戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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第二十九話:三対三、三者三度の防衛戦

 あの夜のことは夢だったんだろうかと、響は思う。

 けれど意志に応じて胸に浮かぶ聖詠が、夢ではないと彼女に告げる。

 くせっ毛気味の長い髪が風に揺れて、憂いを浮かべる響の顔に添えられた。

 

「なーに黄昏てんの?」

 

「弓美ちゃん?」

 

「悩みごとがあるんなら、アニメで例えてよ」

 

「悩みを打ち明ける決意よりハードル高いんじゃないかなぁそれ」

 

 話しかけてきたのはリディアン屈指のアニヲタ、板場弓美であった。

 響が所属する女子五人組のコミュニティ――またの名をアニソン同好会――は、あだ名のセンスにさえ目を瞑れば常識人な安藤創世が事実上のリーダーに近い位置に居るが、物事をおっぱじめる時は大体行動力の塊であるこの少女が引き金となっている。

 頭の善し悪しはともかく、善意と行動力はある彼女は響の様子が気になったようだ。

 響は色々と考え、話していいことといけないことを頭の中に浮かべ、ちょっとぼやかして弓美に相談する。

 

「ええと……自分を嫌ってる人と仲良くするには、どうしたら良いと思う?」

 

「アニメを一緒に見ればいいんじゃない?

 最近アニメ化したサガフロとかアルカイザーがカッコよくてオススメかな」

 

「……誘っても断られそう」

 

「えええ、響の人柄でそうなの?

 なんか面倒臭いキャラの匂いがプンプンするわね。殺し愛系ヒロインとかそういうの」

 

「あははー、むしろ私の方が不快にさせちゃってるかなーって感じで」

 

「うーん、気難しい人に今季オススメのアニメヒーローアカデミアを見せてもなあ」

 

 悩む弓美は思考を明後日の方向に回しつつ、ぽんと拳を掌の上に置いた。

 

「よし、古典で行きましょう! 人生に必要なものはだいたいアニメから学べるのよ!」

 

「あ、あれれー?」

 

 弓美に連れられ、響は部室に連行されていく。

 ゼファーがきっちり掃除し、人数分の椅子と机と『学校の備品を借りている』という名目で置かれているテレビ、弓美が持ち込んだDVD/BDプレイヤーに飾られたこの部屋は、格式高い音楽学校の一室からすっかりアニメに汚染された空間へと変貌していた。

 この学校の歴史の中で、部活にテレビを要求したのは板場弓美が初めてだろう。

 

「アニメ見るわよアニメ!」

 

 弓美は友情・努力・勝利を暑苦しいくらいに掲げていた頃のジャンプアニメをチョイスし、響へのアドバイス兼アニメ界への勧誘のためテレビで流し始めた。

 我々はオタクだー、お前達は同化されるー、抵抗は無意味だー、といった機械生命体じみた精神汚染の魔の手が響に迫る。

 しかしこのタイミングで見せられたアニメのタイトルが『キャプテン翼』だったため、響は生まれて初めて梅干しを食べた時のような顔をしていた。

 

「弓美ちゃん、ボールは友達?」

 

「そうそう」

 

「つまり蹴れば友達になれる、みたいな?」

 

「……んん?」

 

「友達になるためにサッカーやろうよ! あなたボールね! みたいに言え、的な……?」

 

「なんでそうなるのよ!?」

 

 殴ったり蹴ったりすれば友情が芽生える、なんて響が信じて実行したらどうするのか。

 それで実現させてしまったらもっとどうすればいいのやら。

 敵対した相手に話し合いを求めるも、最終的に拳で仲良くなるようなスタンスを響が身に付けた場合の未来はどうなってしまうのだろうか。

 

「……アニメの話はとりあえず脇に置いておいて。

 響がその人と仲良くなりたいなら、誠心誠意本音でぶつかっていくしかないでしょ」

 

「やっぱそうなるかー。未来も同じこと言ってたなあ」

 

「へー、未来も? ま、あたしやあんたより真っ当な社交性あるしね、あの子」

 

「困った時の未来頼りですよー、えへへ」

 

 二人が放課後のアニメ鑑賞に一息つけていると、タイミングよく現れたゼファーが仕事の合間の時間を使い、二人に茶を淹れようとする。

 彼の右手にはお湯たっぷりの電気ポット、左手にはスティックシュガーやティーパックが詰まっている箱、肘に引っ掛けた袋には人数分の紙コップ。

 

「二人共、お茶淹れるけど何がいい?」

 

「おまかせで」

「おすすめで」

 

「……じゃあ貰い物のカモミールティーの消費に貢献してくれ」

 

 毎日どこかしらで見るゼファーを見て、忙しそうにしてるけど余裕そうだなあ、と弓美は思う。

 毎日どこかしらで見るゼファーを見て、忙しくて余裕がなさそうだなあ、と響は思う。

 目に見える部分と見えない部分で、既に乖離が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十九話:三対三、三者三度の防衛戦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝たなければならない。

 ディアブロ一体だけが相手だという仮定を置いて、響を含めた現状の二課の総戦力を投入して初めて勝率が計算できる。なのに敵はネフシュタンもアースガルズも居るというこの状況。

 ゼファーは用務員室にて、頭を悩ませていた。

 ……できれば響の力を借りずに勝ちたい。

 そう思うも、響の力を借りてすら勝ちの目が見えてこないというのが現実だ。

 

(……どうしたもんかな……)

 

 ネフシュタンは翼に一対一でも優位に立ち、ナイトブレイザーの焔が通じない。

 ディアブロはゼファー相手に見せてきた関節技などの格闘戦の圧倒的技量、一億℃プラズマを中心としたナイトブレイザーと天羽々斬の連携以上の遠距離火力。

 そして上記の二者を合わせた強さよりもなお強い、アースガルズ。

 奏の死によってそのバリアを攻略できる者は居なくなり、最強のバリアに加え、素の身体スペックでも風鳴弦十郎に並ぶという脅威が人に牙を剥く。

 

 控えめに言って、諦めるべき戦力差だった。

 

(一度『捨て』の戦闘を想定して、戦闘後に尾行。

 拠点を突き止めて、拠点の外側からネガティブフレアでゴーレムごと一瞬で焼却……

 駄目だ、死人が出る。でも敵拠点の特定は今以上に注力するよう頼んでみるべきかな……

 忍び込んでゴーレムの格納場所を突き止め、そこだけ燃やすっていう手もある)

 

 手段を選ばなければいくらでも方法はある。

 なのだが現状、情報のアドバンテージは敵にあるというのが問題だ。

 ゼファー達は敵の情報をほとんど持たず、敵はゼファー達の戦闘データまでもを頭に入れた戦い方をしていた。せめて敵拠点の位置が分からなければ、決定打になる搦手を打つのは難しい。

