気を取り直して、教わったとおりにマグロの切り身に少しワサビ醤油をつけ、一口で食べる。
「マグロって、火を通さないとこういう食感なのか。脂が美味い」
「このワサビ、肉料理についてくるのとちょっと違いますね」
白身の方はアジやタイが中心らしい。弾力があり、こちらもしっかりと脂が乗っている。いずれも生臭さはまったくなく、濃厚な中にほんのり甘みがあった。
「いろいろ大変だったけど、来てよかった」
しみじみと言ったら、ニコロが何か言いたげな顔でじっと見てきた。
「何だ」
「……聞いた限りガチでヤバそうな感じなのに、そういう感想になるのもすごいっすよね」
「終わり良ければ全て良しって言うだろ? こうして怪我もなく美味いものが食べられてるんだから」
「まあ、タキ先輩の日常としてはそうかもしれないっす……」
俺が休暇に入った後のニコロや警備部の近況を聞いているうちに、他にも注文した料理が次々と運ばれてきた。
先日も注文した白米大盛りと煮物に加え、海藻のサラダ、海鮮の次におすすめだという鶏の唐揚げまで頼んでしまったので、二人掛けの狭いテーブルから皿がはみ出していた。
「写真機持ってくればよかったなー!」
ニコロは目を輝かせていた。休暇の順番を譲ってくれた同僚たちに見せたいらしい。
美味しそうな料理を前にして悠長に写真を撮るなんていう考えは俺にはないが、ネネとは話が合うかもしれない――と考えて、少し複雑な気持ちになった。
「この後はどうするんです?」
「元帥に呼ばれてるんだ。話したいことがあるってさ」
元帥の家はちょうど祭りのメイン会場を通った先にあるそうなので、ホテルにネネを迎えに行き、適当に屋台を見ながら向かうつもりだった。
「あの、俺も……」
「もちろん。ニコロがいなかったら海鮮にありつけなかったんだから」
「へへへ……」
本当に俺の行くところどこにでも付いて来たがるのはどうかと思うが、元帥はニコロのことも気に入ったようだから問題ないだろう。
ネネと合流して町の中を歩くと、太陽をモチーフにした華やかな飾り付けが多く見られた。
「そうだ、ムーの食料も買わないとな」
「ムー」
野菜の他、果物もいける口だということがわかったので、選択肢は多い。お祭り価格で割引になっている青果店に立ち寄り、本毛玉に選ばせることにする。
「ムー!」
選んだのはよりによってスイカだった。
「……でかすぎない?」
自分より大きいというのに、これ以外ないという顔をしている。
「皆で食べればいいんじゃない? お兄ちゃんが半分食べればなんとかなるよ」
「ちょっとやってみたかったけど今?」
ホールケーキと同じで、半分に切ったものをスプーンですくって食べるのは小さい頃の夢ではあった。量としてはたぶんいけるが、旅先でやることではない気がする。
「とりあえず、元帥の家で切ってもらえないか聞いてみるか……」
町の重鎮の家に何をしにいくんだという感じだ。手土産ということにしてもいいだろうか。
元帥の家は、町の郊外にある大きな屋敷だった。
「あれ? ……なんか見覚えがある」
門の前に立った時に、その奥に見える建物と庭木の位置に既視感を覚えた。
「そらそうだ。元は大将の家だったからな」
庭のベンチに腰かけて俺たちを待ち構えていた老人は、のんびりと立ち上がり、笑いながら歩いてきた。
「え? 大将って……曾おじいちゃんの家?」
「そうだよ、お嬢さん。ご自身の死期をさとって首都に戻られる時に、私に譲ってくださったんだ」
「へー!」
ネネは写真でしか見たことがない曾祖父に興味津々だった。
「お入んなさい。家具やなんかもそのまま使ってるから、お前さんには懐かしいものもあるだろう」
その言葉どおり、屋内はなんとなく見たことがあるようなないような、不思議な感覚だった。応接間に通されるといっそう既視感が強くなる。
椅子に座るなり、老人は対面に座る俺に深々と頭を下げた。
「改めて、コンテルスカを救ってくれてありがとう」
「いえ、俺は別に」
「活躍は、船に乗った奴から聞いたよ。伝説の英雄そのものだったってな」
白い歯を見せて笑う。
「伝説……?」
嫌な予感がした。
「コンテルスカに伝わる、海の魔物を倒した英雄の伝説さ。頭の上に光る輪っかが浮いていて、聖なる光で災いを消し去ったっていう。ここいらの人間は、親から必ず聞かされる」
それを聞いて、ネネとニコロの視線が俺の肩に乗っているムーに集まった。輪っかではなく毛玉だが、丸くて日光を浴びると仄かに発光し、自分で移動する時は少しだけ浮いている。
「確かに、あの時は指揮官の頭の上で強烈に光りましたよね」
大昔にもオーリオールを連れた人間が魔物退治をしたということか。
「何百年後に、お兄ちゃんも言い伝えになってたりして」
「やめてくれ」
大昔にも神の寵愛とやらに振り回された人間がいた可能性がよぎったが、偶然だと思いたい。
「ムー?」
毛玉は自身の希少性も重要度もよくわかっていないようで、切ってもらったスイカをしゃくしゃくと言わせながら、目を瞬かせるだけだった。
「……お前さん、ザラモールに行きたいんじゃないか。一般の客船が出港できるようになるのはもう少し先だが、早い方がいいなら伝手がある」
「え」
全てを見通したような提案だった。
「件の英雄も、海を渡ったそうだ。もしかしたらと思ってな」
思わず行くのをやめようかと思った。しかし首都に帰れば両親からの追及が待っていることは間違いない。
「ええ、できれば数日中に発ちたいと思っています」
ニコロのように車を飛ばしてくるということはないだろうが、部下を寄越すくらいはする可能性がある。思いきり反抗してしまった手前、可及的速やかに父の権力が及ばないところに行きたかった。
「わかった。ザラモールに事の顛末を説明するために向かう船だ。明後日の朝に出て、一週間ほどであちらに着く」
「明後日ですか? でも俺は部外者ですし、手続きに時間がかかるんじゃ……」
ザラモールに入国するには、事前に目的や滞在期間を申請しておかなければならない。審査には最低でも一週間ほどかかるはずだった。
「妥当な身分を用意させるさ。全部が急に決まったことだ、今なら多少の融通は利く」
それって脱法なのでは。しかし文字どおりの渡りに船だ。ここで乗らなければ、正式に出国できるのはいつになるかわからない。
「……でしたら、ご厚意に甘えます」
「はっは! 思い切りがいいのは大将そっくりだ!」
元帥は愉快そうに笑った。呆れられることが多かった即断即決だが、お気に召したようで何よりだ。