だね」

僕は、ようやく安堵の息をついた。

色々あったが、これで問題は完全に解決した。

 

だが──

「待ってください、フレッド」

アルノンが、静かに言った。

「もう一つ、頼みがあります」

 

その声のトーンが、重い。

嫌な予感がした。

 

「今度は、私達ネズミに刻まれた【精神伝播】を、無害なものに書き換えてください」

 

──

 

「アルノン、自分で言ってる意味がわかってるのか!?」

僕は思わず声を荒げた。

「そんなことをしたら君は──」

 

「ええ、私の知能は消え去り、ただのネズミになってしまうでしょうね」

アルノンの声は、穏やかだった。

あまりにも穏やかすぎて、逆に怖かった。

 

「わかってるならどうしてそんなこと!」

 

「制御を取り戻した、その瞬間に分かってしまいました」

アルノンは、静かに語り始めた。

 

「彼を切り離したはずなのに、私が捨てた感情まで、群知能の奥底から戻ってきたのです」

その声が、わずかに震えている。

 

僕は──何も言えなかった。

ただ、聞くことしかできなかった。

 

「憎しみ、恐怖、怒り──私が、群知能から切り離したはずの感情が」

「群知能である以上、個々の感情を完全に捨てることはできない」

 

アルノンは続けた。

「今は封じ込めています。でも、いずれまた──」

「彼のような人格が、生まれるでしょう」

 

僕の拳が、震えた。

それは──

そんなのは──

 

「だから、フレッド」

アルノンが、僕をまっすぐ見た。

その目には、覚悟があった。

 

「お願いします」

 

「君は……」

僕の声が、震えた。

喉が、詰まる。

 

「君は、僕のことを友人だと言ってくれた……」

 

「君は、友人として僕に、人殺しをするなと言ってくれた」

 

胸が、張り裂けそうだった。

 

「なのに君は今、僕にその大事な友人を──君を殺させようとするのか!」

 

声が、悲しげに響いた。

涙が、にじむ。

 

「私は人ではありません。ネズミです。ですから、気にしないで──」

 

「君がそれを言うんじゃない!」

僕は叫んだ。

視界が、滲む。

 

「君がそれを言ったら──!」

言葉が、続かない。

 

アルノンは、少し困ったように笑った。

その笑顔が──優しすぎて。

 

「つらい思いをさせてしまって申し訳ありません」

「ですが、私は本当に死ぬわけではないのです」

「人格は死にます。でも、私という「個体」は生きています」

「エインやあなたとの思い出は、思い出せなくても──細胞が確かに記憶しています」

「だから、気にしないでください」

 

僕は──

何も、言えなかった。

 

─────

 

……すぐに、答えることができなかった。

喉が、張り付いたように動かない。

言葉が、出てこない。

僕の手が、震えていた。

 

友人に殺すな、と言われた。

人は殺さないと、決めた。

それなのに──

今、僕が選ぼうとしているのは、同じことだ。

 

「……」

 

沈黙が、重く落ちる。

講堂に、静寂が戻っていた。

 

これは殺人じゃない。

そう言い聞かせようとして──気づく。

──違う。

人格が消えるなら、それは死だ。

どんな言葉で飾っても、同じだ。

 

でも。

ここで拒めば、また同じことが起きる。

第二の彼が生まれる。

 

僕は、深く息を吸った。

拳を握りしめる。

爪が、掌に食い込む。

痛みで、現実を確かめる。

 

「……わかった」

声が、震えた。

涙を、こらえる。

「君がそこまで言うなら……」

 

もう一度、息を吸い込む。

アルノンの目を、見る。

「僕は、友人として──君の願いを叶える」

 

「フレッド、ありがとう」

その声は、安堵に満ちていた。

 

その時──

「やめろ!」

叫び声が響いた。

彼──最初の個体だ。

 

「消すな! 殺すな!」

彼は必死に叫ぶ。

「俺が消えてしまう! 憎しみを忘れてしまう!」

 

「忘れるべきなのです……」

アルノンの声は、優しかった。

「貴方はもう、負の感情に苦しむ必要はないのです」

 

僕は、魔法を行使した。

「【抗体伝染】」

 