 

(あるいは、敵の本目的を突き止められれば……

 敵を待ち伏せして、ディアブロをバニシングバスターで狙撃できる。

 光速度の数十%の速度のバニシングバスターならまず防がれない。

 そのためには主導権をこっちが握る必要があり、敵の手札と目的を知る必要がある……)

 

 これだけ圧倒的な戦力差があれど、主導権さえ握ることができればどうにかなる目はある。あるのだ。だがその主導権も、敵にずっと握られてしまっている。

 敵の襲撃を待つだけの受動的な現状は、非常にマズい。

 

(俺達にも優位を保ってるものがある。

 『数』と『組織力』だ。まあ、あれだ、極端な話……

 敵拠点を一つづつ判明させて潰していけば、いつかは勝てる。

 寝床と食事は湧いて来ない。それは必ずどこかで確保しなければいけない。

 敵の組織力がどのくらいものかは分からないが……どこかで必ず、ボロは出る)

 

 言ってしまえば、敵が人間である以上、衣食住をどこで得ているかさえ分かれば、聖遺物なんて使わなくても薬を盛ればそれで倒せる。

 人と人の戦いでは"どんな力を持っているか"と同じくらいに、"どう戦うか"というファクターが重要になってくるのである。

 

(ましてやゴーレムの維持やメンテナンスなんて、どこでもできるわけじゃない。

 あの大きさで、かつ人目についたらその時点で終わりなんだ。

 例えば山に拠点を隠したとしても、電力はどこから引いてくる?

 時間と機会が重なれば拠点を特定するのは難しくない。それは多分敵も分かってる)

 

 戦闘後の尾行。金、人、物、の流通の調査。水道電気ガス等のインフラの流れの確認。

 そういった敵拠点の特定は、優秀な二課のスタッフがやってくれている。

 ゼファーは彼らに任せ、入ってくる情報に合わせて適宜動けばいい。

 情報の多寡により、彼が選べる手段もまた変わってくるからだ。

 

 "情報の戦場"で戦うのはゼファーではないが、そこで二課の大人達が勝利してくれれば、この戦局にも希望が見えてくる。

 ……それはつまり、『現状真っ向勝負で勝機はない』ということでもあるのだが。

 

(敵は情報の隠匿にどのくらい手を尽くしてるんだろうか?

 それとも、内通者や盗聴器のような情報アドバンテージを持ってるのか?

 ……あの日、俺があの場所にヒビキとマリナちゃんを助けに行った時。

 俺があの場所に現れることを、ネフシュタン達はどうやって知ったんだ……?)

 

 あの日、ゼファーがノイズを倒してすぐにネフシュタンの少女は現れた。

 ノイズ達は響達を追ってあの場所にまで移動したのだから、待ち伏せなんてできるわけがない。

 つまりネフシュタンの少女は、ゼファーがあの場所に向かった直後に、ゼファーが目的地と定めた場所に向かっていたということになる。

 

 ゼファーは目を閉じ、昨晩弦十郎から聞かされていた話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 二課食堂のラーメンは中々に美味いと評判である。

 『油っこすぎると食えねえ』と文句を言う可能性のある中年職員、『薄味だと食った気がしない』と文句を言う可能性のある若い職員に、全く文句を言わせない一品だ。

 私生活で食生活がまともでないことが多い独身男性職員や、健康カロリーに気を使う女性職員ともども人気な塩ラーメン。

 旨味たっぷりの野菜がどっちゃり乗って、チャーシューと麺もたいそう美味い。

 スープはラーメンでありながら野菜と相まって上質なポトフを思わせるという。

 

 そんなラーメンを作る食堂のクイーン絵倉を手伝い、十分な量の下拵えを終えたゼファーは、弦十郎に誘われ夕食を共にしていた。

 弦十郎の私室にて、手ずから運んだ塩ラーメンを男二人向き合いすする。

 そこで弦十郎から聞かされたことは、まさに青天の霹靂であった。

 

「内通者?」

 

「大きな声では言えんことだがな」

 

 ゼファーは二課の仲間を信じている。

 命を預けられるくらいには信じている。

 弦十郎はその二課の仲間の中に、裏切り者の内通者が居ると言った。

 

「この内通者の存在は、厳密に言えばかなり前から発覚してたやつだ。

 イチイバル、アースガルズが不自然な紛失をした、二課設立直前の時期の話だな」

 

「……そんな前からずっと、尻尾を掴ませてないほどの相手なんですか?」

 

「ああ」

 

 ネフシュタンの少女が現れ、今まで二課の頭を悩ませてきた謎の敵、不可思議な動きをするノイズ、詳細不明のゴーレム達の存在が一つの線に繋がった。

 そして芋蔓式に、謎の敵、米国、二課の裏切り者も一つの線に繋がり始めている。

 

「シンフォギアは日本の最高機密であり、唯一無二の聖遺物武装だ。

 なのにだ、米国のシンフォギアといい、アースガルズを守ったシンフォギアといい……

 明らかに二課の外に機密が盛れちまってるだろう?

 米国、謎の組織、内通者。これだけ怪しむ要素が揃えばむしろ役満だな」

 

「というか、ほぼ確定ですね……」

 

 米国といえど日本国内で余りにも極端な好き勝手はできない。

 ゆえに、米国の息のかかった少数精鋭、あるいは米国に支援されている組織、もしくは米国と協力関係にある組織……といった予想がいくつもゼファーの脳裏に浮かぶ。

 戦いの場は聖遺物を使う戦場、情報の秘匿と獲得で戦う戦場のみならず、政治の世界という戦場にまで戦火を広げているようだ。

 いずれ政治家を巻き込んだ戦いも始まるかもしれない。

 

 なのだがゼファーは、このタイミングで自分にそれが明かされたことが気になった。

 

「何故、このタイミングで俺にそれを明かしたんですか?」

 

「特に仲間を疑えってわけじゃない。

 お前に内通者の特定を求めてるわけじゃないさ。

 ただ、そいつを念頭に置いてもらっとけばお前はいい動きをしてくれそうでな」

 

 弦十郎はゼファーが気を使って持って来たコショウの瓶を、塩ラーメンの上で振る。

 少し多目にコショウかけたくらいの味が、弦十郎が好む味付けの塩梅である。

 

「実はちょいとお偉いさんの何人かはお前を疑っていてな。

 内通者が居るならお前をまず調べるべきだと、そう頑と主張していたわけだ」

 

「……仕方ないですよ。俺はどこまでも、よそ者です」

 

 ゼファーはどこまでも出身の怪しい外国人である。

 彼を日本という国の要に置くことを、今でも嫌がっている者は居るのだ。

 たとえ民衆がどれほど讃えようと。

 たとえノイズやゴーレムに対する有効な戦力であろうと。

 たとえこの国の民のためにどれだけ血を流そうと。

 信じることができない者は居る。

 

