まずは足元の安全確保のために、水たまりを取り除く。
「【水操《アクアレーゲレ》】」
水に指先をつけて魔力を巡らせ、宙に浮かせる。先日飴玉を加工した時とやり方は一緒だが、この量は詠唱した方が安定する。
取り除いた水は、適当に道路外に撒いた。
ぬかるんだ泥土から更に水分を取り除いて足場を固めてから、車体の下を覗く。
「ずいぶん頭がいいな……」
水たまりは浅瀬と深い穴の二段構造になっていた。煤けて力をなくした蔦が、穴の中から放射状に伸びている。ここで獲物を待ち構えるわけだ。
「え、大きくないですか?」
隣からおそるおそる覗き込んだリリーも驚いていた。
「うん。山間部には植物系の強力な個体が多いとは聞くけど……」
しかし人里の周辺は定期的にハンターが巡回し、発見次第討伐している。
いくら周囲を山に囲まれていると言っても、ここまでの知能を持つまで成長した個体が今まで発見されず、急に道の真ん中に現れたことに、少し違和感を覚えた。
「まあ、詳しい現場検証は地元の機関に任せよう。よっ、と」
今は無事に車を動かせるようにすることが先決だ。車体の前に回り、自分に強化魔術をかけてから端を掴んで持ち上げた。
「リリー、タイヤが嵌ってた穴を埋められる?」
「はいっ」
地域の魔術師になるなら、こういうことも経験させておいた方がいい。俺は持ち上げるだけで、あえてリリーに任せた。
平らになった地面にゆっくりと車体を下ろし、手をはたきながらグラートさんに声をかけた。
「もう車を動かせると思います」
「あ、ああ」
グレンと二人でぽかんと見ていたグラートさんは、声をかけられて我に返った。
村に魔術師がいないというから、魔術を見たのが初めてなのかもしれない。案外そういう人は多い。それだけ平和な村だということでもある。
車両を移動してもらったら、影蔓の死骸を引っ張り上げて脇に避ける。
穴の中にしっかり根を張っていて、ブチブチと切れた。
「この穴も埋めるんですか?」
「うん、任せる。できれば雨水が溜まりにくいように、中心を少し盛り上げて」
エルダリスとカルディナを結ぶ整備された道路はこの一本だけのようなので、いつまでも大穴を開けておくわけにはいかない。調べる必要があれば、場所はグラートさんがわかるだろう。
「わかりました!」
どうやらリリーは土の魔術が得意らしい。地面を埋める様子を、グレンが隣に付いて覗き込んでいる。
「これが水たまりの中にいたってのか」
ようやく全貌が明らかになった巨大な球根を見て、グラートさんは眉をしかめた。
「俺が見たことがある中でも、かなり大きいです。そういくつもいるとは思えませんが、ハンターに報告くらいはしておいた方がいいでしょうね」
「……そうだな」
一歩間違えば絞め殺されていた。改めて実感したのか、少し顔色が悪かった。
影蔓の残骸は回収して、一応村に運ぶことにした。少し狭くなった荷台の隅に三人で固まって座る。
その後も警戒を続けたものの、カルディナに着くまで他に魔物が出ることはなかった。
「魔術師の仕事って、いろんなことできないといけないんですね」
魔物が出ても何もできなかったからか、リリーは少し自信をなくしてしまったようだ。
「村の魔術師があのサイズに一人で立ち向かうことなんて、ほとんどないと思うよ」
せいぜい空中戦が必要な時や物理的な攻撃が効きにくい魔物が出た時に、ハンターの補助に入るくらいだ。
「え? でも、タキさんは慣れてる感じがしましたけど」
「……俺は純粋な魔術師じゃないから」
できれば身分は明かしたくなかったが、魔術師そのものへのハードルが上がりすぎるのは良くない。渋々身分証を差し出した。
「タキ・リントヴルムさん……。え!? 首都警察!?」
リリーが大きな声を出し、車両の破損を確認していたグラートさんが驚いて振り向いた。
しかしグレンはさほど驚いた様子はなく、俺の顔を改めてまじまじと見てから頷く。
「やっぱり【瞬光魔術師】だ。見たことがあるって思ってたんです」
「バレてたか……」
「髪型も雰囲気も違うから、別人だと思ってたのに」
もしかして、ベーカリーですれ違った時にちらちらと見ていたのは、ポスターの顔と似ていたから確認しようとしていたのか。俺の食欲のせいじゃなくて良かった。
「そんなに大騒ぎするようなことじゃないだろ。ただの警察官だよ……」
「だって【瞬光】って、学院の卒業生の中でも伝説になってる人じゃないですか!」
「伝説……?」
たかだか数年前の話なのに、伝説とは。
「噂はいっぱいありますよ! 魔術科の教授と単独で魔術勝負をして勝ったとか、高等部の頃から大学部のゼミに参加して論文に名前が載ってるとか!」
「……魔術科なのに、剣術指導の教官と互角にやりあったって話も聞きました」
「生徒会長やってたんですよね。生徒が過ごしやすいように、学校に掛け合って校則を変えたって」
「……」
そんなに派手な活動はしていないつもりだったのに、残念ながらすべて心当たりがあった。
ここまで割と油断していたので、尊敬の眼差しを向けられると恥ずかしい。
「すごい、学生の頃のお話もっと聞きたいです! 今日どこに泊まるんですか? 決まってなかったら、ウチに泊まりませんか?」
「いや、急に押しかけたら迷惑になるから遠慮するよ……」
滞在費無料の流れをこの辺りで断ち切っておかないと、そろそろ本気で呪いになりそうだ。丁寧に固辞した。
「そうですか……」
「せっかく誘ってくれたのにごめん。それで、この村にホテルってある?」
万が一なかったら、結局お世話になる羽目になる。一応名産品があるくらいだし、宿泊施設がまったくないということはないだろう。
「えっと……。ペンションくらいなら?」
「そっか。どの辺り?」
「うちの近くだから、案内します」
リリーが何か言おうとしたのを遮って、グレンが先に申し出てくれた。
学生時代のことは今となっては青臭い情熱でしかないが、こうして後輩の警戒心を解くことに役立ったなら、まあいいか。
「あたしも行く!」
「リリーはまず家に帰って荷物置いてこいよ……」
グレンはいつも冷静で助かる。