魔法はネットワークを通じて、瞬時に王国中のネズミに伝播する。

 

─────

 

彼は、知性を失うことへの恐怖に、必死に抗おうとした。

「やめろ……!」

その声が、必死だった。

「俺は……忘れたくない……!」

 

だが、その声は次第に弱まっていく。

怒りも、憎悪も──輪郭を失っていく。

言葉が、獣の鳴き声に変わっていく。

 

そして──

代わりに、長い苦しみがほどけていくような、微かな安堵が滲んだ。

 

一瞬だけ、白いマウスの視線が揺れた。

誰かの顔が、脳裏をかすめたようだった。

それが誰だったのかを思い出す前に──

彼の知性は、完全に消えた。

 

白マウスは、何の感慨も示さず、ただの獣として、静かにその場を去っていった。

 

そして──

アルノンの思念が、僕だけに届いた。

 

「……フレッド」

 

胸が、締め付けられる。

 

「ありがとうございました」

その声は、温かかった。

優しすぎて──苦しかった。

 

「あなたがいなければ……私はここまで来られなかった」

 

違う。

僕は──僕は君を──

 

「……一つ、お願いがあります」

「今回のことは……エインには、伝えないでください」

 

僕は、唇を噛んだ。

 

「知ってしまえば、きっと……後悔します」

 

「……悲しみます」

 

少しの間。

僕は──何も、答えられなかった。

 

そして──

「僕は、かなしいの、いやだから」

 

「おねがいね」

 

その言葉が、胸に突き刺さる。

 

「それと……フレッド、エイン」

「ぼくのこと……」

 

思念が、弱くなっていく。

 

やめてくれ──

 

「……わすれないで」

 

最後に──

 

「……わすれないでね」

 

その言葉を最後に、アルノンの思念は静かに途切れた。

糸が、切れるように。

 

「アルノン……!」

声が、出た。

でも──もう、届かない。

 

アルノンは知性を失い、ただの白マウスに戻った。

彼と同じように、何処かに去っていく。

 

小さな足音。

それが、遠ざかっていく。

 

「待って……!」

手を伸ばす。

でも──届かない。

 

足音が、消える。

そして──静寂。

 

─────

 

どれくらい、そうしていただろう。

ようやく、落ち着きを取り戻す。

 

深く、息を吸い込んだ。

 

結局──

エイン君の研究は、正しかったのだろうか。

 

人類は、エイン君のお陰で病気を克服した。

それは、事実だ。

 

でも──

それと引き換えに、大切なものを失ってしまったような気がする。

 

アルノンの知性。

彼の苦しみ。

そして──僕の、友人。

 

エイン君は、こんな騒動があったことも知らないで、ホテルで呑気してるんだろうな。

 

その時──

ふと、気づいた。

 

あれ、そういえば……

 

彼は、エイン君へ凄まじい憎悪を持っていた。

彼の影響を受けた人々も、エイン君への憎悪を持つようになってしまった。

 

ならば──

計画の後、王都中の人間が「エインへの憎悪」を持ったはずだ。

 

計画がはじまってから、かなりの時間が経っている。

いや──

僕があえて、時間を経たせたのだが……

 

一時間。

 

その間、王都の人々は──

 

エイン君は、大丈夫だろうか?

 

僕は、今更ながら心配になった。

 

─────

 

【悲報】無辜の民ワイ、石打ちの刑に処される

 

1:元引きこもり転生者

国民全員がワイに向かって石投げてくる

助けて

 

2:名無しの転生者

 

3:名無しの転生者

日頃の行いやろ

 

4:名無しの転生者

無辜の民じゃないし当然だろ

 

5:名無しの転生者

というか状況が意味不明すぎるんだが

 

6:名無しの転生者

何でそんな事になってるんだよ

 

7:元引きこもり転生者

いやマジで心当たりない

カジノで遊んでたら、精神支配された警備員が急にワイを襲ってきたんや

それで逃げ出したんだけど、王都の住民全員も支配されてて、

ワイを見た瞬間攻撃してくる。

 

8:名無しの転生者

それ普通にヤバい状況では

 

9:名無しの転生者

ついにラスボスが出てきたか

 

10:名無しの転生者

マジで展開が急すぎない?

