「神を殺す……?」
物騒な言葉に、俺は思わず眉をひそめる。
「と言っても、実際にはほぼ不可能だよ。そんな顔をしないで、巫女さん」
ハオリンが不安げな顔をしたので、シフォンは慌ててフォローした。
「ちなみに、どんな方法ですか?」
「仕組みとしては簡単さ。その神の名を知る者が完全にいなくなると死ぬ――正確には、消滅すると言われてる」
シフォンはあっさりと言い、酢豚もどきのピーマンを頬張る。
「存在を忘れ去られるってことですか」
自分が生きていることを誰も知らない状態になる。それは確かに、どんな存在にとっても死と言える。
「そう。でも、考えてもみなよ。ただの人間なら人間関係を絶って山奥に数十年籠もれば済むことだけどさ。元々、とんでもない数の生物がその存在を知り、畏れたからこそ神に成ってるんだ。目に見えなくても子に孫に言い伝える人々がいる。ボクらみたいに古い遺跡を掘り返してまで神を研究する物好きだっている。そして自分より強い存在を畏れるのは人間だけじゃない。動物は人間の何十倍、何百倍の数がいるし、魔物には人間より長命の種だって多い。そんな中で、この世界から完全に忘れられることなんてできると思うかい?」
「……世界が滅びない限り、難しそうですの」
ハオリンがぽつりと呟いた。
「だろ? だから机上の空論ってわけさ。まあ、例えば月見の里が滅びて祠の場所がわからなくなって、世界中にいる月神の加護の持ち主が途絶えて数百年もすれば、あるいはそういうこともありえるかもしれないけど……。普通に考えれば、そうなる前に封印の術が朽ちて解けるんじゃない?」
「確かに。定期的に掛け直せるなら話は別ですけど、神を封じられるレベルの古代魔術の使い手なんて、滅多にいない」
グロリアでなければ俺の師であるルーカス教授くらいだが、彼は穏やかなことで知られていて、神殺しなんていう危険思想を持つようなタイプではなかった。
「そういうこと。だから月神が死んでしまうっていう心配することはないよ」
「それを聞いて少し安心しましたの……」
安堵のため息をつくと同時に、ハオリンの耳がしなしなと下がった。兎族というのは感情が顔より耳に出るようだ。
「でも里に被害が出てるんなら、月神を助けるのは急務だね。ボクも仕事がなければ同行したかったところだ」
「ですの! タキ様、ムー様、よろしくお願いいたします」
急に振り向いた耳に殴られそうになり、慌てて避けた。
「……わかった。ユエリヤ神に会えたら、エンブリオンまで行かなくても俺の厄介な体質をどうにかしてもらえるかもしれないし」
ネネの加護の件で、他の神の力があれば寵愛の効果が軽減することは判明している。今回は積極的に動いてもいい理由ができた。
「神の寵愛を打ち消したいなんて、珍しい願いもあったもんだ。せっかく面白いことを次々引き当てられるのに、もったいない」
シフォンは唐揚げの最後の一つを口に放り込み、暢気に言う。
「他人事だから面白がれるんですよ……」
どの神でもいいから、試しにシフォンのことを寵愛してみてくれないだろうか。俺は英雄にも神にもならなくていいから、何事もなく穏やかに暮らしたい。
***
ホテルに帰るとすぐに寝たものの、いろんなことが一気に起きすぎていま一つ疲れが取れないまま翌朝を迎えた。
ハオリンとは昼に落ち合うことになっている。まずは改めて首都を発つことを伝えに商会へ向かうと、エリックが何かを抱えて走ってきた。
「おはようございます!」
「おはよう。商会長は?」
「朝一で、取引先に行かなくちゃいけなくなって。見送りができないことを惜しんでいました」
「そうか。俺も挨拶したかったな」
とはいえ、俺はくっついてきたオマケなので取引先を優先しなければならないのは仕方ない。商会をまとめるというのは大変だ。
「これ、着替えです。父が餞別にと」
なんと、ぼろぼろになった服のかわりを用意してくれたらしい。今まで着ていたものと似た雰囲気で、ちゃんとムーが入れるようにフードが付いた上着もある。
「ありがとう……。商会長にもよろしく言っておいてくれ」
この後買いに行こうと思っていたら手間が省けた。本当に、よく気がつく人だ。
「ええ。それから、警察の方からも連絡がありました。……どうやらあの集落、違法な薬になる植物を組織的に育てていたみたいです」
エリックは声の音量を落とし、ひそひそと話す。
「やっぱり何かやってたか……」
それなりの人数が集まって暮らしているというのに、畑は最低限で家畜もいるように見えなかった。しかも脱法的な集団なので、首都内でまともな商売はできない。ならば別の資金源があると思っていた。
そしてハオリンが洞窟を覗いた時に、何かを燃やした臭いがすると言っていたことから、なんとなく予想はしていた。ナイフを持っていた男の様子が少々奇妙だったことを考えると、一部は自分でも使用していた可能性がある。
「協力したいところだけど、詳しい事情を聞かれたら長引きそうだな」
国を跨いで犯罪を起こしている団体が関わっているとなれば、協力を要請されるだろう。そうなると、数ヶ月単位で首都に拘束されることだってあり得る。
「月見の里に行かれるのでしたよね。さすがに直通の公共交通機関はありませんが、山の麓の町まではバスを乗り継いでいけるはずですよ」
「わかった。午後の最初の便で出よう」
「お気を付けて」
グロリアス教団について聞かれたらサリを紹介するようにと言付けて、俺は首都を離れることにした。