「じゃんけんホイ!」
「……」
U社の陸地に向けて小型のボートを進める2人。
1人は漕ぎ手兼案内人。穏やかな水の上でオールを漕げば、とてつもない速さで水上を突き抜けていく。
「じゃんけんホイ!……あー、またあいこですね、もう一度です」
「…………」
……そして、その上で1人じゃんけんをする男。
「じゃんけんホイ!」
「……おい、アストラ。大湖に沈みたくなかったら今すぐその一人遊びを止めろ」
「何を!?これはれっきとした闘いでありギャンブルだぞ!?」
救いようのない人間を目の当たりにするロビンソン。ボートの向きがほんの少しだけ変わる。
「じゃんけんホイ!……右手の勝ちです。左手に賭けた貴方は残念でした」
「……クソ客。いい加減に——」
「あーもう分かったって!ロビンソンさんも一緒にギャンブルしたいんやろ!?」
「なんも分かってねぇなお前」
やれやれという雰囲気を出しながら手袋を弄る迷惑客。
「……無駄に高い手袋を持ってるな。それ、どれだけ金を費やしたんだ?」
「事務所の人間に頼んで作って貰いました」
「その人望は一体どこから来るんだよ……」
もはや自作するより外注した方が色々と得なのではないかと思う程に、様々な技術が込められたゴツい手袋。そこから取り出されたのは——
「…………?」
ラ——
「………………??」
ラジ——
「……………………あれ???」
ラジオ——
「……ラジオ無いんだけど」
「………………」
「………………」
………………………………。
「……ちぇ、ま、いいか」
「行き先に変更は」
「要らない。どうせどこにやったかわかんないし。それ——」
雷鳴。
「にぃ!?」
「あ」
豪雨。荒波。水底から溢れ出す——
「おいロビンソン!なんで『波』に突っ込んでんだ!」
「あーやらかしちゃったなーちょっとだけボートの向きを変えたせいで波に巻き込まれちゃったなー」
「おい!わざとだろお前!」
「お客さん暇そうですしー3分程経てばこの区域を出れると思うのでー」
——人魚。
「あれは『千本筋鯨人魚』と呼ばれる人魚でしてーお客さんなら楽々の楽勝だと思うのでーついでに俺の事を守って下さると嬉しいでーす」
「いやお前の身はお前が守れよ!?」
「後、俺の所まで人魚を通したら追加料金で10万眼を請求します」
「はぁ!?!?!?」
ボートの縁から細長い首と無駄にデカい口を持つ人魚がこちらを覗き込んでくる。パニック映画のワンシーン、ドキュメンタリー番組の一場面、恋愛漫画の一コマ……様々な解釈が可能なその一瞬は、暇を持て余したアストラを嫌でも働かせる動機となる。
全方位から舟によじ登ろうとする人魚の集団を、ロビンソンはナイフとオールを使い器用にどかす。そんな混沌の中でも、ボートは決して減速する事なく真っ直ぐと進んでいる。
「きゃーこわいーたすけろー」
「こんの……『十二型便利屋術』!」
アストラの手袋から——
「『
今度はしっかり、銛が出てきた。
「おいクソ鯨!お前ら全員ぶっ殺したらぁ!」
「わーカッコいー頑張りやがれー。あと、啖呵切ったはいいけどこいつらは『人魚』ですよ」
「黙っとけ!!!!!」
窮地に立たされてしまった人間の、孤独な戦いが幕を開けた。
岩礁の上。少し前と何一つ変わらず、波の音と磯の匂いが漂う大湖。
「あ!起きたのです!おはようなのです!」
あの日々と何も変わらない声。このまま目を閉じたままなら、過去と今の区別をつける事は難しいだろう。
「……」
長いような、短いような一瞬が過ぎ、閉ざされた視界をこじ開けると、直ぐに顔を覗き込む1人の少女が映り込む。
……やはり、クラゲの姿をしている。ここは記憶の世界ではないようだ。
立ち上がり、岩礁に腰掛け続けたせいで凝り固まった身体を動かす。未だに体のだるさはなんとなく感じるが、そんな事を一々気にしていたらやっていられないだろう。
「……?、どうしたのです?」
この先の会話が何を意味するかは、なんとなく予想が付く。理想と現実の狭間に手を掛け、壊してしまうのだろう。
「フルール。お主は——」
それでも、オールを漕ぐ手を止めてはならない。
「お主はまだ、夢を追い続けておるのか?」
「…………」
「おそらく追い続けておるのだろう。でなければ、お主は事務所へと戻っておる筈だ」