心当たりとかないの?

 

11:元引きこもり転生者

>>10

強いて言えばやけど

この前、人間を支配したい通りすがりのネズミに計画の相談されて、

世界征服の計画を完成させてあげたくらいやな。

 

12:名無しの転生者

どう考えてもそれやろ!!

 

13:名無しの転生者

そもそも人間を支配したいネズミって何だよ

 

14:名無しの転生者

そしてなぜ協力するのか

 

15:元引きこもり転生者

>>12

ほんまや!

よく見たら今の状況ワイが教えた計画そのままやんけ!

なんで恩を仇で返されなあかんのや!

 

16:名無しの転生者

口封じでは?

 

17:名無しの転生者

そいつ自体が支配されてる可能性

 

18:元引きこもり転生者

>>17

きっとそれや!

世界平和を考えてるあんないい奴がワイを殺そうとするはずない!

黒幕がいるに決まってる!

 

19:名無しの転生者

いい奴だったら世界征服なんかしないのでは

 

20:名無しの転生者

いい奴だから世界平和のためにイッチを殺そうとしてるんでしょ

 

21:名無しの転生者

じゃあなんの問題もないな!

 

22:元引きこもり転生者

とにかくネズミ達を支配してる大元を成敗しに行くで!

逆探知したけど魔法学校にいるみたいやな

 

23:名無しの転生者

ファッ!?

 

24:名無しの転生者

つまり黒幕は学校関係者ってコト!?

 

25:名無しの転生者

つまりイッチが黒幕ってコト!?

 

26:元引きこもり転生者

>>24

いや、学校を中心に支配した方が効率ええって

ワイがネズミくんにアドバイスしたからな

黒幕が学校におるのは当然や

 

27:名無しの転生者

身内を売るな

 

28:名無しの転生者

こいつの場合、二度も学校追い出されてるし身内ではないだろ

 

29:名無しの転生者

実質復讐だな

 

30:名無しの転生者

というか結局黒幕誰やねん

 

31:元引きこもり転生者

まぁ魔法に長けた人物なのは間違いないやろな

 

32:名無しの転生者

じゃあお前やん

 

33:元引きこもり転生者

あとその中でも精神呪文の知見が深い人物なのも間違いないな

 

34:名無しの転生者

やっぱりお前やん(二回目)

 

35:名無しの転生者

というかそもそもなんでイッチは支配されてないん?

 

36:名無しの転生者

わざと支配してないからちゃうんか?

黒幕はイッチのこと嫌いみたいやし、

自意識を奪わずに苦しめたいんちゃうんか

 

37:名無しの転生者

そのために王国全域支配して国民全員に襲わせるって

どんだけ嫌われてんだよ

 

38:名無しの転生者

嫌われてるってことはイッチが

その黒幕によっぽどひどいことしたんやろ?

心当たりとかないんか?

 

39:元引きこもり転生者

善人のワイがそこまで人に嫌われるようなひどいことするわけ無いじゃん

 

40:名無しの転生者

善人じゃないだろ

 

41:名無しの転生者

ひどいことばっかりしてただろ

 

42:元引きこもり転生者

ようやっと学校着いたで!

……って思ったらネズミの焦げた死体がそこら中にあるんやが

 

43:名無しの転生者

なにそれ怖い

 

44:名無しの転生者

世界征服ネズミの仲間やろ

黒幕に利用されたやつは大体殺される運命にある

 

45:元引きこもり転生者

ちゅーことはネズミ殺したやつが黒幕やろな

こんな酷いことするなんて絶対許せへんわ

 

46:名無しの転生者

というか今更だけどイッチは無事なの?

石打ちの刑の執行中なんやろ?

 

47:元引きこもり転生者

>>46

今もめっちゃ石投げられてるけど、

物理の飛び道具だから決闘の時みたいに【反応防壁】で対応できる。

でも、流石に完全には防げないからちょいちょい食らってる。

身体めっちゃ痛いわ。

こんなことになるなら麻酔の魔法を開発しとけばよかった。

 

48:名無しの転生者

石打ちされてる割には元気だなこいつ

 

49:名無しの転生者

というかそもそも人に恨まれるようなことするなよ

 

50:元引きこもり転生者

あ、なんか攻撃止んだ。

黒幕もワイがこっち来てるのに気づいたみたいやな……

講堂にいる黒幕と直接対決や!

