何となく盛り下がった気分を上げるため、観光を再開する。気持ちの切り替えは得意な方だ。
「古い壁もそのまま残ってるんだってさ」
「ムー?」
建造物は建てる時だけでなく、壊す時にもコストが掛かる。魔物が襲ってきても壊れないほどの壁となれば尚更だ。
というわけで中心部に向かうには、以前は外との出入り口だった門から入るしかないらしい。
そして、一番内側にあるのが城壁だ。
「せっかく来たからには城も見ておきたい」
共和制になったファルシェンと違い、ザラモールには今でも皇帝がいる。つまり、その城壁の中にある城は、今でも使われているということだ。
「中心部に行くバスはどこから出てるんだ……?」
もちろん徒歩なら日が暮れる距離だ。格子状の道が走る地図を睨み、何とか辿り着いたバス停でまた見慣れない形式の時刻表を睨み、バスの運転手にこれは城壁まで行く便で合っているかと訊ねて、ようやく旧外壁をくぐることができた。
「今通ったのが、先代皇帝の時代の壁か」
壁にはそれぞれ、建てられた時代の皇帝の名前が冠されているそうだ。
現在の外壁は白っぽく直線的だが、旧外壁は緩い円を描いている。使われている石は同程度の大きさに切り出してはあるものの、色は様々だ。おそらく材料が足りず、あちこちの産地から運んできたのだろう。技術の進化が感じられた。
「ムー」
一人前に、ムーも一緒にガイドブックを見ている。さすがに文字は読めないと思うが。
人口が多く、建物が多いのは壁を抜けても変わらなかったが、中心に向かうほど街並みが整っていて、外を歩く人々が裕福そうに見えた。
古くから首都に住んでいる一族、つまり貴族が多いからというのもあるだろうが、単純に考えて城に近いほど魔物に襲われにくいことになるので、相応の地価を支払える人間が住んでいるのだろう。
バスに揺られること数十分、冬ならそろそろ日暮れだという頃に、ようやく城壁に辿り着いた。
「おお、やっぱり現役の城は迫力があるなあ」
「ムー!」
壁の奥に見える高い城は、港で食事をした楼閣を何十倍にも大きくしたような外観だった。
もちろん城門には衛兵が立っている。近くに設置された櫓は観光客に開放されているが、正門の向こうの広場を覗くことはできても、中には入れない。
真南を向いているという正門を、傾いた日差しがちょうど良い具合に照らし、丁寧に施された塗料の赤色がよく映える。
「やっぱりカメラを持ってくるべきだった」
後悔してもカメラは現れない。ひとまずじっくり目に焼き付け、写真は土産物屋でポストカードを買うことにして、辺りを散策してみることにした。
さすがに城の周りともなると、外側のようにごみごみとはしていない。周囲には櫓以外の高い建物はなく、広々とした空間は公園のように整備されていた。
あちこち歩き回っていると、もちろん腹が減ってくる。
「これで、近くに城を眺められるカフェでもあれば最高なんだけどなあ」
もちろん王城の周りに、一般市民が使えるような憩いの場所はない。ザラモールの東部には『花より団子』という言葉があるらしいが、俺はまさにそれだと思う。大人しく、またバスに乗って戻ることにした。
ホテルは、商会長が「これくらいはさせてほしい」と言って、魔法生物学者シフォンが住んでいるという場所の近くに取ってくれていた。最後まで気が回る人だ。
ついでにファルシェン料理が食べられる店を聞いておき、夜はそこで久しぶりに馴染みのあるディナーを食べた。ザラモール料理ももちろん美味いが、さすがにそろそろ懐かしくなってきたのだ。
客は観光客と地元民が半々といった雰囲気だが、皆似たような気持ちなのか、聞こえてくるのはファルシェン語ばかりだった。
「せっかく遠くまで来たのに何してんだって感じだけど、たまにはいいだろ」
「ムー」
レタスをもしゃもしゃと食べるムーも、同意したように見えた。穀物に果物に砂糖にと、いろんな味を知ったとしても、やっぱり基本は生の野菜が好きらしい。
そしてようやく、首都での一番の目的であるシフォンの元へ向かう日が来た。
そこは建て増しされた住宅の中では比較的綺麗な、最上階の部屋だった。
しかしこのザラモールにおいて、新しい部屋というのは良いことばかりではない。
「エレベーター、ないのか……」
この密集する建物の一つ一つにエレベーターなぞ付いているわけがない。下の方が古いなら尚更だ。気温が上がってきた中で延々と階段を上る羽目になり、さすがに息が上がった。
「やっと着いた……」
五階に着いたところでまずは伝う汗を拭き、息を整える。休暇を取ってから多少身体が鈍ったのは認めるが、建て増しされた部分の階段がやたら急なのも良くないと思う。
「こんにちは。昨日連絡したリントブルムです」
「はいはーい」
動物というよりは魔物的な、妙な獣の頭が輪を加えている形のドアノッカーを鳴らすと、扉の向こうからすぐに返事があった。
姿を見せたのは長いアッシュブロンドの巻き毛を一つにまとめた、やたら華やかな外見をした男だった。
「やあ、はじめまして。魔法生物学者のシフォンです。とりあえず上がって。あ、靴は脱いで、そこのスリッパに履き替えてね」
「あ、はい」
言われるがままに靴を脱ぎ、後をついていく。シックな木製の家具でまとめられた部屋は、独身の若者の一人暮らしにはちょうど良い、最低限の広さだった。
「急なご連絡で申し訳ございません。昨日、研究所で取り次いでくださった方には少し話したのですが」
「ああ、トルテからの紹介だってね」
頷いて紹介状を差し出すと、シフォンは何やら面白そうな顔をして受け取った。宛名を見ながら、俺に身振りだけで椅子を勧める。
それから一旦封筒をテーブルに置いて、流れるようにキッチンに向かった。
「こちらこそ、遠路はるばるようこそ。ファルシェン語で話すのは久しぶりだなあ」
シフォンの見た目は純ファルシェン人という感じだが、服装は地元民のそれだった。
キッチンで手にしているのもザラモールの茶器で、その手際から、この地に住み着いて長いことがわかる。
「失礼ですが、シフォンさんってファルシェン貴族の家柄じゃありませんか?」
少し調べたところ、ファミリーネームはシュガール。リントヴルムと同じく、ファルシェンが王政だった頃から続く家のはずだ。
「そうだよ。ま、良いとこのボンボンがこんな異国で何してんだっていうのは、お互い様だな」
「確かに」
こちらが気付くのだから、もちろん相手も気付いていた。シフォンは魔物の研究のためという立派な理由があるので、俺の方が何してんだ度は高い。
「さて、トルテは元気にしてるかな? ずいぶん長いこと会ってないけど」
と言いながら俺の対面に座り、改めて手紙の封を開け、さらさらと数行読み進めたところで首を傾げた。
「何だ? 君のこと、命の恩人って書いてる。何があったんだ?」
「実は……」
グラニスでの誘拐殺人事件のことを掻い摘まんで話すと、シフォンは目を丸くして聞き入っていた。
「そりゃ確かに、命の恩人だ」
そして手紙の続きを読んで、また目を丸くする。
「何! 結婚するだと!? ボクを差し置いてか!?」
と、随所にリアクションを挟みながら手紙を読み終わるのを、俺は黙って待っていた。お茶請けの饅頭が美味い。