「それで了承しちゃったんですか? お人好しですね相変わらず!」
せっせと必要な仕事を片付けている俺の机越しに、女性が叫んだ。
金髪にピンクと緑のインナーカラーを入れ、とても警察内部の人間とは思えない派手な外見をしている。
地味な紺色の作業着が似合わない彼女は情報通信部所属の技師で、名前をサリといった。
「声が大きいですよ」
俺は顔も見ずに窘め、サリは淡々としている俺の様子に興を削がれたのか、大きく息を吐いた。
「意見を押し通すのも面倒でしたし、通信機を持たなくていいなら何でも良かったので。休職扱いなら、給与が出るそうですし」
そう言いながらも、実はあまり戻ってくるつもりはない。引き延ばせるだけ引き延ばして、これ以上は無理と言われたら今度こそ辞めようと思っていた。
「いつからです?」
「この引き継ぎが終わり次第ですかね」
「いくら【瞬光】だからって、そんなところまで速くなくてもいいのに」
丸い眼鏡の向こうで、グリーンの目がじとっと俺を見た。
「……今後の部隊指揮は、誰が執るんです?」
「後任が育つまでは、部長がやってくれるそうですよ」
するとまた、俺たちの話を聞いていたニコロが叫んだ。
「やだー!!!!」
「うるさい」
サリにぴしゃりと言われて黙る姿は、躾けられた犬のようだった。しかしこの小型犬は落ち着きがない。
すぐに何かを思いついて、わたわたと動き出した。
「そうだ! 俺も休暇届出してきます!」
「待て、早まるな」
踵を返したところで首根っこを掴まれたニコロは、グッと不穏な音を出して咳き込んだ。
サリは構わず引き寄せて、肩を組む。
「離してください姉御! 指揮官が指揮官じゃない俺たちなんて、メインディッシュ抜きのコース料理ですよ!」
「落ち着けって」
【瞬光】ほどではないが、若い隊員たちから【姉御】という妙なニックネームを付けられているサリは、ニコロの耳元でひそひそと囁いた。
「あんたたちがいつまで経っても指揮官離れできなくて、全部任せっぱなしだったのも原因の一つじゃないの?」
「そ、それは……」
「負担を軽くしようと思わんのかね。あんたたちのうち何人かが育って、リントヴルム指揮官のかわりができるようになれば、戻ってくる気になるかもしれない」
するとニコロはハッとした顔になり、にやにや笑っているサリを見て大きく頷いた。
ちなみに全部聞こえている。
「わかりました! 指揮官が戻ってくるまで、部隊の評判を落とさぬよう邁進します! 心置きなく休んでください!」
美しい敬礼をする彼もまた、最年少記録タイで急襲部隊に所属し、班長を任される優秀な人材だった。
さっそくトレーニングに出ていくニコロを見送り、静かになった室内で、サリが向き直る。
「それで、休暇中は何をする予定ですか?」
「え?」
上着のポケットに手を突っ込み、ふてぶてしく訊ねる。
「え? じゃないですよ。やりたいことがあるから休みを取るんじゃないんですか?」
「……特に考えていませんでした」
とにかく、一旦仕事から離れて、何も考えない時間が欲しくなっただけだ。
まずはゆっくり寝ようと思っていたが、それ以外何も思いつかない。
本気で考え込んでいたら、サリはまたしてもジトっとした半眼で口を丸く開けていた。
「驚いた。あなたにもそんな、人間みたいな部分があったんですね」
「当たり前じゃないですか。みんな、俺のことを高く見積もりすぎです」
期待に応えるのは得意な方だと思うが、おかげであまりにも何でもできるように思われてしまっている。
ふ、と自嘲気味に笑うと、サリは鼻を鳴らした。
「正直私、あなたのことあんまり好きじゃなかったんですよ。正解を判で押したみたいで、気持ち悪くて」
明け透けな物言いを聞いて、さすがに少し睨む。
しかし、彼女はにやりと笑った。
「でも、今のきみならちょっと応援してやろうかと思える」