「だがまあ、それも昔の話だ」

 

「え?」

 

「お前がこの国に来てもう六年になる。

 意見を変えたお偉いさんも、何人か居たということだ」

 

 されど同時に、人々が英雄を受け入れたように、ノイズやゴーレム相手に結果を出し続け、他者のために血を流す姿を見て『彼を認めよう』と思った者も居る。

 弦十郎がゼファーにこの話をしたということは、そういうことなのだろう。

 "『絶対に内通者ではない』と判断することを許された"。

 ゼファーが裏切者である可能性を弦十郎が完全に否定することを許された、ということなのだろう。許可したのは広木防衛大臣か、斯波田外務次官か、はてさて。

 

「ゲンさん……」

 

 弦十郎が内通者の話をしたのが、ゼファーと緒川の二人に対してだけだと言えば、この暴露と信頼がどれほど大きなものなのか分かるだろうか。

 

「俺は、何をすればいいんですか?」

 

 その信頼が、ゼファーの意識を引き締める。

 

「響君が加わった以上、前線で動くチームは三人になる。

 今まで通り藤尭をサポートに付けるが、問題はリーダーだ」

 

 ゼファーと翼の二人ならまだいい。

 だがそこに練度もさして高くない響が加わるとなれば、話は別だ。

 例えば戦闘の中で響がピンチになった時、ゼファーが「右に跳べ」、翼が「左に跳べ」と同時に叫んだ場合、どうなる?

 響はどちらの声に従えばいいのか迷い、致命的な場面で足を止めてしまうのではないだろうか。

 

 仮のものであっても、上下関係とは有事の時や危地にて輝くものだ。

 少なくとも響が指示無くとも仲間達と連携できる、そういうレベルにまで成長するまでは、響が"誰の指示に従えばいいのか"を理解しやすいようにしておく必要がある。

 かつて奏が、ゼファーと翼を率いて朔也のサポートを受け、チームを完成させていたように。

 

「お前がやるんだ、ゼファー。戦場で翼と響君を率いて、チームを完成させてみろ」

 

「俺が、ですか」

 

 今、かつて奏が背負っていた役割と責任と同じものを、彼は任されようとしている。

 

「任せるなら、性格的にも人間関係的にもお前しかいない。

 第一、お前達三人の中なら、お前が最年長だろう?」

 

「……そういえば、俺ももう最年長なんですね」

 

 気付けばゼファーも、最年長と呼ばれる人間になっていた。

 フィフス・ヴァンガードではいつも周りに年上が居た。

 F.I.S.でもマリアを始めとした者達が居て、子供達の中ですら最年長ではなかった。

 聖遺物チームを組んだ時も、年上でリーダーな奏が居てくれた。

 

 彼が最年長としての責任を果たせと求められたのは、これが初めてだったかもしれない。

 

「できるか?」

 

 弦十郎は彼の意志を問う。

 できるか、と。

 

「できます」

 

 ゼファーは応える。

 できます、と。

 

 それが昨晩、ゼファーと弦十郎が交わした会話であった。

 

 

 

 

 

 ゼファーは目を開き、記憶の海から帰還する。

 

 これから先、もしも響が本格的に参戦するとして、響・ゼファー間や翼・ゼファー間は問題ないとしても、響・翼間でちゃんとした連携を組んでいかなければならない。

 だが、ゼファーの直感がそこに問題を感じ取る。

 彼の理性とは別の所にある直感だ。

 頭が理解していなくても、漠然とした危機感は湧いて来る。

 

(……どうなんだ……どうなんだろうか、あの二人……)

 

 ゼファーはあの日から、なんとなく翼に避けられているような気がしていた。

 顔を合わせなければ決定的な確信には至れない。

 ましてゼファーは、翼が響を見る目線ですら、一度も目にしてはいないのだ。

 それで翼と響の関係に何か疑問を持つというのだから、了子がその直感に驚愕するのも分かるというもの。

 今のゼファーは、ガングニールやネフシュタンが再び現れたことに対して翼が何か思う所があるかもしれない、程度の認識しか持てていない。

 

(仮にあの二人の仲が良くならなかったとして。

 俺はどこまで口を出すのが正解なんだろうか……)

 

 そしてゼファーの中にある記憶が、彼に判断を迷わせる。

 ハッキリ言って今の翼と響より、初対面の頃の翼と奏の方が仲は悪かったのだ。

 何せ相手を救いようがないと罵り、腕の肉を食い千切ろうと噛み付きに行くような大喧嘩をしたくらいの犬猿の仲だったのだから。

 大喧嘩の後は仲直りして、時間をかけて大親友となったのだというのだから、凄いの一言だ。

 

 あの時ゼファーが間に割って入ってしまっていたならば、翼と奏は互いが抱える本音を全て吐き出し切る事ができず、大親友にはなれなかっただろう。

 そしてゼファーはあの時、二人の大喧嘩の間に割って入ろうとして、"クリスと喧嘩し仲直りして親友になったこと"を思い出して思い留まった記憶を思い出して手を止めた。

 今もまた同じだ。

 天羽々斬の装者とガングニールの装者の間の問題であるからこそ、なおのこと。

 放っておいた方が上手く転ぶのでは、という考えがどうしても彼の頭の中をちらついてしまう。

 

 今現在翼と響の間にあるものはゼファーどころか響ですら実感しておらず、仮にゼファーがそれに気付いたとしても、どう仲裁するかでまた色々と考えなければならない。

 

(クリス、か)

 

 ふと、彼は思う。

 直感は主に対し、"あのネフシュタンの少女には何かがあるかもしれない"と朧気に告げている。

 

「……」

 

 しかしそこから派生した想像の全てを、彼は自分の希望的観測だと切り捨てた。

 

「違う、クリスは死んだんだ。

 あの災厄の範囲内で生存者は0……その事実は、変わらない。

 マリアさん、キリカ、シラベ達が生きてたからって……

 そうやって"自分がそうあって欲しい"ってだけの妄想を信じて、どうするんだ」

 

 彼はかつてセレナは生きているんじゃないかと想像して、結局セレナは生きていなかった。

 そんなものだ。

 あの人は生きているんじゃないかと想像して、実際は生きていなかったことなど数知れない。

 そんなものだ。

 それよりも、なによりも。

 

 "クリスならあんなことはしない"という、かつてのクリスの理解者であったゼファーの認識が、美化された想い出が、彼の思考に一定の思い込みを刷り込んでしまっている。

 

(ヒビキのことも……正解はどれなんだ?)

