最初の目的地は、首都のすぐ隣の町、カリストンだ。
舗装された道には魔物除けも兼ねた魔導灯が等間隔に並び、太い道路に沿って切れ目なく店が並んでいる。
乗り合いバスに揺られて隣町の中心部まで行ける、平和な道のりだった。
調べていたものよりも早い時間のバスに乗り、二人がけの席の窓側に座る。
客がまばらだったので、トランクは隣の席に置いた。
普段、公共機関で移動することはほとんどない。家は本部に歩いていける距離だし、現場までは警察車両だ。
首都中心部での活動が基本になることもあって、郊外の町並みをゆっくり見る機会もあまりなかったことに今更気づいた。
いくつか停留所を過ぎた頃、小さな女の子と若い女性の親子連れが乗ってきた。
座れる席を探し、俺と目が合う。
「どうぞ」
トランクをどかして席を空けると、女の子がちょこちょこと寄ってきた。五、六歳といったところだろうか。
妹が同じくらいの歳だった頃のことを思い出し、なんとなく和んだ。
「ありがとうございます」
「いえ」
母親と思しき女性が先に座り、その膝に女の子が乗った。
あまりじろじろ見るのも悪いので、俺は窓の外に目を向けた。
しかし、妙に視線を感じる。振り向くと、女の子がこちらをじっと見上げていた。
「こんにちは」
ひとまず怖がらせないように、外交が必要な時に使うよそ行きの微笑みを向けてみた。
すると、
「けいさつのおにいちゃんだ」
女の子が呟き、母親がゴフッと吹き出した。
「すみません!」
「まま、ほんもののほうがいけめんだよ」
「シーッ!」
母親は顔を赤くしながら女の子を黙らせようとした後、俺の顔を再度確認してそろりと訊ねた。
「……あの、【瞬光魔術師】さんですよね?」
「えっ、ええと、はい」
「ポスターでお顔を拝見してから、この子、ファンになっちゃって」
ここでもあのポスターが猛威を振るっていた。やっぱり上層部と部長のせいだ。
「ままもでしょ、むぐ」
少々乱暴に口を塞がれ、女の子がもがく。
「ありがとうございます……」
広報部でもないのに、市民に広く面が割れているのは警察官としてどうなんだろう。とりあえず愛想笑いするしかない。
「今日は、お休みですか?」
「はい。久しぶりに休暇が取れたので、少し遠出をしようかと」
少しどころではないが、初対面の相手に詳しく言うことでもないだろう。
「そうなんですか。……あの、握手してもらってもいいですか?」
「え、ええ」
どんな意味があるのかはわからないものの、断る理由もないのでそろりと差し出された手を取った。
続けて女の子の手も握る。小さな手は、大人の手よりも温かくてしっとりしていた。
うっかり握り潰してしまうんじゃないかと思って、少し怖かった。
「ありがとうございます」
女の子より、母親の方が嬉しそうだ。
そういえば、イメージキャラクターの仕事が回ってきた時に、上層部から身だしなみに気をつけるようにという命令があった。
もしやあの指示は、こういう時のためにあったのだろうか。
何かと怖がられやすい仕事だから、好意的に取ってもらえるならと適当に従っていたら、サリが『俳優かよ』とぼやいていたのもついでに思い出した。
「まま、アメたべたい」
落ち着いて座っていられないようで、女の子はまたもぞもぞと動き始める。
「一つだけよ」
鞄から袋を取り出すと、女の子の手に飴の包みを一つ乗せた。と、
「おにいちゃんにもあげる」
「こら!」
その飴をそのまま、俺に差し出してきた。
母親は慌てたが、
「いただきます」
微笑んでつまみ上げたら、ほっとした顔をした。女の子は満足げに笑った。
業務中にもらう差し入れの類いは、収賄の嫌疑をかけられたり毒物や爆薬の可能性があったりとろくなことがないので、受け取ってはならない決まりだ。
でも、休暇中のプライベートなやり取りなら構わないだろう。
女の子と顔を見合わせ、赤い飴玉を口に放り込む。チープな甘みが口の中に広がった。
小さい頃には母が時々買ってくれていたが、それも幼年学校に入るまでのことだ。
甘味は、リントヴルム家の長男としての振る舞いを求められるようになってから、疎遠になったものの一つだった。
「おいしい?」
女の子がきらきらとした目で聞いてくる。
「美味しいよ」
メープルシロップを遠慮なく使った時にも思ったが、甘いものはちゃんと甘い方がいい。
甘さと一緒に、人の温かさがじんわりと体内に広がっていく気がした。
何か返せるものはないだろうかと考えて、ふと思いついたことがあった。
「すみません、飴をもう一ついいですか?」
「え? ええ、どうぞ」
おずおずと差し出された飴を受け取り、包みを開ける。
「見ててごらん」
包み紙を広げて手のひらに載せ、その上に置いた飴に魔力を通した。
全体に行き渡らせてから熱に変換すると、どろりと溶けた。
「わあっ」
呪文もいらない簡単な魔術でも、女の子は目を輝かせてくれる。
微笑ましく思いながら、今度は水を操る要領で、溶けた飴の形を整えた。
最後に冷却して形が戻らないようにすれば、小さなバラの花の完成だ。
「おはなだあ!」
「すご、ありがとうございます」
女の子の手に乗せてやると、母親の方も目を丸くしていた。
「えっ、これ、食べられるんですか?」
「もちろん。というか、日持ちはしないと思うので早めに食べてください」
思いつきで作ってから、そういえば入れ物も何もないので持ち運ぶには不便だな、と気付いた。
こういうところが抜けてるんだ、俺は。
「たべる!」
「まだ口の中にあるでしょ、後で」
しかし小さな子どもがいると、食べ物を持ち帰るのはよくあることのようだ。母親は慣れた様子で鞄の中から弁当箱のような容器を取り出し、飴をそこに入れさせた。
容器の中の飴を眺めてはしゃいでいた女の子は、しばらくすると疲れてうとうとし始めた。
邪魔しないように大人しくしておくことにする。
口の中で飴を転がしながら、また窓の外を眺めることしばし。
青空の下を整備された並木道が後ろに流れていく様子を見て、途中にも気になる飲食店をいくつか見つけた。
以前はカリストンとの境目の辺りは建物がまばらだったが、少しずつ開発が進んでいるようだ。
いつか、この街道を端から端まで練り歩くのも楽しいかもしれない。
親子は俺が降りる場所よりも手前のバス停で降りるそうだ。
「おにいちゃん、またね!」
「うん、またね」
『また』があるのかはさておき、頷いて手を振り返す。
女の子はにこっと笑って、転ばないように気をつけながら、高さがあるステップをぴょんぴょんと一段ずつ降りていった。
「久しぶりに、平和な魔力の使い方したな……」
魔術を使う時にはやれ制圧だ捕縛だといった物騒なことばかりだったので、妙に癒やされた。
仕事を辞めたら、何か魔術でパフォーマンスをするような職業につくのもいいかもしれない。
それから少しして、俺の目的地が近いことを車内のアナウンスが告げる。
ほどなくして、ゆっくりと停車した。