働きすぎた瞬光魔術師の美味しい休暇旅行   作:毒島リコリス

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第50話 瞬光魔術師の船旅

 丸い窓の外には、穏やかに波打つ深い青がどこまでも続いていた。

 

 ザラモールまでは、天候に問題がなければ一週間ほどで到着する予定だそうだ。

 寵愛とやらの効果で嵐に巻き込まれたりしないかと心配していたが、出航から丸一日が経った現在も、雲一つない青空が広がっている。

 

 出発前にネネが『お兄ちゃんが無事に辿り着けるように、ソリオン様にお願いしておくから』と言っていたのが効いているのかもしれない。

 

 もし、本当に軽く祈った程度で天候まで左右できるとしたら、妹はとんでもない力を手に入れてしまったことになる。信じないことにした。

 

「タキさん、乗り心地はいかがですか?」

 

 用意してもらった部屋で、ムーと一緒にザラモールの観光雑誌を真剣に吟味していたら、船の持ち主である商会長が顔を出した。その手にはお茶とビスケット、そして小さな瓶が載ったトレー。

 

「とても快適です。というか、なんだか申し訳ないです。便乗させてもらっただけなのに、こんなに良くしていただいて」

 

 ザラモールに入国するにあたって、俺の身分は商会が雇った護衛ということになっている。

 しかし、緊急時以外は自由にしていいと言われていた。

 

 与えられた部屋も上等な個室で、食事は毎回調理された温かい料理、更に商会長が手ずからお茶まで持ってきてくれるとなると、明らかに賓客の待遇だ。

 

「これでも足りないくらいですよ。タキさんのおかげでまた商売ができるんですから」

 

 恰幅の良い商会長はそう言って、テーブルにトレーを置いた。小瓶の中身はジャムのようだ。

 

「こちらこそ、船に乗せていただいて助かりました」

 

 正規の手続きを踏んでいたら、今頃は首都に連れ戻されていたはずだ。

 

「まあ、困った時はお互い様ということにしておきましょう」

 

 元帥から多少の事情は聞いているのだろう。自身も息子がいる商会長は、ふふ、と微笑ましげに肩を揺らした。

 わかっている。端から見たらただの親子喧嘩だ。

 

 話している間にムーが俺の肩を伝ってテーブルに飛び移り、ジャムの瓶をフンフンと嗅ぎはじめた。

 

「ムー、それは果物を砂糖で煮たやつだ」

「ムー?」

 

 この毛玉、果物もいけると気付いてから、甘い匂いに果敢にチャレンジするようになった。日々成長しているというか、がめつくなっているというか。

 

「どうぞ、召し上がってください」

 

 商会長はそれを見て目を細め、話しながらでも手を付けやすいよう促してくれた。

 

「ありがとうございます。では遠慮なく」

 

 まずはムーのために、ジャムの果肉の部分をスプーンで掬って指の先に乗せ、口がありそうな辺りに近付ける。

 ムーはジャムが毛に付かないようにしながら、器用に食いついた。

 

「ムー!」

 

 目を輝かせて満足げに鳴く。お気に召したらしい。

 

「ちゃんと商会長さんにお礼を言えよ。海の上で甘い物は貴重なんだから」

「ムー!」

 

 俺に言われたとおりに商会長の方を向いて鳴いた。

 

「どういたしまして」

 

 商会長は、ムーが言葉を理解していることに一瞬驚いた顔をした後、すぐに笑顔になった。

 

「人間にも魔物にもたくさん出会ってきましたが、まさか精霊を船に乗せる日が来るとは。今回の渡航は良い商談ができそうです」

 

 そう言うと、ムーに向かって手を合わせ、頭を下げる。

 商売人は数字とデータを気にするものだとばかり思っていたら、案外験担ぎや迷信の類いにもこだわるのだそうだ。

 

 そして一般的に精霊といえば、例の英雄と一緒に旅をしたという伝説の個体を指すので、ムーも繁栄を司る縁起物として歓迎された。すれ違う度に拝む船員までいるくらいだ。

 

