魔導車に乗り込む時、セルジオがふと気付いた。
「タキさん、ジャケットが破けてます」
「え? ……本当だ。さっき吹っ飛んだ時だな」
毛玉を一旦車の上に置いて、ジャケットを脱いで確認したところ、肘が裂けていた。肩や背中もあちこち擦れて毛羽立っている。
それだけでなく、明るいところでよく見たら全身埃と煤まみれだ。
「これは食事の前に、シャワーと着替えだな……」
気温も上がってきたことだしとジャケットは畳み、その他は辛うじて車内を汚さない程度にはたいた。
ついでに軽く毛玉の埃も落としてから抱え直し、助手席に乗り込む。
「結構いいジャケットだったんじゃないですか? 重ね重ね、申し訳ないです」
「過ぎたことは仕方ない。服は消耗品だからな」
急な呼び出しが多かった都合上、臨場する時に私服を着ていることは少なくないので、時々こういうことはある。おかげで服にあまり思い入れを持たなくなった。
「昼食の後に新しい服を買いに行きましょう」
服も経費で落としてくれるらしい。助かる。
となると残る懸案事項は、膝の上の毛玉だ。
「結局、それ何なんですかね。魔物……ですよね?」
畳んだジャケットを置いた膝の上で丸くなっている――元々丸いので感覚的にだが――毛玉は、安心しきってうとうととまどろんでいた。
「そうとも言い切れない」
「どうしてですか?」
手触りがいいのでつい撫でてしまうものの、特に嫌がる様子もない。
「こんな弱そうな魔物が、魔物避けに耐えられると思うか?」
「言われてみれば、確かに。屋敷が古いからかと思ってましたが、車の中でも平気そうですもんね」
魔導車は遠距離を走ることが多く、魔物避けの外灯がない道を通ることもある。
そのため一定グレード以上の車両には、家と同様に魔物避けの器具が装備されていた。
「じゃあ、新種の動物でしょうか?」
「閉じ込められてたことから見ても、特殊なものなのは間違いないだろうな」
魔物でも動物でもない存在というものに、心当たりはないわけではない。しかしセルジオの手前、憶測で口に出すのはやめておいた。
ホテルに戻る前に、まだやるべきことがある。
「まずはお前だ」
「ムー?」
埃まみれだと、どこに連れていくにしてもずっと気になる。食事をするなら尚更だ。
さすがにホテルの部屋に連れ帰って洗うわけにはいかないので、セルジオの家の庭を借りて毛玉を洗うことにした。
「タキさん、大きめの洗面器と猫用のシャンプー、あとタオルも買ってきました!」
「ありがとう」
これから何をされるのかわかっていない毛玉は、洗面器に水を張っている様子をきょとんとした顔で眺めている。
「【
溜めた水を人肌より少し熱いくらいに温めて、少し毛玉にかけてみた。
「ムー!?」
一瞬驚いて鳴いたが、ただの湯だとわかるとまた大人しくなった。喋りこそしないが、それなりに賢いようだ。
「お前、口はどこにあるんだよ」
「ムー」
そろりと洗面器の中に入れたら、目が湯に浸からないように自分で回転した。上になった辺りが顔らしい。まあ、目の周りだけ気をつければなんとかなるか。
「うわ、どれだけ汚れてるんだ」
シャンプーを使わない予洗いだけで湯が黒ずみ、さすがに少しぞっとした。
「思ったより小さいんですね」
「道理でふかふかしてると思った」
水を捨てる時に持ち上げたら、毛がぺったりと萎んで本来の大きさがわかった。大体、大玉のリンゴくらいの大きさだ。見事に丸かった。
もう一度溜め直し、シャンプーを丁寧に泡立ててからわしわしと洗う。目を細めているところを見ると、気持ち良いらしい。
「慣れてるんですねえ。ちょっと意外です」
セルジオは後ろから覗き込み、感心していた。
「この程度で意外って、俺はどんなイメージを持たれてるんだよ……」
「水仕事なんか絶対しない良家のお坊ちゃまで、冷徹な完璧超人みたいな感じに思っている方が大半だと思いますよ」
「……」
休日は普通に自分で洗濯もするのに。
抗議したくなったものの、今まで周囲から受けてきた視線と噂を思い返すに、その印象は間違ってはいなさそうだ。
「学生の頃に、先輩の飼い犬の世話をするアルバイトをしてたことがあるんだ」
「アルバイトですか?」
また意外そうな声だった。
「ああ、自由になる金が欲しくて」
