トルテが紹介してくれた魔法生物学者のシフォンは、首都の研究所で魔物の研究をしているという話だった。
その研究所に連絡してみると、本人は今日はフィールドワークに出ていて不在だが、明日なら自宅にいると返事があった。トルテの時のようなことはなさそうだ。午前中に伺うと予約を入れた。
ということはつまり、今日の午後は完全にフリーということだ。
「まずは食事だよな。どこに行こうかな……」
せっかくはるばる隣国の首都まで来たのだ。今日のところは思いきり観光しようと、俺はさっそくガイドブックを取り出した。
移動中は割と暇だったので、首都に慣れているメンバーから『これが食べたい時は迷ったらここ』という店を聞いておいた。おかげでガイドブックのページはあちこち端が折ってある。
「とりあえず食べ歩きしながら、街を見て回ろう」
「ムー!」
ぎっちりと人々の生活が圧縮された街並みは迷路のようで、一度迷うと元いた場所に戻ってこられなくなりそうだ。
上に向かって建て増しされているということは、上下移動が多いということでもある。一部強度が心配になる外付け階段があったが、そういう道の先に限って美味い店があると書いてあるのでたちが悪い。
適当にふらふらと歩くと、またしても正体のわからない肉の串があった。魔力は纏っていないが、牛でも豚でもない。
「それ、何の肉ですか?」
「羊だよ。外にいくらでもいるやつさ」
日に焼けた店員は、常識だと言いたげにぶっきらぼうに答えた。
あの道を塞いでいた群れか。南大陸ではかなり一般的な獣らしい。
ファルシェンで見る羊に比べてずいぶん立派な角を持っていると思っていたら、魔物が闊歩する中で生き抜くために物理的な攻撃力を得たようだ。
「お兄さん、外国から来た人? 辛いのは平気?」
「ええ、美味しさが感じられる程度の辛さなら」
すると、喋りながらも串をひっくり返す手を止めない男性はぷっと吹き出した。
噂によると、到底一人では食べきれない量を皿に盛ったり、とにかく辛さを上げたりといった『チャレンジ料理』なるメニューを出す店があるらしい。
完食できれば食事代が無料になるとか、次回の食事に利用できるチケットがもらえるとか、良いこともあるそうだが、食事は無理するものじゃないと思う。
「辛いの平気なら、味付けはこれがオススメ」
そう言って、屋台の店員は上からぶら下げてあるメニューの一つを指差す。一つ一つの単語の意味から察するにチリパウダー系の香辛料がかかっているようだった。
「じゃあ、それを一つ」
「これを買うなら、飲み物はあれ」
と、次に指差したのは斜向かいの店だった。外の看板にザラモール語で『ビール』と書いてあるのが読めた。
「ありがとうございます。オススメのとおりにしてみます」
「ん」
無愛想だが、観光客慣れしている親切な人だった。言われたとおりに斜向かいの店を覗く。
快活そうな女性の店員は、俺の手に羊肉の串があるのを見るなり、
「ビール? ちょっと待ってて」
と、こちらが注文する前に程よい泡立ちのビールが大きめの紙コップで出てきた。
「なるほど、提携してるんですか」
「そんな大げさなもんじゃないよ! 合うから合うって言ってるだけ!」
女性は明るく笑った。
ビールを片手に、行儀悪く歩きながら羊肉に齧り付く。
「ん? 思ったより辛くない」
「ムー?」
かけたというより塗したと言った方が良さそうな、大量の真っ赤なパウダーを警戒していたら、意外と大丈夫だった。むしろ、羊肉特有の臭みが消えて食べやすい。
「なるほど。それで外国人に勧めてるんだな」
クセが気にならなくなるため、食べ慣れない人間でもとっつきやすいというわけだ。
と思って調子に乗ってもう一口食べたら、
「いや、やっぱり辛い」
後からじわじわ来るタイプの辛みだった。
そして慌てて冷たいビールを飲んだら本当に合う。ファルシェンのビールよりもさっぱりとしていて、肉汁と相性が良い。
「これは店の近くで食べて、もう一杯ビールを貰うべきだった……」
