ハイキング気分でのんびり昼食を食べ終わったところで、ハオリンが思い出したように洞窟を見た。
「誰も出てきませんわね……」
それから空を見上げる。
「こんなにいいお天気なのに、皆様洞窟の中でお昼ご飯を食べていらっしゃるのかしら」
そういう風習があったとしても、さすがに誰か一人くらい出てきてもいい気がする。
「話し声は?」
「相変わらず中から」
ということは、他にも出口があって、そちらから出ていってしまったということでもなさそうだ。
「やっぱり、入ってみるしかなさそうだな……」
「ええ……」
ハオリンは気が進まない様子だったが、こちらにも急ぐ理由がある。
「嫌なら俺一人で見てきても――」
「いえ! わたくしも行きますの!」
ちょっと確認するだけなので別に一人でもいいのに、ハオリンは慌てて立ち上がった。
洞窟の中は暗く、明かりがなければ隣にいるハオリンすらまともに見えなかった。
「特別な事情がありそうだったら、すぐに引き返そう」
こんなところに住民全員が集まって何かをしているという時点で、あまり良いことをしているとは思えない。声をかけて下手に刺激するより、気付かれないようにそっと様子を窺う程度にした方が良い気がした。
「こそこそして、悪いことをしているみたいですの……」
【
「仕方ないだろ。全然話が通じなくて、急に襲ってくる可能性もあるし」
こういう排他的な雰囲気のある場所に住む集団は、よそ者の言葉を全く聞かない可能性がある。
特に今の俺たちはファルシェン人と獣人の二人組という、現地民からすると怪しいことこの上ないコンビだ。用心に越したことはない。会話も必要最低限だけにして、黙々と奥へ進んだ。
成人男性が難なく歩ける高さに掘り広げられた洞窟は、時折道が分岐していた。分かれ道の度にハオリンが音を聞き分けて方向を指示する。正直、いてくれて助かった。
しばらく歩き続けると、徐々に煤けた臭いがしてきた。ほぼ同時に人の話し声が俺にも聞こえるようになる。しかしぼそぼそとした小さな声で、内容まではわからない。
「ハオリン、何を言ってるかわかるか?」
「言葉としては聞き取れるのですけれど、意味はあまり……。なんだか、お祈りのような、魔術師様の呪文のような、そのような文言を唱えておられますの」
「呪文……? 全員で?」
嫌な予感がする。
「ハオリンは俺の後ろに。危ないと思ったら、俺のことは気にせず全力で引き返すこと」
「でも、タキ様は?」
「大丈夫。自分の身くらいは守れる」
いざとなったらムーもいる。そう思うだけで何とかなりそうな気がした。当の毛玉は、洞窟に入るなりフードの中に引っ込んでしまったが。
それからすぐに、明かりが漏れている場所を見つけた。臭いも声も、その中から聞こえる。
ハオリンに目配せをしてから、壁に背中をつけて恐る恐る覗き込むと、異様な光景が広がっていた。
「慈悲深き我らが主、グロリア様。どうか、我々に魔物を討ち滅ぼす力を……」
「村を守る加護を……」
岩盤をくり抜いて作られた部屋だった。一様に白いローブを纏った集団が、同じ方向を向いて膝をつき、頭を低くして一心不乱にぶつぶつと呟いている。
そして一段高くなった最奥の椅子には、首に蛇を巻いた黒い服の男が足を組んで座り、彼らを見下ろしていた。
「グロリアス教団……」
思わず舌打ちしそうになった。また出会うだろうとは思っていたが、こんなところに潜伏しているとは。
「グロリア……? 先ほどもそのお名前を口にしていらっしゃいましたわね」
「ちょっと因縁のある相手なんだ。まずいな……」
奴を拝んでいる白いローブの人々が全員集落の住民なら、ここはグロリアス教団の信者が暮らす共同体ということになる。
そして壁の外に住んでいる人間は魔物への対抗手段を持っているという話を鑑みると、十中八九、グロリアの力で後天的に魔術が使えるようになった人間が大勢いる。
「戻ろう。あいつらは危ない」
いくらムーがいるとしても、こんな狭い場所で魔術師に囲まれるのは避けたい。ハオリンの背中を押し、急いで踵を返した瞬間だった。
