「ぬいぐるみか何かじゃないのか?」
改めて確認しても、魔物的な気配は特に感じられない。
それどころか、周りの物よりも存在感が希薄な気がする。
「でも今、動きましたよ」
セルジオは部屋の入り口から中には入ってこようとしない。さてはいざとなったら俺を置いて逃げるつもりか。
とにかくまずは正体を突き止めようと近寄った途端、毛玉が別の物陰にサッと動いた。
「ほら!」
「本当だ。猫……でもなさそうだし、何だ……?」
何にせよ、目撃情報から判断してこいつが幽霊騒ぎの正体であることに間違いはなさそうだ。
「魔術で捕まえられませんか?」
「正体がわからない以上、荒っぽいことは最終手段にしたいな」
魔物の中には一見弱そうに見せかけて、こちらから攻撃した瞬間に牙を剥いてくる奴もいる。
しかもそういうタイプは知能があって、あからさまに強そうな大型種よりも強力だったりするのだ。
「ひとまず部屋から出さないようにしよう。扉を閉めてくれ」
「はい……」
指示を出すと、セルジオは渋々といった様子で扉を閉めた。やっぱり逃げるつもりでいたな。
それから、できる限り刺激しないよう一歩ずつ近づく。
その度に毛玉はサッと別の物陰に移動し、徐々に奥の角に追い詰められていった。
どうやら飛ぶことはできないらしい。そしてここまで近づいても攻撃してこないということは、攻撃手段を持たないか、俺たちを害する意思がないということだ。
「よっ、と」
思い切って手を伸ばし、鶏を捕まえる要領でガバッと掴む。
「え、素手!?」
逃げ場がなくなり諦めたのか、毛玉は意外と簡単に捕まり、抵抗もしなかった。
「何だこれ……。魔物……? 動物……?」
改めて見てみても、本当に、丸い毛玉としか言いようがなかった。
犬猫のように頭や足があるわけでもなく、該当するものは俺の知識の中にはない。
現存している魔物は学生時代にあらかた図鑑で覚えたはずなのに。わからないのが少し悔しかった。
毛が埃まみれなのであまり顔は近づけず、真剣に観察する。と、不意につぶらな黒い瞳と目が合った。
「ムー……」
「うわっ、鳴いた」
鳴き声も何だかよくわからないし、どこが口なのかすらはっきりしない。
しかし、手にじんわりと伝わってくる温かさといい、この弱々しい鳴き声といい、害のある存在には思えなかった。
「……一旦こいつを連れて地上に戻ろう」
「大丈夫ですか? 油断させておいて噛みついてきたりしませんか?」
「できるならもうやってるはずだ」
「……確かに」
わからないことだらけだが、幽霊の正体を捕獲できたのだから、この暗くて風通しの悪い地下室から出るのが先決だ。
階段を上っている間も、エントランスに戻ってきてからも、毛玉は大人しく俺の腕に抱えられていた。どこか安心したようにすら見える。
「……明るいところで見ても、やっぱりよくわかりませんね」
「かと言って、ここに置いていくわけにもいかないだろう。連れて帰るしかない」
「そうですね。上司にも報告しないと」
サリに聞いてみれば、何かわかるだろうか。
情報通信部という怪しい部署に勤めているだけあって、あの女の情報収集能力は警察内でもトップクラスだ。
できれば仕事を頼むのは避けたかったが、と考えながら、撤収するために正面出入り口の扉に近づいた時だった。
「ムー!」
「うわっ、どうした?」
大人しかった毛玉が急に腕の中で暴れ出した。なんとか抑え込みながら、前を歩くセルジオに続いて扉を潜ろうとした瞬間、
「っ!」
バチンという音とともに強い魔術の気配を感じて、反射的に盾を展開した。
それでも押し戻される勢いに負けて、屋敷の中に吹っ飛ばされる。
「タキさん!? 大丈夫ですか!?」
一度は日光の下に出たセルジオが、慌てて戻ってくる。
「問題ない」
舞い立った埃のせいで咳き込みながら、なんとか立ち上がる。抱えて受け身を取ったので、毛玉も無事だ。
「外に出ようとするとこうなるから逃げようとしたんだな。悪かった」
思わず撫でる。埃で汚れてはいるが、毛並みは柔らかかった。
「今、何が起きたんです?」
魔術の素養がないセルジオには、俺が吹っ飛んだこと以外何も見えなかったようだ。
「あの扉……。いや、たぶんこの家のあらゆる出入り口に、この毛玉を外に出さないようにする結界が張られてる」
全開に開いた扉を睨みつける。
「え!?」
「確認する。ちょっと預かっておいてくれ」
毛玉をセルジオに渡して扉に近づく。魔術式が書き込んであるようだが、やはり俺一人では何も起きない。
「かなり古い式だ。精巧だな……」
現代魔術のやり方じゃない。古代魔術の知識がある人間の仕業だった。
「屋敷全体に魔術がかけられてるってことですか? どうしよう、このふかふかを外に出せなかったら幽霊騒ぎが収まらないし、変な魔術がかかった家なんてなおさら売れませんし……。下手に壊してもヤバいですよね?」
妙な物件を任されてしまったと、セルジオは途方に暮れている。俺は微笑んで首を振った。
「大丈夫。こう見えて、俺は手癖が悪いんだ」
腕まくりをして、扉に触れる。一度目を閉じて、学生時代の研究を思い出した。
変わり者の教授が研究していた、魔術の仕組みを逆算して内側から壊し、無効化する技術のことだ。
式に沿って魔力を行き渡らせたら、ゆっくりと目を開け、呟く。
「【
瞬間、屋敷中に仕込まれた魔術式たちが浮き上がり、バチバチと抵抗するように青白く光った。
が、すぐに焼き切れたように黒ずみ、ぼろっと崩れてかき消えた。
「よし、成功した」
教授がある日突然失踪したため一般的には知られておらず、おそらく研究内容をまともに把握していたのは俺くらいしかいない。
こんな古くて複雑な式に使うのはさすがに初めてだったが、無事に発動できて良かった。内心でほっと胸を撫で下ろした。
「怖かっただろ、もう大丈夫だ。外に出よう」
「ムー」
ぽかんと口を開けているセルジオから毛玉を引き取る。
出入り口を潜る際には一応警戒したが、今度は何の抵抗もなく通り抜けることができ、ようやく埃っぽい場所から解放された。
ほんの一時間ほどしか屋敷の中にはいなかったはずだが、青空を久しぶりに見た気がした。
「ムー!」
ずっと屋敷に閉じ込められていた毛玉も、日差しを浴びて嬉しそうに鳴いた。
「やっぱり魔術を使うと腹が減る気がするな……。セルジオ、帰りは運転してくれるだろ?」
「はっ! はい、もちろんです!」
俺と屋敷を交互に見てぼんやりしていたセルジオが、名前を呼ばれて我に返った。
不明点も考えるべきこともいろいろあるが、空腹だと考えがまとまらない。
とりあえず、まずは街に戻って食事だ。