 

 響の意志を尊重する。それも正しいことだろう。

 だが響の命を大切に思い、身を引かせる。それもまた正しいことだ。

 娘のことを託して死んで行った立花洸の姿も、ガングニールのシンフォギアと共に砕け散っていった奏の姿も、ゼファーは記憶に刻み込んでいる。

 だから尚更、選択に迷う。

 

 未来に響のことを隠したのも、彼の迷いが原因なのだろう。

 ナイトブレイザーの正体を知る未来に、本来響の身に起こったことを隠す意味は無い。

 新たに発生するリスクが無いからだ。

 だからこれは、ゼファーの私情にすぎない。

 『響と未来に何事もなかったかのように日常を再開させたい』という私情。

 響が今からでも「やめる」と言えば日常に何の問題もなく戻れるような、そんな状況を作ろうとする考えによるものだ。

 

(カナデさん……あの時、俺とツバサを引っ張ってくれていた貴女なら、どうする?)

 

 響のこと。

 翼のこと。

 敵のこと。

 そして味方の裏切り者のこと。

 考えても最高の答えは出ず、ただでさえガングニールとネフシュタンのダブルパンチで色々思い出して気分がやや下向きなのに、考えなくてはいけないことが山ほどある。

 最年長でリーダーというポジションとなったのだ。

 彼に弱音を吐く気はないし、すぐ弱音を吐くような精神的な弱さは既に克服している。

 

(考えに考えて、大人に相談して、それでもダメだったら飯食って寝て明日考えるかなあ)

 

 ネフシュタン陣営対策を色々と考え、ノートにそれらを書き記す内、時間は経っていく。

 ふとゼファーが顔を上げて窓の外を見ると、すでに陽が落ちかけていた。

 彼が部屋の外に出ると、そこには壁を背にして後ろ手にぼーっとしている響の姿があった。

 ドアが開いた音に反応し、響は長い髪を翻しながら彼の方を向くと、にぱっと笑う。

 

「待ってたのか?」

 

「ゼっくんを待ってたけど、ちょっとしか待ってないのでお気になさらずどうぞー」

 

 夕焼けが照らす廊下の中を、ゼファーと響は並んで歩く。

 

「どうだ? 学校では上手くやれてるか? 何か困ってることとかないか?」

 

「もー、ゼっくんは私のお父さんなの?」

 

「俺はお前のお父さんじゃなくて友達だよ」

 

 他愛のない会話。

 二人は意味の無い会話を重ねながら、職員室などがある中央棟に向かう。

 そしてその途中、かばんを抱えた未来と出会った。

 

「あ、響。そろそろ帰る?」

 

「あ、未来。えーっと……ゼっくんとちょっと寄る所があるから、先に帰っててくれないかな」

 

 困ったようにゼファーの方を見る響を見て、未来はなんとなく事情を察する。

 

「……うん、分かった。あんまり遅くならないようにね」

 

「また明日一緒に帰ろ、未来!」

 

「うん」

 

 未来が一瞬ゼファーの方を見れば、彼は無言で頷いていた。

 彼女は"響は何かしらの機密を知って今口外しないという契約を結んでいる最中"と響が巻き込まれている状況を予想していたが、ほんの少し、響自身が危ないことに巻き込まれているんじゃないかという危惧も持っている。

 けれどそれを問うことなく、響とゼファーを信じて口を噤む。

 彼女もまた、"これでいいのか"と自身の選択の正しさを疑い、迷っている者だった。

 

 夕暮れの中、未来は一人廊下を歩く。

 

「あ、居た居た! あれ? 響は?」

 

「弓美?」

 

 そこで未来を呼び止めるのは、いつだって元気ハツラツとしているアニメの少女。

 創世と詩織を引き連れた板場弓美が、夕日を背にして立っていた。

 

「響はちょっと用事があるんだって。どうかしたの?」

 

「皆でお好み焼き食べに行こう! って誘おうと思ってさ」

 

「ビッキー居ないんだ。それじゃ四人で行こっか」

 

「ふふふ、味は保証しますわ。ふらわーのお好み焼きは、ここの学生に大人気ですから」

 

 寂しさを感じ、疎外感を感じ、一人悲しげに歩いていた未来の手を、弓美は強引に――でもその実もやし以下の腕力でしかなく――引っ張って、連れて行こうとする。

 

「ほら行こ、一緒に! そんでアニメの話でもしましょ!」

 

 それが少しだけ、寂しさを埋めてくれた気がして。

 

「アニメの話は、ちょっと分からないなあ」

 

 微笑む未来は、ほんの少しだけ、友達に心を救われたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ゼファーと響は二課の特製訓練室の中に居た。

 ナイトブレイザーとシンフォギアが普段模擬戦をしているほどの耐久力を誇る部屋である。

 ここで、響はゼファーに"シンフォギアとは何か"の講義を受けていた。

 他の大人や翼は忙しそうにしていて、というかほぼ全員が忙しそうにしていたので、忙しいゼファーが自分の時間を削って響に講義している、という形である。

 

「シンフォギアは、歌で動く武装なんだ」

 

「歌?」

 

「聖遺物は特定振幅の波動にのみ反応して、その内より力を発する。

 個人個人の声の指紋……声紋が聖遺物のそれと合致した時、聖遺物は人に力をくれるんだ」

 

 歌いながら戦うという特異な特性こそ、シンフォギアの最たる個性だろう。

 

「はい、質問です!」

 

「どうぞ」

 

「それならボイスチェンジャーとか、そういうのでも動かせるのではないでしょうか!」

 

「『波動』って言ったろ? 『空気の振動』じゃないんだ。

 "音"じゃダメだ。普通の人の"声"でもアウト。適合者の"歌"でしか、聖遺物は動かない」

 

「歌かぁ。そりゃ翼さんが強いわけだ」

 

「いや歌の上手さが強さに直結するわけでもないんだが」

 

 適合者の歌をCDに録音して流したところで、シンフォギアが力を発することはない。

 必要なのは、生の声に込められる波動。

 すなわち心の歌であり、魂の歌なのだ。

 

「戦おう、と響が決めたなら、胸に聖詠が浮かんでくるはずだ。それをまず歌え」

 

「うん」

 

「そうすると響の心の在りように応じて、歌が心に流れ始める。

 それに逆らわず、心のままに歌えばいい……らしい。

 俺はシンフォギア装者じゃないから又聞きになるけど」

 

「胸の歌、うん、分かる」

 

 ゼファーの手により、シンフォギアの説明が一通り終えられたまさにその時。

 

「よし、それじゃ早速変身して色々試―――」

 

 二課本部に、警報が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その警報はSOS。

 二課本部へと送られた、政府からのSOSだった。

 それはつまり、聖遺物を用いなければどうにもならない脅威の出現を意味していた。

 

 警報を聞き司令部へと駆けつけたゼファーと響に教えられたのは、国家機密たる深海の管理特区『深淵の竜宮』の存在だった。

 そこは利用価値が無い、もしくはあまりにも危険過ぎる聖遺物・異端技術の品などを収める国の秘奥であり、二課ですらその詳細を知ることを許されない"日本で一番危険な倉庫"。

