翌日は朝から、商会の車に乗り込んで出発した。一番の目的地は首都だが、まっすぐ最短距離で行くわけではなく、途中の町にある取引先にも寄りながら数日かけて進むらしい。
「話には聞いてましたが、本当に魔物が多いですね」
車窓から少し外を見るだけで、草地には草食の魔獣、空には鳥型の魔獣が堂々と闊歩している。
町の周辺や大きな道には魔物避けがあるため近寄ってくることはないものの、整備されていないエリアにファルシェンと同じ感覚で入ったらすぐに襲われそうだ。
「そうなんです。車に魔物避けを施していても油断はできません」
隣に座っていたエリックが、ドライフルーツを差し出しながら頷いた。
礼を言って、平べったい果肉を一つつまむ。
「ムー」
「はいはい」
すかさずムーがよこせと言った。膝に下ろして食べさせてから、俺の分を貰う。種が取ってあるアンズは食べやすく、おやつ時にちょうど良かった。
「道理で、町の周りを厳重に壁で囲ってあるわけだ……」
ファルシェンは町と町の境目が曖昧で、中心部から離れるほど人間と人工物が減って緑が多くなる程度だった。
しかしザラモールは人間の居住区とそれ以外が明確に分かれている。分厚い石の壁で仕切られていて、壁の内側に入りきらない田畑や牧場はできるだけ壁から近いところに集まっているか、独自の魔物避けが設置してあった。それだけ、魔物の襲撃が多いということだ。
「前に野宿した時には、車内にいても不安で眠れませんでした」
はあ、と前方の座席に座る商会長もため息をつく。以前、予定していたルートが土砂崩れで通れなくなり、周辺の町のホテルは同じように立ち往生した人々で埋まっていたため、車中泊をする羽目になったことがあるらしい。
商会の車両に搭載されている魔物避けは一般車両よりも高性能らしいが、それでも向かってくる魔物はいるのだとか。
「とはいえ、今はそういうことはほとんどありませんから!」
移動に苦労するのは住民も同じことだ。
現在は主要な道に国が作った宿泊地が点々とあり、それに寄り添うようにして小さな町が形成されているため、魔物に囲まれて夜を明かすようなことにはならないそうだ。
「じゃあ、安心ですね」
「ええ。今回はタキさんがいますし、より安心です」
「ご期待に応えられるよう頑張ります」
応えるような場面に出くわさないのが一番だが、と思っていたら、案の定草原の真ん中で野生の羊の群れに道を塞がれた。
こればっかりはムーにも頼れない。車から降りて、羊に謝りつつ風の魔法で大きな音を出して移動を急がせる。
「原因が魔物でも人でもない場合が一番厄介かもしれない……」
「ムー……」
羊の大群が通り抜けてくれた後、思わず広大な草原の向こうの地平線を眺めてしまった。
なんとか今日の宿泊地にたどり着き、夕食はどこにしようかと話している時だった。
「すみません。旅の方とお見受けします。少しよろしいですか?」
ザラモール訛りのあるファルシェン語が聞こえた。
振り向くといかにも裕福そうな身なりの男が立っていて、にこっと愛想よく微笑む。商会長よりも更に恰幅が良く、撫でつけた焦げ茶の髪は白髪を染めているように見えた。
「何か?」
俺は一応護衛としてこの場にいるので、見知らぬ人間から商会長を守るように一歩前に進み出る。と、男は慌てて両手を挙げ、笑顔のまま大げさに首を振った。
「も、申し訳ない! そんなに警戒しないでください! あなたの肩に乗っている子が気になっただけなんです」
「俺の?」
ムーはすっかり商会のメンバーに慣れて、何か話し合いをする時には俺の顔の横で一緒になって話を聞いている。それを見て声をかけてきたらしい。
「わたくし、首都で富裕層向けのペットショップを営んでいる者です」
そう言って、男は小さなカードを差し出した。名刺のようだが、ザラモール語で書いてある名前は発音がわからない。
「仕事柄、珍しい生き物に目がなくて。その子は何という動物ですか? ファルシェンに生息しているのでしょうか」
「いえ、そういうわけでは」
精霊だと言うわけにはいかないが、魔物でも動物でもないし、無責任にファルシェンに行けば出会えると言うわけにもいない。どう答えたものかと迷っていると、男はずいと身を乗り出した。
「やはり珍しい動物なのですね!?」
もっと近くで見ようと鼻息荒く近寄ってくる男に対し、ムーは警戒してフードに隠れた。
「臆病なので、驚かさないであげてください」
「これは申し訳ない。しかし、皆さんにはよく懐いているようだ。きちんと相手を見分けて警戒できるということは、知能が高いということです。いやあ、気になります……」
無理やりフードを覗き込もうとする男から離れるべく一歩後ずさり、俺自身も警戒を強めた。この男、どうにも胡散臭い。
と思ったのも束の間、男はさっそく切り出してきた。
「見た目も愛らしい上に賢いとなれば、きっとあちこちの貴族が欲しがります。どうでしょう、その子を私に売っていただけませんか?」
ある意味想定どおりの申し出だった。
「お断りします」
背後で低く唸る声を聞きながら、俺は間髪いれずに首を振る。
「そんな! あなたの言い値で構いませんよ。そうだ! 想定よりも高値が付いたら、差額をお支払いする契約はどうですか?」
「お金の問題じゃないんです。友だちの所有権を売れと言われても、そんなもの始めから存在しないでしょう」
俺はムーと契約していることになっているらしいが、本毛玉の意思で勝手に契約状態になっているだけで、所有しているわけではない。誰のそばにいるかはムーが決めることだ。
「そりゃあ、人間だったらそうですが。でも、その子はペットでしょう?」
「話にならない。俺がこの子を手放すことはありません。これ以上付き纏うようでしたら警察を呼びます」
この手の輩は話をするだけ無駄だ。断固拒否の姿勢を見せ、なおも付いてこようとする男を睨むと、ようやく追ってくるのをやめた。
「変な男でしたね……」
姿が見えなくなったところで、商会長がひそひそと言った。俺は頷く。
「またご迷惑をおかけするかもしれません」
「え?」
最後に見た男の顔。あれはまだ諦めていない顔だ。