ザラモールの空気は、ファルシェンと比べて湿気が多い気がする。
気温が高いこともあって、じっとりとまとわりつくような暑さがあった。
「ムーは、暑いのは平気か?」
真っ白で柔らかい毛は、強い潮風を受けて今日も爽やかに揺れている。
「ムー!」
さすが光の精霊というべきか、強い日差しを受けるほどに元気になっているように見えた。
教わったとおりに大通りへ向かうと、あちこちから湯気が立ち上り、ジュウジュウと何かを焼いている音と呼び込みの声が聞こえてくる。
通行人は道幅一杯に広がって歩いていて、祭りのような人の多さだ。
「コンテルスカも、時期が違えばこんな風だったのかもなあ」
ほとんどの店の脇には無造作に椅子とテーブルが並べてあり、買った食事をそこで食べられるようになっていた。
相席が基本で、店先で立ったまま食べている客もいる。食器は返却口に置いていけばいいらしい。
「港町だし、やっぱりまずは魚?」
船には最新型の冷蔵庫が備えられ、様々な料理が振る舞われたが、さすがに後半は冷凍や缶詰などの保存食を使ったものが中心だった。
せっかく上陸したのだから、新鮮な食材が使われているものを中心に攻めるのもいい。
「ムー」
「そうだな。ムーが食べられるものも探そう」
活気のある街並みは歩くだけでも楽しく、一つひとつ見ていたらすぐに夕方になってしまいそうだ。
「夕食のことも考えると、軽めにしておくべきだよなあ……」
片っ端からつまみたい気持ちを我慢して、まずはガイドブックで評判が良かった店に立ち寄ることにした。
ガイドブックに載るくらいだからよほど人気の店なのだろうと思っていたのに、いざ到着してみると、路地に入った先にある小さな対面販売の店だった。
しかも、店主の言葉に少し訛りがあって聞き取りづらい。メニュー表を指さしながら、なんとか注文した。
丸くて平べったいパンのようなものが目の前で手際よく焼かれる様子は、一種のショーのようだった。
「ネネがいたら、大騒ぎしながら写真撮ってただろうな」
きっとこれからも珍しいものにたくさん出会うだろうし、写真機を借りておくべきだったな、と今更思いついたが遅かった。
「次はネネも一緒に来よう」
「ムー!」
コンテルスカを発ってから、ムーは少し寂しそうに見えた。
単に、ムーの毛並みが好きでしょっちゅう撫でていたがネネがいなくなったのが、不満なだけの可能性もあるが。
出来上がったパンは、持って食べられるように封筒のような形の紙袋に入れてくれた。
他の客に倣って道路の端に寄り、壁を背にしてさっそく袋を開ける。香ばしい匂いのする湯気が立った。
「ザラモール人は、夏でも熱い料理を食べることが多いんだって」
もちろん冷たい料理や甘味もあるそうだが、基本的には出来たての熱々を好むらしい。
猫舌の国民はいないのだろうかとどうでもいいことを考えながら、紙袋から半分だけ出して、吹いて冷ましてから齧り付いた。
「面白い味だ」
中にはひき肉と野菜が詰まっていて、外側のバリパリとした食感とは裏腹に、柔らかくてジューシーだった。
ネギや生姜の風味はあまり馴染みがないが、思ったより優しい味で悪くない。何の肉かはいまいち判別が付かなかった。
食べながら店先を眺めていると、並んでいるのは観光客よりも地元民の方が多かった。
「なるほど、この辺りでは定番のファストフードってわけだ」
つまり、首都で食べていたハンバーガーみたいなものだ。
そしてふと、仕事をしていた頃はファストフードすらまともに食べる暇がなかったんだよなと、ほんの一ヶ月ほど前のことを振り返る。
それが当たり前だったことに今更ぞっとして、思わず空を見上げてしまった。窮屈そうに立ち並ぶ建物に切り取られた青空を、海鳥が悠々と横切った。
「ムー?」
ムーが肩から顔を覗き込んできた。
「ああ、いや、大丈夫」
慌てて首を振る。心配させてしまったようだ。
「よし、やっぱり他にも見て回るか!」
嫌な思い出は食べ殻の紙袋と一緒にゴミ箱に捨ることにして、意識的に背筋を伸ばした。
我慢するつもりだったけど、食べた分動けばいいのだ。
気を取り直して気になる店を片っ端から覗き、ムーのおやつになりそうな果物の他、しょっぱい物の次は甘い物、そしてまた塩気のある物と、バランスを考えながら三軒ほどハシゴした頃だった。
「うん?」
ふと、通行人の一人が目に留まった。
中肉中背、これと言った特徴はない中年の男だ。一見すると、ただの地元民にしか見えない。
強いて言えば、この気温にしては、上着が少々厚手に見えるというくらいか。
しかしその視線と動きに、どことなく違和感があった。
――何かやりそうな雰囲気だ。
これは様々な犯罪者と対峙するうちに身についた、ただの勘のようなものだ。
根拠は説明できないので何故わかるのかと聞かれると困るものの、この感覚に助けられたことは一度や二度ではない。
少なからず俺の昇進スピードに寄与しているので、信じることにしていた。
「ムー、ちょっとフードの中に入っておいてくれるか」
「ムー……」
同じように何か察したのか、ムーは低く唸ると大人しくフードに隠れた。
それから、一定の距離を取って男を追跡することしばし。
「ああ、やっぱりやった」
観光客と思しき女性二人組とすれ違った瞬間、片方の鞄から財布をスッたのが見えた。
近くの店の看板に気を取られていた女性たちは、まったく気付いていない。慣れた手つきだった。
「あれはまだやるな……」
そういえば、商会長がスリに気をつけてと言っていた。常習犯と見て間違いない。
ため息をついて男の後をつけ、次のターゲットに手を出した瞬間、即座に距離を詰めてその手首を掴んだ。
「待った」
「うわっ!?」
男が思わず声を上げ、それに驚いた被害者の男性が振り向く。
そして俺が掴んでいる男が見覚えのある財布を握っていることに気付いて、慌てて服のポケットを探った。
「すみません。ここで取り押さえておくので、警察を呼んできてもらえますか」
「は、はい!」
財布を返しながらそう頼むと、男性は慌てて人混みの中を走っていく。
周囲の人々が何事かと立ち止まり、交通整理をしたわけでもないのに周りにスペースが空いた。
「何しやがるん×××××! ×××××!!」
その中心で、男は俺の腕を振り払おうと必死にもがきながら何か叫んでいる。
早口な上にネイティブ特有の言い回しとなると、ぜんぜん聞き取れない。
たぶんものすごく汚い言葉で罵倒されているのだと思うので、聞き取れなくて良かった。
「何を言っているのかわかりませんが、大人しくしてください」
いつもどおり【
振りほどけないよう強化魔術で手首を掴む力を強めつつ、腕を背中に回して男が戦意を喪失するまでじわじわと締め上げる。
そうこうしているうちに先ほどの男性観光客が警官を連れてきて、改めて拘束された男の懐から余罪がぽろぽろとこぼれ落ちたため、呆気なく現行犯逮捕となった。