これはあまり知られていないことだけど、サリと俺は同期だ。ついでに言うと、学生時代は同じ学科、同じクラスの同級生だった。
家の期待に応えることを第一に、品行方正な学校生活を送っていた俺とは正反対で、彼女は校則違反の限りを尽くしていた。
それでいて俺と成績を競っていたものだから、俺の父からは煙たがられ、教師たちからは恐れられていた。
俺の洗脳が比較的早く解けたのは、彼女の自由奔放さを見ていたことも要因の一つだと思う。
「褒めてないな」
「そうだね」
お互いに、久しぶりに敬語を外した。
立場が変わるにつれて自然とそうなっただけだったが、辞表を提出したら、もう立場なんか気にする必要はない。
「でも、休むにしろ辞めるにしろ、きみの家が許さないんじゃない?」
幼年学校時代、俺にちょっかいをかけてきたサリに対して、両親が花壇の花に付いた虫を見るような目で睨んでいたことを思い出した。
特に父は、息子が自分の考えた道順のとおりに進まないだけで不愉快そうにする。
「気付かれるまで何も言わないでおこうと思ってる」
今回の件はそんな父への、初めての反抗になるかもしれない。
「本気?」
「都合がいいことに、ちょうど父は今、通信機が使えない地域に出張中なんだ」
警察のトップにいる父は国家の機密事項に触れる機会が多いため、外部との連絡を数日にわたって遮断される場所にいることが度々ある。
「母は元々機械音痴な上、父の出張に合わせて実家に帰省してる。手紙で知らせたって数日かかるはずだ」
働き始めて自由になる金ができてから、俺は家を出て一人暮らしをしていた。
両親を苦手に思っていたことに気付いたのは、家を出てからだ。
以来、実家にはできる限り近寄らないようにしている。
休みなく仕事に打ち込んできたのも、両親に呼ばれた時に帰らなくていいからという打算があったことは否めない。
「そこまで計算して今なの? 悪い息子だねー!」
「タイミングが良かっただけだよ」
するとサリは、ぽつりと付け加えた。
「ネネちゃんは?」
十歳離れた妹のことを言われると、少し困る。
「……まあ、ネネももう十六だし。わざわざ伝えなくてもいいだろ」
兄妹仲はさほど悪くない。でもネネに伝えたら、間違いなく両親にも伝わる。妹には申し訳ないが、俺の心の平穏を優先させてもらおう。
「じゃあ、いっそ旅にでも出たら? それこそ、通信機が繋がらない場所にさ」
サリは冗談めかしてそんな提案をしたかと思うと、ニコロのデスクを勝手に漁って、一冊の雑誌を投げて寄越した。
それは、『死ぬまでに行きたい最強観光地十選』という、旅行のガイドブックだった。
どうしてニコロがそんなものを読んでいたのか、そして何故サリがニコロの蔵書を把握しているのかはさておき。
「……それ、いいな」
「え?」
「ほら、昔サリが言ってただろ。港町では新鮮な魚が手に入るから、生で食べる料理があるって」
首都近郊には海がない。もちろん冷凍魔術の進化によって様々な食材が全国から集まるものの、遠い時には一週間かけて届くので、どうしても鮮度が落ちる。
故に、魚を生で食べる機会はまずなかった。
ぺらぺらとめくったガイドブックにも、必ずそれぞれの場所で食べられる料理が紹介されている。旅の醍醐味といえば、やっぱり食事だ。
「見てるだけで食べたくなってきた。そうだな、海沿いまでのんびり陸路で行って、今まで食べたことがないものを食べよう」
思いついたらすぐに行動だ。俺はさっそく備品の地図を広げて、どんなルートで港町に向かうか計画を立てることにした。
「……やらかしたか?」
ガイドブックを参考にしながら、町の特産品や郷土料理などを調べていると、サリがぼそりと呟いた。
「何を?」
「いや、別に。首都の治安を私が脅かしてる気がしただけ」
「はあ?」
グリーンの目をスッと逸らす。
彼女がやらかすことなど学生時代から日常茶飯事なのに、どうして今日に限ってばつが悪そうな顔をしているんだ。