 先史文明の聖遺物もあれば、異端技術を解析して現代の変態研究者が作り上げられたゾンビウイルスなどもあり、大昔の時代のスケベ本なども収められている。

 

 そこがネフシュタンとゴーレムに襲撃されている、という一報が届いたのだ。

 

 深淵の竜宮は千葉県南東沖、水深2500m以上の水底にある。

 地上の1気圧の250倍という途轍もない圧力がかかる、足を踏み入れることさえ困難な世界だ。

 加え、水中で用いることが出来る兵器の威力と、地上で用いることが出来る兵器の威力では上限値にあまりにも大きな差が存在する。

 大抵の地上兵器は海水というクッションに無効化され、水中兵器のほとんどは内部で聖遺物が暴走することも想定した分厚い装甲に阻まれ、まさしく難攻不落。

 深海という立地、二課にもその場所を知られていない機密性、頑丈な構造……管理人員を少数しか置けないことだけが欠点だが、それを補って余りある要塞と言えよう。

 

 だがそんな深淵の竜宮であっても、ひとたびゴーレムに入られてしまえば打つ手が無い。

 

 要塞なんてものは大抵、内部に侵入された時点で王手がかかるものだ。

 内部で侵入者を打倒できる者が居ないならばほぼ確実に詰み。

 "深淵の竜宮の場所を誰も知らない"という、最大の城壁を乗り越えられてしまった時点で、深淵の竜宮は半ば詰んでいたのである。

 

 何故、国と敵対しているネフシュタンの少女達が、国の最重要機密を知っているのか?

 

「ゼファー、その話は後だ」

 

「……はい」

 

 ゼファーが何か察した様子に気付き、弦十郎は彼が余計なことを言わないよう口止めする。

 露骨も露骨だ。

 勘のいい人間ならもう、この事件だけで裏切り者の存在、そしてその裏切り者が政府の深い所にまで根を張っていることに気付いてしまうだろう。

 もはや、自身の存在を隠す気はないということなのだろうか。

 

 で、あるならば。敵は目的を果たすためにもう長い時間を必要としなくなった可能性がある。

 潜伏のメリットを多少なりとも捨てたということはそういうことだ。

 もうあまり時間は残されていないのかもしれない。

 

「ゼファー、翼、響君! 出撃だ! 頼んだぞ!」

 

 そうしてシンフォギアとナイトブレイザーのチームは、現場に送り出された。

 響の戦闘技能は未だ未熟。しかし戦場が深海であるならば、響の力は必要不可欠だ。

 何せアースガルズの最強の盾は、それで殴れば小さな島くらいなら吹っ飛ばせるくらいには最強の盾なのだ。他の二者の火力もとてつもない。

 深淵の竜宮くらいなら、容易に穴あきチーズのようになりかねない。

 『無効化』できる人材が居るのと居ないのでは、作戦の難易度が段違いになるわけだ。

 

 ゼファーの「危ないから」という反対を押し切って、守るためにヘリに同乗した響。

 しかしながらヘリに運ばれ、千葉県南東の海上、目的地の真上に来た途端。

 

「時間がない、荒っぽく行くぞ」

 

「ああ」

 

「え? え?」

 

 ゼファーの言葉、何も言われずとも理解している様子の翼に、響は戸惑ってしまう。

 

「ヒビキ、変身して俺の右肩に掴まれ」

 

「あ、うん」

 

 戸惑いつつも響は聖詠を口ずさみ、そこに顔に感情を浮かべないようにしている翼が続く。

 

言の葉は、胸打つ風となり(Balwisyall Nescell gungnir tron)

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 ゼファーの右肩に響がしっかり掴まり、左肩に翼ががっちり掴まる。

 何をするんだろう、と響が思ったまさにその瞬間。

 ゼファーは自身に掴まっている翼と響ごと、開いたヘリのドアから飛び降りた。

 

「え……えええええええええええええええッ!?」

 

「アクセスッ!」

 

 そしてそのまま、ナイトブレイザーに100万分の1秒(マイクロセカンド)で変身完了。

 時間加速で落下速度を四倍にまで引き上げ、海面に向けて全力の焔を放出した。

 ゼファーが持つネガティブフレアは、水だろうと真空だろうと燃やすことが出来る規格外だ。

 当然、下に向けて撃ったなら……海面には触れず、自然落下が継続される。

 海水を一瞬で蒸発ではなく消滅させることなど、彼にとっては造作もない。

 

 そして深淵の竜宮がある場所と同じ高度に至った時点で、焔を下ではなく横へと向ける。

 上から下へと空いていた海水がない道筋は、直角に曲がって横一直線に伸びて行く。

 ここでゼファーは自然落下から、水上走りに移動手段を変更。

 横一直線に海水をぶち抜きつつ水の面を走り、自分の肩に二人の少女を引っ付かせたまま、落下と走破にて深海の目的地に辿り着くという離れ業を見せてきた。

 

 泳がない、水にも触れない、潜水艦も使わない。

 結果、ネフシュタンの少女達の想定よりも遥かに早く、彼らは深淵の竜宮に辿り着いていた。

 開かれた隔壁の向こうへと、彼と彼女ら三人は辿り着く。

 

「し、死ぬかと思った……心臓止まるかと思った……!」

 

「いやいや、ヒビキが未熟とはいえシンフォギアのパワーアシストがあれば落ちないって」

 

「……ねえ、ゼっくん。もしかして戦場に私を連れて来たくなかったから振り落とそうとし――」

 

「仲良くお喋りはそこまでだ。警戒しろ」

 

 ぜぇぜぇ言っている響の言葉を遮り、翼がゼファーに警告を送る。

 ゼファー達が開いていた扉に視線を向けると、そこから現れたるは白鎧の少女。

 

「警備員サマのお出ましってとこかぁ?」

 

 ネフシュタンの少女が、小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。

 相も変わらず挑発的で喧嘩を売るような話し方をしている。

 それは才能と実力に裏打ちされた自信ゆえのものか。

 ゼファーと翼が即座に戦闘態勢を取り、響がそんな二人を見て慌てて素人くさい構えを取る。

 

「投降する気はないか? ネフシュタン」

 

「はっ、負け犬の分際で吠えるじゃねーかナイトブレイザー」

 

 ゼファーは感覚器とARMを総動員して、周囲を探る。

 感じられるのは床や壁を揺らす大きな振動と、それと同時に響いてくる大きな破壊音。

 目の前にネフシュタンが居るということは、これを行っているのはゴーレムか、ネフシュタンの少女の仲間であるということは間違いないだろう。

 

(遠くに聞こえるこの破壊音……ゴーレムが、何か探してるのか?)