できればそこまで教えて欲しかった。一瞬来た道を戻ろうかと思った。こうやってリベンジさせる魂胆だ。たぶん。
結局途中で追加のお茶を買い、噛みごたえのある串を堪能してそろそろ甘い物が欲しくなったところで、急にムーが何かに興味を示した。
「ムー!」
「どうした?」
視線を辿ったら、串に刺さった果物が飴でコーティングされた見た目にも華やかなデザートが、ショーケースの中に並んでいる。
近寄ってメニューを見ると、ブドウの他にイチゴやリンゴなど、旬ではないものも普通に売っているようだ。近くに温室栽培施設でもあるのだろうか。
「どれがいい?」
ジャムを食べて以来砂糖も好むようになった毛玉を手に乗せて選ばせたら、小さな丸い実がいくつも連なった串に目を付けた。
「ムー!」
「よりによって一番量が多いやつかよ。全部は食べきれないだろ」
「ムー?」
「残りは俺が食えばいいって?」
「ムー」
「はいはい。すみません、一つください」
「あ、はい」
会話が成立している俺たちを見て、店員はぽかんとしていた。
歩きながらムーに食べさせるのは少々難しかったので、適当な日陰を見つけて腰掛ける。
「この辺りは、思ったより涼しいな」
夏も本番の季節になり、南に行けば行くほど暑いかと思っていたら、一番暑いエリアはいつの間にか通り過ぎたらしい。首都は標高も少し高くなっているようだ。あまりにもなだらかすぎてわからなかった。
「ほら」
「ムー!」
先端の一粒を串から抜いて手に載せると、ムーは待ってましたと言わんばかりに食いついた。
それを見ながら、俺も一つ食べてみる。よく冷えた薄い飴はパリパリとすぐに壊れ、現れた中の果実は柔らかかった。少し酸味が強いのが、外側の砂糖と調和してちょうど良い。
「うん、美味い」
「ムー!」
素朴な味は、初めて食べるのに不思議な懐かしさがあった。そして不意に、古い記憶が蘇る。
何かの大きなパーティーだった。母が俺の視線よりも上にあるテーブルの果物を皿に取り、食べさせてくれた。――母は笑っていた。
「……昔はさ、母さんも優しかったんだよな。父さんは厳しかったけど、それでも今ほどじゃなかったはずなんだ」
「ムー?」
突然どうしたと言いたげに、ムーが俺を見上げる。俺の過去をよく知らない毛玉に話しても仕方がないことだが、他に話せる相手はいない。
あの頃は、何か一つできるようになると母は何でも褒めてくれて、菓子やおもちゃを買ってくれた。父も甘やかすなと言いながら、時には笑うこともあったように思う。
「幼年学校の入学試験で、満点取った時からかな。こういうの気軽に食べさせてもらえなくなったの」
丸い実をもう一つ頬張る。好みの味だった。きっと両親は、あの頃から好みが変わっていないことだって知らない。
「いつの間にか、何でもできるのが当たり前だと思われるようになってさ。俺だって、頑張ってたんだけどなあ」
人より良くできても褒められず、できないことがあると両親は不機嫌になった。喜ぶ顔が見たくてやっていたことが、叱られないためにやることに変わった。
甘えたい時に甘え、嫌なことは嫌と言えるネネを、羨ましく思ったことがないと言えば嘘になる。
「……そうか。俺、褒めてほしかったのか」
エリックの成長を微笑ましげに眺めている商会長を見た時、一般的な父親というものを改めて目の当たりにして、複雑な気分だった。あれはエリックが羨ましかったのだと、ものすごく今更気付いた。
多分、期待に応え続けていればいつかまた褒めてもらえるのではないかと、心のどこかで思っていたのだ。
結局叶うことはなく、いつしかこちらから期待することをやめて、こうして脱走しているわけだけど。
複雑な気分で目の前の通りを眺める。強い日差しの下を歩く異国の人々がいる風景が、別世界のように思えた。
「ムー」
ムーがぴょんと膝に乗って俺を見上げた。
猫でいう眉間の辺りを指で掻くように撫でると、気持ちよさそうに目を細める。それから、
「ムー、ムー!」
果実飴をもう一つ寄越せと催促した。