 ――もしかして商会長がわざわざ訪ねてきたのも、改めてムーを拝むのが目的だったのでは。

 

「そうだ、タキさんはザラモール語は話せますか? 必要なら現地の通訳を手配しますよ」

 

 商会長がムーに気を取られているうちにと、俺自身もビスケットにジャムを載せて一口でいった瞬間、不意に話しかけられた。

 

 慌てて噛み砕いて飲み込み、お茶で流し込んでから答える。

 

「日常会話程度なら。難しかったらその時に考えます」

 

 学生時代にザラモール語はひととおり修めている。ザラモールからの留学生と会話したり、論文を読んだりする分には問題なかったので、後は身振り手振りでなんとかなると思いたい。

 

「そうですか。思ったよりも旅慣れていらっしゃるようだ」

「ええ、まあ……」

 

 旅に想定外の事態はつきものだと、国内を旅行するだけでも思い知った。

 どうせ計画どおりにいかないのなら、何事も経験だと思って楽しんだ方がいい。

 

***

 

 初めての長い船旅は予想以上に順調に進み、当初の予定どおり一週間でザラモールの港に到着した。

 大型船がいくつも停泊する大きな港の向こうに、ザラモール特有の赤を基調とした木造建築がびっしりと立ち並んでいる。

 

「異国に来たって気分になるなあ」

「ムー」

 

 立ち入り検査が行われている間、俺とムーは甲板から大量の人と荷物が行き交う景色を眺めるばかりだった。

 

 もちろん俺にも入国審査はあったものの、この船は定期的に出入りしていて一度も問題を起こしたことがない、善良な商船だ。

 

 商会長が『先日の魔ダコ騒動を踏まえて、船上での警備を強化するために知り合いの魔術師を用心棒として雇った』と説明すれば、特に怪しまれることもなかった。

 実際、半分は本当のことなので堂々としていればいい。

 

 ただ、ムーの処遇は少し揉めているように見えた。精霊が人間に懐くというだけでも学者が真偽を疑うほどなので、他国から一緒に入国した前例などもちろんあるわけがない。

 

「見てのとおり可愛らしい精霊ですし、契約者がきちんと管理しています。ここはひとつ、見なかったことに……」

 

 審査官と商会長が何かごそごそやっていると思ったら、ムーを見逃してもらうかわりにいくらか握らせていた。善良な商船という認識で大丈夫だろうか。

 

 

 

「長旅おつかれさまでした。体調に問題はありませんか?」

 

 地上に降り立ったところで、商会長が訊ねた。

 

「地面がちょっと揺れてるような気がしますけど、それ以外は特に」

「食欲は?」

「あります」

 

 さっきから、潮の香りに混ざって漂ってくる良い匂いが気になって仕方ない。

 

「何よりです」

 

 食い気味に即答したせいで、商会長に笑われてしまった。さすがに一週間も食事を共にしたら、俺がよく食べることにも気付く。

 

「我々は、こちらに置いている支部に無事到着したことを連絡して、挨拶回りをしてきます。お二人は、その間に観光していらしてください。夕食は馴染みの店を予約しておりますから、暗くなる前に船でもう一度落ち合いましょう」

 

 そして、小さな革の財布をそっと持たせてくれた。

 

「大通り沿いには、軽食がいろいろ売っていますよ。観光客は目立ちますから、スリには気をつけて」

 

 中にはザラモールの通貨が少々多めに入っていた。換金する暇がなかった俺のために、わざわざ用意してくれたらしい。

 

「何から何まで、ありがとうございます」

 

 買い食い用のお小遣いとして少額だけ手元に残し、残りは鞄に仕舞って商会に預かってもらうことにした。

 

「それじゃ、行ってきます」

「ムー!」

「ええ、ぜひ楽しんで」

 

 そして、俺とムーのザラモール旅が始まった。




お久しぶりです。
これより2部を開始します。

読者様の温かい応援のおかげで、いよいよ3月25日に書籍版1巻が発売されます。
店舗特典やキャンペーンなどもありますので、オーバーラップ様のサイトで詳細情報をご確認いただけますと幸いです。
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