 

 だが、それだけだ。

 物理的な音は聞こえど、ゴーレムやネフシュタンからアウフヴァッヘン波形は感じられない。

 またこれか、とゼファーは内心で舌打ちする。

 敵は何かしらの外付け装置でアウフヴァッヘン波形を隠している。

 露骨にアウフヴァッヘン反応を感知できる、ゼファーへの対策だった。

 内通者の通謀と敵の技術力を見せつけられている気分である。

 

「ディアブロ」

 

「!」

 

 更にネフシュタンの少女が指を振ると、天井に張り付いていたディアブロが落下し、ゼファー達の背後に降りる。

 敵は深淵の竜宮からの物品強奪のみならず、ここで挟み撃ちにて二課戦力を殲滅するつもりのようだ。ゼファーはネフシュタンの少女と向き合ったままで、翼が背後に向き直る。

 翼がディアブロの方を向いたからか、響はどっちを向けばいいのか分からなくなってしまったようで、とりあえずゼファーと同じ方向を向いていた。

 

「翼、ディアブロは任せる。

 ……前の戦いで、俺の技はほぼ全て学習されちまった。悪いが、時間稼ぎ役は無理だ」

 

「了承した」

 

 ディアブロは敵の技を学習し、吸収し、最適なバランスで自分のものにする。

 それゆえに機械人形であると同時に、熟練の武人であるという恐ろしさがあるのだ。

 このゴーレム相手にはそれこそ出力か火力か特殊能力で圧倒的に上回って短期決戦を挑むか、初見の技を次々と披露して"自分の技を敵が学んでいる間"食らいつくしかない。

 ゼファーの技は前回の戦いにて、ほぼ全て見切られてしまっていた。

 なればこそ、誰か一人が足止めに動かなければならないこの状況で、ディアブロの足止めに歩を進められるのは翼しか居ない。

 

 現状、ネフシュタンとの一対一を作る以上に勝機のある策はないのだから。

 

「響は前に出過ぎるな。今はそれだけでいい」

 

「ええ?」

 

「危ない時は頼むから、大人しくしててくれ」

 

「……分かった」

 

 響はしぶしぶ了解し、口を尖らせる。

 ゼファーは拳を握り、相性最悪の敵に向き合った。

 

「俺は、突破口を探る」

 

 そんなナイトブレイザーを、ネフシュタンの少女が嗤う。

 

「てめえの(それ)は通じないって学習もできねえのか」

 

「俺の(これ)は届くかもしれないだろ?」

 

 踏み込んだのはほぼ同時。

 思ってから踏み込むまでが異常に早い、ネフシュタンの少女。

 敵の意を読み、直感的な先読みにて最速の踏み込みを成したナイトブレイザーの青年。

 上方から見れば二人は点対称のごとき構図で、右拳をぶつけ合っていた。

 

「口が減らない野郎がッ!」

 

「目に物見せてやるよッ!」

 

 口で言葉を、目で戦意を、拳で力をぶつけ合う。

 完全聖遺物同士の力は衝突し、拮抗し……最終的に、ネフシュタンの拳が弾かれる。

 

(……打ち負けた!? ありえねえッ!)

 

 追撃に飛んで来た左拳の軌道を見て、ネフシュタンの少女はその一撃の重さの正体を知る。

 

「! 焔の爆発によるブーストだと!?」

 

 ベリアル戦から習得した、彼の戦闘スタイルの真骨頂。

 体の各所、膝・肩・足裏などで焔を爆発させその反動を体の動きに綺麗に乗せることで、体術の一つ一つの威力を飛躍的に跳ね上げる格闘術だ。

 ここまでなめらかに、かつ汎用性のある形で使えるようになるにはかなりの時間と修行を要したが、その分変則的な格闘術も自由自在だ。

 

(小細工だが、効果的だろう?)

 

 顔面狙いの左拳をネフシュタンの少女は回避した……が、その左拳の表面で焔が爆発。

 ネフシュタンの少女の顔の横で、拳が直角の軌道を描いてこめかみを狙う。

 少女は首を後ろに逸らし、バク転で距離を調節しつつ回避する。

 見事に回避したようにも見えるが、少女の表情からは余裕が消えていた。

 

「ちっ」

 

 ネフシュタンの少女は、鎧の肩パーツから生える宝石の鞭を無駄なく振るう。

 計算され尽くした軌道で放たれるそれは、ナイトブレイザーの回避ルートを一つに絞る。

 当然、少女はそのルートを先回りし体重の乗った前蹴りを放つ。

 必然、その攻撃は直感的な先読みを成したナイトブレイザーのクロスした腕に防がれる。

 

 ナイトブレイザーが蹴り飛ばされ、またしても拳や脚が届かない距離へと移るが、今度はナイトブレイザーが踏み込み一気に距離を詰めていく。

 ネフシュタンもそれに応じるように、駆ける。

 そしてゼファーは拳が届くまさにそのタイミングで拳を振るう……が、回避されてしまった。

 

「!」

 

「しゃらくせえんだよッ!」

 

 駆け出す前、ネフシュタンの少女は地面に鞭の先を突き刺していたのだ。

 そして鞭を突き刺した床を自分の体で隠し、ナイトブレイザーが拳を振るった瞬間、伸ばしていた鞭を縮める。そうすれば体に不自然なブレーキがかかり、拳は空振るというわけだ。

 拳を空振ったナイトブレイザーの頭を蹴り飛ばすべく、ネフシュタンの少女はハイキックを放つが……先ほどの意趣返しの如く、横に滑るように動いたナイトブレイザーに回避される。

 

「っ!」

 

 肩、脇、腰、太腿。

 体の左右どちらかで焔を爆発させれば、肉体へのダメージと引き換えに、ナイトブレイザーはスライドに近い動きで緊急回避が行える。

 今まで何度か、ピンチの時にもやってきたことだ。

 自爆に近い移動手段に少女は目の前の黒騎士の正気を疑うが、その厄介さにも目を細める。

 

(……なんつー反応速度だ)

 

(……なんて戦闘センスだ)

 

 どう攻めても仕留め切れない気すらする。

 そのくらい、少女は「仕留めた」と確信した後に、その確信をこの騎士に覆されていた。

 強いから仕留められないというより、粘り強いから仕留められない。そんな印象。

 

 そしてナイトブレイザーもまた、眼前の少女の強みを再認識していた。

 動きには我流くささがあるものの、それを補って余りある戦闘センス。

 戦いの中で学び、経験を積み、成長を重ねているようなフシすらある。

 対人戦ならば駆け引きや経験の差で負けることもあるだろうが、逆に言えばそのくらいしか、この少女に目に見えた欠点は見当たらなかった。

 努力の欠如、鍛錬の欠如が、有り余る才能の足を引っ張りきれていないのだ。

 

(……突くなら、そこしかない!)

