「魔獣が私を攻撃してきて! あのファルシェン人が飼っている白い魔獣は危険です! 人を殺める魔術を使ってきます!」
警官に引きずられながら、男は喚いていた。夜中に近所迷惑甚だしい。
「ああ言っていますが、その白い生き物は魔獣なんですか?」
「まさか。珍しくはありますが、見てのとおり無害な小動物ですよ。でなければ一緒に入国できていません。ええと、すみませんが対応するザラモール語の種族名を失念してしまって……」
いけしゃあしゃあと口から出任せを言い、ムーを手のひらに乗せて差し出す。
「ムー?」
ムーは何かを察したらしく、俺の演技に合わせて渾身のあざとい上目遣いとともに可愛らしく鳴いてみせた。毛玉のくせに猫を被るとは、なかなかやるじゃないか。
「触りますか? もちろん噛んだりしませんよ」
見るからに手触りの良さそうな白いふわふわを前にして、警官の目が一瞬揺らいだ。
「い、いえ。怖がらせるといけませんので」
サッと帽子で顔を隠した。たぶんこの警官、野良猫とか好きだと思う。
「そうですか。きっと、俺が使った魔術をこの子が使ったんだと勘違いしたんでしょう。暗かったですからね」
「なるほど、飼い主さんは魔術師でしたか。では問題ありませんね。失礼しました」
警官は納得し、敬礼して去っていった。
「タキさん、ご無事で何よりです。……演技派でしたね。詐欺師の才能がありますよ」
後ろから様子を伺っていた商会長は、胸を撫で下ろしながらも呆れた顔をしている。
「職業柄、色んな人物に出会ってきましたから……」
以前遭遇した、一見すると誠実そうに見える口が上手い詐欺犯のことを思い出しながら演じた。なんとかなるものだ。
「あの男、魔銃を持ってたと聞きましたよ。怪我はありませんか?」
商会メンバーも寝間着姿で駆け寄ってくる。他の客も何事かと窓から顔を出しているのが見えた。
魔銃には消音機能が付いていたが、立て続けの物音と警察の声で目が覚めてしまったらしい。
「問題ありません。ご心配おかけしました」
護衛が真っ先に事件を起こしてどうする。船の上で平和だった分のしわ寄せが来ているのだろうか。
「やり過ごすこともできたんですが、今回が初めてじゃなさそうなので、捕まえておいた方がいいかなと……」
魔銃まで持っていたくらいだから、きっと余罪がまだある。貴族が相手となると、もっと後ろ暗いことをしている可能性も高い。この機会にきっちり調べるべきだ。
「なるほど。タキさんはやっぱり、正義の味方ってやつなんですね」
エリックがまた目を輝かせていた。
「実際のところ、あの男のせいで今夜の酒を控えることになった腹いせの方が大きいかな……」
首を振って、はあ、と大きくため息をつく。夕食は昨日とうってかわって庶民的なメニューで、また別の酒が合いそうだったのに。
それを聞いたエリックは一瞬ぽかんとした後、笑い出した。
「タキさんの行動原理はいつも食べ物とお酒なんですね」
「幻滅しただろ?」
「いいえ、なんだか親近感が湧きました」
どこに親しみを持つ要素があったのだろう。まあ、悪い印象でないなら何でもいいが。
***
全員が少々寝不足になり、翌朝は改めて悪徳ペット商を恨みながら出発した。
俺は眠気覚ましを兼ねて、移動する車内でエリックに簡単な魔術から教えることにする。
「こうですか?」
「そう。筋がいい」
水の魔術を使った初期講習のおさらいから始まり、魔力の扱い方に慣れるために、浮かせたり凍らせたりといった応用に繋げる。
「しばらくは、今教えた内容を毎日繰り返すこと。朝でも寝る前でも、時間のある時でいい」
「毎日ですか?」
「人体に作用する魔術は、攻撃魔術と違って高出力でぶちかませばいいってわけじゃない。出力を絞って必要な部分にだけ効くようにしないと、かえって悪化させることもある」
特に酒を抜くなんていう、本来の使い方から逸れた目的で使うのなら尚更だ。通常の解毒魔術よりも弱めにかけるくらいでちょうどいい。
「な、なるほど……」
エリックは真剣に聞いていた。何故かムーまで、珍しく起きて俺の肩で聞いていた。
と思ったら、今度は窓の外に視線を移す。
「ムー! ムームー!」
急に、お前も窓の外を見ろと言いたげに俺の頬に寄り添い、ふさふささせながら何度も鳴いた。
「何だ? また羊か?」
それにしては鳴き方に警戒心がないな、と思いながら、一緒に窓の外を見た時だった。
ゴッという、閉め切った車内にいてもわかるほどの轟音を伴う突風が吹いた。ガタガタと車体が揺れる。
「うわっ!?」
木が激しく揺れ、周囲の枯れ草や落ち葉、砂粒が舞い上がった。
「ムー!」
興奮しているようなムーの声の直後、俺たちの頭上に黒い影が現れた。
「魔獣!?」
蛇のような魚のような細長いフォルムの魔獣は、魔ダコよりも大きな体躯を空に悠々と泳がせ、ゆったりと横切っていく。
「わあ、すごい! 龍ですよタキさん!」
エリックは無邪気にはしゃいでいる。こんなに大きな魔獣が現れたというのに、俺以外の誰も警戒していない。それどころか、車を停めて嬉しそうに空を仰いでいる。
「龍が見られるなんて! これは、次の商談はうまくいきそうだ!」
商会長に至っては、「ありがたや」と言いながら手を組んで拝む始末だ。
「龍?」
「南大陸にしかいない魔獣ですよ。滅多に人里には現れなくて、見ることができたら吉兆の印って言われてるんです」
「これだけ間近で出くわしても、襲ってきたりはしないんだな……?」
「ええ、こちらから仕掛けない限りは何もしてこないそうです」
言われてみればムーも警戒していない。温厚で無害というより、単に人間に興味がないようだ。
確かに、この体格差では人間がアリの上を跨ぐくらいのものだろう。気付いているかどうかも怪しい。
「とても賢いらしくて、凶悪な魔物を討つために人と共闘したという伝説もありますよ」
ファルシェンでは、魔獣と言えば全て危険で害のある存在だというイメージだが、ザラモールにはどうやら良い魔獣、悪い魔獣という区別があるらしい。
食用にするのも一般的なようだし、数が多い分より身近な存在として生活に根差しているのかもしれない。
「文化の違いか……」
遠ざかることでようやく全貌が見えた巨体は、鱗が日差しを反射してきらきらと輝いていた。害がないとわかって見ると綺麗なものだ。
「人も毛玉も魔獣も、見た目と肩書きだけで判断するのは良くないな」
「ムー」
今まで散々そういう決めつけや勝手なイメージに苦しめられてきたのに、知らず知らず自分もしていたわけだ。
龍には全く影響しないだろうが、謝罪のついでに、この後の旅が穏便に進みますようにという祈りも込めて、俺も拝んでおいた。