小遣いを持たせると何に使うかわからないからと、欲しいものがある時には申告制で、持ち物は全て管理されていた。――結局どれだけ従順にしていても、両親に信用されていなかったんだろう。
「夕方の散歩と餌やりとブラッシング、月に一度丸洗いするくらいだったけど……。大きくて毛の長い犬だったから、大変だった。それに比べたら全然難しくない」
力も強くて、散歩で身体強化魔術の訓練ができたほどだ。ちなみにその時のアルバイト代は、ほとんどが買い食いに消えた。証拠隠滅だ。
「名家のご出身というのも、大変なんですねえ……」
「おかげで、今頃反抗期だよ。実家と縁を繋ぎたいなら力にはなれないと思う」
「えっ!? いやあ、あはは」
湯を取り替えるために泡まみれの毛玉を持たせ、ついでに鎌をかけたらセルジオの目が泳いでいた。
俺の食事や服を負担するのは業務の範囲内としても、毛玉の洗濯についてまで甲斐甲斐しく俺の言うことを聞く必要はない。ということは、上司に仲良くするよう言い含められているに違いない。
「よし、こんなもんかな」
泡をしっかり洗い流して、水が濁らなくなったところでようやく洗濯終了だ。
温泉気分でまどろみかけていたらしい毛玉は、ハッと気付いて身体をぶるぶると振った。俺の顔に思い切り水しぶきがかかった。
今までの動きからして絶対やると思ったので、着替える前に洗って正解だった。
「ずいぶん白くなったなあ」
タオルで拭いて水気を取り、温風を作って乾かしたら、地下室で見た時とは比べものにならないくらい真っ白な毛玉になった。
太陽光を浴びると、発光しているように見えるくらいだ。
「手触りも良くなった」
元々ポテンシャルはあると思っていたが、ここまでふわふわな仕上がりになるとは。
ふと、母が持っていたラビットファーのコートを思い出す。まさか毛皮のために監禁されていたんじゃないだろうな。
「ムー!」
毛玉自身も嬉しそうだ。相変わらず口はどこにあるのかわからないが、感情表現は豊かだった。
ようやくホテルに戻って俺も着替えることができたので、昼食はホテルからそう遠くないレストランカフェでとることになった。
「ここ、テラス席ならペット可なんですよ」
つまり、毛玉と一緒に入店しても大丈夫ということだ。
外で待っていたセルジオの車に戻るなり、奴は俺の肩に登ってきて定位置にしてしまった。
一応目立たないように、端の席を陣取る。
「ここのおすすめはピザなんですけど……。いくつ食べます? ちなみに一枚が大体一人分で、直径二十センチくらいです」
このカフェは、店内にピザ焼き窯があるそうだ。道理でずっと香ばしい匂いがする。
座っているだけで空腹感が増すし、仕事帰りに通りかかったらふらふらと吸い込まれてしまいそうだ。
「……二枚」
「まあ、追加もできますからね」
絶対俺が三枚食べると思ってるだろう。段々扱いが雑になってきた。リントヴルム家と繋がれる見込みが薄いとわかったからだろうか。
「あとサラダとスープと……。飲み物はどうします? お酒もありますよ」
「せっかくエルダリスにいるんだし、またワインにしようかな」
昼間から酒なんて、ほんの数日前まで考えもしなかった。良い身分になったものだ。
注文をしてからそう時間が経たないうちに、サラダとスープ、ワインが運ばれてきた。
「ムー」
店員と入れ違いに、毛玉がぴょんとテーブルに降りた。お前、跳べたのか。
洗っている時には手足のようなものが見当たらなかったので、どうやって移動しているのかわからない。
「もしかして、サラダが食べたいのか?」
試しにレタスを一枚引き抜いて差し出すと、
「ムー!」
目から指二本分くらい離れた辺りが、その端に食いついた。
「そこが口か」
俺の突っ込みも意に介さず、一心不乱にもしゃもしゃと食べはじめる。が、口が小さいようでなかなか一枚がなくならない。
「草食みたいですね」
「だな……」
思わず自分たちのサラダのことを忘れて観察していたら、ピザが運ばれてきた。セルジオがここを選んだのは、提供が早いからというのもありそうだ。
テーブルに彩り豊かなピザが並べられた途端、辺りに香りが充満して毛玉どころではなくなってしまった。
「もう一枚頼みますか?」
「……二枚食べてから考える」
「わかりました」
その微笑ましげな目をやめろ。――たぶんあと一枚頼むことになる。
「ムー!」
毛玉ももう一枚レタスが欲しいらしい。似たもの同士かもしれない。