「俺の話はもういいですから。ムーの話に戻りましょう」
「ああ、申し訳ない」
話題を遮り、気を取り直して眉間の皺を揉みほぐした。
「どうして教団がムーを監禁していたのか、心当たりはありますか?」
『ヒカリヌシ様』と敬意を持って呼んでいた割に、光の精霊が暮らすには不適切な薄暗い山の中の廃墟に閉じ込めていたのが腑に落ちなかった。
「グロリアは何も言っていませんでしたな。まあ、想像する範囲では二つの説が考えられます」
トルテは一口大の鮭の切り身を刺したフォークを教鞭のように振った。
「一つ目は、オーリオールを信仰対象としている場合です」
久しぶりの恋人の手料理を満面の笑顔で頬張り、平和が戻ってきたことを噛みしめるようにゆっくり咀嚼する。
「彼らはグロリアを神として信仰しているのでは?」
俺の言葉に頷き、飲み込んでから答えた。
「主神ではないでしょうが、他の宗教でも精霊は神の使いとされるケースがありますから」
「その割に、扱いが悪かったような」
発見時の埃まみれで薄汚れた毛玉の様子を話すと、トルテは改めてムーをまじまじと見た。
「大変な目に遭ったのですねえ。ムー氏を見つけたのがタキ氏で良かった」
「ムー」
キュウリからレタスに移行していたムーが、ムシャムシャと口を動かしながら顔を上げた。同意しているようだ。
「二つ目の可能性は?」
「一つ目の逆、ムー氏が教団にとって邪魔だった場合です」
「邪魔……?」
こんな小さな毛玉の何が邪魔に、と考えたが、そういえばムーの雷撃を受けた後、案内係の女を除いて魔術が使えなくなっていたことを思い出した。
「オーリオールの特性で、魔術を封じたり、破壊したりするようなものって聞いたことがありますか?」
「それは聞いたことがありませんな……。ああでも、放つ光に悪しきものを清める力があるとか、そんなおとぎ話はありましたね」
地方の民話で、神とともに一帯の闇を払ったという伝説が残っているそうだ。
「清める力か……」
その説で行くと彼らが使っていた魔術が悪しきものということになってしまう。
「清めるというのは、その地域の宗教からの観点ですから。神や魔物の能力を封じるような力なのかもしれませんぞ」
「それって、すごく強いんじゃないですか?」
ネネはムニエルのソースがよほど気に入ったらしく、皿に残ったものにパンをつけて食べている。その食べ方があったか。
「ええ、神に対抗できる唯一の手段と言っても過言ではないでしょうな」
「もしそんなものがあったら、確かに脅威ですね」
本当かどうかはさておき、教団がそれを信じていたとしたら。
ムーの存在は厄介だが、下手に怒らせれば力を封じられてしまう。
それでグロリア自身は手を出さず、下っ端に管理をさせて、じわじわと弱らせていくことにしたのか。一理ある気がした。
ということは、だ。
「……俺に寵愛とやらを授けている神の居場所を突き止めてムーをぶつければ、もう厄介事に巻き込まれなくなるかも?」
「……とんでもないことを考えますな、タキ氏は」
口ではそう言いながらも、トルテはにやにやと笑っている。仮説に過ぎないが、研究者魂が疼くようだ。
「ぜひ試していただきたい! タキ氏を見ている神はエンブラといいます。現在は主に、先ほど話した悪竜退治の英雄が興した国、エンブリオンで信仰されておりますな」
「エンブリオンか……」
「どこだっけ」
世界地図を思い浮かべていたら、ネネが首を傾げた。
「ザラモールの東側に隣接してる小国だよ。中等部二年の学習範囲だろ」
ザラモールは、コンテルスカから海を渡った先にある大国だ。この国、ファルシェンとほぼ同等の領土と文明を持ち、二大国と呼ばれている。
「ついこの前勉強したことを忘れるな」
「卒業して何年も経つくせに、いつ習ったかまで覚えてる方がおかしいと思う。ねえムーちゃん」
「ムー?」
ネネは口を尖らせてムーに同意を求めたが、食べるのに夢中の毛玉は聞いていなかったようだ。
「目的地の延長線上にあるってところが、来いって言われてるみたいで嫌だな……」
「でも、行くんでしょ?」
「ネネは置いていくからな」
「えー!」
当たり前だ。国外旅行となれば俺の身分も通用しないし、勝手が違いすぎる。
「では、ザラモールの知り合いに紹介状を書きましょう。きっと力になってくれます」
「本当ですか。助かります」
話がまとまったところで、オリビアがおずおずと口を挟んだ。
「あの、デザートはいかがですか?」
「すみません、いただきます」
「お兄ちゃんまだ食べるの?」
用意してもらっているのに食べない方が失礼だ。
「ムー氏は、果物は食べないのでしょうか」
オリビアさんが出してくれたのは、上に小さく切ったフルーツが載ったムースだった。こちらも近くの店で買ってきたという。
「トウモロコシは食べてましたが。試しに見せてみましょうか」
「ぜひ」
小さなミカンの欠片をスプーンに載せてやると、フンフンと匂いを嗅ぐような仕草をした。一応鼻もあるらしい。
ぱくっと食いつき、咀嚼した。
「食べた!」
「ムー!」
目を輝かせた。お気に召したようだ。
この毛玉、何も食べなくても生きられると聞いたばかりなのに、どんどんグルメになっていく。
食後のお茶で一息ついたところで、俺とネネは退散することにした。また聞きたいことがあれば、いつでも連絡していいそうだ。
「改めて、この度はありがとうございました」
「いえ、こちらこそいろいろ教えていただいて助かりました」
家の外まで見送られ、握手を交わした。
「しかし、いいですな、旅行。私たちも、少し落ち着いたら新婚旅行に行かないかい」
「えっ!?」
急な提案に、オリビアが驚いた。トルテは微笑んでいる。
「今までは、オリビアがそばにいてくれればどんな形でもいいと思っていたけど……。今回のことで痛感したよ。結婚していないと、身元引受人にもなれない」
そう、俺がトルテを迎えにいったのは、書類上身内ではないオリビアさんには、彼との関係を証明できるものがなく、面会の手続きができなかったからだ。
「歳も離れているからね。きみに相応しい人が現れた時に枷になりたくなかったんだよ。でも、やっぱり私はオリビアがいないとダメだ」
「わ、私もです。トルテがいなくなって、私……!」
オリビアさんの目から、また涙が溢れてきた。抱きしめて頬ずりしようとしたら無精髭がじゃり、と当たってしまい、トルテは気付く。
「しまった、もっときちんとした格好で伝えるべきだった。せっかくだから立会人がいる時にと思って、焦ってしまいました。タキ氏のせっかちがうつりましたな」
「俺のせいにしないでください」
思わず突っ込むと、うはは! と頭を掻いて笑った。
「そうだ、せっかくですから、ちゃんと髭を剃って綺麗にして、景色の良いところで正式にプロポーズしませんか? 私、写真撮ります!」
「いいのですか!」
明日の朝には発つつもりでいたのに、俺の予定を差し置いて勝手に話が進んでいく。
誰かの転機に立ち会ってしまうのも、寵愛とやらの力なのだろうか。