働きすぎた瞬光魔術師の美味しい休暇旅行   作:毒島リコリス

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第42話 瞬光魔術師のトランク

 紺碧の海が見渡せる広々とした港には、大小さまざまな船が停留していた。

 沖に出られないため、ほとんどの船がこうして休業状態となっているそうだ。

 

 ある意味滅多に見られない壮観な光景ではあったが、ガイドブックの写真よりも人通りが少なく活気が薄いのはいただけない。

 

「これじゃ、泳ぐのも無理じゃん」

 

 ネネは海水浴場の閉鎖に関する案内板を睨み、閑散とした港を眺めて口をとがらせた。

 

「お兄ちゃん、なんとかしてよ」

「無理言うな」

 

 俺一人でどうにかできるなら海軍がとっくにどうにかしている。

 もちろんネネも本気で言っているわけではない。一度ため息をつくと、手で庇を作り、奥に見える一際巨大な船に興味を移した。

 

「あれが海軍の船だよね? 大きいねー。ウチより大きい」

 

 一家族とその使用人が暮らすだけの家と、何百人が乗って広い海域を守る船を比べるのはどうかと思う。

 

「軍用だから、写真は許可を取ってからにしろよ」

「はぁい」

 

 さっそくカメラを構えようとしたネネを窘めた。

 観光客も入れる場所にむき出しで停泊しているくらいだから、撮られて困るようなものはないだろう。

 しかし何からトラブルに発展するかわからないので、気をつけるに越したことはない。

 

「それにしても、寂れてるな。ガイドブックには港に屋台が出てるって書いてあったのに」

 

 貝の塩焼きとか、ザラモールから伝わった甘辛いタレをかけた串とか、いろいろと紹介されていたのだが、いずれも見当たらなかった。

 

「お兄ちゃん、また食べ物の話してる……」

「そのためにはるばる来たんだ。食べずに帰れるか」

 

 突っ込まれても開き直る。

 

「さっき食べたばっかじゃん。ねえ、ソリオン様の教会に行ってみようよ。港から近いみたいだし」

 

 そういえば、トルテがそんなことを言っていた。

 ――他の神から気に入られているらしい俺は、入れてもらえるのだろうか。敷地に踏み込んだ瞬間に雷に打たれたりしないだろうか。

 

 

 

 俺の心配をよそに、ソリオン教コンテルスカ支部には何事もなく辿り着いた。きっとネネが行きたがったからだ。

 

「まあ、観光ですか! ようこそお越しくださいました」

 

 修道服に身を包んだふくよかな女性は、聖堂を見学したいと説明すると、明るく対応してくれた。温かく広大な海に面しているからか、コンテルスカの人々は大らかな気性のようだ。

 

「どうぞ、若い方にはつまらない場所かもしれませんが」

 

 特に身分を確認されることもなく、拍子抜けするほど簡単に通してもらえた。いや、きっとこれが普通なのだ。今までがいろいろありすぎて、警戒しすぎた。

 

 首都の聖堂と比べるとこぢんまりとしていて華やかさはないが、外の花壇まで手入れが行き届き、地域の住民に愛されているようだった。

 

「かわいい! 絵本の世界みたい!」

 

 写真を撮る許可を貰って、ネネははしゃいでいる。

 

「声を落とせ。迷惑になる」

 

 人気は少ないが、入れ替わり立ち替わり、信徒と思しき住民たちの出入りがある。厚意で中を見せてもらっているだけなのだから、慎ましくしておくべきだ。

 

「こんにちは。あのお嬢さん、お前さんの妹かい?」

 

 ネネがあちこち見て回っているのを長椅子に腰かけて眺めていたら、不意に声をかけられた。

 振り向くと、杖をついた老人がにこにこと微笑んでいた。

 

「ええ。すみません、うるさかったですよね」

「構わんよ、ソリオン様は賑やかなのがお好きだそうだから」

 

 老人は一人分ほどの間を空けて俺の隣に座る。

 

「そうなんですか」

 

 それで、一人でも賑やかで元気なネネに好意を持っているのだろうか。

 

「ああ。しかし、この分だと明後日の祭りは出店が寂しくなりそうだねえ」

「祭り?」

「ん? それが目当てで来たんじゃないのかい」

 

 聞けば、コンテルスカでは毎年太陽が一番高いところに昇るこの時期に、ソリオン神を称える祭りを開催しているらしい。

 

「……知りませんでした。俺は美味しい海鮮が食べられるって聞いてきたんです。あいつは泳ぎたいらしいです」

 

 いろんな事件に巻き込まれすぎて予定が狂っただけで、元はもっと早く来るはずだったのだ。祭りのことまでは調べていない。

 

「はっは。はるばる首都から来たのにどちらも叶わんとは、なかなかついてないようだ」

「まったくです」

 

 とため息をついたところで、老人の言葉に引っかかりを覚えて首を傾げた。

 

「どうして俺たちが首都から来たって?」

「いや何、そのトランクに見覚えがあってね。そいつは大将が持ってたもんだ」

 

 日焼けした顔に刻まれた深い皺の奥、灰色の目が懐かしそうに俺のトランクを眺めていた。

 見た目には何の変哲もない古いトランクだが、いくつか貼られたステッカーに特徴がある。

 

「……曾祖父のお知り合いでしたか」

 

 この町で大将と呼ばれる存在といえば、海軍のトップだ。しかし彼が言っているのは、現大将のことではない。

 

「私も昔、海軍にいた。……大将には随分世話になったもんだ」

 

 ソリオン神の像を見上げ、しみじみと在りし日を思い出しているようだった。年齢的には、最後に曾祖父に会った頃と同じくらいだろうか。

 

「大将が、娘夫婦は首都で暮らしていると言っていたから、あんたがたもそうだろうと思ったのさ」

 

 言葉に訛りがないしな、と笑いながら付け加える。

 この老人、穏やかそうに見えてなかなか切れ者のようだ。

 

「孫が警察官になったってところまでは聞いた気がするが……。あんたもかい」

「……ええ、まあ」

 

 まだ一応は在籍しているので、曖昧に頷いた。さすがにコンテルスカまでは、指名手配のようなポスターも恥ずかしい二つ名も届いていないようだ。

 

 何かを確かめるように俺をじっと見ていた老人は、一度大きく頷くと、杖をついてやおら立ち上がった。

 

「沖の魔物が気になるなら、明日の早朝六時に軍用船の前に来るといい」

「え?」

 

 俺を見下ろし、白い歯を見せてにかっと笑う。

 

「そろそろ、私も脂の乗った魚が食べたくてな」

 

 そしてネネと修道服の女性に会釈をすると、のんびりとした足取りで聖堂を出ていった。

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