ヒドゥンリザードは、気付かれないくらい遠くから狙いを定めてごく弱い雷弾をぶつけたら、簡単に気絶した。
「便利な魔術ですわね……」
「だろ?」
逃げられないように、予め用意していた魔獣捕縛専用のカゴに入れた上で鞄に仕舞うのを、ハオリンは呆れた様子で見ていた。
ちなみにこのカゴに入れた魔獣は魔除けの影響を受けないとかで、ザラモールでは食材になる魔獣の運搬用として当たり前に使われているそうだ。また異文化だった。
***
壁の中に戻ると、まずは商会に寄ってことのあらましを話し、集落の洞窟を調査してもらえるよう通報した。
そしてぼろぼろの姿のまま出ていこうとしたら、不在の商会長にかわって出迎えてくれたエリックに心配されてしまった。
「一旦休んでからの方が良いのでは……」
「いつまでも手元に魔獣を持っておきたくないんだよ……」
カゴの外側を更に布で包んで厳重に仕舞い込み、通行門でも持ち込み許可を得るために取り出して確認したので外に出ているということはないと思うが、それでもどうなっているかとそわそわしてしまう。早く引き渡して楽になりたかった。
「ハオリンは先に帰ってくれ。ホテルの場所を教えてくれれば、明日迎えに行くから」
「いえ、一緒に参りますの。その学者様は神や精霊について詳しいのでしょう? わたくしもお話を聞きとうございます」
「別に良いけど……」
そして五階へ向かう階段を前にして、やっぱり明日にすればよかったと二人揃って後悔した。
なんとか階段を上りきり、へとへとの状態でハオリンを紹介して、座るよりも先にまずはカゴを差し出す。
「うわあ! 本物のヒドゥンリザードだ! 本当に見つけてくるとはね!」
シフォンは興奮しながらさっそくトカゲを鑑定し、カゴをキッチンに運んでいった。
「信じてなかったんですか?」
「半信半疑だよ。神の寵愛がどれほどのものなのか、実験も兼ねてたんだ」
「そんなことだろうと思った……」
薄々勘付いてはいた。対価というのは建前で、俺を試しているのだろうと。
「話を聞いた時は、おとぎ話のお姫様かと思いましたの……」
シフォンの全く悪びれない態度に、ハオリンは呆れていた。月見の里には、美しい姫に求婚した男たちが無理難題の条件を突きつけられて結婚を諦めさせられるという、恐ろしい民話があるらしい。
「おっ、いいね。民間伝承もボクの研究対象さ」
曰く、彼は魔法生物の中でも特に精霊や神についての研究を行っており、ザラモールに来た本来の目的は土着信仰について調べるためなのだそうだ。
最初は兎耳の獣人族を見て驚いていたものの、快く招き入れてくれたのはハオリンが月神の巫女だったからだ。
「でもそれは、ボクが月見の里に行った時にでも聞かせてもらおうかな。今は、タキくんがそんなにボロボロになっている理由の方が聞きたい」
前回と同じ茶器で優雅に茶を淹れるシフォンに、ヒドゥンリザード一匹を手に入れるために起きた事件の顛末を掻い摘まんで話すと、さすがに目を丸くしていた。
「それはまた、大変な目に遭ったね」
「本当に。今回ばかりはダメかと思いました」
あちこちにできた怪我はちまちまと治して痛みも薄れてきたが、心労はそう簡単に回復しない。出されたお茶を啜り、思わずため息をついてしまった。こういう気分の時は、温かい飲み物の方が安心する。
「あの集落は比較的新しくてよそ者が多そうだったから、不審には思ってたんだ。まさかそんな集団だったとはね。本格的な調査が始まったら、ボクも警察に付き合おう」
シフォンはふむふむと手元のメモに何か書き付けながら頷く。
「教団の信者は、そのグロリアっていう男のことを神として崇めているようです」
魔術によって別の人間の身体に乗り移っていること、次の依り代にするために自分が狙われたことも話すと、シフォンは徐々に真剣な顔になった。
「なるほど。その男、本気で神に成ろうとしてるんだね」
「神に成る……? そもそも、神って何なんですか?」
今回、シフォンに聞きたかったことの一つだ。魔物でも精霊でもなく、運命をねじ曲げてしまう強大な力を人間にポンと与えられる謎の存在。対処法はなくても、些細で構わないから何か情報が欲しかった。
「そうだな……。ボクら学者が考える神というものについての見解だから、敬虔な巫女さんには少し不快な話になるかもしれないよ」
しかし、ハオリンは首を振った。
「ユエリヤ様の力を取り戻す手がかりになるかもしれませんの。ぜひお聞きしとうございます」
その真剣な赤い目を見て、シフォンはフッと微笑んだ。
「じゃあ遠慮なく。……神っていうのは、一言で言えば『あらゆる生命体の魔術的な進化の果て』というのが、最近の研究に基づくボクの持論かな」
「魔術的な進化の果て……?」
難しい言い回しにハオリンが首を傾げ、耳がみょんと俺の方に垂れた。
「強い魔力を持った精霊、魔物、あるいは人間といった存在に、信仰や畏怖といった感情が長い時間をかけて集まった結果、神という別の存在に進化する。そういう風にボクは考えてるよ」
「信仰や畏怖、ですか……」
畏怖というのはただ怖がることではなく、格上の存在として敬意を払い、怒りに触れることを恐れるということだ。
「じゃあ、今信仰されている神たちも、元は精霊や魔物だったってことですか?」
「恐らくね。元が何だったのかは、今となってはもうわからないけど……。月見の里の伝承なんかに、ユエリヤ神の起源にまつわるものはない?」
「ユエリヤ様の起源はわかりませんが、月見の里は、異国から来た神を奉るようになったのが始まりだと聞いておりますの」
「なるほど? その頃既に神に成っていたのか、奉られたことで成ったのか……。興味深いな」
シフォンは話しながら、嬉しそうにペンを走らせる。
「でも、神になる前と後では何が違うんですの? 龍は既に崇められていますけれど、魔物なのでしょう?」
「明確に違うのは、限りのある肉体から解放されて、人知を超えた力と半永久的な寿命を得る、ってことかな。この辺りを回遊してる龍も、今の調子でいけばそのうち神に成るかもしれない」
それを聞いて、俺はグロリアの目的に思い当たる。
「なるほど、グロリアもそれで……」
力を与えるのも、別人に乗り移るのも、人ならざる力を見せつけることで信仰心とともに畏怖を植え付けているのだ。
せっかく集めた信者を使い捨てにするのが不思議だったのだが、手っ取り早く信仰を集めるためにやっていることだから、その後彼らが生きようが死のうが、大して興味がないのだ。
「とはいえ早くても数百年単位の話だし、意図的に成るのはほとんど不可能に近いと思うけどね? ましてや百年も生きられない人間がその域に辿り着くなんて無理無理」
とシフォンは笑い飛ばしてお茶を啜ったが、俺にはどうにも不安が拭えなかった。