東部へ向かうバスを探して乗り込むと、二人掛けの席の窓側に座ったハオリンが妙にそわそわしていた。
「どうした? 車酔いか?」
発進してからずっと、足を動かしたり指を遊ばせてみたりと落ち着かない。
「い、いえ。乗り合いバスに乗る経験が少ないものですから、少し緊張しておりまして……」
耳が目立たないように被っているフードの端を引っ張り、表情を隠そうとした。
「え? じゃあ、首都に来た時は?」
「しばらくは、麓にお住まいの月神教の方がご厚意で自家用車に乗せてくださいましたけれど、大半は徒歩でしたの」
「徒歩!?」
地図を見る限り、月見の里から首都まではバスを乗り継いでも数日かかる距離だった。そのほとんどを歩いて移動したということは、数週間、どうかするとひと月くらいは掛かったのでは。
本人には言わないが、彼女が里を離れている間に状況が悪化していることを覚悟した。
それからいくつか町を経由した。やはりいずれも周りを壁で囲い、魔物対策が行われている。
「魔導車って、便利ですのね……」
酒場を兼ねた騒がしい飲食店の片隅で、相変わらず野菜炒めをつつきながら、ハオリンはため息をつく。数日で折り返し地点まで来られたことに、素直に感心していた。
「むしろ、よく歩いて首都まで来たな……」
首都から離れるほど町の間隔は開き、ホテルの受け入れ終了時間も早まる。野宿をするような日もあったんじゃないだろうか。
「ユエリヤ様の加護のおかげですの」
「封印されてても、加護の効果はあるのか」
「弱まってはおりますけれど、並みの魔物が相手でしたらじゅうぶんですわよ」
ふふんと胸を張った。特にユエリヤ神の加護は防御に特化していて、加護を受けた者を外敵から守ってくれるそうだ。
「なんで俺のは加護じゃないんだ……」
ネネといいハオリンといい、加護だったらどの神から受けても有用そうなのに。いや、有用とかそういう考え方をするからいけないのだろうか。
「ムー」
思わず深いため息をついたら、ムーが自分がいるぞと言わんばかりに鳴いた。
「そうだな、ムーがいるだけ良いと思わないとな」
寵愛のおかげでムーと出会えたと思えば、悪いことばかりでもないのか。――いや、差し引きでマイナスな気がする。やっぱりなんとかしたい。
***
月見の里は、東部に広がる山裾の町から数時間山を登った先にあるという。
背後に黒っぽい木々が密集する山を背にした小さな町は、標高と地形の関係か、首都よりも更に涼しかった。
「なんだか、町に活気がありませんの……」
バスを降りたハオリンが、不安げに辺りを見回す。俺には普段との違いがわからないが、この町も月神の力の影響下にあるため、本来は魔物の被害が少なく暮らしやすい地域らしい。
「今から登れば、日暮れまでには里に着けますの。急ぎますわよ」
「待て、補給をしてからだ」
異変を察知して慌てるハオリンを引き留める。慣れた道でも山は山、装備を整えてから登るべきだと説得した。ついでに俺もいることを忘れないでほしい。
「そ、そうですわね。ご飯とお水は大事ですの」
ハッとして頷き、ハオリンは月神教の信徒がやっているという店に早足で向かった。
「ごめんくださいまし」
「巫女様? 戻られたんですか」
持ち帰りもできるという飲食店に入ると、カウンターの奥にいた店主と思しき中年男性が、ハオリンの顔を見るなり駆け寄ってくる。
「ええ、ユエリヤ様をお助けする手立てが見つかりましたの」
「それは良かった!」
ハオリンが力強く頷くと、店主は顔を明るくした。月神が本当に慕われていることが俺にもわかった。
しかし店主はすぐに目を伏せ、小声でぼそぼそと言う。
「ここしばらく、今まで見なかった魔物が増えているんです。猟に入って襲われた奴もいて……」
「まあ! その方はご無事ですの?」
「怪我はしましたが、命に別状はないらしいです。けど、なるべく外に出ないようにってことになって。ウチも商売あがったりですよ」
道理で、昼時なのに客が他にいないと思った。
「道理で、外が静かだと思いましたの……。大丈夫ですわよ、すぐに解決いたします。こちらのタキ様とムー様が協力してくださいますから」
俺を見て怪訝な顔をしていた店主が、肩に乗っているムーを見て目を丸くする。
「もしかして、ヒカリヌシ様?」
「ええ、確定ではありませんが、わたくしはそうだと信じておりますの!」
どうやら例の伝説は、この辺りでは誰でも知っているものらしい。
「それは心強い! ヒカリヌシ様、どうかユエリヤ様をお救いください」
店主は深々とムーを拝み、自分たちもあまり余裕はないだろうに、水と食料を無償で提供してくれた。話が早くて助かる一方、あまり期待されると居心地が悪い。
店主が手早く包んでくれた携帯食は、米を握って三角にしたものと野菜の塩漬け、干し肉というシンプルなものだった。
「まあ、おにぎり! 久しぶりのお米ですの!」
ハオリンはぱあっと目を輝かせ、店主に何度も礼を言った。故郷の味が一番なのは誰だって同じだ。
「里の方はもっと被害が大きいんじゃないですかね。保存食がいくらかあるんで、持って行ってください」
話によると、里で足りないものを定期的に仕入れに来ていた兎族の商人を、ハオリンが旅立ってから見かけていないらしい。
「ありがとうございます! でも、どうしましょう。荷物が多くなると歩きづらくなりますの……」
支援物資はありがたいが、今は一刻も早く里の様子を見に行きたいハオリンが葛藤する。
「俺が持つよ。鞄にまだ余裕があるから」
曾祖父のトランクはいざという時に役に立つ。店主が周りの店にも呼びかけて集まった食料や生活用品を詰められるだけ詰めると、ハオリンも町の人々も、初めて見る魔導鞄に目を丸くしていた。
そして俺は、五階建ての階段どころではない道のりが待つ山を前に覚悟を決めて、急かすハオリンの後ろを追った。