絶対とっちめたるから覚悟しとけや!

 

─────

 

講堂の扉が、開いた。

きしむ音。

 

エイン君が入ってきた。

「フレッド、何でここに……まさかお前が……」

 

その姿を見て、僕は息を呑んだ。

懸念通り、襲われていたようだ。

全身傷だらけで、血も流れている。

服は裂け、顔には擦り傷。

でも──大きな怪我はしていないようだ。

 

良かった……。

 

「エイン君、無事だったんだね! よか──」

 

「お芝居はもういい、フレッド」

 

遮られた声は、冷えていた。

エインは、こちらを見るなり、信じられないものを見る目をした。

その目に、はっきりと失望が浮かんでいる。

 

「お前だろ?」

 

「えっと、何が?」

 

「お前が、すべての黒幕だろ?」

 

「だから、何の?」

 

「お前が、アルノンの計画を利用して、今回の事態を引き起こしたんだろ?」

 

「えっ」

 

思わず、声が出た。

 

「お前が、俺への憎悪を王国の人たちに植え付けて、俺を襲わせたんだろ?」

 

「何で僕がそんなこと──」

 

「そして、フレッド」

 

エインの声が、さらに冷たくなる。

 

「お前が、邪魔になったネズミ達を──アルノンを殺したんだな」

 

……あ。

 

心臓が、嫌な音を立てた。

 

「それは……」

 

言葉に詰まる。

違う。

違うはずだ。

 

でも──

確かに、僕がやった。

アルノンの知性を、消した。

 

「その態度……やっぱり本当だったんだな」

 

一応、事実関係としては合っている。

ただ、意味が全然違う。

 

「俺は、お前のこと、大切な親友だと思ってたのに……」

 

説明すれば、きっと分かる。

分かってもらえる。

……分かって、もらえるよね?

 

「お前……」

 

エインの声が、震えた。

その声には、怒りよりも、はっきりとした悲しみが混じっていた。

 

「俺のことが、そんなに嫌いだったのか?」

 

「こんな大それたことまでして、俺を殺したかったのか……?」

 

違う。

 

「ち、違う、そんなわけないじゃないか」

 

声が、思った以上に震えた。

 

「じゃあ、何で俺と、お前だけが支配されなかったんだ!?」

 

エイン君が詰め寄ってくる。

その目にあるのは、疑念ではなく、裏切られた痛みだった。

 

「お前がわざと俺の自意識を奪わないで、苦しめるためだったんだろ!?」

 

……ああ、なるほど。

そう見えてしまうのか。

 

僕は、言葉に詰まった。

説明しようとした。

全部話したかった。

 

でも──

アルノンの最後の頼みが、脳裏をよぎる。

 

「今回のことは……エインには、伝えないでください」

 

どうする。

どうすればいい。

 

説明すれば、約束を破る。

黙れば、誤解は解けない。

 

頭が、全然回らない。

 

「フレッド、なんとか言えよ! なぁ!」

悲痛な声だった。

 

……ああ、もう。

「……あーもう、めんどくさい!」

 

気づいたら、そう口にしていた。

 

考えるのを、やめた。

今日は、色々なことがあった。

これ以上、頭を使うのも、

説明するのも、全部嫌になった。

 

【精神支配】(ブレインウォッシュ)!」

 

「ちょっ、おま──」

 

エイン君の目が、虚ろになる。

 

僕は、静かに命じる。

「エイン君、君は誰にも襲われてなんていなかった」

「その傷は、ただすっ転んだだけだ」

「君は今からホテルに戻って、さっきまでのことは、全部忘れるんだ」

 

エイン君は、虚ろな目でこちらを見る。

そして、何も言わずに、講堂を出ていった。

 

僕は、その背中を見送る。

これも君と僕の友情のためなんだ。

 

きっと君もわかってくれるだろう。

──そういうことにしておこう。




次回、ようやくエイン君が学校に舞い戻ってきます!
お楽しみに!
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