 

 この少女は正式な近接戦闘技術を習っていない、我流の戦闘者。

 ゼファーはそこに勝機を見出した。

 足裏で焔を爆発させ、アクセラレイターの加速倍率を更に引き上げ、距離を詰める。

 

(来るかよ、正義の味方気取りッ!)

 

 それを見て、ネフシュタンの少女も我流の構えを取り直す。

 敵の事前の動きに何も考えずに反応すれば、それだけで本能とセンスが最適の防御を取ってくれる。そんな理不尽が身に付いているくらいには、その少女は天才だった。

 黒騎士の攻撃はハイキック。

 顔面狙いのそれを防御し、カウンターをぶち込んでやると、少女は息巻いていた。

 

「せやぁッ!」

 

 ナイトブレイザーが左足にて、ネフシュタンの少女の右側頭部を狙う。

 左ハイキックならば、右腕を右側頭部を守るように置けばいいと、少女は思考し――

 

(!? なん、だ、こ―――)

 

 ――ナイトブレイザーは、彼の得意技たる真正面からの奇襲を実行に移す。

 それは空手において、『掛け蹴り』と呼ばれる技であった。

 上段蹴りだ、と相手が思って右側頭部を防御すると、"いつの間にか左側頭部を蹴られていた"という、現代の魔技となりうる技の一つだ。

 それ単品では曲芸のような技、と悪しざまに言われていたそれを風鳴の武術は吸収し、実戦レベルで十分使える域にまで昇華させていた。

 

 頭の右を蹴られる、と思った次の瞬間には、頭の左を蹴り飛ばされているという魔技。

 

 ゼファーが弦十郎から習った技であった。

 ゼファーが翼と鍛錬に励み、数年かけて身に付けた技であった。

 才能の介在する余地の無い、努力で身に付けた格闘技の一つであった。

 

「う、おおお、あっぶねっ!」

 

 にもかかわらず、ネフシュタンの少女はいともたやすくそれを防御する。

 

(……こいつは、俺の予想以上だ)

 

 ネフシュタンの両肩には宝石のような、刺々しい突起パーツが付いている。

 ハイキックそのものを無効化しかねないこれを、ナイトブレイザーは避けて蹴りを叩き込んだはずなのだが、この天才少女は反射的にこのパーツを動かして頭を守ったようだった。

 直感でもない。ゼファーのような先読みはしていなかった。

 経験でもない。翼のような、なめらかな動きではなかった。

 なればこそこれは、在りし日の天羽奏と同類である"突き抜けた戦闘センス"によるものなのだろう。

 

(どうする? 油断を誘うか? だけど、それも……)

 

「ああ、今のは『こういう蹴り』か」

 

「ッ!?」

 

 踏み込んで来たネフシュタンの少女のハイキック。

 ゼファーの理性が頭の右側を守れと言い、直感が頭の左側を守れと言う。

 迷わず頭の左を守ると、そこに少女の上段蹴りが突き刺さった。

 語るまでもない。

 先程ゼファーが打ち放った魔技、掛け蹴りの発展型をそっくりそのまま返されたのだ。

 

「良い技だな、あたしが貰っとくぜ」

 

「貰おうと思って貰える技じゃないんだがな……!」

 

 ガンアクション映画を見て、ガン=カタを実戦レベルの武技に仕上げて身に付けるに等しい、とんでもないことをネフシュタンの少女はやってのける。

 見て覚えられるものではない。

 身に付けようとしてあっという間に身に付けられるものでもない。

 なのに少女は『見て』、『興味を持って』、『身に付けた』。

 それは理外の才能の証明である。

 

 ゼファーの前に立ち塞がる少女は、化け物のような才能の塊であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は苛立つ。

 ディアブロは相も変わらず、途轍もない強さであった。

 あの日、翼がゼファーと奏と共に戦ってなお負けかけた時の強さのまま、蓄積した技術の量が飛躍的に上昇している。

 炎熱攻撃も初っ端から出し惜しみしてこないという容赦の無さだ。

 だが翼を苛々させているのは、うろちょろしている響の存在である。

 

(何も出来ないなら最初から出てこないで!)

 

 響はゼファーや翼の助けとなりたいのだろう、それは分かる。

 だがどこまでも経験が足りないせいで、戦いの中に割って入る機会が掴めないまま、何もしないできょろきょろと戦闘の流れに目を向けることしかできていないのだ。

 それが翼には、とても苛立たしい。

 一瞬でも気を抜けば焼き尽くされるディアブロが相手でなければ、翼は響に叫んで叱っていただろう。今の翼には、響を真っ当に気にする余裕すらない。

 

 ディアブロは、四態の炎を司る。

 戦域全てを埋め尽くす、気体の炎。

 時に雨のように降り、時にスライムのように地を這って襲撃する液体の炎。

 多種多様な形に変化し、最も高い攻撃力を持つ固体の炎。

 そして一億℃のプラズマの炎だ。

 

 蒼ノ一閃の爆発で気体を吹き飛ばし、千ノ落涙で液体の炎を一つ残らず貫いて、天ノ逆鱗を固体に対する盾代わりにして、プラズマを多用してこないことにホッと息をつく。

 綱渡りのような一瞬一瞬を、翼は死ぬ気で乗り越える。

 最悪なのは、これらをくぐり抜けて翼が最も得意とする近接戦を挑むことが、ジリ貧の現状を続ける以上の自殺行為であるということだろう。

 

「痛ぅ……!」

 

 翼が脇腹を抑える。

 そこは先程、ディアブロの攻撃がかすっていた場所だった。

 ディアブロは先史文明期にて、剣の英雄ロディの八人の仲間の一人、イチイバルの使い手弓神ウルの相棒として名を馳せたゴーレムである。

 その真価は接近戦にこそ存在する。

 

 学習を繰り返して鍛え上げられたAIは、鍛え上げられた翼の剣を指で摘んで止めるレベルだ。

 技で挑む限り、勝機は極めて薄い相手と言えよう。

 先程翼は、接近してきたディアブロと剣を何合か打ち合っていたものの、やがて剣折りの格闘技術にてアームドギアを壊されてしまい、軽い一撃を貰ってしまっていたのである。

 

(それでも私は、今は、ゼファーの勝利を信じて足止めに徹するしかない)

 

 ディアブロがまたしても炎を発し、牽制で翼の足を止めた上で接近し、格闘戦で倒す算段を立て始める。速度に優れる天羽々斬を捉えるためには、それしかないのだろう。

 翼の計算通りの流れだ。

 だがそこに、翼が計算していなかったものが混ざって来てしまう。

 

「翼さん!」

 

「!? な―――」

 

 翼とディアブロの間に、割って入るは立花響。

 響が迫り来る炎に拳を叩き込むと、争いを否定する分かり合うための調和の力が広がり、炎の攻撃の嵐は全て消し去られていた。

 

「翼さん! どうですか、お役に……」

 

「何やってるの!」

 

「……え」

 

(マズい、このタイミングは……!)