「そんなこと言わないで、ゆっくりしていけばいいじゃない」
先ほどまで部屋の奥にいたはずの男が、俺たちの真後ろに立っていた。
「侵入者か!?」
グロリアが動いたことで俺たちに気付いた白いローブの連中が、お祈りをやめてざわつき出す。
「グロリア様、我らにお任せください!」
中でも体格の良い男が、グロリアを守るべく前に出ようとした。他の信者たちも殺気立ち、いつでも攻撃できるよう構えている。
しかし、グロリアがスッと片手を上げると、一瞬で不気味なほど静かになった。
「久しぶりね、【瞬光魔術師】さん。今日は妹さんと一緒じゃないの?」
俺は返事をせず、にやにやと笑う男を睨み付けてハオリンを背に隠す。相変わらず、違和感のある表情と喋り方だ。
「可愛らしいウサギさんね」
「な、何ですの、この方は……」
その奇妙な雰囲気を感じているのか、ハオリンは耳を伏せて後ずさる。声が少し震えていた。
「新興宗教の教祖だよ。ムーを攫って閉じ込めていた奴で、ファルシェンでは誘拐殺人事件まで起こした」
「誘拐殺人!? 犯罪者ですの!?」
「グロリア様を侮辱するな! 全ては崇高なお考えがあってのことだ!」
俺の言葉にとうとう我慢できなくなった信者が激昂する。しかしグロリアは笑うだけだ。
「いいのよ、彼は特別なの。それに、誘拐については私がやったことじゃないわ。私のことを慕ってくれるみんなが、私のことを思ってやっただけ」
確かに、グロリアが直接手を下した事件はないだろう。証拠は何もない。
「……一つ聞きたいことがある。お前の本当の名前はディーターじゃないのか」
ディーターは二十代前半ということだったが、目の前にいる男は少しやつれているせいか、落ち着き払った異様な雰囲気のせいか、もう少し歳をとっているように見える。グロリアはスッと目を細め、不快な距離まで俺に顔を近付けた。
「確かにこの身体はディーターのものよ。そんなことまで突き止めるなんて、本当に優秀ね」
「身体……?」
「借りているの。私の目的のために必要だと言ったら、喜んで貸してくれたわ」
つまり、グロリアの本体は別にあって、ディーターの意識を乗っ取って自分の身体のように動かしているということか。
「古代魔術か……」
「魔法よ。魔術師には使えない、素敵な魔法」
またその言い方だ。どうやら、彼は古代魔術のことを魔法と呼んでいるらしい。
他人の身体を乗っ取る魔術については、一つ心当たりがある。
【移し身】と呼ばれたその古代魔術は、危険度の高さから禁術指定を受けた魔術のリストにあった。今や誰もその使い方を知らないはずだ。――知っているとすれば、古代魔術を専門に研究していた大学教授くらい。
「……コーディ・ルーカスを知ってるか?」
「だあれ?」
試しに行方知れずの恩師について聞いてみるが、グロリアは本当に心当たりがなさそうな顔だった。
「知らないならいい。今日は、別にお前や教団とやり合いに来たわけじゃないんだ。この集落の人たちはここで静かに暮らしてるだけみたいだし、俺はザラモールでは何の権限も持たないただの旅行者だ。見なかったことにするから見逃してくれ」
両手を上げて敵意がないことを示す。
本当ならグロリアを捕まえて洗いざらい聞き出したいところだが、手の内がわからない以上は何の準備もせず迂闊に攻撃するべきじゃない。
それに、身体が別人だというのが本当ならどうせ逃げられる。ならば俺たちの安全が最優先だ。
「帰っちゃダメよ。ちょうど、この身体じゃそろそろ限界だと思っていたところなの」
そう言って、グロリアは自分の手を見る。その指先がうっすらと黒ずんでいるように見えた。
「それは――」
「みんな、彼を捕まえて。できるだけ傷をつけないように。捕まえてくれた人には特別な地位と力をあげる」
「特別な……!?」
最後の問いを投げかける前にグロリアが焚きつけ、信者たちの目の色が変わった。
「それじゃ、頑張ってね」
その言葉は信者に向けてなのか、俺に向けてなのか。グロリアは笑顔でひらひらと手を振り、俺目がけて雪崩れ込む信者の向こうに消えた。