彼女はテセウス号が沈んだ後も事務所には戻らなかった。なにか後ろめたい事情があるのは想像出来る。
「なのにお主は事務所へと戻らず、かと言って大湖の果てへと向かう事もなくここに止まり続けておる」
「……船長さん」
「フルール。何故お主は動かなかった。何故、船を浮かべる事もなく、陸地に足を付ける事もなく、目的も無いままその身一つで大湖を彷徨い続けた?」
「『大湖の精霊』……って、知ってるのです?」
「……ふむ」
「あれ、私なのです」
ネタバラシを喰らった。
「……なら、儂はお主を捕りに来た事になるな」
「やっぱり、私に逢いに来てくれてたのです」
「……『大湖の精霊』は、儂を釣る為の餌だった、という訳か」
会いたかった。
疑問は残る。ただ会いたいだけなら事務所の扉でも叩けば良い。なんなら協会にでも顔を出せば良い。
それなのに、ここまで回りくどい方法を使ってまで呼び寄せた訳。
「……ここで2人きりになる為か?」
「2人だけじゃないのです。
「儂があんな小さい舟に乗っているのは滑稽か?」
「いいえ。船長さんらしい、良い舟だと思うのです。でも、船長さんが乗るには余りにも勿体ない舟だと思うのです」
フルールは岩礁の中央へと歩き始める。
「……私はまだ、夢を叶えられていないのです。だって、みんなで、見に行きたいのです」
「…………」
「どれだけ探しても、船長さんだけは見つけられなかったのです。それでも、この大湖のどこかにいるって信じて、ずっと探し続けてたのです」
フルールが岩礁へと上がってきた時。ラクスは本能的な恐怖を感じた。しかし、彼女から敵意は感じられなかった。
「……だから、船長さんに逢えた時、本当に嬉しかったのです」
「それは儂を恨んでるからか?」
「そんな事ないのです!あれはきっと、どうしようもなかったんです。誰が悪いとか、こうしていたらとか、そういう話じゃないと思うのです」
本能に訴えかける、曖昧な嫌悪感。
「……原型すらも保たなくなった亡骸も沢山あったのです。それでも、船長さんの死体だけは何処にもなかったのです」
「……」
「船長さんが生きているのなら。私が都市悪夢、いずれ都市の星になったら、この大湖の上で私に逢いに来るって信じていたのです」
大湖の精霊。都市災害レベルは都市悪夢。U社とT社付近の大湖にて存在が確認されていた。直接的な被害は殆ど存在しないものの、複数の眷属を生成し、大湖、裏路地、まれに翼を荒らしている。
大湖の精霊が生み出した都市災害は都市伝説が7件。都市疾病が3件。都市悪夢が2件。
「……生身の人間が、この大湖を生きられる訳が無い」
「船長さんも、なんとなくわかってるんじゃないのですか?」
複数のフィクサーがかの災害を討ち取ろうと船を浮かべ、沈む事となった。とあるセブン協会のフィクサーの見解により、彼女は『ねじれ』ではないのかという予測が立てられた。
「私は『人魚』なのです」
人魚。鯨が人間を蝕んだ成れの果て。もはや怪物と呼ぶに等しい存在。
……それでも、元は人間である。
「儂が知る限り、ここまで人に似た人魚など存在せん」
もし、僅かに残った知性の果てに、埋もれた種を咲かす事が出来たら?
その姿が……彼女の望んだありのままの姿が、人の姿だとしたら?
「船長さん。私は……ねじれた人魚なのです」
そして……その先にある花が咲き開く未来は。
「人魚がねじれ、人と成る……か」
「これで全員揃ったのです。あとは……夢を叶えるだけなのです」
人魚が夢見る明日は、どうなっているのだろうか?
「船長さん。私の船には船長さんが必要なのです」
今日を生きる為に明日を放棄した人間が見る夢は、どれだけ甘美な物なのだろうか?
「みんなで、大湖の果てに行こうなのです」
フルールが岩礁の中央から手を伸ばす。滑らかな肌へと刻まれた、執念と苦痛の傷跡が見える。
おそらく彼女は、本当に大湖の果てまで行けてしまうのだろう。
「あの頃の夢の続きを、一緒に見てみたいのです」
……でも。そこは老人の目的地では無い。
その夢は彼女の夢であり、老人の夢では無かったから。
私はあの子達に手を差し出すべき、なのかな?
-
そうだ。彼ら彼女らを、貴方が導くべきだ。
-
うーん。貴方の後輩に任せるべきでは?
-
貴方達はあの者達に関わるべきではない。