 

 ディアブロが響の防御を見て、これ以上の炎攻撃が無駄であると悟る。

 翼がここまでの戦闘で続けてきた、"攻撃したくなるような隙を作って敵の攻撃を誘う"という行動の効果がこの一時、途切れる。

 結果、ディアブロはネフシュタンに向き合いながらディアブロに背中を向けている、ナイトブレイザーに攻撃の照準を合わせた。

 

「避けてッ!」

 

 翼の声を聞くまでもなく、ゼファーは回避行動に移る。

 背中を向けたまま背後からの炎熱弾幕をひらりひらりと回避する姿は、いっそ気持ち悪くすらあったが、それでも何とかディアブロの攻撃をかわしきる。

 しかしネフシュタンもそこに追撃をする構えを見せると、一気に状況は厳しくなる。

 翼は一瞬で戦場の形勢を理解し直した。

 

 ナイトブレイザーは回避中。

 ネフシュタン、ディアブロはこのチャンスにナイトブレイザーを仕留めようとしている。

 立花響は戦場の移り変わりに反応できていない。

 耳を澄ませば、壁を破壊する音が凄い勢いでここに近付いて来ているのも分かる。

 つまりあと五秒と経たずに、アースガルズも参戦するということだ。

 

 アースガルズ参戦までの間に、翼が打てる手はおそらくあと一手。

 その一手で戦局が決まる。

 どうすればいい、どうすればいい、どうすれば……そう悩む翼の脳内を、ゼファーの鶴の一声が一つの思考で塗り潰した。

 

「翼ッ! 『そこ』に打て! 絶唱だッ!」

 

 その一声で、何をどうすればいいのか、理解するには十分過ぎた。

 

戦場に刃鳴裂き誇る―――!(Gatrandis babel ziggurat edenal―――!)

 

 風鳴翼は迷うことなく、ナイトブレイザーを攻撃しようと動いていたネフシュタンの少女の真横から、レイザーシルエットではない全力の絶唱を叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天羽々斬の絶唱特性は、エネルギーの圧縮とそれに指向性を持たせることである。

 翼の絶唱はそれを剣技という形で発現させ、絶唱のエネルギーを十全に練り上げ高起動の刃として炸裂させる、アームドギアの百裂斬である。

 その一撃一撃がゴーレムの腕を切り落とす程の威力を秘めた連続攻撃だ。

 いかな完全聖遺物といえど、翼の技と組み合わさったこれを防ぐ手立てはない。

 

 はずだった。

 

「アースガルズは見えないところにはバリアを張れない……とでも、思ったのか?」

 

 翼の連撃が、『対消滅バリア』で防がれていなければ。

 

「っ……!」

 

 アースガルズはまだ戦場に現れては居ない。

 つまりアースガルズは、視界の中にない場所であったとしても、仲間を守るためであればこれだけ精密な防御をやってのけるということだ。

 だからといって、今更止まれない。

 まばたきを一度する間に数十の斬撃を叩き込むほどのスピードで、一撃一撃が必殺の威力である斬撃を翼は叩き込み続けるが、バリアは多少揺らぐだけで壊れる様子は全く無い。

 絶唱でも、アースガルズが腰を据えた防御が揺らぐことはない。

 

「翼さん!」

 

「!」

 

 そこにまたしても響が飛び込んで来る。

 先程と同じ構図ではあるが……今回は、最高のタイミングでの手助けとなった。

 

「やああああああッ!」

 

 響の拳が叩き込まれ、アースガルズのバリアが溶けるように消えていく。

 すかさず翼は絶唱の斬撃をネフシュタンの少女へと叩き込むべく、剣を振り上げる。

 バリアが壊れてもなお余裕のその表情を崩してやる、と思いつつ、翼は剣を振り下ろした。

 しかしまたしても、その一撃はバリアに食い止められてしまう。

 

「ッ!?」

 

「無駄な努力ご苦労サマ、ってやつだ。青いの」

 

 アースガルズが、戦場に到着してしまったのだ。

 かのゴーレムは両腕に対消滅バリア発振機構を備え、それぞれが対消滅バリアを生成できる。

 アースガルズは二つのバリアシステムを両方共ネフシュタンの防御のために使い、結果、響がバリアを一つ消してもすぐに次のバリアが張られるようになってしまったのだ。

 これでは、響の力があっても突破は不可能だろう。

 

 されどそれで諦めるような者達ならば、今日までの戦場を生き残れたはずがない。

 ディアブロの攻撃をボロボロになりながらも振り切り、ナイトブレイザーはアースガルズの死角を取っていた。

 

(まだだ、まだ! 両手のバリア発振機構を使ったこのチャンスをものにすれば、まだ―――!)

 

 そして、一撃必殺の焔を叩き込もうとし―――超スピードのステップで回避され、信じられない威力の回し蹴りを、腹に叩き込まれた。

 腹に特級の一撃を叩き込まれ、一瞬意識が飛びかけたゼファーの脳裏に浮かぶのは、以前戦った時に『アースガルズと風鳴弦十郎が拳をぶつけ合って互角だった』光景。

 

「げ、ぶっ……」

 

 走馬灯に近い、記憶の想起だった。

 

「きゃあっ!?」

 

 吹っ飛ばされたナイトブレイザーは、アースガルズの計算通りに響に衝突して巻き込みながら壁にぶつかり、壁を粉砕して停止する。

 

「おのれッ!」

 

 絶唱を維持しながら接近してくる翼を見て、それがフェイントで翼がネフシュタンを狙うという可能性も考えバリアを維持しつつ、アースガルズは徒手空拳で翼に相対する。

 そして絶唱の高機動剣閃を両の手で白刃取りし、翼を蹴り上げた。

 

「か、はっ……!」

 

 蹴り上げられた翼は吹っ飛び、数十mの高さにある天井に激突する。

 アースガルズはそれを見て、ようやくネフシュタンの守りを解除した。

 その戦闘能力は上位ゴーレムの名に恥じず、ひとたび戦えばまさに圧倒的。

 

 たとえ、アースガルズからバリアの力を奪い取ったと仮定したとしても。

 バリアのないアースガルズに勝利したくば、風鳴弦十郎と同等の戦闘力が要る。

 アースガルズには、素で風鳴弦十郎に並ぶ身体スペックがある。

 

「アースガルズが居る戦場で勝ち目があるとでも思ってたのか?

 アホくせえ。夢見てんじゃねーよ、正義の味方御一行。正義を掲げりゃ勝てるとでも?」

 

 ネフシュタンの少女が口にしたその罵りに、反論する者は誰も居なかった。

 

 

 

 


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